鉄路の賢人と電撃の恋人――あるいは蛮座(ばんざ)の肖像
由来と知の重鎮
蛮座。
この名は、その精神が目指す「野蛮なる知の王座」を暗示している。
聖交学園の喧騒の中にありて、彼の書鞄は常に異様な質量を湛えていた。そこには、少年たちの通俗的な娯楽である『うる星やつら』の単行本が、あろうことかマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や、ドイツ帝国鉄道の複雑怪奇な運行図表を記した分厚い洋書と、何ら矛盾することなく同居していたのである。
彼が背負う運命は、単なる一学生のそれではない。将来、ベルリンの地において「鉄路の記憶」を紐解き、欧州経済史の深淵にその名を刻むことになる未来の碩学としての、重厚なる前兆であった。
風貌:憂いを帯びたロマン派の末裔
蛮座は「七変」の中にあって、最も洗練された、しかし最も「底の知れぬ」風貌をしていた。
理知的な眼鏡の奥に宿る瞳は、常に遠きプロイセンの平原を、あるいは友引高校の喧騒を交互に映し出し、太宰治や芥川龍之介を愛読する繊細な文学青年の佇まいを見せる。一見すれば、彼は秩序を重んじる「良識の徒」に見えたであろう。
しかし、その実体は、十九世紀ドイツロマン派が抱いた「無限への憧憬」と、ラムちゃんの放つ高圧電流に身を焼かれるマゾヒスティックな陶酔とを、一つの神経系の中に同居させるという、驚くべき精神的離れ業を演じていた。彼は、鉄道という「絶対的な秩序」と、ドタバタラブコメが象徴する「無機質な混沌」の双方を、同一の美的価値をもって愛でるという、稀有にして歪な精神の所有者であった。
知性:ドイツ鉄路への偏愛と学術的昇華
蛮座の語る言葉は、常に学術的な重みと詩的な飛躍を孕んでいた。
「見よ、白井。このドイツの蒸気機関車の動輪、その無慈悲なまでに洗練された機能美を。ここにはゲルマン魂の神髄、すなわち質実剛健なる国家理性が宿っているのだ。」
彼は、鉄道網の敷設が如何にプロイセンの富国強兵を支え、分裂した諸邦を一つの「ドイツ」へと統合していったかを、血を吐くような熱量で説いた。その知性は既に高校生の域を遥かに凌駕し、後に彼が執筆することになる大著**『ドイツ鉄道の世紀』**の原型を、その脳髄の中で既に完成させていたのである。
彼にとって鉄道とは単なる輸送手段ではない。それは「時間」と「空間」を合理性という鎖で繋ぎ止める、人類の意志の結晶であった。
外交官の仮面:ベルリンの月と駐在官の孤独
蛮座の人生は、やがてその知性が招くべくして招いた「公的なる使命」へと接続される。 彼は成人した後、旧帝國大学経済学部の教授として教壇に立つ傍ら、日本国政府の命を受け、ドイツ・ベルリン大使館に一等書記官(駐在官)として赴任する。 昼間、彼は燕尾服に身を包み、日独経済外交の最前線において、冷徹な論理と流暢なドイツ語を駆使して国益を守る。プロイセンの古き伝統が息づく外交の世界において、彼は「東洋から来た賢者」として、ドイツの紳士たちからも一目を置かれる存在となった。 しかし、ベルリンの冬の夜、大使館の重厚な書斎において、彼は独り、かつての「友引高校」の喧騒を幻視していた。 外交官という堅牢な仮面の裏側で、彼は今なお、理不尽な電撃に打たれ、不条理なドタバタに巻き込まれることを、心の底から渇望していたのかもしれない。この「公的なる秩序」と「私的なる狂気」の反復横跳びこそが、蛮座という男のアイデンティティ(自己同一性)を支える枢軸であった。
矛盾する業:電撃と論理の弁証法
蛮座の最大の「業」は、その高潔な経済学的知性が、なぜか**「ラムちゃん(鬼族の宇宙人)」**という一人の異形を前にすると、悉く瓦解し、あるいは高度に再構築されるという点にある。
彼は真顔でこう論じ、周囲を戦慄させた。
「諸星あたるの絶えざる浮気性は、未成熟な自由市場における情報の非対称性が招く『モラル・ハザード』の象徴だ。対してラムの放つ電撃は、市場の失敗を即座に是正し、一途なる均衡状態(ナッシュ均衡)へと強制回帰させる、超法規的な国家的介入の隠喩である。」
寺石ですら「……貴様、それは病気だぞ」と引くほどのこの解釈は、しかし蛮座にとっては、ドイツ鉄道の正確無比な運行ダイヤと同じくらい、「揺るぎない世界の真理」であった。
「秩序」と「情熱」。
この相容れぬ二本のレールを平行に走らせながら、蛮座という名の特急列車は、現代日本の知の地平を、今もなお豪快に、そして孤独に疾走し続けているのである。




