徳川の姫君とテキサスの砦――あるいは聴覚の誤謬と歴史の捏造
第一章 結石治療という名の苦行
寺石にとって、主治医から処方された『アイドルマスター』は、娯楽ではなく医療行為であった。
無論、それは結石そのものを粉砕し、排出せしめるような根治治療ではない。痛覚信号を、脳への過剰な視聴覚刺激(萌えとリズム)によって強引に遮断し、誤魔化すだけの、あくまで対症療法に過ぎない。
しかし、その効果は劇的であった。寺石にとっては、モルヒネのごとき化学的鎮痛剤よりも遥かに即効性があり、かつ**効果覿面**であったのだ。電子の歌姫たちが放つ光の奔流は、彼の神経系を麻痺させ、痛みを忘却の彼方へと追いやってしまう。
彼は、腎臓結石の鈍痛を脳内麻薬で散らすため、今日もモニターの前に正座し、コントローラーを握りしめていた。彼は初心者であり、画面上の少女たちが織りなす「萌え」の文法には未だ不慣れである。
特に、彼を悩ませたのは、視聴覚情報の不一致であった。メロディーは心地よいが、その歌詞が、彼の膨大すぎる知識データベースと衝突し、激しい**空耳**を引き起こすのである。
今日、彼が挑む楽曲は、徳川まつりの持ち歌、**『プリンセス・アラモード』**であった。
「徳川……まつり、か。」
寺石は呟く。「徳川の姓を冠するからには、水戸か尾張か、あるいは将軍家の末裔であろう。その姫君が歌う歌、心して聴かねばならぬ。」
曲が始まる。
軽快で、しかしどこか混沌とした電子音が鳴り響く中、姫君の愛らしい歌声が寺石の鼓膜を打った。
第二章 アラモの幻聴
『――アラモ、アラモ、あらあらアラモ~♪』
「!!」
寺石の指が、一瞬止まりかけた。
「アラモ(Alamo)……だと!?」
本来の歌詞は「アラモード(à la mode)」である。
しかし、寺石の脳内辞書において、「アラモ」という単語が引き当てる検索結果は一つしかない。
一八三六年、テキサス独立戦争における最大の激戦地、アラモの砦。デイビー・クロケットやジム・ボウイら百八十余名が、数千のメキシコ軍を相手に十三日間の籠城の末、玉砕した悲劇の聖地である。
(……なんと。徳川の姫君が、何故テキサスの古戦場を連呼するのだ?)
寺石の脳髄が、光速で歴史の空白を埋め始める。
(そうか……! これは教科書には載らぬ裏面史だ! 幕末、徳川幕府は密かに遣米使節団を派遣していた。その一隊がテキサスの地に渡り、義勇兵としてアラモの砦に立て籠もったというのか! この歌は、異国の土となった侍たちへの鎮魂歌なのかッ!)
画面の中では、フリルのドレスを着た少女が笑顔で踊っている。
しかし、寺石の目には、彼女が**「星条旗と葵の御紋」を背負い、硝煙弾雨の中で指揮を執るジャンヌ・ダルク**の如き姿に見えていた。
第三章 誤読の連鎖と指先の舞踏
リズムゲームは待ってくれない。
寺石は、次々と飛来するノーツ(音符)を必死に叩き落としながら、歌詞の解読を続行した。
『――お城へ レッツゴー! なのです!』
「**お城(Fortress)**へ! レッツゴー(全軍突撃)! なのです! ……なんと勇ましき号令か!」
寺石はボタンを連打する。それはリズムを刻む音ではなく、フリントロック式銃の引き金を引く乾いた音であった。
「アラモの砦は、もはや落城寸前。そこへ姫自らが援軍を率いて突入する気か! 死地への行軍を『レッツゴー』と軽やかに歌い上げるとは、武人の鑑!」
さらに、歌詞は戦況の激化を告げる。
『――ほ? ほ?』
「歩(ほ・歩兵)! 火(ほ・砲撃)! 歩兵の前進と砲撃支援を同時に指示しているのか! 右翼、前へ! 左翼、援護射撃だ!」
寺石の額に、脂汗が滲む。画面上の演出で、キラキラしたエフェクトが弾けるたびに、彼にはそれが榴弾(キャニスター弾)の炸裂に見え、歓声は鬨の声に聞こえる。
そして、楽曲はさらに勇壮さを増していく。
『――マーチが響いて スタートなのです!』
「**軍行進曲**が響いて、**作戦開始**だと!?」
寺石は戦慄した。
「これは単なる行進ではない。死を覚悟した決死隊が、敵陣中央突破を試みる際の突撃ラッパだ! 退路を断ち、己の命を弾丸として撃ち出す、最後の突撃の合図だ!」
『――ハイホー! ハイホー!』
「ハイホー(Heigh-Ho)……! これは炭鉱夫の歌ではない。塹壕を掘る工兵たちの、血と泥に塗れた労働歌、あるいは死の恐怖を紛らわすための、狂気じみた掛け声だ!」
寺石の指先が痙攣するほどにボタンを叩く。
「掘れ! 掘るのだ! 壕を深くせよ! さもなくばメキシコ軍の砲撃に挽肉にされるぞ!」
第四章 星々の殉死と決死隊
曲調が変わり、一瞬の静寂が訪れる。
激戦の後の、静謐な夜の情景か。
『――空に お星さま 光ったら~』
その歌詞を聞いた瞬間、寺石の目から一筋の涙が零れ落ちた。
「ああ……。**お星さま(英霊たち)**が……。」
彼の脳裏には、テキサスの荒野に横たわる無数の屍と、その魂が天に昇り、星となって輝く様が鮮烈に幻視されていた。
「光ったら……即ち、彼らは逝ったのか。姫を守り、義に殉じて、一人、また一人と……。あの輝きは、散華した侍たちの命の煌めき。**殉死**の隠喩であったか……!」
