第六章 結束
『ピンポーン』
土曜の六時。夜勤の仕事が終わり俺が朝の味噌汁を飲んでいるとインターホンが鳴った。
「? 誰だこんな時間に」
余りにも早い来訪者を不思議に思いつつも俺は鳴らされた以上しょうがないので玄関に向かう。
「は~い。どなたですか?」
「おおほほほほほほほ! おはようございます的場さん! 私、松葉麗! ですわ!」
「あ、すぐに開けます!」
近所迷惑なるレベルで松葉さんが応じたので、俺は急いでドアを開いた。すると自信満々の笑みで、松葉さんが仁王立ちしていた。更に言うなら後ろに屈強なスーツ姿の男がこちらを睨みつけている。
「的場さん! 一庶民の為に私が家を尋ねるなんて、今まで成し得なかった快挙ですわ! 自慢してもよろしくてよ?」
「あの、ごめんなさい。取り敢えず近所迷惑なんで入って貰って良い?」
「おおおほほほほほほ! この私が男の家に入るなんて、今まで――」
「いや、そのくだりもう大丈夫だから」
ネタで言っているのか本気で言っているのか分からない人だった……。
「では貴方は車で待っていなさい」
「はい。お嬢様」
男は松葉さんに命令されると素直に従った。しかし、俺を見る目には殺意が込められたいた。
「あの、松葉さん。取り敢えず、あの人に後で俺を襲いに来ない様に言っておいてくれる?」
「おおほほほほほ! 庶民ジョークですのね!」
割と冗談では無かったのだが、松葉さんは豪快に笑った。しかしこの人本当にうるさいな……。
「まあこのお部屋……」
松葉さんは俺の部屋を見渡して感慨深げに頷いた。
「何か有った?」
その意味ありげな態度はきっとこう聞いて欲しいのだろうと察し、俺は尋ねる。
「いえ、私のワンちゃん家を思い出しただけですわ! おほほほほほ!」
「おい……」
「あ、でも、私のワンちゃんの家の方が綺麗で大きいですわ」
「わざと言ってるよね!」
俺がそう言うと松葉さんは可愛らしく微笑んだ。しかし、やはり群を抜いて可愛い。
「それで? どうしたのこんな朝早く? あ、コーヒー飲む?」
「紅茶が良いですわ! 私コーヒーは嫌いですの」
「そっか」
取り敢えず言われた通りに俺は紅茶を入れた。と言ってもパックの紅茶だが。
「ふふ、やりますわね。紅茶を家に常備する。良い心がけですわ」
そう言って松葉さんは紅茶に口を付けた。そして少しの間、固まった。
「? 美味しくなかった?」
「いえ……何というか不思議な味ですのね? 何という紅茶ですの?」
「リプトンだけど」
「リプトン……ふむ。庶民の飲む紅茶はこの様な味ですのね」
上品な仕草で松葉さんは紅茶を飲んだ。ただの安物の紅茶のはずなのに、飲む人によっては一級品に見える。ぷっくらとした唇に俺の視線は吸い寄せられた。
「それで? 今日は何をしに来たの?」
これ以上松葉さんを見ていたら好きになってしまうかも知れないと思い、俺はそう尋ねた。すると松葉さんはコクンと頷いた。
「今日は迎えに来ましたの」
「え? 何に?」
約束した覚えが無く俺はそう聞き返した。トライブ・ウォーの埼玉大会は来週の日曜日だし、他の要件が思い浮かばない。
「勿論トライブ・ウォーの大会にですわ!」
「いや、それ来週の日曜日だから。聞いて無かったの? 俺達言ってたよね?」
「そんな事は分かっていますわ! 逆に伺うつもりですが、的場さんはまさか当日にいくつもりでは無いでしょうね?」
「はぁ……まあそのつもりですけど」
バイトも有るし、一週間前に行く理由が無い。
「そんなのではダメですわ! 慣れない場所に突然行って、何時ものポテンシャルが出せるとお思いですの?」
「いや……まあそれは一理あるけど」
「今回の戦いには貴方の想い人が賭けられているのでしょう? ならば、それぐらいの気迫でどうしますの!」
あれから一ヶ月。松葉さんとはデッキを作りを含め色々と話し合い、ご飯を食べ、親睦を深めていた。その過程で俺の話しが出るのは当然であり、松葉さんは全ての事情を知っても協力してくれている。
「でも俺バイト有るし……」
「バイト? バイトとはアルバイトの事ですの?」
「そうだけど……」
「それならば休めば良いでは無いですか!」
「いや、休んだらシフト入ってる人に迷惑かかるし……一週間も急に休んだら店からもいい顔されないよ」
「ムキィイイイイイイ! 何を言ってるんですの! そういう所を含めて的場さんはダメなのです! 女心を全く理解していませんわ! 私が紗月さんを手に入れる為なら一ヶ月前から現地入りしますわ! 女性の為に頑張る姿! それが女心を打つんですのよ!」
