転落 2
部屋には一人。リグはフラリと立ちくらみを覚えて、頭をふるりと振る。
「これくらい大丈夫だ。」
自分に言い聞かせるように呟いて、目をぎゅっとつむり、壁に額を押し付ける。 先程のマーシェとのやりとりが思い出される。
「早く戻さないと。」
自分の名前が出てたから飛び出そうとしたのに、立ちくらみにうずくまっていたなど洒落にもならない。ようやく立てたものの、平静を装うのに必死で実のところ会話はほとんど聞いていなかった。頭が痛い。リグは溜め息をついた。
原因は前日の水浴びだ。頭をきっちり拭いておけば良かったと今更ながらに後悔する。
「こんなんじゃ、駄目なんだ。」
ずくんずくんと心臓の音と連動するように響く頭を抑える。
「熱なんて出してはいけないのに。」
それは絶対。リグは自分に腹立たしくなって目尻に涙が浮かんだ。
「リーグー!」
パタパタと階段を駆け上る音。リグは深呼吸をして、意識を集中させる。顔はフードで隠され、いつも通りを演じる。
「やかましいっ!」
ばんっとマーシェはドアが可哀想になるくらい勢い良く登場した。瞬間、枕を顔面に食らう。もちろん投げたのはリグだ。
「なにすんのよ!」
マーシェは枕を床に投げ捨てた。とはいっても床は全面マットレスもどきなので元の位置に戻るだけだが。
「マーシェは騒々しすぎ! ここは自分ちじゃねぇんだぞ?」
「うっ、それは、うん。そうだけど。」
マーシェは自分の行動を振り返り、確にまずかったと思う。だが、それもほんのわずか。
「そんなことより! あんたの師匠は今日出発なんだってよ。見送りいかないと!」
「別に、見送りなんて……。」
ふいっと顔をそらせたと同時に脳天にマーシェの拳骨が取んできた。
「あーっ、もうっ。ウジウジとみっともないわね! 確にあんたの師匠はヘンタイだし、モノマネのことは気の毒と思うけど、いつまでもぐだまいてるんじゃなーい。」
リグは頭を抱えて本気で泣いていた。マーシェに力加減というものはないのだろう。
「いっってー。」
「まーったく。今度いつ会えるかも分からない仕事、お互いにやってるんだから挨拶くらいしておきなさいよ。」
マーシェは両手を腰に怒りぎみに巻くし立てた。
「ね。はい決まり! 絶対に行くんだからね。引きずってくわよ。」
最後の方は有無を言わさぬ脅しだった。
「あれ? そういえばシー・ルナは?」
「………………あ。」
頭を擦るリグの手が止まる。
リグから話を聞いたマーシェは急いでジンの元へ行き、ソウフィスが帰った事を確認すると宿を出た。
マーシェたちをの姿を認めると、シー・ルナは笑顔で出迎えた。
「やあ、もう料理がすっかり冷めてしまいましたよ。」
三人はテーブルの前につっ立って、なんとも気まずげな笑顔を返した。
そこは昨日の食堂。
リグはシー・ルナからの伝言をソウフィスにばったり出くわしたことですっかり忘れていたのだ。
「朝食の時間は混むから先に行ってテキトウに注文を済ませておきます、と言いましたよねぇ。」
シー・ルナは静かに笑顔で怒っていた。
「ご、ご、ごめんなさい! すっかり忘れてました!」
リグの腰が九十度に折られる。
じーっと笑顔でシー・ルナはそれを見ている。
三人とも熱くもないのに変な汗がつたう。
無言の攻撃は結構辛い。シー・ルナがやると恐い。
しばらくやると飽きたのか、満足したのか、シー・ルナは目を伏せた。
「ふぅ。まあいいですよ。取り合えず食べましょう。」
息一つ吐いて、シー・ルナは皆に席につくよううながす。やはり、シー・ルナはリグに甘い。
「あ、ジンはギンさん達が泊まってる宿を知っているのよね?」
食事が始まるとマーシェは場のなんともいえない空気を払拭するように明るく言った。
「あー、まぁな。町見物にくりだすまえに連れて行かれたからな。」
「ご飯たべたら見送りに行くわよ。」
ジンはマーシェの中で、すでに行くものとされているようだった。
「おい、俺が行くかどうかも聞かずにか。」
「あら、行かないの?」
