電脳のミューズと無自覚な種蒔き――あるいは虚構に喰われる現実
第一章 特異点としての少女
白井紫影という男には、本人が望むと望まざるとに関わらず、奇妙な人物を引き寄せる磁場のようなものが備わっていた。
彼が聖交学園において「ちんちくりんの七変」なる魔窟の中心に座したのも、単なる偶然ではない。彼の持つ、濃厚な人間を嗅ぎつける「嗅覚」と、彼自身が発する「フェロモン(怪電波)」が、必然として彼らを引き寄せたのである。
そして、その厄介な才能は、彼が深夜の電脳空間において無意識下で作り出した別人格、**女子中学生「きらら」**にも、色濃く継承されていた。
深夜二時。
白井の肉体は、魂が抜けたようにディスプレイの青白い光に照らされている。
しかし、その指先は神業の如き速度でキーボードを叩き、チャットルーム「深夜の文芸部」において、活発な議論を交わしていた。
『ねえねえ、聞いてよ。ウチの学校のTくんていう先輩がね、また変なこと言い出したの。「マドンナはバビロンの魔女だ」とか言って、ポスターにお札を貼って回り始めたのよ(笑)』
きらら(中身は白井)は、単に日常の鬱憤、すなわち寺石やマスターKといった奇人たちの奇行を、面白おかしく語っているに過ぎなかった。
彼女にとってそれは、現実の写生であり、日記の延長であった。
しかし。
画面の向こう側にいるチャットの住人たちにとって、それは衝撃的な**「創作の種」**として映ったのである。
第二章 作家たちの苗床
きららが親しく言葉を交わすハンドルネームの住人たち。
彼らは、当時はまだ無名のワナビ(作家志望者)であったが、後にライトノベル業界を牽引することになる、金の卵たちであった。
彼らは、きららの語るエピソードに戦慄した。
『(ハンドルネーム:疾風の騎士)……すごい。そのTくんというキャラの造形、狂気と理性のバランスが絶妙だ。「マドンナを魔女と呼ぶ」なんて発想、普通の人間には出てこないよ。きららちゃん、君の創作センスは天才的だ!』
『(ハンドルネーム:憂鬱な王様)……同感だね。その、壁を素手で登って予言をするインディアンの先輩っていうのも、キャラが立ちすぎている。リアリティラインをギリギリで超えた、絶妙な「嘘」だ。参考にさせてもらうよ。』
彼らは誤解していた。
きららが語る荒唐無稽な物語を、彼女の脳内で構築された高度な**「フィクション」**だと思い込んでいたのである。
まさか、それが日本のどこかに実在する男子校の、ありのままの日常であるなどとは、想像だにしなかった。
「事実は小説より奇なり」と言うが、白井の現実は、あまりにも奇すぎて、小説の素材として最適化されていたのである。
きららは、無邪気に答える。
『えへへ、そんなに褒めないでよぉ☆ これくらい、ウチの周りじゃフツーだよ?』
この「フツーだよ」という言葉が、作家たちの想像力をさらに刺激した。
(なんと……これほどの狂気を日常と言い切るか。この少女、恐るべき才能の持ち主だ……!)
こうして、電脳の海において、白井紫影は、知らぬ間に数多の作家たちの**「ミューズ(創作の女神)」**として崇められる存在となっていったのである。
第三章 既視感の正体
数ヶ月後。
白井は、書店の新刊コーナーで、話題のライトノベルを手に取っていた。
タイトルは**『異端審問官は電気羊の夢を見るか?』**。
帯には「新人賞受賞! 圧倒的リアリティで描く学園ファンタジー!」とある。
白井は、日頃の布教活動(To Heart)の息抜きとして、そのページを捲った。
読み進めるうちに、白井の眉間に深い皺が刻まれていった。
(……なんだ、この妙な**既視感**は。)
作中に登場する、マッドサイエンティスト兼異端審問官のサブキャラクター。
ボロのマントを羽織り、電子回路を弄りながら、「洋楽は悪魔の呪文だ」と叫ぶその姿。
(……これは、寺石ではないか?)
さらに別の章。
主人公に謎の神託を授ける、高所恐怖症を知らぬシャーマンの少年。
彼は単眼の精霊を使役し、カレーの辛さを予言する。
(……これは、Kではないか?)
白井は愕然とした。
この作者は、聖交学園の関係者か? 盗聴器でも仕掛けられているのか?
いや、そんなはずはない。
彼は首をひねりながら、あとがきを読んだ。
そこには、こう記されていた。
『――この物語を書くにあたり、チャットで多くのインスピレーションをくれた、友人のK・R・Rさんに感謝を捧げます。君の語る「空想の学園」がなければ、この作品は生まれなかった――』
「K・R・R……キララ……?」
白井の背筋に、冷たいものが走った。
聞き覚えのある響き。しかし、それが自分の深層意識に眠る「彼女」の名前であることに、彼はまだ気づかない。
彼は本を閉じ、深い溜息をついた。
「世の中には、似たような奇人がいるものだな。……しかし、この作者の想像力、なかなかのものだ。寺石の狂気をここまで美化して描くとは。」
白井は、自分がその「種」を蒔いた張本人であることなど露知らず、あろうことかそのラノベをレジへと運び、購入した。
己の恥部が活字化されたものを、金を出して買い、愛読する。
これぞ、マッチポンプの極致。
電脳のミューズ・きららの無自覚な種蒔きは、巡り巡って、白井紫影自身の本棚を侵食し始めていたのである。




