害獣退治
どんちゃん騒ぎが明けた静かな朝、髪は爆発、布団は蹴散らかし、辺りには勉強用の紙と本が散乱している乙女の部屋でマーシェは元気にキレていた。
「ちょっとー! 何勝手なこと言ってんのよ! 相談もなしってどういうこと!? だいたい、朝っぱらから女の子の部屋に入って来るんじゃなーいっ!!」
枕を投げつけられ、部屋を追い出されたリグとシー・ルナは顔を見合わせる。
「なんで、怒ってるんだ?」
リグは不思議そうにシー・ルナを見上げた。リグはすでにマントにフードまで被って準備万端だ。
「リグ、いきなり女性の部屋に入って、頭に枕を投げつけて、『依頼が決まったから準備しろ。』なんて言ったら誰でも怒ると思いますよ。」
「そういうもんなのか?」
リグは十歳の頃からシー・ルナとの生活が続いていたので、よく分からないらしい。
「というか、リグだって怒るでしょう?」
リグは少し考えて頷く。
「怒る、かな?」
「リグの性格じゃ、確実にマーシェみたいにキレてますよ。」
シー・ルナは困ったように笑う。
「そうよ! 人が嫌がることはしない! 自分が嫌なことは他人も嫌なの! はい、復唱!!」
速攻で着替を済ませたマーシェがドアを勢いよく開き、リグの背丈に腰を折って指を鼻先に突きつける。
あまりの剣幕にリグも少々腰が引けている。
「わ、悪かったって。」
頷きながら詫びるリグにマーシェは「まったく。」と言い、上体を元に戻す。
「さ、あとはジンを起こしに行きますよ。」
「って、シー・ルナ? あなたもねぇ、勝手に依頼受けないで一言くらい相談してくれたっていいじゃない。あたしだって行くんだから。」
「すみません。成功報酬が良かったもので、つい。」
頭を下げるものの彼は全然悪いと思っているようには見えなかった。ジンが言っていたことが思い出される。本当に頑固そうだ。
「というか、我が道を独走って感じよね。」
マーシェは溜め息をこぼした。
三人でジンの部屋まで行くと、リグは当然のようにノックもなしにズカズカと入っていく。
「全然反省してないじゃない。」
呆れたようなマーシェの声。
「ジンは寝起きが悪いですからねぇ。」
リグは自身の持っていた荷物と剣を床に下ろし、ジンの荷物から勝手に彼の部分鎧の肩当てを取り出し、額をぽこぽこと叩き始めた。
「おーい、起きろー。」
肩当ては鉄製だ。かなり痛いのだろう。大の字に気持よく眠っていたジンは眉間にシワを寄せ始め、「むー。」とか「んがー。」とか訳の分からない言葉を発し始めた。
シー・ルナも苦笑いしつつ止めはしない。
「があぁぁぁっ!」
ゴイン。起き始めに繰り出されたジンの拳をリグは肩当てで受け止めた。
「ぐおっ………!」
怒りの雄叫びは悲痛な悶絶の声に変わる。
「オハヨ、ジン。がーとかむーとかぐおとか、どこの言葉だよ。」
「っっっ! てめーっ、毎回毎回ロクでもねぇ起こし方しやがって! おら、シー・ルナ! お前も何、笑って見てやがるんだよっ、ちったぁ止めろ!」
「いや、私が起こしてもジンはなかなかおきないからね。」
「そうそ。大体、ジンがおかしいんだぜ? 仮にも剣士だろ、いいのかよ、んな爆睡してて。」
この言葉にはよく口の回るジンも言い返せない。むっと口をヘの字にして黙り込む。
簡素なベットの上でもともと鋭い目つきがさらに凶悪になっているが、彼の頭のピコピコ立った寝癖と目じりに浮かぶ涙が全てを間抜けにしている。
「とりあえず、その爆発した頭はなんとかして来いよ。そろそろ準備しないと朝飯抜きで出発だぜ?」
平素でもきつい目つきのジンに睨まれながら、リグは「じゃあな。」と部屋を出ていく。
ジンはピコピコ立っている茶色の柔らかい猫毛の髪を片手で苛立たしそうにぐしゃぐしゃにする。
「だあ! くそっ!」
廊下に出たシー・ルナがにこにこと笑いながら振り返る。
「ジンは今日も元気だねぇ。」
まるで好々爺のような台詞にジンはがっくりと頭を垂れる。
「あれ? でも、あたしの家に泊まったときは、ちゃんと起きてきたよね?」
「ジンは酒が入ると、一回殴ったくらいじゃ起きねぇんだよ。」
「弱いのね。」
「本人は強いつもりだがな。」
リグは少し怒ったような声だ。おやっと思い、マーシェが問掛ける。
「心配なのね?」
微笑ましくて思わず笑みが溢れる。
「ばっ! んなわけあるか! めちゃくちゃバカにしてるだけだ!!」
怒鳴って床をドカドカ鳴らし、食堂へ向かってしまった。
「バカにしてるんだったら怒らないよねぇ?」
シー・ルナに悪戯っぽく笑って言うと、彼もまた楽しそうに笑っていた。
「ね、仲が良いでしょう? あの子はジンが大好きですから。」
「うわぁ、その台詞聴いたら煙出して怒りだしそう。」
「だからリグには内緒です。」
二人は共犯者めいた笑みを浮かべた。
食堂に着くとすでにリグがむっつりとした顔で朝食を口に運んでいた。
「あー、いつまでヘソ曲げてるのよ。ご飯くらい待っててくれたっていいのに。」
