魔法
川沿いをそれて、森の中を進んでいると、前方に流水音が聞こえてきた。どうやら一行は再び川と合流することができたようだ。
「コンパスの方向もあってますし、もうすぐ吊り橋ですよ。」
「やぁーっとかよ。もうすぐ夕方じゃね?」
背の高い木々の隙間からはまだまだ明るい青空が覗けているが、西の空にはうっすら朱が混じり、青空との境目が淡い紫に変わっていた。
「そういえば、マーシェ、四柱の名前は、覚えたか?」
「げっ。」
マーシェが分かりやすい言葉で返答する。
「覚え悪すぎ! 昨日からやってんだぞ?」
「わーかってるわよ。」
「じゃあ、まずは創造の神。」
「えぇっと、アルティルシンだっけ?」
リグはがっくりとうなだれた。
「なんで創造の神と運命の神が混ざってるんだよ……。」
「あ、じゃあ、惜しいんだ。」
ぱっと明るい表情でマーシェは喜ぶ。確にかすりもしなかった昨日からすると進歩と言えなくないかもしれない。
「そんくらいで喜ぶな! アルティファーダ神だ! アルティファーダ神!!」
リグはマーシェよりも頭一つ以上小さいので、見上げながら、怒鳴る。
「うんうん。アルティファーダねアルティファーダ………。」
マーシェは口の中で何度も同じ言葉を繰り返す。
「う~~。なんで神さまの名前ってこんなに長いんだろう?」
「その方が有り難みが沸くからじゃね?」
首を傾げてテキトウに応えるリグにシー・ルナは苦笑いで、「違うと思いますけど。」と言う。
なんとも罰当たりな会話だ。神々が聞いていて、へそを曲げられて神術が使えなくなったらどうするのだろう。実際、この世界の神々は心が狭いと言われていて、そういう話は各地で報告されている。
特に運命の神は好みが激しく、それゆえに先見術を使える神官は少ないと言われている。
「ま、長くてもなんでも覚え込むしかないんだけどな。創造のアルティファーダ神、運命のトロルテアルシン神、破壊のジアゼル神、再生のアフルイゼクナ神。
マーシェが読んでた神域物語は神書じゃねぇけど、神書を分かり易くしたもんだから、分かってるだろうけど、世界は創造、運命、破壊、再生が円を描いて成り立ってるといわれている。」
マーシェはそれに手を上げる。
「そこらへんはバッチリよ。ずっと神書と思って暗記したもの。人を例に挙げるなら、創造の神が、った!」
リグがマーシェの膝裏に軽く蹴りを入れる。マーシェは空中の何かを掴もうとする格好でバランスを保った。
「何踊ってんたよ。」
ジンはニヤリと笑って、手を差し出すこともしない。 マーシェは憮然と体勢を戻す。
「何すんのよ。」
「マーシェは神官になるんだから今後、神の名は全部御名で言えよな。」
「えぇ~っ!」
「えーじゃねぇよ。マーシェは他の人より遅れてんだぜ? これくらいは当たり前だ。」
マーシェは渋々と眉間にシワを寄せながら、説明し始めた。
「…アルティ…フォード、ダ? が、魂と肉体を創り、トロルテシンが、時間の流れに運命を乗せて、ジアゼルが運命と肉体と魂を破壊し、死が訪れ、アフロ…、イゼクナ? が魂を再生して、再びアルティフォーダによって創られた肉体に与えられる。………、当ってる?」
「うん。役割は当たってる。けど、神の名はジアゼル神しか当たってないぞ。」
「えっ、結構、自信あったのに~。」
ちょっとしたミスなので近付いてはいるが、覚えが悪すぎである。
「長い名前は本当に苦手なのよね。」
なるほど、ジアゼルが完璧な筈だ。
「ん~。アルティフォード、やっぱダかな? ね、リグ。」
「アルティファーダ神だ。あと、御名なんだから呼び捨てするな。」
リグはくぐもった声で答えた。見れば、腐臭地帯を歩いていた時のように鼻に布を当てている。マーシェは鼻をひくつかせてみるが、草や木や花の匂いしか感じない。
「リグ、どうしたの?」
必死に神の名を思い起こしていたので、少し周りに気が向いていなかったようだ。ジンやシー・ルナは気配もないのに周囲を窺っている。
「何?」
「いえ、何もなければ何もないでいいのですが…。」
はっきりしない説明をそこそこに、シー・ルナは何かを見付けたようだ。
「あれじゃないですか?」
シー・ルナが示した方向を見れば、木や地面が不自然にえぐれている場所が目に入った。
小さな隕石でも落ちたような有り様だったが、焦臭さはなく、ただ、その一部分だけがえぐれているのだ。
「何、これ?」
「魔法だよ。」
「魔法?」
「なんだ、魔法見たことねぇのか?」
ジンが珍しいものでも見るように、尋ねた。
「見たことくらいあるわよ、ただ、この辺の野盗が使うのは見たことなかったから。」
野盗は使わなくとも、野盗に襲われた魔法使いが使ったのかもしれないが。
「結構、新しいと思うぞ。匂いが酷い。」
リグだけに感じられる魔法の匂いはどうやら強烈に臭いらしい。近くに行こうとしない。
「ねぇ、魔法の匂いってどういうの?」
「あー、説明し難いな、鼻の奥にこびりつくような練っとりした感じで、こう、吐き気を催すような…。」
「ものすごく分かり難いわ。」
「だろうな。」
「嫌な感じは伝わるケドね。」
シー・ルナがその魔法が使われた場所を調べているが、特にめぼしい発見は無いようだ。