そして、少女は無邪気に宣言する。
『――パーティーの 時間です!』
「パーティー(Party)……ッ!!」
寺石は天を仰いだ。
「そうか、そういうことか! 貴女は、これを『宴』と呼ぶのか!」
寺石の脳内で、軍事用語辞典の頁が捲られる。
「英語における『Party』とは、単なる祝宴にあらず。それは**『分遣隊』あるいは『特務班』を意味する軍事用語だ! 『Landing Party(上陸班)』『Search Party(捜索隊)』……そしてこの極限状況下における『Party』とは、即ち『決死隊(Forlorn Hope)』**を指す以外にない!」
寺石は、画面の中の姫君に向かって敬礼した。
「お星さまが光る刻、即ち夜闇に乗じて決行される、生還を期さぬ最後の夜襲。それを『パーティーの時間』と表現するとは……! なんたるウォーモンガー(戦争屋)ぶりか! いや、これぞ武士道における**『死狂い(シグルイ)』**の境地!」
姫の無慈悲なる命令は続く。
『――素敵にエスコート してくださいね?』
「エスコート(護衛)! デートの誘いではない! これは**VIP護送任務**の指令だ!」
寺石の眼鏡が冷徹に光る。
「弾雨の中、敵の包囲網を突破し、姫を無傷で送り届ける。それを『素敵に』こなせとは、なんと高度な要求水準か。一発の被弾も許されぬ、完璧なる任務遂行を求めておられるのだ!」
そして、決定的な一言が放たれる。
『――舞踏会で 踊ってほしいのです!……ね?』
「ブトウカイ……!?」
寺石は絶句した。彼の耳には、その単語が全く別の漢字として響いていた。
「武闘会! あるいは武闘(Armed Struggle)!」
彼の脳裏には、煌びやかなボールルームではなく、血で血を洗うコロシアム、あるいは白兵戦の修羅場が浮かび上がっていた。
「『踊ってほしい』とは、即ち**『死の舞踏』**を演じろということか! 銃弾が尽き、刀折れ矢尽きた後は、銃剣と拳で踊り狂えと! 貴女のために、修羅となって敵を屠れと仰るのか!」
「承知しました、閣下! この身が砕け散るまで、貴女の武闘会で踊り続けましょう!」
第五章 海兵隊の強襲と永遠の夢
曲はクライマックス、サビへと突入する。
決死隊は、死地を駆け抜ける。
『――カラホー(Colorful) カラホー(Colorful)……』
独特の甘い節回しで歌われる「カラフル」という単語が、寺石の鼓膜を震わせた瞬間、彼の脳内変換回路が最大出力で誤作動を起こした。
「!!」
寺石は叫んだ。
「ガンホー(Gung-ho)!?」
彼の脳内で、「カラホー」という音韻は、瞬時に「ガンホー」へと変換された。
「ガンホー……! それは、アメリカ海兵隊第二強襲大隊、通称**『カールソン・レイダース』**のモットーにして喊声ではないか!」
寺石の解説が脳内を駆け巡る。
元来は中国語の「工合(ゴンハー・共に働く)」に由来し、エヴァンス・カールソン中佐が部隊の合言葉として採用した言葉。それは「献身」「協力」「熱狂的な忠誠」を意味する、米軍精鋭部隊の魂の叫びだ。
「なんということだ……! アラモの義勇兵だけではない。時空を超えて、**海兵隊**までもが援軍に駆けつけたというのか! この戦、まだ負けてはおらぬ!」
寺石は、コントローラーのボタンを叩く。それはリズムを刻む指使いではない。ブローニング自動小銃(BAR)の引き金を絞り、制圧射撃を行う機関銃手の動きそのものであった。
「突撃せよ! ガンホー! ガンホー!!」
激戦が終わり、静寂が訪れる。
生き残ったのか、それとも散ったのか。
姫の声が、優しく響く。
『――楽しい時って 過ぎるのも早いのです』
「……ああ。」寺石は涙を流した。
「儚いものだ。命も、戦いも。刹那の閃光の如く過ぎ去っていく。」
『――夢の世界は 終わったりしないのです』
「然り……!」
寺石は深く頷いた。
「肉体は滅びるとも、我等の魂は英霊(お星さま)となりて、永遠にこの砦を守り続ける。夢(理想)の世界は、我々の意志がある限り、決して終わらぬのだ!」
終章 捏造された記憶
曲が終わった。
「フルコンボ(全弾命中)」の文字が画面に躍る。
寺石は、荒い息を吐きながら、コントローラーを置いた。
「……見事だ。徳川まつりよ。貴女こそ、日米の架け橋となった真のラスト・サムライであり、最強の海兵隊だ。」
彼の中で、「アイドル=アラモの英雄=特殊部隊」という、事実無根かつ荒唐無稽なトンデモ解釈(偽史)が、完全に事実として定着してしまった。
リズムゲームという極限の集中状態において、ファクトチェックや考証を行う余裕などあろうはずもない。脳が一度「そうだ」と認識した瞬間、それは彼にとっての正史となるのだ。
翌日、部室にて。
寺石は白井に向かって、神妙な顔で語ったという。
「白井よ。歴史の教科書は嘘ばかりだ。アラモの砦に徳川の旗が翻り、アイドルの語源が海兵隊にあることを、貴様は知っていたか?」
白井は、友人の病(結石か、あるいは脳の病か)が悪化したのではないかと、本気で心配した。
しかし、寺石の瞳は、テキサスの夕陽と、南洋の密林を映したかのように、赤く、熱く燃えていたのである。




