第五章 松葉財閥の麗 3
「そろそろ休憩するか」
紗月は椅子に座りながら猫の様に背を伸ばした。
あれから二十戦くらいはしただろうか? 勝率は約六割、負けた時の敗因はほぼ、コンボが途切れてしまった事だった。その検討も含めていつものベンチに俺達は座る。
「お疲れ」
俺は買ってきたオレンジジュースを紗月に渡す。紗月はもごもごとお礼を言った。
「悪いな殆どが俺のせいで負けてしまった」
「ふん。別に的場のせいじゃねえよ。新デッキで六割、上等過ぎる結果だろ」
紗月はカードを握り締めながら何故か俺の腹筋にパンチする。
「お前は上手くなってるよ。それこそ一日おきに。今なら多分、ランキング戦でトップのプラチナクラスの実力が有ると思う」
「そうかな……余り実感無いけど」
紗月とプレイしていると自分の判断力、テクニックの無さは明確に分かる。紗月なりに励まそうとしているのかも知れない。
「いや、俺に付いて来れるってだけでレベルが高いって事だ……そ、それに俺達は相性がいいからな、な!」
恥ずかしそうに紗月は顔を背ける。しかし耳の赤さで照れているのは丸分かりだったが。
「そうだよな……順調なんだよな……」
俺がそう言うと紗月は何故か険しい顔で俺を見る。
「何だよ? 何か悩み事か?」
「うん? どうして?」
紗月がどうしてそんな事を言っているかが本当に分からず、俺は聞き返す。
「何だかしっくりいってないって顔してるぞ、お前は表情に出やすいから丸分かり何だよ」
先程紗月に対して思っていた感想を今度は紗月に言われた。しかし、しっくりこない。確かに言われてみればこの感情はしっくり来てないのかも知れない。
「何でも言えよ。チームに隠し事が有ると、本番で上手く行かないぞ」
眼鏡の奥から見える紗月の目は、まるで子供をあやす母親の様に優しい物だった。年下の女の子にそんな目をされて俺は少し気恥かしさを感じる。
「…………正直このデッキで神代に勝てるのかなって……思ったかも知れない」
紗月に言われて考えてみたが、恐らく俺が考えていた事はこれだった。
「それは確かに、まだ未完成だが、正攻法で行ったら俺達は勝てないって話は理解してるよな?」
「うん。そうだな。けど、あれから幾つか俺も神代の試合を見たんだけど、神代から感じた強さ。それは計算高さだけじゃないと思うんだ」
「? どういう事だ?」
「分からない。けど……あいつのデッキと試合から何か違和感を感じたんだ。何かを試している様な。あれが本当のデッキじゃないような……言うならばパチスロに行って打ってるんだけど、今日は負けるんだろうなってそんな感触」
「いや、お前……パチスロの話をするなよ。それに女子はギャンブルとか嫌いな奴が多いから、気をつけた方がいいぞ」
「紗月もギャンブルする奴は嫌い?」
「お、俺はその……ギャンブルをしたら将来結婚した時、ちょっと不安かな……とか思うけど……って! そうじゃなくて! お前の違和感の話だろ!」
「うん……でも、まあ俺の勘違いかも、ごめん……はは」
俺は正直バツが悪くなって頭をかいた。このデッキは紗月が寝ないで考えてくれたデッキだ。文句を言うのはお門違いだろう。
「馬鹿、別に俺に気を遣うなよ! しかし、まあ……それでも代案が無いなら今のデッキでやって行くしか無いだろうな」
紗月はそう話を切り上げた。確かに今は集中してやるしか方法は無い。
「まあ、またデッキはお前の家で練り直そうぜ。的場、今度はバイトの休みはいつだ? その日また泊まるからよ」
「うん……今度は――」
俺が携帯を念の為、確認しようとした時だった。
『おおおほほほほほ! また勝利! また勝利したわ! やはり私は天才! 天才なのだわ!』
ゲームセンター中に響く様な高飛車な笑いが聞こえ、俺は口を止めた。同じようにその場にいた全員が声のした方を見る。
『おおおほほほほほ! リプレイですわ! 私の華麗なプレイをもう一度目に焼き付けるが良いですわ!』
