細石(さざれいし)の育成論と国家の重奏――あるいは国歌に秘められたる究極の愛
第一章 斉唱の違和感と聖なるニヤつき
それは、全校集会における国歌斉唱の最中であった。
体育館の蒸し暑い空気の中、千人の男子生徒が野太い声で「君が代」を歌う。その重低音は、さながら地獄の底から響く怨嗟の如く、あるいは戦場へ向かう歩兵の行進歌の如く、陰鬱にして力強い響きを持っていた。
しかし、その集団の中にありて、白井紫影は隣に立つ友人、寺石の様子が、決定的に常軌を逸していることに気づいた。
寺石は、直立不動の姿勢を保ちながら、滂沱の涙を流していた。
愛国心の発露か? 否。もしそうであれば、その表情はもっと引き締まり、決意に満ちているはずである。だが、彼の眼鏡の奥の瞳は、蕩けるような甘美な光を宿し、口元に至っては、微かに、しかし確実にニヤついていたのである。それは、聖母像を見上げる信者の顔でもなければ、国旗を仰ぐ兵士の顔でもない。強いて言うならば、丹精込めて育てた鉢植えが開花するのを眺める、老庭師の如き慈愛と、ある種の背徳的な満足感が混淆した、得体の知れぬ表情であった。
放課後の部室。白井は、得も言われぬ不気味さを感じ、寺石を問い詰めた。
「寺石よ。貴様の愛国心は疑わぬ。右翼思想を持つ貴様が国歌に涙するのも分からぬではない。だが……今の国歌斉唱、何か不純な念が混じってはいなかったか? あの時、貴様は何を想っていた?」
「失敬な。」
寺石はハンカチで眼鏡を丁寧に拭きながら、心外だと言わんばかりに答えた。
「私は感動していたのだ。古今和歌集より採られたこの歌詞が、如何に我々の**『業』**を美しく、そして正しく肯定しているかに。日本という国は、つくづく我々に優しい国だと痛感してな。」
「……は?」
白井は、嫌な予感に「ちょっと待て」と手を突き出した。背筋に冷たいものが走る。「まさか貴様、国歌にまで独自の解釈を……いや、その『業』というのは、まさか……」
第二章 細石の地質学的メタファー
寺石は、ニヤリと笑うと黒板に向かい、チョークで「さざれ石」と大きく、力強く書き殴った。粉が舞い、彼のマントに降りかかる。
「白井よ。講義を始めよう。『さざれ石』とは何か。それは文字通り、『細れ石』、即ち河原に転がる小さき小石のことだ。」
寺石の論理が、ブレーキの壊れた機関車の如く滑走を始める。
「この小さき石が、長い年月をかけて集まり、堆積し、石灰質の作用によって結合し、やがて巨大な**巌**となる。これは学術的には『礫岩』と呼ばれる現象だが……このプロセスを、我々の文脈で何と呼ぶ?」
「それは……堆積、あるいは成長……」
「然り! 成長だ! そして育成だ!」
寺石は熱弁を振るう。指し棒が黒板を叩く音が、狂気のメトロノームのように響く。
「『君が代』の本質は、現状維持ではない。小さく未熟なものが、悠久の時を経て立派な姿へと変貌する様を、『苔のむすまで』、即ち植物が繁茂し生態系が完成するほどの永遠に近い時間軸で見守り続けるという、気の遠くなるような**『愛の持続』**を歌っているのだ!」
白井は息を呑んだ。寺石の言葉が、彼の脳内のシナプスを強引に繋ぎ変えていく。
「つ、つまり……? それは、国家の繁栄を祈る歌では……」
「無論そうだ。だが、ミクロの視点で見れば、これは**『育成シミュレーション』の極致なのだよ!」
寺石は断言した。
「我々が愛する『幼きもの(さざれ石)』が、長い時間をかけて大人(巌)になる。その過程において、我々は干渉しない。ただ慈しみ、見守り、苔がむすほどの時を共に過ごす。これぞ、貴様が掲げる『イエス・ロリータ、ノー・タッチ』の精神的支柱であり、赤井孝美氏が生み出した名作『プリンセスメーカー』**というゲームが目指した『父性』の究極形ではないかッ!」
