怪人との邂逅と鉄十字の喉笛――あるいは密室における第二の儀式
第一章 トラウマの古戦場へ
あの、魂を抉られるような「ボルテスV」の熱唱と、寺石による峻烈な断罪の夜から、幾ばくかの時が流れたある日のことである。
白井紫影のもとに、再び寺石からの招集がかかった。
場所は、前回と同じ駅前のカラオケボックス。要件は「紹介したい人物がいる」という一点のみであった。
白井の足取りは、あたかも鉛を詰め込まれた囚人の如く重かった。
彼にとって、あの極彩色の照明と安っぽいベルベットのソファ、そしてカビと煙草の臭いが染み付いた密室空間は、もはや単なる娯楽の場ではない。己の欺瞞を白日の下に暴かれ、思想を強制的に矯正された、精神的な拷問室の記憶と分かち難く結びついていたからだ。
(またしても、ジェームス三木の哲学的な歌詞で心臓を撃ち抜かれるのか……? それとも、今度は『ザンボット3』で人間爆弾の悲哀を説かれ、滅私奉公の精神を強要されるのか……?)
警戒心を露わにし、全身の筋肉を硬直させながら、白井は重い防音扉を押し開けた。その扉の物理的な重みは、これから彼が対峙すべき運命の質量そのものであった。
第二章 フィールドグレーの巨星
扉の向こうに広がっていた光景は、白井の悲観的な予想を遥かに、そして絶望的なまでに超えるものであった。
薄暗い室内の上座に、参謀の如き寺石と共に、一人の男が鎮座していたのである。
その男は、あたかも歴史の断層からそのまま剥離して抜け出してきたかのような、第二次大戦下のドイツ国防軍の将校服を完璧に着こなしていた。
襟元には騎士鉄十字章が鈍く、しかし確かな存在感を放って輝き、ロマンスグレーの髪は一糸乱れぬポマードで固められ、頭蓋の形に張り付いている。その背筋は、安物のソファに沈み込むことを拒絶するかのように、鋼鉄の規律をもって垂直に保たれていた。その佇まいは、場末のカラオケボックスという卑俗な空間を、一瞬にしてベルリンの参謀本部の作戦室へと変貌させていた。
そして、何より異様であったのは、その剛健なる腕に抱かれた存在である。冷徹なる軍人の腕の中には、フリルを纏ったフランス人形――マリーちゃんが、無垢にして深遠なるガラスの瞳で鎮座していた。その不条理な組み合わせは、見る者の理性を軋ませるに十分であった。
「……来たか、白井。」
寺石が、厳かに言った。
「紹介しよう。この方こそ、我が師であり、日本SF界の裏番長、通称オデッサ閣下であらせられる。」
白井は、武術家としての本能で悟った。
(……強い。)
それは腕力の強さではない。存在の質量、あるいは背負っている「業」の密度が、桁違いなのだ。この男は、この奇異な格好を「仮装」としてではなく、自らの魂を規定する「正装」として纏っている。その揺るぎなさが、白井を圧倒した。
「……初めまして。白井紫影と申します。」
白井は、思わず最敬礼をした。
オデッサ氏は、ゆっくりとマリーちゃんの頭を撫でながら、鷲のような眼光を白井に向けた。
「聞いているよ、少年。寺石君から、君の『覚醒』の話は。」
その声は、重低音の響き(バス)を帯びた、舞台俳優のような美声であった。
「幼女を愛するが故に触れず、国を愛するが故に憂う。……良い心構えだ。だが、まだ迷いがあるな? その瞳の奥に、俗世への未練が澱のように残っている。」
図星であった。白井は言葉を失う。
第三章 ワルキューレの騎行と魔法のプリンセス
「歌おうか。」
オデッサ氏は、唐突に言った。
「言葉で語るよりも、魂の波形をぶつけ合う方が早い。音楽とは、精神の共鳴箱なのだから。」
彼がリモコンで選曲したのは、リヒャルト・ワーグナーの**『ワルキューレの騎行』**……ではなく、それに匹敵する精神的壮大さを持つアニメソングであった。
イントロが流れる。
オデッサ氏はマイクを握ると、朗々と歌い始めた。
『――ラブラブ・ミンキーモモ~……』
それは、**『魔法のプリンセス ミンキーモモ』**の主題歌であった。
しかし、その歌唱法は、日曜朝の子供番組のそれではない。ベルリン・フィルハーモニーをバックに、帝国の興亡を歌うオペラ歌手の如き、荘厳にして悲壮なバリトンであった。
『――おとなになったら~ なんになる~』
歌詞の一節一節が、哲学的な命題として白井の鼓膜を震わせる。
「大人になる」とは何か。「夢を見る」とは何か。それは喪失の予感か、あるいは可能性への飛翔か。
軍服の老紳士が、人形を抱きながら、魔法少女の歌を熱唱する。その光景は、滑稽を通り越して、ある種の**神聖さ(ヒエロファニー)**すら帯びていた。白井は、目の前の男が歌っているのがアニメソングであることを忘れ、あたかも神話の英雄が失われた楽園を嘆く叙事詩を聴かされているような錯覚に陥った。
(これが……本物か。)
白井は戦慄した。
寺石の狂気が「論理的」なものであるならば、この男の狂気は「審美的」であり、完全に調和している。
第四章 凍てつく東部戦線と赤き波濤
モモの余韻も冷めやらぬ中、更に追い討ちをかけるように、オデッサ氏は次の曲を入れた。