そこには椅子に上り、手を口に当て、仰け反りながら笑う、フリルのワンピースを着飾った金髪の少女が居た。
『おおお……』
その姿に周囲からざわめきが上がる。その一部は俺の声だ。何故そんな声が上がったかと言えば、純粋にその姿が美しかったから。
椅子に立つ足はスラッとしていて、肌はシミ一つ無く綺麗だ。そして服からも見て取れるふくよかな胸。そして顔も期待を裏切らない、凛とした人目を集める顔をしていた。
「滅茶苦茶可愛い……」
俺は思わずそう呟いた。俺が今まで出会った誰よりもその少女は美しかった。
「なあ、紗月。あの子芸能人かな?」
『ドス!』
「ぐもぉ……」
俺への返答の代わりに、紗月は俺の脇腹に肘鉄をくれた。
「あんな牛乳女の何が良いんだ? ああ?」
「そうっすね……すみません」
年下の女の子に本気で謝ったのは生まれて初めてだった……。
「と、ところであの子もトライブ・ウォーをやるみたいだね」
「だから何? お前可愛いからチームに入れるって事? お前本当に勝つ気有るの? トライブ・ウォー舐めてんの?」
「い、いや。そんな事は言ってないよ。珍しいと思っただけ」
「ああ、俺みたいな根暗な奴がやってても不思議は無いけど、可愛い子がやるのは珍しいって事?」
どうやら完全に機嫌をそこねてしまったらしい。俺は不用意な発言を後悔した。
「紗月。誤解しない様に言っておきたいんだけど……確かにあの子は可愛いと思う、本当に、けど紗月も俺は凄い可愛いと思った!」
ああ、駄目だ。上手く伝わってないかも知れない。俺はそう思い、紗月の肩を掴んだ。
「紗月を初めて見た時から、俺は可愛いと思っていたから!」
「ば、馬鹿……離せよ」
紗月はそう言うと俺の腕の中でもぞもぞと動いた。そしてチラッと周囲を見る。
「他の人が見てる」
俺はそこまで言われて横目に俺たちを見る人達に気付いた。そして慌てて手を離す。
「ご、ごめん」
しばらく俺達は顔を赤くして椅子に座り込んだ。しかし、ずっとそうしているわけにいかず、俺は帰ろうかと紗月に声をかけようとする。
「貴方。女の子でしょう?」
俺が紗月に顔を向けた時だった。そこにはキスをするぐらい顔を近づけて、紗月をガン見する、さっきの金髪の少女が居た。
「な……」
紗月は絶句していた。それはそうだろう、紗月は元々人見知りが激しい。知らない女の子にここまで接近されたら、言葉も無いだろう。
しかし、当の本人はそんな事は気にして無いらしい。胸に手を当てて堂々と名乗りをあげる。
「私は、松葉麗、麗しいと書いて麗ですわ。貴方? お名前は?」
「あ……」
困った様に紗月は俺の顔を見た。放っておくのも可哀想なので、俺は代わりに答えてやる事にする。
「この子は伊賀見だよ」
俺が立ち上がると紗月はさっとその後ろに隠れた。本当に俺以外とはコミュニケーションが苦手らしい。
「そうですの。それで? 貴方は?」
「俺は的場。この子の友達だ」
「まあ、そうですか。それで、的場さん。私、そちらに居る伊賀見さんに話しがありますの」
どうやら俺はお呼では無いらしい。俺がどうする? と振り返ると、紗月はふるふると首を振った。
「何だよこの女、いきなり話しかけて来て、近いんだよ顔が、第一初対面の相手に失礼だろ、無駄にでかい乳しやがって」
ブツブツと紗月が文句を言っている。しかし、松葉は自分が嫌がられているのを分かっていないのか。ずかずかと紗月のパーソナルエリアに侵入した。
「伊賀見さん。私、いたく感心しましたわ。まさか、私以外にゲームセンターでトライブ・ウォーをプレイする女性を見るのは初めてでしたの」
そう言うと松葉は紗月の手を取った。すると紗月からひぃっと小さな悲鳴が上がる。
「女性が弱い時代は終わりましたわ。それはこの私、松葉財閥の一人娘である私が世界を牛耳る事に証明されている様に、女性がこれからの時代を作っていきますの。そんな中、貴方の様に可愛らしい女の子が同じ趣味を持っていると知って私、嬉しいですの」
