1.いっそ冗談で
なんの冗談だ、と、愛里は思った。
遅い夏風邪を引いて、学校を休んだ。熱も下がり、二日ぶりの登校である。愛里が少しばかり新鮮な気持ちで教室の扉をくぐると、
「おめでとー、あいり」
と、まなかが抱きついてきた。
九月半ばとはいえ、十分すぎるほど暑い。抱きつかれれば暑苦しい。しかも、まなかは長身で、威圧感のある美人だった。
「おはよう、まなか」
嫌味にならない程度にそっと、首に巻きついているまなかの手をほどきながら、愛里は言った。
「おめでとうって、なに?」
愛里には、友達に祝福されるような心当たりはなかった。
まなかは、長い黒髪を揺らしつつ、楽しそうに言った。
「愛里さんは、栄えある玉三郎スカウトに選ばれましたー!」
……ぱふぱふ。頭の後ろで、調子外れのラッパが鳴った気がした。
「え、なんで?」
「あんた、昨日休んでたから」
まなかが言うには、昨日が玉三郎スカウトの選出締切だったらしい。
「桜橋の裏体育祭のトリ、『玉三郎コンテスト』が、例年大盛り上がりってのは、あんたも知ってるでしょ」
ずいっと迫るまなかに、愛里は鞄を抱えうなずきつつも、後ずさる。
愛里たちの通う桜橋高校は、そこそこの進学校で、何より自由な校風とイベントの盛況さがウリだった。秋に行われる体育祭の後には、裏体育祭と呼ばれるイベントが行われる。その中でも、一番の盛り上がりを見せるのが、クラス対抗の『玉三郎コンテスト』。クラスごとに男子から玉三郎役を一人選んで、テーマを作り女装させ、その出来栄えを競うのだ。玉三郎役の選出責任者が玉三郎スカウトで、こちらは女子の中から選ばれる。
そのくらいは、一年生といえど愛里だって知っている。
「でも、休んでたからって」
なんで私が、という愛里の抵抗にも、
「誰もやりたがらなかったの」
と、まなかは、明快に答えてくれた。要するに、クラスの女子たちに、ていよく押しつけられたのだ。
「……なんで?」
嫌な予感が大きくなる。打ち消すように、愛里は重ねて聞いてみた。
「そりゃあ、玉三郎が拒否したからに決まってるでしょ」
「玉三郎って、やっぱり……」
「氷王子」
「だよね……」
予感的中。愛里の心の空は、もくもくと暗雲垂れ込め、雷まで鳴りそうだ。
「だって。他にいる?」
まなかは言う。
「確かに」
氷王子こと、緒方冬馬は、見た目では絶対的に他を圧倒している。
長身で細身だが、しっかりした筋肉質の体つき。日に透けると金色にも見える、さらっさらの赤みのない栗毛。整った顔立ち。成績もトップクラスで、運動神経もいい。少女漫画の王子様さながらに、完璧な容姿。
彼がいる以上、クラスの他の男子を選べるわけがない。
「……緒方くん、なんて?」
「『くだらない』って、一言。巻き込むなとばかりに、ホームルーム途中退出」
と言う、まなかの言葉で、昨日のホームルームの様子が目に浮かぶ。
冬馬が、氷王子と呼ばれている理由。周りを凍りつかせる冷たい態度。誰も寄せつけない、とがった怖さ。すべてが無駄と思っていそうな、冷めた様子。
愛里のため息の間に、まなかが言葉をはさんでいく。
「みんな、王子には嫌われたくないからね」
「王子、コワくて、近寄れないし」
「……あんたなら、会話できるし」
「会話って」
思わず、愛里は声を上げる。確かに何度か、話しかけられた(?)ことはあるが、あれを会話というのだろうか。単に寒い思いをしただけなのだが。
スカウトを押しつけられた事情は、よくわかった。だけど、やっぱり冗談であって欲しかった、と思う愛里だった。