鉄十字の怪人と人形の微笑――あるいはSF大会における魂の核融合
第一章 混沌の祭典と真夏の熱病
夏。
日本の夏は、湿気と熱気、そしてある種の精神的発酵を促す狂気が入り混じる季節である。
その年、地元・大阪で開催された**「日本SF大会」は、まさにその狂気の頂点であった。会場となるホールには、宇宙人、未来人、異世界人、そして彼らに扮した有象無象の群衆が押し寄せ、熱気は飽和点を超えていた。その騒乱は、恰も、現世の論理が一時的に停止し、想像力の澱が沸騰して溢れ出したかの如き様相を呈していた。参加者たちは、謂わば現実という名の重力から逃れようとする「知的な亡命者」の群れであり、会場全体が、時間と空間の法を無視した、巨大な「精神的解放区」**と化していたのである。
この百鬼夜行の只中を、寺石は一人、巡礼者の如き厳粛な足取りで歩いていた。
彼は、この祭典を単なる大衆的エンターテインメントとは見なしていない。ここは、個人のリビドーが社会の枷を外して暴走することが許される、唯一の聖域である。しかし、周囲のコスプレイヤーたちの装いは、寺石の目にはいささか「軽薄」に映った。
「嘆かわしい。彼らは衣装を着ているのではない。衣装に着られているのだ。己の存在を根底から顚倒させ、虚構を血肉化せんとする覚悟、即ち**『狂気への献身』**が決定的に不足している。」
そう独りごちた時である。
雑踏が割れ、モーゼが紅海を分かつが如く、一人の男が歩いてくるのが見えた。
その瞬間、寺石の全身に、高圧電流ごとき衝撃が走った。魂の震えは、物理的な戦慄となって彼の四肢を駆け抜けた。
第二章 オデッサという名の不条理なる実在
その男は、完璧であった。
身に纏うは、第二次大戦下のドイツ国防軍、あるいは親衛隊(SS)を思わせる、フィールドグレーの軍服。
それは、舞台演劇の小道具のような安っぽい紛い物ではない。生地の重厚なる質感、勲章の一点一画にまで及ぶ厳密な配置、革ベルトが帯びた数十年という時間の年季に至るまで、あたかも歴史の断層からそのまま剥離して現れたかのような、圧倒的な**「実物感」を放っていた。それはもはや衣装ではなく、一つの「歴史的化石」**が現代に蘇った如き、不気味なまでの説得力を伴っていた。
着ている男は、ロマンスグレーの髪を端正に撫で付けた、初老の紳士。その背筋は鋼鉄の支柱を埋め込んだ如く垂直に伸び、眼鏡の奥の眼光は、獲物を狙う鷲の如く鋭く、かつ深遠なる虚無を湛えていた。
「……本物だ。」
寺石は息を呑んだ。「彼にとって、この軍装は仮装ではない。自らの魂を規定するための、第二の皮膚なのだ。」
男の名は、通称オデッサ。
日本有数のアドルフ・ヒトラー研究家であり、在郷軍人会の理事という重厚なる肩書きを持ちながら、SFとアニメをこよなく愛する、界隈の生ける伝説である。
そして、何より異様であったのは、その剛健なる軍人の腕に抱かれた存在であった。
冷徹なる鉄の規律を象徴する、その逞しき腕の中には、フリルを纏った可憐なるフランス人形、**「マリーちゃん」**が、無垢にして虚無的な瞳で鎮座していたのである。
**「鉄と血」の象徴たる軍服と、「愛と夢」の象徴たる少女人形。
この絶対矛盾的自己同一を、男は一片の迷いもなく、至極当然の風景として体現していた。そこには「照れ」や「衒い」といった俗な感情は微塵もなく、ただ圧倒的な「不条理の調和」**が立ち現れていた。
第三章 鋼鉄の咆哮と魔法の旋律
寺石の脳裏に、この男にまつわる、もはや伝説というよりは神話に近い「実話」が、奔流のように蘇る。
それは、東京は有明の地で開催される世界最大の同人即売会、コミックマーケットにおける、空前絶後の一幕であった。
その日、会場周辺を警備する警官隊と、入場を待つ数万の群衆は、地平の彼方から響く異様な轟音を耳にした。
現れたのは、漆黒の塗装に覆われた、威圧感に満ちた街宣カーの隊列である。
本来であれば、それは峻烈な国家主義的スローガンを叫び、軍歌を轟かせるべき「鉄の塊」である。しかし、その巨大なスピーカーから、空気を震わせて漏れ出したのは、人々の理性を粉砕し、世界の秩序を根底から揺るがす調べであった。
『――ピピルマ ピピルマ プリリンパ……♪』
あろうことか、オデッサ氏は配下の右翼青年たちを統率し、街宣車から**『魔法のプリンセス ミンキーモモ』**の主題歌を、物理的な破壊力を伴う大音量で流しながら、有明の聖地へと乗り付けたのである。
「国を憂うる意志」と「可憐なる幼女への至高なる愛」が、黒塗りの装甲という圧倒的な質量を伴って合一したその瞬間、会場の空気は氷点下まで凍りつき、直後に熱狂的なる混乱へと顚落した。それは政治とサブカルチャーという、本来決して交わらぬはずの二つの極北が、オデッサという特異点を通じて強引に短絡させられた瞬間であった。