「………行くけどよ。」
それまで黙々と朝食を食べていたリグが顔をあげる。ジンに顔を寄せ、小さな声で告げる。
「ジンもマーシェに弱いよな。」
その声には同類を憐れむ響きが混じっていた。物怖じしないせいか、マーシェの言葉は強い。ジンもリグも押されっぱなしのような気がしていた。
「俺は女には、優しいんだ。」
ジンもリグと同じくらいに潜めた声で返し、自分で自分の答えに頷く。
「はっ、慣れてないだけだろ。」
「う。」
ジンは男所帯で育ち、彼女がいたためしもなく、剣士という男社会で生きている。しかも、顔に剣があるため女性はたいてい避けて通る。
マーシェに戸惑いを感じえない。結果、言動に振り回される。
「そーこっ、何こそこそしてるのよ。」
目をやれば、マーシェがじと目でジンたちを睨んでいた。
「いや、べつに、何も。」
「いいけど。それよりリグ、ご飯が進んでないわね。具合でも悪いの?」
リグは先ほどから同じパンをチマチマ食べている。
「食欲ねぇだけだよ。マーシェみたいに大食らいじゃないし。」
「そぉお? って誰が大食らいよ、誰がっ!」
そう言うマーシェはパン三枚、ベーコン二枚、サラダ二杯、ゆで卵一個、ソーセージ六本、スープ一杯という食いっぷりだった。
食事も終わってギガンジールの宿へ向かうと、宿の出入り口にそれらしい人影を発見した。
「あれー? 師匠、もう出掛けるんっすかー?」
「なんだ、お前らも揃いで。出発か?」
今日もギガンジールはあの可愛らしいズボンを履いている。
「いえ、ワザワザ見送りに来てみました。」
ギガンジールはジンの言い回しにニヤリと笑う。
「ほう。そりゃ感心だ。」
腕組をして仁王立ちするギガンジールのズボンの裾から赤い布がひらひらとはためいていた。
今日は東からの風が強い。
「師匠、足首から布が出てるっすよ。」
「安心しろ。ワザとだ。」
マーシェは思わず呆れ顔にになる。
「なんでそこまで赤フンドシにこだわるんですか?」
「よくぞ聞いた! これこそ真の男気の表れだからだ!!」
左手を腰に、右手は握り拳を作り力強く発言した。
「そんな男気分かりませんが。」
マーシェがポロリと溢すが、ギガンジールは当たり前だと頷く。
「これは俺の師匠の尊い教えだからな、お嬢さんにはまだまだ分かるまい。」
マーシェは絶対に騙されていると思ったがさすがにそれは口にしない。
ギガンジールの住んでいた地域はそうなのだろうと自分に言い聞かせてみる。
「予定を早めたのは、雲行が少し怪しいからな。」
トトド上空は青く晴れわたっているが、遠く、東の空は黒い雲が覆っているのが見える。雨雲がこちらへくるか微妙なところだ。
「リグも来てくれたのか。色々、悪かったな。」
ギガンジールが目線を合わせるためにしゃがむ。
「あ、の………。」
リグは何かを言おうとしたが、先が続かない。
しばしの沈黙をギガンジールは待った。
「旅に神々の加護がもたらされるよう。」
小さく早口で彼らの旅に祝福をした。マーシェたちには聞こえなかったかもしれない。
けれど目の前のギガンジールには聴こえた。たから彼は嬉しそうに笑った。
「こりゃ、いい餞別をもらっちまったな。」
言って立ち上がるとジンに顔を向けた。
「お前も、気を付けていけよ。」
ジンは神妙に頷く。目だけをギガンジールの後ろにいたソウフィスに動かすと、目が会った。
ソウフィスは軽く笑んで右手を振った。
「じゃ、またそのうち。」
ギガンジールの言葉にジンは頭を下げる。そうして彼らはトトドを去って行った。
「さて、私達も早めに出発しますか?」
「そうだな、雨がふると厄介だしな。」。
春の雨はまだ寒い
「えっ! じゃあ急いで荷造りやんなきゃ!!」
「火炎瓶は置いてけよー。」
「迷惑かけてないでしょっ。」
ジンは持っていく気かと目で訴えていた。マーシェは気付かず背を向ける。
「役にも立ってないような………。」
その言葉はマーシェの背中に届かなかったようだ。振り返ることなく彼らの泊まる宿へと向かう。




