西征紀行 その四 内之浦の慟哭
第七章 内之浦のシンデレラと賢者の涙
旅路は進み、一行を乗せたバスは、大隅半島の急峻な山道を縫うように走り、遂に文部省宇宙科学研究所(ISAS)、すなわち現在の内之浦宇宙空間観測所へと到達した。
バスを降りた瞬間から、寺石の興奮は常軌を逸していた。彼は、山肌にへばりつくように点在する、赤錆びた発射整備塔や、巨大なパラボラアンテナを見上げ、感極まった声で叫んだ。
「見よ、白井。ここが内之浦だ。日本の宇宙開発の父、糸川英夫博士が選びし聖地だ。」
寺石の声は震え、その瞳は濡れていた。「NASDAの種子島宇宙センターが、国家の威信をかけた煌びやかな衣装を纏った富豪の令嬢だとすれば、このISAS内之浦は、ボロを着たシンデレラだ。」
彼の眼鏡が西日を受けて鋭く光る。「予算は極少、設備はツギハギ。海外の専門家が見れば『これで衛星を飛ばす? 正気か?』と嘲笑うような劣悪な環境だ。事実、あそこに見える発射台も、漁師たちの網小屋を改造したような代物から始まったのだ。だが、彼らは『貧すれば鈍する』にあらず。金が無いなら知恵を出せ、技術が無いなら魂を削れと言わんばかりの執念で、世界を驚愕させる成果を上げ続けてきた。日本初の人工衛星『おおすみ』も、ハレー彗星に肉薄した『すいせい』も、全てこの貧しき山中から飛び立ったのだ。ここにあるのは科学ではない。情熱という名の狂気だ。」
その後の見学において、事態は劇的な展開を迎えた。
発射管制室の近くで解説台に立った人物を見た瞬間、寺石は石像の如く硬直したのである。
そこに居たのは、柔和な笑顔を浮かべた初老の紳士。しかしその人物こそ、日本の宇宙開発の父とも呼ばれる伝説の科学者、的川泰宣博士その人であったのだ。
寺石は直立不動の姿勢をとり、瞬きすら惜しむように一言一句を聞き漏らすまいと拝聴した。彼にとってそれは、アリストテレスの講義を聴く学徒の如き至福の時間であった。
そして、質疑応答の時間になると、寺石は震える手を挙げて発言を求めた。
指名された彼は、一歩前に進み出ると、堰を切ったように叫んだ。
「先生……! 私は、失敗をあげつらう日本のマスゴミが許せません! 宇宙開発に失敗は付き物です。その屍を乗り越えてこそ技術は進歩する。失敗こそが次なる成功への糧であるのに、何故彼らは批判ばかりを繰り返し、税金の無駄遣いだと罵り、貴方がたの情熱を理解しようとしないのですか! 彼らを教育することはできぬのですか!」
それは質問の体を成していなかった。不当な評価に晒され続ける「シンデレラ」たちへの、身を切られるような義憤と、科学者たちの孤独に寄り添おうとする共感の慟哭であった。教室では変人と嗤われる彼が、唯一心を開いた「宇宙」という友への、精一杯の擁護であった。
会場が静まり返る中、博士は困ったような、しかし慈愛に満ちた春風のような微笑を浮かべて答えた。
「そうだねぇ……。君の言う通り、辛い時期もあったよ。石を投げられるような思いをしたこともね。」
博士の視線は、遠くの空、あるいはその向こうにある星の海を見つめているようだった。「でもね、私たちは派手なことはできないから。コツコツと前に進むことしかできないんだよ。どんなに批判されても、真実はそこにあるからね。だから、君のような若い人がそうやって怒ってくれるのは嬉しいけれど、私たちは大丈夫。これからも応援してね。」
その言葉を聞いた瞬間、寺石の目から大粒の涙が溢れ出した。彼は「うぅ……ッ!」と言葉にならぬ嗚咽を漏らしながら、何度も、何度も深く頷いた。
白井は、人目も憚らず泣きじゃくる友の背中を見つめながら思った。世間からは軍国マニアの奇人と指差されようとも、この男の胸に宿る純粋な情熱だけは、あの発射台に立つロケットと同じくらい、天を衝くほどに真っ直ぐで、美しいものである、と。




