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白井紫影の憂鬱  作者: ドクター・減る


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吉野の魔境と断崖の懺悔――あるいはカトリックと修験道の悪魔合体

第一章 異教への遠足


 聖交学園は、形式上はカトリックのミッションスクールである。

 毎朝の祈り、聖書の授業、そして定期的なミサ。それらは生徒たちの生活を律する枠組みとして機能していたが、悲しいかな、「ちんちくりんの七変」の面々において、敬虔けいけんなるクリスチャンは一人も存在しなかった。

 彼らの信仰対象は、二次元の美少女か、電子回路か、あるいは古代の土器であり、イエス・キリストはその上位概念として「一応尊重する」程度の存在に過ぎない。


 ある時、寺石が唐突に提案した。

 「吉野へ行くぞ。」

 彼は地図を広げ、奈良県の深南部、紀伊山地の霊場を指差した。

 「我々の精神は、近頃の都会生活と萌え文化によって弛緩しかんしきっている。ここは一つ、日本古来の荒ぶる神、**役行者えんのぎょうじゃ**が開闢かいびゃくした修験道の聖地において、魂の洗濯をせねばならぬ。」


 「また貴様の思いつきか……」と白井紫影は呆れたが、寺石には勝算があった。

 「安心しろ。宿の手配は済んでいる。吉野の奥千本にある宿坊だが、そこの住職は、我らが聖交学園の**大先輩(OB)**なのだ。」


第二章 十字架を背負う山伏


 ケーブルカーを乗り継ぎ、桜の季節も過ぎた青葉の山道をあえぎながら登ること数時間。

 一行が辿り着いた宿坊は、杉木立の中にひっそりとたたずむ、古色蒼然こしょくそうぜんとした構えであった。

 その本堂の祭壇には、驚くべき光景が広がっていた。不動明王の猛々しい像の隣に、あろうことか慈悲深い聖母マリア像が安置され、護摩ごまの炎が十字架を照らしているのである。神仏習合ここに極まれり。


 出迎えたのは、法螺貝ほらがいを腰に下げ、頭には頭襟ときんと呼ばれる小さな帽子を載せた、紛れもない山伏やまぶし姿の巨漢であった。


 「よう来たな、後輩ども! ここが地獄の一丁目、いや、天界への入り口ぞ!」


 この男こそ、宿坊の主、**権現ごんげん**先輩(仮名)である。

 彼の経歴は数奇を極めていた。

 聖交学園でカトリックの洗礼を受け、推薦でカトリックの総本山・**上智大学ソフィア**へ進学し、神学部で西洋神学を修めた後、突如として実家であるこの宿坊を継ぎ、修験者となったのである。