「ふん。知るか。」
二人とも空いている席に腰を落ち着け、中央に盛ってある焼きたてのコッペパンを皿に取った。
「良い匂い。」
テーブルの上にはパンの他にトマトスープやベンリナとカリカリベーコンのサラダが並んでいる。
これらの食事は村人が用意してくれたらしい。起きたときには用意してあってエグトルから勝手に食べるよう言われてある。
「ジンはもう依頼聴いてるの? だったら内容聴きたいんだけど。」
「ええ、ジンは昨夜私と一緒に聞いてましたよ。覚えているかはともかく。」
リグは少食らしく、少なく盛っていたスープやサラダを平らげてしまって、かちゃかちゃと重ねていた。 意外にコマメだ。
「リグ、もっと食べとかないともたないわよ。」
「平気、いくつか持って行くから。」
リグはポケットから淡い若草色のハンカチを取り出すと、パンを二つ包んで結んだ。
「で、害獣の名前は?」
自分の肩掛けのカバンにそれをしまうと、席に戻って尋ねた。
「今回の相手はどうやらリプレトのようです。」
「ああ、だからあのじいさん、明日でも逃げないなんて言っていたのか。」
「ちょっと、そこだけで理解しないでよ。そのリプレトってどういうのなの?」
これは別にマーシェが無知だということではない。単に正式名称の認知度が田舎へ行くほど低いというだけの話だ。
「あの大きなナマズのような、緑色の毛に覆われている……。」
「あー、怪物緑ナマズね。」
彼女達が住む地域ではそれが一番一般的な名前のようだ。
リプレトはナマズの仲間ではないのだが、見た目は毛の生えたナマズだ。緑色の体毛は脂ぎっていて、皮膚が水で冷えるのを防いでいるらしい。口の回りに四本ついた長い触手は周囲を探るためのもので、そのため目は退化しており、外からは目が確認できない。短い足がついており、動きは遅い。これで陸も移動する。肉食で、鋭い牙を持ち、猪や鹿など大きめの獣を好んで食べる。彼らの捕食手段は水鉄砲で胃とは別にある袋に水を溜め込み口から一気に放つ。
ちなみに、大抵の場所でナマズという名称がつけられていて、ジンは藻ナマズと呼んでいる。
「ま、こいつらも水を汚染しなきゃいいんだがな。」
害獣と呼ばれるのは人にとって害だからだ。
リプレトはどういうわけか死期が近くなると、食べ物を捕えても食わなくなり、水に流される死骸の量が多くなって、悪臭を巻き散らす。空腹のために狂暴性も増す。ほおっておいてもいずれは死んでしまうのだが、人からすればこの期間が異常に長い。
「最後くらい大人しくしておいてくれてもいいのにね、あのナマズは。」
「リプレトだって。」
「十七年間そんな名前、使ったことないわよ。」
マーシェはサラダをグッサリと刺して、口に運ぶ。
ジンの分が心配になるほどの食いっぷりだが、誰もジンの分の事など端から考えていない。彼らの考えでは一様に来てないやつが悪いのだ。
「この名前は小護衛団で依頼を受けるために覚えた、学術名ですから。」
一般名では国によって違いが出るので依頼書には全て学術名で記載されている。
「そうそう。それで知らない名称が出るたびに動物百科を捲るはめになるんだよな。」
リグはウンザリした声だ。肘を付いて思い出しただけで疲れるとでも言うように、溜め息を溢す。
「マーシェも小護衛団になるんなら覚えておいたほうがいいぞ。」
「あのねぇ、あたしは神官になるの。小護衛団に入る気なんかないわよ。」
「でも、結構いるぜ? 修業のために小護衛団に入って旅するやつ。」
「へぇ~。でも、あたしは修業のためにサルドネス神国へ行くの。」
「あれでか。」
マーシェの左手でパンがぐしゃりと潰される。
「あ、もったいね。」
「あ、あれはー! 仕方ないじゃない!!」
思わず立ち上がり、椅子が後ろに倒れた。
「喧嘩か?」
楽しそうにジンが食堂へ入ってきた。
「おや、ようやく支度が整いましたか。」
「髪がはねてるぞ。」
「いちいち気にすんな。って、俺の朝飯、ほとんど残ってねぇ!」
席につくと残っていた食べ物を一つの皿に取り寄せていく。
「全部、食う気かよ。」
「足りねぇくらいだ。おいリグ、お前また取ってんだろ? くれ。」
ジンの伸ばされた手に、リグは呆れてパンを一つのせてやる。
「サンキュ。で、喧嘩はいいのか?」
ジンは貰ったパンをたった二口で豪快に食べてしまう。皿の食べ物はどんどん減っていく。
「喧嘩じゃないわよ。ただリグが昨日のこと馬鹿にするから!」
「そうそう、マーシェが一方的に怒っているだけ。」
「リグが何かしたんですか?」
「何でだよ。」
昨日の宴会途中で抜け出したマーシェとリグは早速神学の勉強をしようとしたのだ。約束に関してリグはとても誠実だ。
「神学を教えようと思って、こいつの実力どれくらいかなぁと、とりあえず神の名を聴いたんだ。」
「それくらい俺だって分かるぞ。創造の神、運命の神、破壊の神、再生の神だろ?」
「マーシェもそう答えた。」