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グレン・ヴァンプ3

3.


 睡眠と覚醒の間を上手く分けられないのは、得られる眠りが心地好すぎるせいだと感じる。上質な繊維を柔らかく擦る瞼。波打つシーツの皺に伝わる体温。傍らから微かに聞こえる息遣いに、アスカは投げ出した脚を引き寄せるように体を丸めた。

 クゥゥと切ない音を立てる腹を押さえて息を詰め、パタッと瞬きした瞳で目の前を窺う。固く閉じたままの瞼に覚醒する気配はない。アスカはホゥと淡い息を吐いて、シーツの上を滑るようにしてベッドから降りた。

 冷たい床に下ろす裸の脚。塵ひとつない床は部屋の隅にスンと鎮座するロボット掃除機の仕事の賜物だと知る。タイルのような正方形の模様を慎重に踏んで、大部分を白が占める室内をぐるりと見回す。高い位置にある窓からは白っぽい外の色が見える。自然光がつくる光の柱の中を舞う細かい粒子。天井を頂点にして緩いカーブを描く壁面から、目線の高さまで降ろす視線。白い部屋には観葉植物と作業机、ベッドと衣裳が入ったクローゼット、簡易的な洗面所とトイレがあるだけ。私物と呼べるものは目につく位置にはなく、綺麗に片付けられた机の上にはわずかな筆記用具と充電器に繋がれたスマートフォン、閉じられたノートPCが置かれているだけだった。そのどれもに研究所のロゴが入っていて、備品であることが窺える。

 アスカはフゥと短く息を吐いて、足音を立てないように部屋から出る。

 回廊状になった廊下の奥からフワッと漂う食事の香り。アスカは空っぽの腹が訴える欲望のままゴクンと喉を鳴らして、匂いのする方へ足を進めた。ハスミと番契約を結んで、対吸血鬼組織の研究所施設に連れてこられて、3日。施設の案内をすると約束されてはいるものの、度重なる戦闘のせいでそれどころではなく、アスカはミーティングルームと研究室、ハスミの部屋くらいしか把握できていない。それぞれのペアが自室として使っている部屋の位置はなんとなく理解したものの、まだ無数にあるドアの用途はほとんどが謎のままだった。

 壁沿いにいくつか並んだ白いドアを通過して、たどり着いた先。ドアが開いたままになっている広い空間を覗き込むと、銀色の世界にエプロンをつけたオレンジの影。

「お、アスカっちじゃん」

 アスカが顔を覗かせたタイミングで、制服の上に紺色のエプロンをつけたヒイラギが振り返って呼んだ。アスカはハッとして掴んでいた壁を離し、反射的に直立の姿勢を取る。

 ジッと視線を交わす鮮やかなカーネリアン。見つめてくる大きな瞳に射止められたままでいると、静寂を破って腹の虫が切ない声で鳴いた。

「うわ」

「あっはは、腹減ってんの? 朝飯作ってんだ、一緒に食う?」

「うぇ、いいの?」

「全然。ただし、俺はおっさんほど料理上手くねーかんな」

「ふぇ、あ……」

 お玉の先を揺らして入ってくるように招くヒイラギの手に応じて、アスカは銀色の部屋に足を踏み入れる。大きな調理台と冷蔵庫。手前には調理したものを食べるためのスペースもある。

「ヒイラギ、ここって」

「来るの初めて? ここは共有の調理場。出入りも使うのも自由だけど、一応優先で使える日決めててさ、その日は食事担当も兼ねてんの。で、今日は俺らの日ってわけ」

「ほー……」

「俺らさ、基本は外で暮らしてんだけど、当番の日だけは泊ってんの。ここだと調理器具も食材も使い放題だし」

「そうなんだ」

「焼きそばでいい? 悪いな、俺炒め物しかまともに作れなくて」

「やき、そば!」

「まあ、アスカっちにとったら全部が未知なもんだもんな。美味いかどうかとかも基準ねーからまあ安心か」

 アスカはヒイラギのいうことがよく分かっていないながらもブンブン首を振って頷いた。覗き込んだヒイラギの手元に握られたフライパンの中に収まった飴色の麺と野菜。焦げたソースの立てる甘い香りに腹の虫が合唱を始めている。

「すげー腹の音。そんだけ腹減ってりゃなんでも美味いよな。一緒に食べようぜ」

「あれ、ツバキは?」

「姉ちゃんは俺の料理脂っぽいから嫌とか言ってあんま食ってくんねーの。ヨーグルトとかシリアルばっか。あとたまにパンケーキ焼いてくくれる。美味いけど死ぬほど時間かかんだよな、トッピングに」