寺石はそこで一息つくと、まるで己の人生における最大の功績、あるいは国家勲章にも匹敵する武勇伝を語る将軍の如く、胸を張り、言葉に万感の力を込めて語り出した。
「事実、私はかつてあの名作が世に出た際、最初の一回目の遊戯において、世の凡百のプレイヤーたちが目指し、涙する**『プリンセス(王子の伴侶)』ではなく、その遥か上を行く至難の隠しエンディング、『女王』**へと娘を導いた実績がある。当時の私は、攻略本はおろか、ネットの情報など皆無の状態であった。私はただ、己の魂が囁く『父性』という羅針盤のみを頼りに、処女航海へと乗り出したのだ。」
白井がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。寺石は続ける。
「多くの者は、娘を可愛がり、甘やかし、あるいは王子の好みに合わせようとする。だが私は違った。気品、色気、知力、武勇、そして道徳。娘の持つ全ての可能性を極限まで高め、男に選ばれる『客体』ではなく、国を統べる『主体』として育て上げたのだ。これは偶然ではない。私の魂が、育成の本質を――即ち、愛玩動物として囲うことではなく、君臨し統治する者としての資質を、娘の内に見出し、開花させた必然の結果なのだ。」
寺石は、白井の鼻先に鋭く指を突きつけ、断罪するが如く告げた。
「わかるか、白井。性的な接触などという刹那的な快楽は、未だ固まらぬ『さざれ石』を、己の卑小な欲望で砕くごとき野蛮な行為に過ぎぬ。真の愛とは、相手が『巌』となり、苔がむすほどの威厳と歴史を纏い、**『女王』**たる風格を備えるその日まで、指一本触れずに魂を注ぎ込み続ける、忍耐と献身の歳月にこそあるのだ!」
第三章 一千年の片思いと国家公認の応援歌
白井の脳裏で、何かがガラガラと崩れ、そして荘厳な音を立てて再構築された。
厳かなる国歌が、突如として**「至高の純愛ソング」**へと変貌を遂げたのである。君が代の旋律が、あたかも美少女ゲームのエンディングテーマの如く、優しく、切なく響き始める。
「そ、そうか……。千代に、八千代に……。」
白井は震える声で歌詞を反芻した。その言葉の意味が、色彩を帯びて迫ってくる。
「それは、単なる長寿の祝いではない。**『貴女が大人になるまで、私は一千年でも八千年でも、決して貴女を見捨てず、待ち続けよう』**という、時空を超えた愛の誓い……! なんと……なんと気の長い、そして献身的な……!」
「その通りだ。」寺石は深く頷く。「触れる愛など下等だ。消費して終わる愛など獣の所業だ。見守る愛こそが至高。天皇陛下の御代を言祝ぐこの歌は、同時に、全ての『小さきもの』を愛で、その成長を祈る者たちへの、**国家公認の応援歌**でもあったのだ。我々は、国歌を歌うたびに、この高潔なる誓いを新たにしているのだよ。」
「おお……おおお……ッ!!」
白井は、その場に崩れ落ち、男泣きに泣いた。
これまで、後ろめたさを感じながら、あるいは「右翼的だ」と忌避しながら歌っていた国歌が、今や彼の魂を震わせ、その歪んだ性癖さえも包み込む、聖なる旋律となって響き渡る。
日本という国は、なんと懐が深いのか。
古の歌人・読人知らずは、一千年も前から、現代のロリコンたちが抱える孤独な戦いと葛藤を予見し、励ましてくれていたのか。
以来、白井紫影が歌う「君が代」は、周囲の生徒が引くほどの、凄まじい熱量と湿り気を帯びるようになったという。
彼が「さざれぇ~いしぃの~」と朗々と歌う時、その脳裏には、天皇陛下の御真影と共に、成長を見守るべき数多の「小さきヒロイン」たちの笑顔が、走馬灯の如く駆け巡っているのである。その姿は、端から見れば滑稽な変質者であるが、本人にとっては、誰よりも真摯な愛国者にして求道者なのであった。