「使用者の痕跡が残されていません。結構な腕前のようですよ。」
シー・ルナの口調はいつものごとく、穏やかだが、辺りを警戒しているようで、空気がピリピリと痛い。
「リグ、魔法使いの足跡はたどれますか?」
「ああ。」
リグは川が流れる音の方向を差した。
「ちょうど、俺たちが行く方向。」
「平和的な魔法使いさんだといいのですが。」
シー・ルナは無惨にえぐれた風景をバックに苦笑して言った。
まさにその時、村の入り口の洞窟の方角から大きな爆発音が響いた。
「平和的な…、とは言えないようですね。」
「何、呑気に言ってんだ! 村が襲われてるかもしれないんだぞ!」
「村なら大丈夫だと思いますけどね。」
シー・ルナは一筋の煙を眺め、小さく呟いた。
「あ?」
耳の良いジンはそれを聞き留める。
「だって、魔法だろ、魔法! 普通の村人に対処出来るわけねぇ!」
「あのご老体は普通じゃなさそうでしたから。」
シー・ルナはにこにこと笑っている。
「根拠は!?」
「まったくの、勘ですね。」
ジンは肩を落とす。
「心配は心配だし、急ぐぞ。」
シー・ルナと口論するのは諦めたようだ。吊り橋に向かい、急ぎ進む。
「シー・ルナの勘って当たるの?」
少し足早に進みながらも、マーシェは息切れをしていない。対してリグは鼻に布をあてているせいもあるだろうが、息が上がってきているようだった。
「結構、当たる。」
返す言葉が短い。
「………剣でも持とうか?」
「いいっ!!」
乱暴に断られるが、予測はしていたので腹も立たない。
「あ、そ。」
マーシェは黙々と進むなかで、沈黙が我慢できないようで、対象をリグからシー・ルナに替えた。
「シー・ルナって何系統の魔法が使えるの? 苦手と言っても、使えはするのよね?」
「私ですか? 全系統、全く使えませんよ。」
それはもう爽やかに笑いながら、爆弾発言だ。
「って、使えなかったら魔法使いじゃないじゃない!」
「魔法使いにも、色々あるんですよ。私は特殊構式付加魔法というものを使うのですが、多分、マーシェさんが思うような魔法ではありませんから。はっきり言って、魔法使いにしか、効きませんし。」
マーシェは怪訝な顔をする。
「そんなの聞いたことないわ。」
「でしょうね、使う人は稀ですから。」
マーシェがいう系統というのは火や水、風、光、等の召喚する自然物質のことだ。大抵は攻撃魔法として使われる。
「簡単にいうと、相手が発動した魔法式を読み取って、こちらから適した魔法式をぶつけてやると、無効化されるんですよ。」
「それって、スゴク難しいんじゃ……?」
魔法式は系統ごとに数百種の式が存在する。読み取るといっても覚えるだけで大変だ。
「どういうわけか、私は魔法を発動することが出来ませんでしたから、勉強する時間は嫌になるほどありましたし。」
マーシェは自分の心がそう思わせるのか、シー・ルナの態度はいつもと変わらないのに、気まずさを感じた。どうやらこの話題は失敗だったようだ。
第二弾、第三弾と爆音が響いたが、吊り橋近くへ着く頃には静けさを取り戻し、その静かさはジンやマーシェの不安をあおいだ。
「もう、村が制圧されちゃったとかないわよね。」
「それは、ないよー。」
突然耳元で声がしたので思わずマーシェが振り向くと、そこには逆さまの少女の顔。
「ぎゃーーーっ!!」
飛び退くと、木の枝に足でぶら下がっていた少女も器用にくるりと回転して着地する。
「あ、あなた確かエグトルさんの。」
ちょこんとそこに立っていたのは、ジン命名、兎娘ことティリアだった。
「ハーイ、リアちゃんでーす。」
手をあげて元気に自己紹介をする。
「じじさまから皆が戻って来たら村まで案内するように言われてるの。」
くるりと背を向けると、そこには銀色に輝く大鎚が背負われていた。
「………。ねぇ、さっき村は大丈夫みたいなこと言ってたけど……。」
ティリアは元気に手をふって前進しながら後ろを振り返った。
「だって、あのくらいの敵なら、じじさまにかなわないもん。じじさま強いから。」
「魔法だぞ?」
「ん~。リアもじじさまも魔法効かないから分かんない。魔法使いって、一番弱いよ?」
それはそうだろう、魔法使いは魔法を武器としているわけで、魔法が効かないとなれば武器を取り上げられたも同じだ。
「お前ら何者?」
「………………、パラ村人?」
ティリアは考え込んだあげく、そう答えた。間違ってはいない。エグトルが分からないものをこの少女に分かるわけがない。
「ところでそれ、重くないの?」
マーシェは背中の大鎚を差して聞いた。
「これ?」
ティリアは背中の大鎚を軽々右手で抜くとマーシェに渡した。
「重っっ。」
渡されるとずしりとした重量感があった。鎚には美しい細工が彫られ、柄の下には赤いリボンが結ばれていかにも女の子仕様だが、重さは戦士級だ。
「そう?」
ティリアは大鎚を受け取ると、バトンのようにくるくる回した。
「じじさまが誕生日にくれたの。」
「子供のプレゼントか? あれは。」
「本人喜んでるし、いいんじゃないの?」
ティリアは皮で出来た背のホルダーに大鎚を戻すと、吊り橋を指差した。
「吊り橋にとーちゃーく。」