旅のはじまり 2
この神殿、とはいってもこじんまりとした神官宅と一緒になった建物だが、その主である大神官はダグ・グリロイズ・ミージュ、神官見習いの小女はマーシェ・スクレイ・ミージュという。
神官というものは神殿を任されると責任者は必ず大神官と呼ばれる。そして、その神殿に暮らすものはどんなに位が高かろうとも小神官と呼ばれる。神殿を任される神官は最高位から第十位まで位があるなかで第三位以上がなれる。つまりダグは位の高い神官なのだ。
対してマーシェは神官見習い。こちらは第十位にもなっていない、つまり術をまったく使えない者のこと。こちらは小神官を名乗ることも許されていない。
旅の一行の青年はジン・ログル、自分で言っていたように剣士をやっている。腕前はかなりのものだといってよいだろう。ただ、頭を使うことは苦手らしい。
マント姿の長身の方はシー・ルナ・アフル、マントを脱いだ姿からはそう見えないが魔法使いをやっているという。服装はどこにでもありそうな薄手の黒い長袖に、何の変哲もない黒のズボン。髪も目も黒で肌も浅黒い。全体的に黒っぽいが、どこにでも居そうな青年だ。ただ耳が少し尖っているので変わっているといえばここだが、ここより南の出身らしいので南に行けばすんなり一般人に溶け込めるだろう。
「そういえば俺、シー・ルナが魔法使ってるとこ見たことないな。」
「使ったことありませんからねぇ。」
「えーっ? 魔法使いなのにー?」
「まあ、使えはしますが、苦手なので主にこちらを使っています。」
取り出して見せたのは刃渡り三十センチ程の短剣が二本。
「でも、シー・ルナはこれで害獣もやっちまうんだぜ。」
こちらは室内だというのにフードすら取っていない、リグ・バスクという背が低い方の少年。シー・ルナの話題を自分事のように自慢する。リグは剣士で背負うほどの長剣を携えている。
「ねぇ、いい加減にそのマント、脱いだら?」
「別に、そんなの俺の勝手だろ。」
「勝手も何も、他人の家に上がったんだから、それが礼儀。」
「………。」
しばらくフードの奥からマーシェを睨んでいたようだが、根負けしたように溜め息を吐いた。ジンはヤケに楽しそうだ。
「リグは顔を人前にだすのが好きではないのですよ。すみませんね。」
シー・ルナがリグの代わりに詫びた。
「脱ぎゃいいんだろ、シー・ルナが謝る必要ない。」
拗ねたように言って、フードをするりと後ろへ落とす。
「かっわいい~。」
目を丸くして感激するのは、もちろんマーシェだ。それに対してリグは嫌そうに顔をしかめる。濃い黒みがかった紫の髪は後ろで括られ、実際には肩まである髪がショートに見える。肌はこんなに暖かいのにコートを着っぱなしのせいか、マーシェよりも白い。最も印象的なのはくっきりとした二重の目で、その瞳は見たこともない藤色だった。
「ちっ。だから嫌だったんだ。」
だが、いくら可愛かろうとも、口の悪さや悪態は変わらない。
「かっわいい~。」
ジンが悪のりをしてマーシェの口真似をする。しかもくねくねと身体を揺らしながらだ。
「……不気味だぞ。」
そのあまりの似合わなさぶりに怒りも忘れてリグは呆れた。
「あんまりだわ! あたしそんなに変じゃないわよ!」
肩を怒らせるマーシェにダグは悪気なく追い討ちをかける。
「いや、よく特徴を捉えてると思うぞ?」
「……くそ親父っ……。」
手首だけを動かし、注ぎたてのお茶をダグに向かって放つ。琥珀色の液体がきれいに放物線を描いてダグの腕に降り注ぐ。
「あちぃっ! 何すんじゃ、このがさつモンが!」
「あら、大丈夫でしょ、親父のワニ並に分厚い皮膚なら火傷なんかしないわ。」
してやったり、という笑顔でマーシェは新しく茶を注いで、自らの前に置く。
「……おっかねぇ親子だな。」
ぼそりと隣のリグにジンが耳打ちをする。だが、リグは頬杖をつき、さも当然という顔で答えた。
「ま、こんな田舎の神官じゃ、しょうがねぇんじゃねえの? 護衛も雇えないだろうし。」
「そうだの。ワシがここの大神官に任命されたのも、神官協会ルクダンダルト王国支部で一番強かったからだしの。」
「え゛っ、そうだったの?」
一番驚いた娘にダグは頷く。
「ここいらは野盗が昔っから多いからの。」
「おい、なんで神官がそんなに強えんだよ?」
日頃、神殿にお世話にならないジンには話がまったく見えない。イライラした調子で机をコツコツ指で叩く。
「裏で神官は売れるんだよ。治癒術に浄化術に結界術、それに先見術。どれも役に立つもんな。なり手も少ないし。神官になる時、まず教えられるのは護身術なんだぜ?」
「へえ。初めて知った。お前よくそんなこと知ってんな。」
本当に感心して、ジンはリグをマジマジと見た。
「サルドネスじゃ、常識。」
「ああ、おまえ出身地だもんな。」
サルドネス神国はその名の通り神殿が力を持つ国だ。多くの神官を輩出し、他国から修行に訪れる者も少なくない。神官協会の本部があり、神官の少ない国や、災害があり、その力を求める国に神官を派遣している。
また、聖地として知られるこの国には観光や巡礼に訪れる者も多い。
「いいなー。サルドネス神国! あたしも行ってみたい!」
「お隣じゃねぇか。」
ルクダンダルト王国とサルドネス神国はコーセスファーナ山脈を隔ててすぐ隣だ。しかも、ここハールからはその山々がくっきり見えるほど近い。