 即ち、彼の脳内には、キリスト教神学と密教、そして古神道が、渾然一体こんぜんいったいとなって渦巻いているのだ。


 「さあ、まずは礼拝だ。……アーメン、ソーワカ!」


 「……混ざっとる。」

 鷹が小声で突っ込むが、先輩の迫力に気圧され、彼らは白装束に着替えさせられた。


第三章 西の覗きと公開処刑


 翌朝、彼らを待っていたのは、修験道における最も過酷、かつ演劇的な修行、**「西ののぞき」**であった。

 断崖絶壁から身を乗り出し、命綱一本を他人に預け、谷底を覗き込むことで過去の悪行を懺悔ざんげし、生まれ変わるという儀式である。


 「さあ、最初は誰が行く? ……よし、そこの一番ひ弱そうな眼鏡、上松! 貴様だ!」


 「ひ、ひいいッ!」

 上松は抵抗虚しく、屈強な先達せんだつたちによって足首を掴まれ、千尋せんじんの谷底へと吊るされた。眼下には遥か彼方の樹海が広がり、落ちれば即ち死である。


 「懺悔せよ! 貴様は何を隠している!」

 権現先輩が崖の上から詰問する。

 上松は泣き叫んだ。

 「ご、ごめんなさいぃぃ! 生徒会のサーバーに侵入して、期末テストの予想問題盗み見ましたぁぁ!」

 「よし、次! もっとあるだろう!」

 「『きみはきらり』を……保存用と言って二冊買ったけど、本当は片方を切り抜いて下敷きにしましたぁぁ!」

 「……みみっちい罪だ! 引き上げろ!」


 続いて、白井紫影の番である。

 武術で鍛えた彼も、重力という絶対的な物理法則の前には無力であった。逆さ吊りにされ、世界が反転した瞬間、金玉が縮み上がるのを禁じ得なかった。


 「白井よ! 貴様の業を吐き出せ! デウスも、蔵王権現ざおうごんげんも見ておられるぞ!」

 先輩の声が響く。


 白井は、血が頭に上る中で絶叫した。

 「わ、私は……! ロリコンですッ!!」


 「知っておる! もっと深い闇を吐け!」


 「イエス・ロリータと言いながら……! 実は、幼稚園バスとすれ違う時、窓の中を凝視して、動体視力の訓練をしていましたぁぁッ!!」


 「……貴様、それは通報案件ギリギリだぞ! だが、その正直さに免じて許す! エゴ・テ・アブソルボ(我、汝を赦す)!!」


 先輩は、あろうことかカトリックのゆるしの秘跡の文言を叫びながら、白井を引き上げた。


第四章 滝行と煩悩の逆流


 次なる修行は、山奥の瀑布ばくふにおける滝行であった。

 雪解け水を含んだ冷徹な水流が、脳天を直撃する。

 「無心になれ! 煩悩を洗い流せ!」先輩が錫杖しゃくじょうを鳴らす。


 しかし、白井にとって、この滝行は予期せぬ効果をもたらした。

 極寒の水に打たれ、意識が朦朧もうろうとする中で、彼の脳裏から煩悩が消えるどころか、逆に鮮明化したのである。

 水飛沫みずしぶきが、愛する二次元少女たちの輝く汗に見え、轟音が彼女たちの喝采かっさいに聞こえる。

 (……見える。見えるぞ、マルチが! あかりが!)

 極限状態に置かれた脳は、生存本能と性癖を直結させ、幻覚ビジョンを見せ始めたのだ。


 「おお……! ありがたや、ありがたや!」

 白井は滝の中で合掌し、恍惚こうこつの表情で念仏を唱え始めた。

 それを見た先輩は、「見ろ、彼こそ真の行者だ」と誤解して涙ぐんだという。


終章 精進料理と般若の宴


 その夜の夕食は、精進料理であった。

 肉や魚を使わぬ質素なぜんであるが、極限まで肉体を酷使した彼らには、五臓六腑に染み渡る御馳走であった。

 そこへ、権現先輩が一升瓶を抱えて現れた。ラベルには筆文字で**「般若湯はんにゃとう」**と書かれている。


 「修行ご苦労。これは、キリストの血であり、仏の智慧の水である。」


 注がれたのは、白濁した液体であった。

 「先輩、これ……お酒では?」

 と蛮座が常識的に指摘しかけるが、先輩は豪快に笑い飛ばした。


 「馬鹿者! これは**『お米のエスプレッソ』だ! あるいは、発酵という名の神の奇跡を経た聖水**である! 未成年が酒を飲むのは法に触れるが、神の恵みを体内に取り込むことは信仰の自由だ。……さあ、飲め! 魂を解放せよ!」


 その強引極まりない神学解釈に気圧され、彼らは恐る恐る杯を口にした。

 甘く、そして喉を焼くような熱さ。

 それがアルコールであったか、あるいは極度の疲労と高揚感がもたらしたプラシーボ効果であったのか、定かではない。

 しかし、その液体を口にした瞬間、彼らの脳髄はパカンと開き、一種の集団トランス状態へと突入した。


 寺石は立ち上がり、空に向かって「帝国海軍万歳!」と叫びながら、見えざる指揮棒を振るった。

 鷹は、「サンクスフレンズ……」と呟きながら、畳の上で優雅に舞い始めた。

 マスターKは、天井の木目を指差し、「精霊が……パーティーを求めている」と予言した。


 「そうだ! その調子だ!」

 権現先輩もまた、法螺貝を吹き鳴らし、カオスをあおる。

 「聖交の精神とは、即ち**『汝の隣人を愛し、かつ己の趣味を愛せ』**ということだ! ソフィアで学んだ神学も、吉野の山岳信仰も、結局はそこに行き着く! 悩むな若人よ! そのごうの深さこそが、お前たちの才能なのだから!」


 夜更けまで、山伏の先輩と、トランス状態の高校生たちは、神と仏とアニメと特撮について語り明かした。

 断崖から覗いた谷底の恐怖も、滝行の冷たさも、全てはこの熱狂のうたげの序章に過ぎなかったのかもしれない。


 翌日、下山した彼らの足取りは、心なしか千鳥足……いや、浮世離れした軽やかさを帯びており、その瞳は、一段高い場所から世俗を見下ろすような、傲慢で清々しいものになっていたという。

 彼らは知ったのだ。信仰とは、理屈ではなく、熱狂であることを。

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