画面に表示されたのは、演歌の名曲**『津軽海峡・冬景色』**。
しかし、イントロが始まると同時に、オデッサ氏の纏う空気が一変した。それは、先程までの夢見るような甘美な世界から、極寒の戦場に立つ指揮官の絶望へと、瞬時にして切り替わっていた。室内の温度が数度下がったかのような錯覚さえ覚える。
これは、かつて寺石が披露した「ボルテス」に続く、魂の替え歌であった。オデッサ氏は、石川さゆりの情念を、ドイツ兵の悲哀へと昇華させたのである。
『――キエフ発の輸送列車 おりた時から
ハリコフ駅は 雪の中
東へ進む 兵の列は 誰も無口で
砲声だけを聞いている』
白井の目の前に、津軽の海ではなく、果てしなく続くロシアの凍土が幻視された。鉛色の空、凍てつく大地、そして死の行軍。
『――自分もひとり 連絡線まもり
こごえそうなPAKみつめ
泣いていました
ああ スターリングラード 冬景色』
「PAK」とは、ドイツ軍の対戦車砲(Panzerabwehrkanone)のことである。
圧倒的な質量で押し寄せるソ連軍の戦車群(T-34の群れ)を前に、凍りついた鉄塊にしがみつく兵士の孤独。オデッサ氏の歌声は、涙を誘う演歌の旋律に乗せて、東部戦線の地獄を克明に描き出していく。それは単なるパロディではない。歴史の闇に葬られた無名兵士たちの慟哭であった。
『――ごらんあれがドンの流れ 北のはずれと
見知らぬ戦友が 指をさす
息でくもる双眼鏡を ふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけ』
そして、サビにおいて、その悲壮感は頂点に達した。
『――さよならドイツ 自分は帰りません
吹雪く音が胸をゆする
死ねとばかりに
ああ スターリングラード 冬景色』
歌い終えたオデッサ氏は、ハンカチで目頭を押さえた。それは演技ではない。数十万の将兵と共に、ヴォルガの河畔の雪原に散った魂への、真摯なる鎮魂であった。
「……少年。今の歌の意味がわかるか。」
オデッサ氏は静かに、しかし熱を込めて語り始めた。
「一九四二年、冬。スターリングラード攻防戦。パウルス将軍率いる第六軍は、ヒトラーの理不尽な死守命令と、ジューコフ元帥率いるソ連軍の『ウラヌス作戦』による二重包囲網によって完全に孤立した。『空の架け橋』と謳われた空輸作戦も失敗し、補給は絶たれ、飢えと寒さが兵士を襲う。零下三十度の極寒の中、彼らは凍った馬肉を食らい、最後には革ベルトまで煮て喰らったという。」
彼は地図を空中に描くように指を動かす。
「私が許せぬのは、赤軍どもの戦術だ。彼らのとった人海戦術は、人間を人間とも思わぬ悪魔の所業だ。督戦隊を組織し、自軍の兵士の背後にも機銃を構え、『一歩でも退けば撃ち殺す』と脅して突撃させたのだ。個人の尊厳など欠片もない。あるのは『党』という名の巨大な歯車と、それを回すための燃料としての人間だけだ。」
オデッサ氏の双眸に、青白い炎が宿る。
「いいか、少年。戦争は悲惨だ。だが、それ以上に、**共産主義**という思想がもたらす災厄は、人類の精神を根底から破壊する。彼らは歴史を改竄し、伝統文化を破壊し、個人の自由な魂を圧殺する。私の愛する『美』や『夢』、そして『萌え』といった概念とは、最も遠い場所にいる連中だ。故に、私は断言する。共産主義は撲滅しなければならない、と。」
その解説は、戦史の講義でありながら、同時に強烈な思想教育であった。
『ミンキーモモ』で描かれた純粋な夢の世界と、『スターリングラード』で描かれた冷酷な現実。
この二つを対比させることで、「夢を守るためには、悪夢のような敵と戦わねばならぬ」という結論へ、白井を誘導したのである。
白井は、オーバーヒートした脳髄の奥底で、何かがカチリと音を立てて噛み合うのを感じた。
(そうだ……。私の愛する少女たち、無垢な『さざれ石』たちを守るためには、世界を赤く染め、個を抹殺しようとする輩を許してはおけない……! 私のロリコンという属性は、自由主義陣営の最前線にあるのだ!)
終章 三重奏の夜明け
白井は、憑き物が落ちたような顔で、震える手でマイクを取った。
逃げるわけにはいかない。この「怪人」たちと対等に渡り合うには、自分もまた、魂を曝け出さねばならぬ。
白井が入れた曲は、**『To Heart』**の主題歌であった。
「……聴いてください。私の、魂の叫びを。」
彼が歌い出すと、寺石がニヤリと笑い、オデッサ氏が満足げに頷きながら手拍子(それは軍行進曲のリズムであったが)を始めた。
狭いカラオケボックスの中で、軍服と、学ランと、マントの男たちが、美少女ゲームの主題歌を大合唱する。
それは、世間から見れば地獄絵図以外の何物でもなかったが、彼らにとっては、世代と立場を超えた「業」が共鳴し合う、美しき**三重奏**の夜明けであった。
白井は、この日、真の意味で「こちらの世界」の住人として、そして「愛と幻想の戦士」として、二度目の洗礼を受けたのである。