「さっきの喧嘩見たでしょう? 親父ってば、あたしが神官になること反対すんの。自分だって、母さんだって神官なのに!」
「反対なんてしとりゃせんよ。」
涼しい顔で茶を飲む父親をマーシェはキツイ目で睨んだ。
「親父倒したら神官になっても良いだなんて、駄目っていってるようなモンじゃない! 草原の白い悪魔、背中を見せても恥にならない神官、血塗られた鬼神! これ全部野盗たちが言ってる親父の異名なのよ?」
「最近の野盗は根性たりんからのぅ。」
「絶っっ対、そんなの関係ないわ! もーっ、普通の娘にむちゃくちゃ言ってんじゃないわよっ。」
拳を握りしめ、熱く語る娘を冷ややかな目で見ながらダグも反撃する。
「ワシもお前が野盗から殲滅の死天使とか赤絨毯とか呼ばれてるのを聞いたことがあるがの。」
「おい、なんだ? その赤絨毯ってのは。」
「こいつの倒し方が、よく首を狙うものでな、動脈ぶった切るから血が辺りに飛び散って地面はあっという間に鮮血の海って意味らしいぞ。」
「俺、神官ってもっと神聖なもんだと思ってた………。」
「だから、神官は金になるんだって。神聖なものでいられなくしたのは世の中の方なんだぞ。」
常識が覆されて目を漂わせるジンにリグは嫌そうに説明した。
「そらまあ、分かるけど、さ。」
イマイチ納得いかないような顔でぼさぼさの頭を掻いた。
そんな二人のやり取りを見ていたマーシェが、突然何かを思い付いたように、ぱっと笑った。
「ね、あなたたち小護衛団なのよね? だったら依頼するわ。あたしをサルドネス神国に連れてってよ。」
「はあ?」
「依頼よ、依頼。もともと向こうに行くつもりでバイトしてお金貯めてたからそれで依頼するわ。さあ! 親父を倒して!あたしをサルドネス神国へ連れて行ってちょうだい!!」
なかばいっちゃった目でマーシェはびしっとダグを指す。
「ちょっと待て。」
慌てるリグをよそにシー・ルナがニコニコと承諾をする。
「こちらは構いませんが。」
「おい! シー・ルナ!」
「リグ。 仕方ないんですよ。」
「何がっ!?」
「私達の団費、切迫しているんです。」
「………へ?」
シー・ルナは相変わらずの穏やかな笑みのまま、皮の小袋を取りだし、振って見せた。ちゃりんちゃりんと軽そうな音が聴こえる。
「ほら、もうこれだけなんです。私達、まだまだ仕事が取れてないでしょう? 前の仕事からもう四ヶ月近く経ちますし、仕事選んでられないんです。」
「やった。ほら親父、これも神々の思し召しってね。」
マーシェの喜々とした顔とは逆に、ダグは珍しく苦いものでも食べたような渋い顔だ。
「そんなに神官になりたいのか?」
「当たり前でしょ。」
マーシェは小さい頃から両親の仕事を見て育ってきて、自分も当然、神官になるのだと思って腕っ節も鍛えたし、神域物語も読んできた。今更、別の生き方など考えられない。
ダクは諦めの溜め息を吐く。
「わかった。その代わり期限は一年だ。一年して位がもらえなければ神官は諦めろ。お前が貯めた金は生活費に使え。料金はワシが払おう。」
マーシェの顔はどんどん喜び一色に変わっていく。
「ありがとうっ、父さん!」
がばっと満面の笑顔でダグに抱きついてしまってから、マーシェははっと我に返る。素早く離れると目を泳がせた。
「えぇっと…。あ、そだ、明日の準備でもしてこようっ!」
かなりの棒読みで宣言すると、バタバタとその場を立ち去り、自分の部屋へ逃げ込んだ。
「へえ、父さんだってさ。」
少し嬉しそうなダグにジンはからかいを帯た調子で言う。
「もともとはワシも父さんと呼ばれておったよ。マーシェは一人娘ということもあって昔は甘えたがりだったからの。」
「じゃあ、今は反抗期か?」
「いや、ああなったのは家内が亡くなってからだ。」
ふと、思い付いたようにリグはダグにその目を向けた。
「殺された、な?」
ダグは微かに頷く。言い当てられたことに驚きはしなかった。神官の事情を知っているのならば、その可能性に気付かない訳がない。
「家内もかなり強かった。だが、拐わかされようとしたとき、それが仇となった。抵抗してワシが駆け付けた時には冷たくなっておったよ。娘には同じ轍を踏んで欲しくなくてな、神官になることを反対しておったらあんな性格になってしもうた。あれは母親を目標にしておったから神官は憧れなんじゃよ。」
ダグはそこでいったん言葉を切り姿勢を正して頭を下げた。
「マーシェをよろしく頼む。」
「依頼を受けたからには全力で無事サルドネス神国へお送りしますよ。」
シー・ルナが穏やかに確約した。リグは不満顔でそのやり取りを見ていた。
「仕事ですよ。そんな顔しても無駄です。」
「分かってるよ。でも、付き合うのはセリアまでだ。そこからは別行動させてもらうからな!」
「セリアまで行けばサロウまではすぐでしょう? 彼女の言うサルドネス神国はおそらく神都を指しているのですから、別行動したいのならそこからです。」
やんわりとだが厳しいシー・ルナの言葉に反論はしないものの舌打ちをして、当てがわれた部屋へ、リグは引き込もってしまった。
「なんだあ? あいつ。」
シー・ルナは独り言のようなジンの言葉に答えなかった。いつもの静かな笑みを浮かべるだけだ。 ただいつもより微かに困ったような、もの悲しげな雰囲気をまとって。