夢現の少女 3
「あの時、ジンは不思議に思いませんでしたか? あんなに長い詩なのに相手が全然襲って来なかったことを。」
「あー、そういえば。」
ジンはさらに不思議に思う。何故、そのことに今まで気付かなかったのか、と。
枯れ枝の小山に火がつく。洞窟内は、暖かなオレンジ色の光に照らされた。
「あれはジアゼル神の最も純粋な術です。ジアゼル神は何の神か覚えていますか?」
「破壊だろ?」
マーシェがここずっとぶつぶつ唱えているのだ。嫌でも頭に入ってくる。
「そうです。あの詩は生命を破壊するための詩です。」
軽い音を立てて火がはぜる。
「要するに死亡宣告の詩か。」
「まあ、そうですね。発動すれば確実に相手を死に至らしめます。詩を唱えているときに相手が動けなかったのは、詩自体が死を意味するからです。気が弱い人は詩を聞いただけで発狂するくらい強い術なんです。
あ、ジンは神経図太いですからあまり影響なかったみたいですね。よかったよかった。」
「おいおい、俺だって寒気くらい感じたっての。」
シー・ルナは少し笑って、うなずいた。
「そうでしょうね、死は生物根源の恐怖を思い起こさせますから、大抵は金縛りのように動けなくなりますね。だから術者の負担も大きいんですよ。快調な時はともかく、あんなふらふらな状態では、あの子が死にかねませんから。」
一通りシー・ルナの説明が終わると洞窟内は外のけたたましい雨音が響く。シー・ルナの声はそれほど大きいわけでもないのに良く通る。
「ねぇ、シー・ルナって魔法使いなのにどうしてあたしよりも神術に詳しいの?」
今まで黙ってシー・ルナの話を聴いていたマーシェが当然の疑問を口にした。
「そりゃあ、私は物覚えが良かったですし、魔法使えなくて訓練するハズの時間はずっと勉強していましたから。」
マーシェは墓穴再びっ、という顔で黙る。
「一応、魔法が駄目だったんで、神術に転向しようかと思ったんですが、これも向かなかったようで。」
マーシェは笑顔を無理に作ってはははーと乾いた笑いを飛ばす。
「そうなんだー。頭良いのねー。」
「時間が有り余っていただけですよ。」
ジンは目をあちこちに漂わせ、焦りまくっているマーシェに同情して、シー・ルナにこっそり耳打ちする。
「気に入ってるからって、あんまりいじめてやんなよ。」
「おや、バレてました? マーシェさんは面白いくらい焦ってくれるものですから。」
悪気ない笑顔にジンはボソリと呟く。
「悪趣味。」
「いえいえ、それほどでも。」
シー・ルナに嫌味を言おうと、悪口を叩こうと暖簾に腕押し、糠に釘。ジンは心の中でマーシェにエールを送った。
***
キラキはずっと過去という悪夢の中を漂っていた。肉のかたまりと化したゼラストオバの死体の側で、キラキは左腕がなくなり、冷たくなっていくリグを茫然と抱き締めていた。
すでに死んでいる肉体に治癒術は効かない。何度も何度も詩を唱えたが、虚ろに虚空を見つめる瞳に光が宿ることはなかった。
「キラキ!」
呼ばれるが反応する気力もなく、キラキは座り込んだまま。肩を揺さぶられ、のろのろと視線をあげると、そこには同じ神殿で育てられたイレナが血と泥に汚れた姿でキラキを見つめていた。
「義姉さん、リグ、動かないの。ど、うしよう……?」
イレナは痛そうに顔を歪めた。
「早く神殿に、連れて帰らなきゃ。義母さんなら、きっと治してくれる、よ、ね?。」
キラキの目をイレナは両手で覆った。
「もう、駄目なの。」
イレナの言葉にキラキは頭の中で応える。
駄目ッテ、何ガ?
少しずつ、少しずつ、キラキの心は崩れていく。
「こんな酷いことっ。」
酷イッテ、ドンナコト?
真っ暗な世界でキラキは急速に思考を停止させていった。理解したくなかった。
「お願いよ、忘れて。」
涙でくぐもる声にキラキは希望を見い出した。
「うん。忘れるよ。」
うつむいたイレナには見えなかったが、キラキはその時うっすらと微笑んだ。キラキは思った。自分を忘れてしまおうと。
だから、その日の事実はキラキの中で螺子曲げられた。その日、死んだのはキラキだと。キラキは願った。現実に在り続けるのはリグがいいと。
だから、キラキはその日リグになった。キラキにとってリグのいない世界など有り得なかったから。キラキは考える。こんなときリグはどうする? こんなときリグは何て言う?
この現実はキラキが演じる甘い夢。それを崩されないためにキラキは旅にでた。誰もキラキを知らない場所へ。