何やら俺の回答に大層ご立腹の様だが、一応俺も良い年だし、余り無茶も出来ない。そんな俺の煮え切らない態度に焦れたのか、松葉さんは携帯電話を取り出した。
「もう代わりに私が電話しますわ。確か、ショップ九九と言ってましたわね」
「え……ちょっと」
止める間も無く松葉さんは電話をかけた。しかし、ショップ九九と言っても全国に三千店舗はある。何処に電話しようというのか……。
「私、松葉麗ですわ。社長に繋いで頂戴」
「思ったよりも大事になっている!」
松葉さんは堂々とした態度で腰に手を当て仁王立ちしている。自分が中心に世界が回っていると信じて疑っていないそんな姿だった。
「遅いですわ! 私、忙しいんですの! 社長が居ないなら、佐伯会長を出しなさい! 直ぐに!」
それからしばらくすると、松葉さんの希望する人物に電話が繋がったのか、穏やかな顔で松葉さんは話し始めた。
「お久しぶりですわ。緒方社長。私、松葉麗ですわ。ちょっとお願いが有って電話しましたの」
電話さえも、松葉さんにかかれば宝石になるのか、その姿に見入ってしまう。松葉さんはうっとりする笑を浮かべる。
「一人、そちらのスタッフを一週間私に貸して下さらないかしら? 名前は的場翔……ええ…………的場さん。貴方の働いている場所はどこですの?」
「え、北千住の九九だけど」
「緒方さん。北千住で働いているそうよ。私、彼を一週間お借りしますわ。よろしくて…………ええ、ありがとう」
やがて交渉が済んだのか、松葉さんは携帯電話をしまった。そして満面の笑みで俺を見る。
「話が着きましたわ。的場さん。貴方は一ヶ月間、私の専属秘書ですわ」
「ええええええええええええ! 何それ!」
「緒方社長も快く了承してくれましたわ」
「そんな事が……」
本人の意思を無視してそんな風に話しが進む物だろうか? にわかには信じられない。
しかし、現実は直ぐに俺の所までやって来た。
『ピリリリリリリリリリ!』
「あ、バイト先だ」
嫌な予感はしたが無視するわけにはいかないので俺は電話を取る。
『あ、も、もしもし? 的場君?』
聞きなれた中年のおっさんである店長の声だった。しかし、その声は少し慌てている様に感じる。
「あ、はい。お疲れさ――」
『いや、挨拶は良いよ。それより的場君。何が一体どうなってるの? 緒方社長から直接私に電話が来て、的場君に有給を与えなさいって……理由を聞いても良いから手続きを、理由は知る必要が無いからって、言われちゃって……私みたいな末端が緒方社長と話すのも初めてなのに、的場君の名前が出たから私パニックだよ!』
どうやら松葉さんの力は本物らしい。一介の雇われ店長にはマネージャーを通さない社長の指示は刺激的過ぎた様だった。
「話すと長くなりますんで割愛しますけど、ちょっと用事が有りまして、俺の友人が緒方社長に直接交渉してくれたみたいです」
「何それ凄い友達だね。もしかして的場君も、もしかして何処かの御曹司なの? 僕って態度を変えた方が良いのかな?」
「いや、俺は至って凡人だから大丈夫です。それよりご迷惑をお掛けしました」
「いや、大丈夫だよ。何か今日の午後から本社からA級スタッフが二人来るみたいだし、正直的場君が居るよりも仕事回ると思うよ」
俺は電話越しに苦笑いを浮かべる。するとそれが伝わったのか、店長は軽く笑った。
「まあ、緒方社長が直々に言ってくるくらいだから大事な用なんでしょ? こっちは気にしなくて良いから頑張ってよ」
「はい。それじゃ」
俺は電話を切った。俺の前で松葉さんはどうだ! と言わんばかりに胸を張っている。
「はぁ……まあこれから一ヶ月松葉さんの専属秘書らしいからよろしく頼むよ」
「おほほほほほほほ! こき使って差し上げますわ!」
松葉さんは楽しそうに笑った。こうして見ると何となく年相応で、親近感が湧いた。
『ピンポーン』
するとその時、チャイムが鳴った。そして俺の返事を待たずにドアが開く。
「おっす。的場入るぜ。まさかオナニーとかしてないだろうな。オナニーしてたら気まずいから二秒間待ってやる。パンツを履け」
紗月がいつも様に俺の家に入って来た。しかし、予想外の人物が居たのか硬直する。
「げぇええ! 松葉! 何でお前が居るんんだよ」
「あら! 丁度良かったですわ! 紗月さん! 今から埼玉に行きますわよ!」
「げぇええええええ! 何言ってんだ! こいつ!」
結局俺と同じように紗月も説得され、俺達は埼玉に向かう事になった――。