そういうと松葉はゆっくりと俺の座っていた席に座る。財閥のお嬢様だけあって、所作が優雅だ。
「だから私がトライブ・ウォーを教えて差し上げますわ。大丈夫。私、初めて三ヶ月ですが、プラチナランクの天才ですの」
おおおほほほほほほほほ! と松葉は高らかに笑った。お上品なのか下品なのか俺には分からなくなっていた。
「ま、的場ぁ~」
くい、くいっとまるで子供の様に紗月は俺の袖を引っ張る。それを無下に出来るほど俺は薄情でも無いので助け船を出してやる。
「紗月もプラチナランクだよ。かなり有名な。多分、初めて三ヶ月の君よりも強いと思う」
「あら……そう」
俺がそう言うと初めて松葉が正面から俺を見た。その容姿はやはり見蕩れてしまうほど可愛い。
「それは素晴らしい事ですわ。可愛くてそして強い。紗月さん。貴方の事私、気に入りました」
穏やかに松葉は微笑んだ。しかし、次に俺に向けた視線は明確な敵意だった。
「でも、私よりも強いというのは承服しかねますわ。何故なら私は松葉財閥の後継者、誰よりも優れている事を求められる者ですもの」
ビシッ! と松葉は人差し指を俺の胸元に突き出した。そして高らかに宣言する。
「私と勝負なさい。貴方達、勿論腕に覚えがあるのでしょう? ならば二人同時に打ち倒して差し上げますわ!」
「ええぇ……」
俺の口から力の無い声が漏れる。どうして俺はトライブ・ウォーをやっていると女の子に絡まれるのだろう……。
「いいぜ……」
すると俺の背後から威勢の良い声が響く。確認するも無く紗月だった。
「でも条件が有る。俺達が勝ったら二度と俺に話しかけるな」
格好の良い事を言っているが、紗月は俺の背に隠れたままだった……。
「構いませんわ」
俺が意図しない所で話がドンドン進んで行く。まあ俺にデメリットが有るわけでは無いからいいけど。
「しかし、そちらだけ条件をつけるのは不公平ですわ。私からも条件をよろしいかしら?」
さすが財閥を背負うだけあってか、松葉は交渉を開始した。俺はそれに頷く。
「私が勝ったら伊賀見紗月さん。貴方は私とお付き合いをなさい」
『……………………………』
俺と紗月は沈黙した。言っている意味が全く分からなかったからだ。
「私、男性には興味が無いんですの、紗月さん。先程も言った通り、私、貴方が気に入りましたの」
「ひぃいい!」
今度こそ本当に紗月から悲鳴が上がる。
紗月と松葉さんか……アリだな。
俺は二人が付き合っている様を想像して一人頷いた。美少女同士がそういう関係なんて何だかとっても得をした気分だった。
「的場~何とかしろよ!」
そういって紗月は俺の襟首を引っ張った。う……苦しい。
「分かった。取り敢えず勝負はしよう」
「的場!」
俺が勝手に勝負を受けた事に紗月は非難する様な視線を向ける。しかし、俺はそれを手で制する。
「大丈夫。もし万が一負けたとしても、そんな約束は反故にしてしまえばいい」
「え……そんな……でも、あいつは松葉財閥の娘って言ってるし、何をしてくるか……」
俺のゲス過ぎる提案に紗月は明らかに戸惑っていた様だった。だから俺は紗月の肩を掴み安心させようと言葉を重ねる。
「もし、もの凄い権力が有って、何かしてこようとしても俺が必ず守ってやる。それに、彼女は紗月が嫌がれば絶対無理に彼女にしようとしないだろう。多分きっかけが欲しいだけだよ」
「根拠は?」
「悪いが無い。ただの感だ」
「馬鹿……」
紗月は何故か恥ずかしそうに笑った。そして俺の背中をかなり強くグーで叩く。
「折角のプラチナ狩りだ。経験値を積ませて貰おうぜ」
「ああ、そうだな。紗月」
俺達は改めて松葉に向き合う。松葉は悠然と俺達の事を待っていた。
「相談は済んだのかしら?」
「ああ、勝負しよう」
「よろしいですわ。では闘技場へ」
こうして唐突に財閥の美少女との勝負が始まった――。