「うへぇ……」

「朝弱いし、仕度に時間かかるから朝飯は大体俺ひとり」

「さびしくないの?」

「さすがにもう慣れたって。何百年やってると思ってんだよ」

「何、ひゃく?」

 アスカが赤眼を丸く開いて聞き返した言葉に、ヒイラギはグッと喉を詰まらせ苦笑する。

「何百は言いすぎか。100年経ったのはまだ1回だ」

 ヘラッと力の抜けた笑みで流したヒイラギは、2人分の皿に山盛りの焼きぞ場を盛り付けてフライパンを流しに浸した。

「これ、ひとりで食べようとしてたの?」

「まさか。みんなの分もとは思ったんだけど、アスカっちすげー食いそうじゃん? だったら俺も食うかなって」

「みんなの分は……」

「まあ、なかったら自分らで作るっしょ。あったら食う、なかったら作るが基本だから。アスカっちに食わせておいたらおっさん的には文句ねえだろうし、シドウのとこはおっさんにたかってなんとかすんだろ」

「リクが作ったりはしないんだ」

「作りそうだけどな。あそこは2人とも家事全然ダメだぜ。おっさんが大体世話焼いてやってんの」

「そう、なんだ」

「そうそう。だからアスカっちも多少ポンコツだって平気だよ。おっさんは世話焼くのが生きがいみたいなとこあるから」

「うぅ、あんまり迷惑かけないようにはしたい、けど」

「いい奴だねえ、アスカっちは。ほら、食おうぜ」

「あ、はい!」

 ヒイラギは手際よくテーブルセットを整えエプロンを外した。アスカはシンクを借りて手を洗い、ヒイラギの対面に用意された席に座る。

「いただきます」

「はい、どーぞ」

 ニッと歯を見せて笑うヒイラギにつられるように笑って、アスカは見よう見まねで箸を操り出来立ての焼きそばを口に運ぶ。濃い味のソースが熱で蕩け、フルーツのような甘い匂いを放ちながらジュワと染みて舌に絡んだ。

「んん、うまっ!」

「はは、マジ? すげー美味そうに食うなあ、めちゃくちゃアガるわ」

「甘くてしょっぱくて、すんごく美味しい」

「なー。空腹には特に染みんだろ。ラッキーだな」

「うん! ヒイラギ、ありがとう」

「へへ、どーいたしまして」

 口の周りにソースを散らして、赤眼をキラキラ輝かせながら、夢中で口いっぱいに麺を頬張るアスカ。ヒイラギはハハッと笑い声を上げながら、アスカの倍くらいの大口で大盛の皿を平らげていく。

