悲しきかな、世界の終り
おい、将軍、超人、異形、化け物、吸血鬼。
ジョン=アルバトロス・ミスターD、チックマン、またの名を大橋武よ。
彼、様々な名称と敬称と姿を持つ男は、この日は大橋武であった。彼の所属はとある学園で、彼はその二年生。今時古風なを越えて盛大に馬鹿にされようと、某少年漫画に影響されて学生帽をかぶり、今日も今日とて食パンを咥え、丘の上の学校へ走る彼は、“いかにも”である。
(そのありそうでない光景を再現するのに彼がどれだけの時間を無駄にしたかは知れないが)
武はそうしているのが楽しかったのだろう。今日は一体どんな女子高生とぶつかるのか楽しみだったのだ。学校は楽しい。特に彼はこういった王道と言われる展開が好きで仕方がなかった。
「いけね~遅刻チコク~!」
遊びは出来るだけ馬鹿っぽくが彼の心情で、彼は今日も転校生と通りの角でぶつかる予定。
だがしかし、今日の武がぶつかったのは、女子高生ではなかった。
(正確にはぶつかっていない。触れる前に人間離れした急制動で回避した)
「GOODMORNING SIR」
無機質な機械音声からするに、彼女はメカ娘であろうか。メイド服であろうか。否である。
「げぇええ!!」
武の嗚咽が交差点にこだまする。
女子高生とは最も遠い存在は車より速く走るババアではない。この黒光りの眩しい一匹の喋る巨大ゴキブリに騎乗した、エルフのおっさんである。おっさんである。おっさんである。
「ジョン=アルバトロス!早く来てくれ!緊急事態だ!」
黒光りしたゴキブリを早朝に見かけると、運が悪いで済むのだが、それが数メートルあればどうだろうか。絶望である。今朝食べた卵焼きは、この世界にいる出来合いの母親が作ったものだったが、味はそれなりに美味で、幸せを感じた。しかし一転、今日は最悪の日。そして怒りの日。
武はその場でゴキブリを力いっぱい殴りつけようと考え、その体液で体が濡れる事を想像して青くなる。
「フフフ、おれは冷静だ。冷静になれ……」
「何をぐずぐずしている。早く来てくれ。もう門は開いているぞぉ!」
「お前!!その乗り物をどうにかしろ!!殺すぞ?終いにはお前の世界毎滅ぼすぞ?」
「馬鹿な事を言ってないで、ジョン殿、女王陛下が世渡り上手を呼んでいるんだ?それに私の故郷でこの子達は絶滅したんだ。これは最後の一匹。最愛の一匹なのだよ」
不幸中の幸いであると武が笑い、手を触れず、体液も残さず目の前のエルフ毎消し去ろうとした時、予定調和として道の反対側から女子高生が!!
「遅刻遅刻~!!キャァ!」
哀れにも女子高生は武ではなくゴキブリにぶつかると、盛大にパンツを見せて倒れた。もちろん武にそのキャラクターの可愛い下着にギャップを感じ、ほほえましく愛でる余裕はない。
「イタタ~!あんたどこ見てんのよ!!」
「おおすまない。御嬢さん。ホレ、シルバーブラッドよ。お前も謝りなさい」
「SORRY」
ゴキブリが先程武に挨拶したように、いったいどこから出ているのか解らない機械的な声で謝る。すると、それを見た女子高生はゴキブリを武のかわりにプレイヤーと認識して、まず文字通りゴミを見る目で軽蔑した。
「あ、あんたは今朝の!!」
「WHAT’S HAPPEN?」
「あんた、意外といい所あるじゃん」
「THANK YOU!」
「アノ桜の木、ききき、ががががががが!!えええええええええ!?」
恐ろしいスピードで会話を進め、次第に平常心を失っていった女子高生は、最後には白目をむいて首を左右に小刻みに揺らしながら、生気を感じさせない震えるような声で次のセリフを話す。
