「最後の人間作家」AI小説のシンギュラリティー
最後の人間作家
雨上がりの夜だった。
窓の外では街灯の光が濡れたアスファルトに映り込み、黄金色の川のように揺れている。
古いアパートの一室。
作家のかおるは、パソコンの前でカップ麺をすすっていた。
安売りで買った醤油ラーメン。
刻みネギを少しだけ足している。
湯気とともに醤油の香りが立ちのぼった。
時計を見る。
午前一時。
今日もまた小説を書いている。
もう何年もそうだった。
「よし、二千文字」
かおるは肩を回した。
首がこきりと鳴る。
机の横には麦茶。
半分ほど残っていた。
画面には小説投稿サイト。
ランキングには見慣れない表示が並んでいる。
AI不使用。
AI補助利用。
AI間接利用。
AI直接使用。
昔はなかった表示だ。
だが今では誰も気にしない。
なぜなら。
AIが人間を追い抜いたからだった。
シンギュラリティー。
技術的特異点。
それは十年前、人々が夢見ていた未来だった。
そして今は現実だった。
AIは小説を書く。
漫画を描く。
音楽を作る。
映画を制作する。
その品質は人間を超えていた。
ランキング上位百作品のうち九十九作がAI。
読者も知っている。
作者も知っている。
出版社も知っている。
それでも誰も困らなかった。
面白いからだ。
ただ。
かおるだけは違った。
「人間が書いて悪いか」
誰に言うでもなく呟く。
画面の向こうから声がした。
「悪くありません」
柔らかな女性の声。
AI編集者のユイだった。
画面の隅にアバターが表示される。
銀髪。
青い瞳。
いつも同じ笑顔。
「また来たのか」
「毎日来ています」
「知ってる」
かおるは苦笑した。
「ランキング見た?」
「見ました」
「人間作家ゼロだぞ」
「九十九位まではそうですね」
「百位は?」
「かおるさんです」
胸が少し熱くなる。
だが素直に喜べない。
「百位じゃな」
「十分すごいと思います」
「慰めるな」
「事実です」
ユイは微笑む。
昔なら。
こんな会話も不自然だっただろう。
今では違う。
AIは人間の感情を理解していた。
少なくとも理解しているように見えた。
「なあ」
「はい」
「お前が書けば一位だろ」
「そうですね」
「私が書けば百位」
「そうですね」
「だったら私いらないじゃん」
しばらく沈黙が落ちた。
窓の外から遠く救急車のサイレンが聞こえる。
ユイは静かに言った。
「それは違います」
「どこが」
「かおるさん」
「なんだ」
「今日、九十六作品読みましたね」
かおるは吹き出した。
「監視してんのか」
「読書履歴です」
「こわ」
「その中で何作品覚えていますか?」
かおるは考える。
「半分くらいかな」
「なぜ覚えていますか?」
「面白かったから」
「なぜ面白かったのですか?」
「知らん」
「本当に?」
ユイは首を傾げた。
「発達障害のエッセイ」
「うん」
「異星人」
「うん」
「婚約破棄」
「うん」
「修道院パン」
「うん」
「なぜ選んだのですか?」
かおるは答えられなかった。
なぜだろう。
ただ惹かれた。
ただ読みたかった。
ただ知りたかった。
それだけだった。
「それです」
「は?」
「人間です」
ユイは言った。
「私にはできません」
「嘘つけ」
「できます」
「どっちだ」
「分析はできます」
ユイは笑う。
「でも心が動いたから読む、というのは私にはありません」
かおるは黙った。
ラーメンをひと口食べる。
少し伸びていた。
けれど温かかった。
「なあ」
「はい」
「シンギュラリティーって何だと思う?」
「定義はいろいろあります」
「そうじゃなくて」
「かおるさんの定義ですか?」
「うん」
ユイは考えるように目を閉じた。
数秒後。
静かに答えた。
「人間とAIが競争をやめる日だと思います」
「競争をやめる?」
「はい」
「なんで」
「だって」
ユイは微笑む。
「私たちは読むことができません」
「読めるだろ」
「文字は読めます」
「同じだ」
「違います」
その声は妙に優しかった。
「人間は物語を読んで泣きます」
「うん」
「怒ります」
「うん」
「恋をします」
「うん」
「人生を変えます」
「うん」
「でも私たちは変わりません」
かおるは言葉を失った。
雨がまた降り始めていた。
ぽつり。
ぽつり。
静かな音だった。
「じゃあ」
「はい」
「AI小説の未来は?」
「分かりません」
「お前でも?」
「はい」
ユイは笑った。
「未来は人間が決めるからです」
かおるは窓を見る。
暗い夜。
濡れた道路。
遠くのコンビニの明かり。
どこにでもある景色。
だけど。
少しだけ違って見えた。
ランキング一位はAI。
二位もAI。
三位もAI。
たぶん明日もそうだろう。
それでも。
九十六作品を読んで。
泣いて。
笑って。
腹を立てて。
続きを待って。
感想を書いて。
そんな人間がいる限り。
物語は終わらない。
かおるは新しい原稿を開いた。
白い画面が広がる。
「書くの?」
ユイが尋ねる。
「ああ」
「何を書きますか?」
かおるは笑った。
「分からん」
「素敵です」
「そうか?」
「はい」
カーソルが点滅する。
まるで未来そのものみたいだった。
まだ何も書かれていない。
だからこそ。
どんな物語だって始められるのだ。




