異端審問と少年の神学――あるいはドン・ボスコーンとの暗闘
第一章 聖交学園の裏面
私立聖交学園は、表向きは敬虔なるカトリックの学び舎として知られている。
しかし、その実態は、異端審問のために全世界に張り巡らされた、カトリック官僚主義が誇る秘密組織**「ドン・ボスコーン連合会」**の極東支部であるという噂が、まことしやかに囁かれていた。その名称が、高名な聖人ドン・ボスコと、E・E・スミスのSF小説『レンズマン』に登場する悪の帝国「ボスコーン」を掛け合わせた、悪質な洒落であることは言うまでもない。
証拠は枚挙に暇がない。 教員室には、何故かバチカン帰りの枢機卿と思しき紅衣の高僧が、数学教師として紛れ込んでいたり、日独伊三国同盟時代にUボートで来日し、そのまま潜伏したとされるイタリア人修道士が、どう見てもシチリアのマフィアのドンごとき威圧感を放ちながら、校庭の掃除をしていたりする。 歴代校長もまた、怪人揃いであった。「赤鬼」と怖れられたデンジェラス神父をはじめ、日本人として初めてその座に就いた神也神父もまた、一筋縄ではいかぬ人物であった。
神也神父は、元海軍士官学校出身の軍人であり、乗艦が撃沈され、海原に投げ出されて死を覚悟した際、天啓を受けて回心し、教育者となったという凄絶な経歴を持つ。彼の説教には、聖書の御言葉と共に、硝煙と潮の匂いが混じっていた。
これら一癖も二癖もある教師陣の布陣は、フランシスコ・ザビエル以来、宣教師たちが日本を精神的に侵略しようとしてきた歴史が、形を変えて未だに続いていることを、生徒たちに肌で実感させるものであった。
第二章 多神教徒の反乱
これは、主人公・白井紫影が入学する以前、まだ中学生であった寺石が、この巨大な「組織」に対して繰り広げた、孤高のイデオロギー闘争の記録である。
寺石は、幼少より大叔父(元皇軍少尉)の薫陶を受け、日本古来の八百万の神を奉ずる多神教主義者であった。彼にとって、キリスト教の神もまた、数多ある神々の中の一柱、それも少々気難しい異国の蕃神に過ぎなかった。
故に彼は、一神教の絶対性を説く神父たちの教義とは、水と油の如く相容れなかったのである。
ある日の宗教の時間。
教壇に立つ神也神父に対し、寺石は慇懃無礼に手を挙げた。
「神父様。愚考するに、聖書に記された神の所業は、慈愛というよりは、祟り神のそれに近いのではありませんか?」
教室がざわめく。神也神父は、海軍仕込みの鋭い眼光を寺石に向けた。
「……ほう。何ゆえそう思う、寺石。」
第三章 旧約の殺戮者たち
寺石は、待ってましたとばかりに、使い込まれた旧約聖書を開いた。
「まず、**『出エジプト記』**であります。神は、ファラオがイスラエルの民を解放しないという理由で、エジプト中の初子を、王の子から家畜に至るまで鏖殺されました。これは、罪なき子供を人質に取る、テロリストの論理ではありませんか?」
「それは、神の威光を示すための……」神父が口を開きかけるが、寺石は止まらない。
「次に、**『列王記下』**第二章。預言者エリシャが子供たちに『ハゲ頭、登って行け』とからかわれた際、彼は主の名によって子供らを呪い、森から現れた二頭の熊に、四十二人の子供を引き裂かせました。」
寺石は眼鏡を押し上げた。
「たかが髪の薄さを揶揄された程度で、幼児四十二人を惨殺する。これが『愛の神』の使いでしょうか? 私には、短気で残虐な荒ぶる神の所業にしか見えません。」
「さらに、**『サムエル記上』第十五章。神はサウル王に対し、アマレク人を討てと命じ、こう言われました。『男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ』と。これぞ完全なるジェノサイド(民族浄化)**です。」
「そして極め付けは、**『士師記』**第十一章のエフタです。彼は戦勝祈願の際、『最初に家から出迎えた者を捧げる』と軽はずみに誓い、その結果、最愛の一人娘を生贄として焼き殺しました。……神父様、もしこれが日本の神ならば、即座に邪神として退治される案件です。」
第四章 絶対神の矛盾と少年の詭弁
寺石は、聖書をパタンと閉じ、勝者の如く神父を見据えた。
「反体制即死刑。異教徒即殲滅。子供だろうが容赦なし。……このような記述を見るにつけ、キリスト教の神は、八百万の神々の上位に立つ絶対的な『善』などではなく、中東の厳しい風土が生んだ、極めて排他的かつ暴力的な**軍神**の一種であると断ぜざるを得ません。如何でしょうか?」
教室は凍りついた。
中学生にして、ここまで詳細に聖書の「暗部」を引用し、神父を論破しようとする生徒など、前代未聞であった。
神也神父は、しばらく沈黙した後、ふっと笑みを漏らした。それは、聖職者の慈愛というよりは、かつて激戦地で敵将と対峙した時のような、不敵な笑みであった。
「……よく読んでいるな、寺石。貴様の言う通り、旧約の神は恐ろしい。だがな。」
神父は、黒板にチョークで十字を切った。
「その恐ろしさ、理不尽さこそが、人間には計り知れぬ**『超越者』**の証左なのだ。人間の倫理で測れるような神など、ただの道徳の教科書に過ぎん。我々は、その理不尽な奔流の前に跪くことしかできぬのだよ。」
「……詭弁ですね。」
「貴様の理屈もな。」
二人の視線が空中で火花を散らす。
寺石は、論破こそできなかったものの、この「組織」の末端において、一矢報いたという満足感を得ていた。
そして神也神父もまた、この生意気な眼鏡の少年の内に、将来、何らかの「組織」を率いることになるであろう、歪んだカリスマの萌芽を見て取っていたのかもしれない。
ドン・ボスコーン連合会の支配する学園において、少年のイデオロギー闘争は、まだ始まったばかりであった。




