20.一回死んでる
「来タンダ」
愛里の耳に届いたその声は、もはや一人の女の子の声ではなく。
「……来タヨ」
「来タヨ」
「来タヨ」
いくつもの声が木霊する。
「アレダヨ」
「アノコ」
「アノコダ」
「ソモソモノ原因」
ブルーシートを燃やした黒い炎は、生き物のようにゆらゆらと立ち上がり、教室の窓の隙間から染み込んできた。
普通の炎ではないことは明らかだった。それが近づくにつれ、
「……あっついなー」
さすがの泰造も切羽詰まったつぶやきを漏らす。
瞬く間に炎は愛里の周囲を取り囲み、身動きできなくされてしまった。
「パパは……パパだけでも逃げて?」
愛里が気丈に言うと、
「なに言ってるんだ。パパは一回死んでるんだぞ? こんなこと、何でもない!」
明るくきっぱりと泰造は言った。
「……燃ヤセ」
「燃エロ」
「燃エロ」
「我ラカラ、アノ場所ヲ奪ウ、スベテノモノ」
「燃エロ」
不気味な声が反響する中、愛里は何かに包まれているように感じた。
熱い、けれど、庇われている。直接炎にあたっていれば、こんなものでは済まないはずだ。
「パパ?」
「大丈夫だ。こんな炎、たいしたことない。パパは、もっと大変な現場だって行ってきたんだから」
泰造は言うが、その現場で命を落としたのはいったい誰だ? と、ちらりと愛里は思った。だが、泰造に突っ込んでいる場合ではない。
泰造のおかげで何とか動ける。じわじわと裏庭に面した窓のほうへと向かいながら、愛里は言った。
「なんで、こんなこと、するの? もう、緒方くんを解放してあげて」
黒い炎の隙間から見えるブルーシートは真っ黒だ。神輿は無事なんだろうか。
「ナンデ?」
「ナンデ?」
「ナンデ?」
「我ラノ居場所」
「奪ウナ!!」
もうかつて人だった形をとどめてもいない、黒い炎たちの勝手な言い分に、
「見えたからどうだっていうの?!」
愛里が切れた。
「そんなんで、あんたたちに縛られるいわれなんてないでしょ! 勝手に憑いといて、奪うなってそんなの知らない!」
「あ、愛里?」
「パパは黙ってて。……あんたたちのせいで、緒方くんが、どんなに迷惑してきたか。往生際が悪いんだよ! もう、とっとと消えちゃえ!!」
生存欲とでもいうのだろうか。もう生きてはいないのだから、存在欲か。ただそれだけのために、冬馬に固執し、ここまでの実力行使をやってのける。
「死んだんだったら、それを認めなさいよっ!!」
愛里の顔は涙と煤で汚れていた。
「ウルサイ」
「ウルサイ」
「燃ヤセ!」
「燃ヤセ!!」
炎の攻勢が強くなり、泰造のカバーも効かなくなってくる。
それでも愛里は、一歩二歩と前へ進んだ。意地になっているかもしれない。
でも。
愛里には、譲れなかった。それくらい、もう、冬馬のそばにいた。泰造の、父としてのやさしさに触れてしまった。同じ霊でも、こんなことをするのが許せないと思うほどに。
「あっつ……」
窓際まで、もう少しだ。けれど、もう意識がもうろうとしてきていた。
その時。
……しゃらん。
愛里には、聞き慣れた鈴の音が、聞こえた。
しゃらん。
煙の向こうに、トレーニングウエアの冬馬が見えた。
おそらくは、時宗と境内で練習していたそのままの格好で、そのまま走ってきたのだろう。肩で息をしている。それでも、冬馬は、すうーっと息を吐き、呼吸を整えると、持っていた鈴を一振りした。
……しゃらん。
冬馬は、そのまま廊下で舞の動作に入った。
音のしない、動き。
時折、しゃらんしゃんしゃん……と鈴が鳴る。
「ヤメロ」
「ヤメテ」
「オネガイ」
「ヤメ……」
あれほど隆盛だった黒い炎が、みるみる間にしぼんでいく。
やっと普通に息ができるようになった愛里は、細い声で、
「緒方くん……どうして……?」
とつぶやきながら、意識を手放した。




