黒猫の幻影と妹という名の病――あるいは呪われし縁の系譜
第一章 電脳の井戸端会議
白井紫影の中に棲まう、内なる乙女**「きらら」**が、深夜のチャットルームという名の社交場で、またしても無自覚な種蒔きを行っていた頃の話である。
今宵の話題は、彼女(彼)の友人である、ある男の奇妙な境遇についてであった。
『ねえ聞いてよ。ウチの学校にTくんっていう、ちょっとキザな男の子がいるんだけどね。』
きららは、現実世界の友人・鷹のことを、面白おかしく語り始めた。
『彼ってば、本当にズルいの。自分は絵が上手いくせに、家に帰れば超美人の妹がいるんだって! しかも二人も! 毎日「お兄ちゃん」って呼ばれてるのよ? 信じられる?』
画面の向こうの住人たちが「爆発しろ」「都市伝説だ」と騒ぐ中、一人のハンドルネーム、仮に**「十三番目の猫」**としておこう、彼だけは沈黙を守りつつ、食い入るように質問を投げかけてきた。
『……その妹は、兄に対してどのような態度を取るのですか? ツンデレですか? それとも敬愛?』
きららは答える。
『うーん、Tくんの話だと、結構ドライみたいよ。でも、Tくんにはもう一人、とんでもない彼女がいるの。』
第二章 妖怪バンドの歌姫
きららの指先が、キーボードの上で軽やかに舞う。
『その彼女、**「物怪寮」っていうインディーズバンドのボーカルなんだけどね。芸名が「猫又」**っていうの。いつも黒いゴスロリみたいな服を着てて、歌詞も妖怪とか呪いとかばっかり。でも、すっごく美人で、Tくんのこと「主」って呼ぶんだって!』
それは、鷹の恋人である猫又のことであった。
「物怪寮」というバンド名は、当時一部でカルト的な人気を誇っていた妖怪ヘヴィメタルバンドを強く意識したものであり、そのボーカルのスタイルもまた、妖艶なる歌姫を彷彿とさせるものであった。
『……黒い服の、猫のような歌姫。そして、美人の妹。』
「十三番目の猫」の反応は劇的であった。
『素晴らしい……! その設定、あまりにも完成されている。現実にそのような属性の過積載が存在するなど、事実は小説より奇なり、いや、小説の敗北だ。』
きららは無邪気に笑った。
『でしょー? Tくんたら、本当に人生の主人公みたいなんだから!』
彼女は知らなかった。
その夜、彼女が語った「妹」と「猫」という二つのキーワードが、画面の向こう側の青年の脳内で化学反応を起こし、やがてライトノベル界を一変させる巨大なムーブメント、すなわち**「妹萌え」**の金字塔を打ち立てる礎となろうとは。
第三章 書店の戦慄・再来
時は流れ、白井紫影が成人してからのことである。
彼は書店のライトノベルコーナーで、平積みされた一冊の本に釘付けになっていた。
タイトルは**『妹がこんなに属性過多なわけがない』。
著者は猫見ツカサ**。
白井は、その表紙に描かれた勝気そうな少女と、ページを捲った先に現れた、もう一人のヒロインの姿に息を呑んだ。
黒いゴスロリ衣装。
ハンドルネームは**「夜猫」**。
そして、彼女は同人活動を行い、妖のような設定を好む。
(……こ、これは。)
白井の脳裏に、かつての鷹の恋人、猫又の姿がフラッシュバックする。
そして、深夜のチャットルームで「十三番目の猫」に語った、あの夜の会話が蘇る。
「まさか……いや、考えすぎだ。物怪寮の猫又氏は界隈では有名だ。誰がモデルにしてもおかしくない。」
白井は必死に否定しようとした。
しかし、その「夜猫」が主人公の妹と奇妙な友情を育み、兄を巡って三角関係になるという展開は、あの日きららが語った「鷹と妹と彼女」の歪な関係性を、あまりにも精緻に再構築したものではないか。
「……私が蒔いたのか? この種もまた、私が?」
白井は、本を持ったまま、書店の中で立ち尽くした。
作者が公言するように、物語は空想の産物かもしれない。
だが、その空想のトリガーを引いたのが、名もなきネカマの戯言であったとしたら?
白井紫影という男は、知らぬ間に、現代オタク文化の潮流における、見えざる**「特異点」**となっていたのである。
彼は震える手でその本を購入し、心の中で鷹に詫びた。
「すまぬ、鷹よ。貴様のリア充な日常は、巡り巡って全日本男子の妹幻想へと昇華されたようだ。」