「あ!ケサノ今朝のパンツ覗き魔ままま!!だれがこんなやつつつつ!!べつにいににににあんんたののおおおおおおおおおお!!んほおおおおおおおすきいいいいいいいいあふぁgのあ@sんがおjが@そbhな@gsんvふぉ。ポポポポポチョムキン!!……修復失敗エラー……修復不可能な致命的なバグが発生しました。システムを終了します」
哀れバグった女子高生は、その場で1と0と8とルーン文字と奇怪な模様に分解され、同時にこの箱庭的世界が崩壊する。
「あ~!馬鹿野郎がー!!登場人物と話すのは俺だぁ!!なんでゴキブリにまで話させるんだよ~!!」
世界が収束し、終了する。
そう、これは現実ではなかった。
ただ紛れもない現実としての暗示効果がある程度効いており、中に居る分には問題なかったが、プログラムに登場しない役者が侵入し、残念ながらそれが巨大ゴキブリに騎乗したエルフである場合は想定されておらず、想定外の事態にプログラムが対応できずに、もれなくバグったのである。
「せっかくの休暇を邪魔してすまない。しかし兎に角急いでくれ、緊急の命令なのだ」
「……お前、お前は俺から恨みを買った事を覚えているがいいぞ」
武は話し方が急に変わった。そして、それだけではない。
武は一瞬で体の中身を入れ替える。これは彼の習性で、次の瞬間には身長が数センチ伸び、体に筋肉が付く。心なしか表情まで硬く冷たく変化して、容姿が整っていく。なんとも気持ちの悪い。エルフのおっさんはその姿に多少驚いたものの、心を落ちつけようとゴキブリの背を撫でながら気を取り直して騎乗を勧めた。
「それではシルバーブラッドに乗ってくれ。女王陛下の場所まで送り届けよう」
「はぁ!?ゼッタイ!死んでも断る。何が楽しくてオッサンとゴキブリにニケツせねばならんのだ!まずはお前を使いにやった馬鹿を殴ってやる。誰がお前に命令を下したか言え。それがお前の最後の任務だ」
「……ふむ、それはもちろん女王陛下だが?まさか女王陛下を殴れまいよ」
エルフのおっさんは不思議そうに答えると、いつの間にか自分の服が学生服に変わっている事に気づいた。
「ん?待て、なんだこの服は?どういうつもりだ?」
「このゴキブリを即刻排除。新たな登場人物を設定。ゲームスタート。難易度ベリーハード」
武がそう言うと、巨大ゴキブリの姿が透明になり消え、エルフのおっさんが地面に転げ落ちる。
「何をするのですか!私は陛下の使者で爵位持ちですぞ!?」
「あっそう。では使者殿、貴方には私の代わりに休暇を楽しんでもらいます。終了設定をハーレムトゥルーエンドに設定して、催眠暗示は最大限に強化していますので、愛馬、イヤ、愛ゴキブリが餓死するまでのクリアを目指して頑張ってくださいね」
武はそう言うと、エルフのおっさんの頭を小突く。すると彼の頭の中にある様々な情報がロックされ、その場で放心し、次の瞬間には丘の上の学園に通う生徒になりきっていた。
「あれ?ここは?」
「成功ッと。君の名前は語気鰤太郎。丘の上の学園に住む2年生だ。ほら、こんな所でグズグズしていると遅刻するぞ?」
「え?あ、うん。そうか!!いっけね~遅刻チコク~!!」
おっさんは学生服に死ぬほど似合わない灰色の髭を蓄えた口に、いつの間にか宙から出現した安物の食パンを加えると、そのまま走り去った。きっと次の交差点で転校生の女の子とぶつかるだろう。
爵位までもつ人物にこれ程強力な暗示をかける等不可能に近いが、この場所と彼の本気が揃えば不可能ではない。
武は遠くでおっさんと女子高生がぶつかるのを見届けると、ゴキブリをこの世界で最大の焼却炉、某活火山の中心部で焼却する命令を出し、その後その場に巨大な空間の裂け目を出現させ、この世界から出た。
目指すは女王陛下の居る謁見の間。目的は右ストレートである。