この男の行動は、国家権力の監視網さえも無力化せしめた。
公安の捜査官たちは、彼の思想を危険視し、電話を盗聴し、その一挙手一投足を記録し続けていた。しかし、彼らは記録された音声記録を前に、連日連夜、頭を抱えることとなった。
『……いいか、あそこの作画崩壊は断じて許容できん。第三話のコンテを切ったのは誰だ? ……うむ、マリーちゃんもこれには激怒しているぞ。』
『……今度の即売会だが、東館の制圧作戦には、重層的な機動力が必要だ。パンツァー・フォア!』
捜査官たちは戦慄した。
「コンテ? サクガホウカイ? 東館制圧作戦……これは、既存の暗号体系では解読不能な、高度な**政治的暗号**に違いない!」
彼らは徹夜でオタク用語の解析に奔走したが、それが単なるアニメの批評と、イベントの行列対策であるという「あまりにも純粋な真実」に辿り着くことは、永遠になかった。オデッサ氏は、自らの「業」を貫き通すことで、国家権力という巨大な論理装置すらも、天然の撹乱者として煙に巻いてしまったのである。
第四章 三島由紀夫と血脈の共鳴
寺石は、吸い寄せられるように男の前に立った。
男――オデッサ氏は、足を止め、寺石を見下ろした。寺石の纏うボロボロの軍用マントと、ポケットからはみ出した電子部品を一瞥し、フッと、慈愛と狂気が混じり合った微笑を浮かべた。
「……いい面構えだ、少年。貴官のそのマント、ただの布切れではないな。何らかの峻烈なる信念を感じるぞ。」
「はッ!」
寺石は、反射的に直立不動の姿勢をとり、あろうことかナチス式の敬礼ではなく、大日本帝国海軍式の敬礼を返した。
「閣下! 私は科学による世界征服を夢見る者、寺石であります! 吾妻大先生の作品群において閣下の御尊顔を拝し奉りて以来、いつかこの邂逅が訪れることを予期しておりました。」
「ほう。アズマ的なるものの理解者か。……ふむ。」
オデッサ氏は、寺石の双眸を覗き込み、懐かしむような眼差しを向けた。
「それにしても、少年。君のその眼光……かつて私が若かりし頃、舞台考証を担当したある劇作家の眼差しに、どことなく似ている。」
「劇作家……でありますか?」
「うむ。三島由紀夫先生だ。楯の会の制服ではないが、彼の美学に基づいた軍装や小道具の考証を任されたことがあってな。あの純粋すぎて狂気すら孕んだ瞳……君にはそれがある。」
その名が出た瞬間、寺石の身体が凍りついた。
「なッ……三島……由紀夫……!?」
寺石の声が上ずる。運命の歯車が、轟音を立てて噛み合う音が聞こえた。
「閣下、それは真ですか? ……奇遇という言葉では片付けられません。実は、私の大叔父は、学習院時代において三島先生に教鞭を執り、その精神形成に多大なる影響を与えた師(あるいは盟友)にあたる人物なのです!」
今度は、オデッサ氏が目を見開いた。
「なんと……! あの大叔父御の血縁か! どうりで……その若さにして『憂国』の情と『耽美』の毒を、骨髄にまで宿しているわけだ!」
その瞬間、二人の間に、目に見えぬ火花が散った。
それは、単なるオタク同士の共感を超えた、血と歴史が織りなす**「右翼的シンパシー」の爆発的増幅であった。
三島由紀夫という昭和の巨星を介し、軍装の怪人と、マントの少年は、時空を超えた「同志」**として結ばれたのである。
「……わかるか、少年。不条理とは混沌ではない。それは、あまりにも厳密すぎる論理が、現実の壁を突き破った後に訪れる『純粋な空白』なのだ。私がこの軍服を着るのも、三島先生が肉体を鍛えたのも、根は同じ。己の精神を律し、常に『死』と『美』の緊張感の中に身を置くための、重厚なる拘束具なのだよ。」
「拘束具……! わかります! 痛いほどに!」
寺石は感涙に咽んだ。「それは私がマルチというメイドロボットの瞳の奥に見出す、冷徹なる電子の愛と同じ地平にあります!」
寺石は悟った。この男こそ、自分がかつて「秘密の正典」の中で夢想した、現実という名の牢獄を破壊し、虚構と事実を等価として扱う「至高の賢者」であると。
「ついて来い、少年。……いいミリタリーショップ、そしてさらに深い『不条理』の溜まり場を知っている。マリーちゃんも、君の血統を気に入ったようだ。」
「イエス・サー! 地獄の果てまで、閣下の外套の端を掴んで参ります!」
雑踏の中、軍服の紳士とマントの少年が並んで歩き出す。
その背中は、周囲のSFファンたちから見れば異様そのものであったが、彼らにとっては、至福の凱旋行進の始まりであった。
寺石はこの日、人生における最大の盟友にして師を得て、その狂気をより洗練された「体系的不条理」へと進化させることとなるのである。二人の歩調は、あたかも水木しげるの筆致による軍靴の音の如く、重々しく、かつ滑稽に、真夏の空の下に響き渡った。




