電脳の神殿と等身大の偶像――あるいはマンマシン・インターフェース論
第一章 賢者への諮問
ある日の午後下がり。部室には、電子部品の焼ける匂いと、古書の黴臭さが混じり合った独特の空気が澱んでいた。
白井紫影は、意を決して、回路図と格闘する寺石の背中に声をかけた。
「寺石よ。折り入って相談がある。」
「……言ってみろ。金と女の相談以外なら乗るぞ。」
「うむ。実は、PCを新しく買い換えようと思うのだが……」
白井は少年のように目を輝かせた。「何を選べば良いのか、貴様ならば的確な託宣を授けてくれるのではないかと思ってな。」
寺石は作業の手を止め、ゆっくりと振り返った。その眼鏡の奥が、冷徹な分析官の光を帯びる。
「……よかろう。では問う。何に使うのだ? 全てはそこから始まる。」
白井は一瞬口籠ったが、同志の前で隠し事は無意味と悟り、正直に答えた。
「……大凡は、サウンドノベルの類や、まあ、その、特殊な画像の閲覧が主となるであろう。」
寺石は「やはりな」と鼻を鳴らした。
「要するに、エロゲーとご本尊の拝謁か。ならば話は早い。」
寺石は立ち上がり、黒板にチョークで巨大な四角形を描き殴った。
「まず第一に、モニター(表示装置)だ。そして、モニターは大きさが正義だ! CPU? メモリ? そんなものは二の次だ。予算の許す限り、最大限の資金をモニターに突っ込め。それが幸せへの唯一にして絶対の秘訣だ。」
第二章 ボトルネックの所在
白井は目を丸くした。
「おいおい、本体はどうするんだ? 処理速度こそが命ではないのか?」
「愚か者め。」
寺石は一蹴した。「それは、とりあえず二、三年前に最新機種だった物の中古、あるいは再生品で十分だ。なんなら、貴様が今使っている本体をそのまま流用しても良いくらいだ。」
「えー、それは無いのではないか? 最新の3D描画などは……」
「黙れ! 貴様の用途は静止画とテキストの表示だろうが! 現状でもオーバースペックなくらいだ!」
寺石の怒号が飛ぶ。
「良いか、白井。人間の眼球が認識できる情報量には限界がある。そして、貴様が愛でる二次元の美少女たちは、所詮はドットの集合体だ。それを美しく見せるのは、演算装置(CPU)ではない。**表示装置**なのだ!」
さらに寺石は、机をバンと叩いた。
「そして、余った予算は本体ではなく、キーボードとマウスに掛けろ!」
「えー、そんなものは、本体におまけでついてくるのではないのか?」
「馬鹿者ッ!!」
寺石の雷が落ちた。
「コンピュータと人間を繋ぐ接点、即ちマンマシン・インターフェースこそが、快適さの根幹なのだ! おまけのメンブレン方式など、ゴムの塊を叩いているも同然。**静電容量無接点方式(Realforce)**の打鍵感を知れば、もう、他のキーボードは泥遊びにしか思えなくなるぞ。指が雲の上を走るが如き感覚だ。」
寺石は自身のマウスを愛おしげに撫でた。
「それからマウス。これは高くても、その時点で入手出来る最高峰を買え。ボール式ではない、最新の光学式だ。手首の疲れが違う。腱鞘炎は、オタクにとって死に至る病ぞ。」
第三章 ムーアの法則と未来予知
呆気に取られる白井を前に、寺石はさらに持論を展開した。
「いいか、ムーアの法則を知っているか? 半導体の集積率は十八ヶ月で二倍になるという経験則だ。」
寺石は遠い目をした。
「しかし、その指数関数的な成長にも、いずれ物理的な限界が近づく。そして何より、ソフトやコンテンツその物の制作側の限界によって、要求スペックは一定水準で飽和するだろう。貴様の愛する『To Heart』のような紙芝居形式のゲームに、スーパーコンピュータ並みの演算能力が必要になると思うか? 否! 断じて否だ!」
寺石の予言は、ある意味で的確であり、ある意味で狂っていた。
「故に、投資すべきは、陳腐化の激しいシリコン(CPU)ではない。人間の感覚器に直接訴えかける、**光と触覚**なのだ!」
第四章 等身大の涙
数日後。
白井の自室には、異様な光景が出現していた。
薄暗い四畳半の部屋の壁一面を塞ぐように鎮座する、五十インチもの超巨大モニター。
当時としては家が一軒建つほどの価格、あるいは寺石が独自のルート(ジャンク屋か産業廃棄物の横流しか)で調達してきた、4K相当の高精細産業用ディスプレイである。
その足元には、古びた黄ばんだパソコン本体が、申し訳程度に転がっていた。
電源を入れる。
光の洪水が、白井の網膜を焼いた。
しばらくして、部室に現れた白井は、涙ながらに寺石の手を握りしめた。
「……寺石よ。貴様の言う通りだった。」
「ほう。」
白井は、感極まって嗚咽混じりに、感涙に咽んだ。
「マ、マルチが……HMX-12マルチが……原寸大に! そこに、原寸大のマルチがいるのだ!!」
五十インチの大画面に映し出された等身大のメイドロボット。
それはもはや画像データではない。実存であった。ドットの粒子が見えぬほどの高精細な光の集合体は、白井にとって、神が泥からアダムを作った奇跡にも等しい感動を与えたのである。
「ふふふ、それだけでは無かろう?」
寺石は、全てを見透かしたようにニヤリと笑った。
「君は、例の写真集『きみはきらり』を、裁断してスキャナで取り込んでいたのだろう? いわゆる**『自炊』というやつだ。どうだ? 大画面に映し出されたしおりちゃん**の毛穴一つまで見える解像度は? 良かろう?」
「ッ!?」
白井の心臓が止まりそうになった。
「な、何故それを……! 貴様、まさか私の部屋を監視しているのか!?」
「フン、推測だ。貴様の思考回路など、手に取るように分かるわ。」
寺石は、勝ち誇ったように眼鏡を光らせた。
「お見通しであるぞ! 大画面こそが、二次元を三次元の壁まで引き上げる、唯一の梯子なのだ。」
白井は絶句し、そして深く平伏した。
この男には勝てない。
電脳の神殿に奉られた等身大の偶像たちは、圧倒的な光量をもって、白井の夜を永遠に照らし続けることとなったのである。