「アスカっち、昨日、おっさんと話して楽しかったか?」

「うん、楽しかった。ヒイラギも、ツバキといつも楽しそうだよね」

「ツバキはさ、イイ女なんだよ」

「んぇっ、ん……?」

 突然会話のトーンを落とし、空中に淡い息を吐きながら言うヒイラギ。アスカは喉に詰まらせそうになった麺を無理やり飲み下して、グラスの水を煽って息を通した。

 ヒイラギは相変わらず何もない空間に視線を向けたまま、溶けたソースで艶めく箸の先にチラチラ照明を反射させつつ語り出す。

「常に流行り追って、死ぬほどネタ仕入れてきて、その全部調べ尽くして全力で楽しんでんだ。その全部が俺との話題が尽きないようにってことなんだぜ、すげーだろ?」

「ふぇ……そう、なんだ」

「俺もそうしようとしてたけど、やめちゃったんだよな。でも姉ちゃんはずっとそうやって、俺に気遣ってくれてる」

「ヒイラギは、いつから生きてるの?」

 何もない空間を見ていた視線が揺れて、アスカの方を向いた。アスカは向けられたカーネリアンと目を合わせて、コクンと小さく喉を鳴らす。

「お前ほど長生きじゃねえよ。それでも、それなりにはなるな、もう。ハスミやシドウよりは全然年上だよ」

 艶のある若々しい肌。大きな目の幼い顔立ち。軽く首を傾けて、首筋を滑ったヘッドホンの影に覗く赤黒い牙の跡。

「でもレベルはずっと下なんだよな。俺らはもともと凡人だから」

「そんなこと、ない」

 パタッと一度閉じて、真っ直ぐ据えられるカーネリアン。アスカはフゥと息を吐いて、ジッとヒイラギの瞳を見つめ返しながら口を開いた。

「ツバキの武器、すごく強いし」

 ヒイラギはカーネリアンを零れそうに見開いてからスゥと細める。

「だろ? 俺が作ってるんだぜ」

「うん、すごい!」

「へへ」

 微かに掠れた声で笑うヒイラギの瞳を、アスカは一心に見つめる。そのままフゥと長く息を吐いて、アスカは静かに顎を引いた。

「吸血鬼の成長は、大体成人で止まるのが一般的らしいけど、ヒイラギとツバキはそれより若いよね」

「まあな、俺らが番契約したのは、16のときだ」

「16歳……」

「ねえ、ヒイラギ来て! 一緒に動画撮ろ! ……って、おあー、アスカっちおはよ! え、2人で朝ごはんしてたの? いいなあ呼んでよお!」

「姉ちゃん俺が朝起こすと怒んだろー」

「アスカっちいるなら怒んないよ! ねえねえ、動画動画!」

「動画って、カメラに姉ちゃん映んねーだろ……」

「でもいいの! 早く! アスカっちスマホ持って!」

「あ、はい!」

 怒涛の勢いで場の空気を攫うツバキ。ヒイラギは無言でアスカに目配せをしてから立ち上がる。ついでに呼ばれたアスカも席を立って、ツバキの手からスマートフォンを受け取った。起動したままのアプリの画面に2人分の空間を作って録画ボタンを押す。画面の中のツバキがいるはずの場所には、オレンジの毛玉に赤い花の飾りをつけた黒い三角帽子、黒い翼の生えたコウモリのようなキャラクターが浮いている。

「なあこれどうやって浮いてんのかってどう説明すんの?」

「こんなん加工エフェクトとかでちょいちょいっと出来るでしょ。大丈夫だよお」

 ツバキは笑いながらオレンジの毛玉コウモリの翼を持ってパタパタ揺らしながら上下に飛ばした。ヒイラギは呆れた顔をしながらも、やがて諦めたようにオレンジに対してリアクションを取り、ツバキもノリでふざけて、アスカは2人の姿がフレームアウトしないように必死でスマホを動かした。

「なにやってんだ、コラ」

「うぉ、あ」

 画面に注視しながら後退していく途中、ボスンと沈む後頭部。アスカはグッと大きく首を反らして真上を見上げ、パタッと赤眼を瞬く。

「ハスミさん、おはようございます」

「おぅ、おはよ。双子に遊んでもらってんのか?」

「朝ごはん食わせてもらいました!」

「そりゃよかったな」

 ハスミはアスカの白髪に掌を乗せてくしゃとかき混ぜる。アスカの手からツバキのスマートフォンを抜き取って、停止ボタンを押して投げ返した。

「ハスミンおはよー」

「おっさん、割と早起きじゃん」

「起きたらうちのがいなかったんでな。またどっかでやらかしてんじゃねーかと思って」

「うっ、もうしないです……」

「まあ信頼はしてっけど、本能ばっかりは抑えろっつってもすぐには無理だろ」

「ハスミンやっさしー」

 ツバキはスマートフォンを口元に当てて、フフッと吐息するように笑う。ハスミはツバキに冷めた目を向け、ハァと無言で息を吐いた。

 アスカはツバキとハスミに交互に視線を向けながら、ヒイラギの言った「ハスミやシドウよりは全然年上」という発言を思い出して、見た目に反した上下関係に思いを馳せる。

 ハスミはジィと見つめてくるアスカの視線の意図を勘ぐって、不快そうに顔を顰めた。

「いうて、尻ぬぐいしてやるのにも限界があるかんな。慣れろよ」

「だから、してないですってばあ……」

「んでも、そこらのもんなんでも食っちまいそうには腹空かせてたから、食事には気をつけてやったほうがいいかもな」

「うっ、ごちそうさまでした」

「全然。美味かったろ?」

「はい!」

 溌剌と返事をするアスカを見下ろしたハスミは、白い顎に指先を添えて上向かせ、アスカの口の端についたソースを拭った。

「まあ、美味いわな」

「だろ? ジャンクフードじゃおっさんにも負けねえよ」

「繊細な味ばっかり気に入られても困るしな。お前の味もどんどん覚えさせていいぞ。許す」

「俺の味が大雑把だって言いてえんだなコラ。ケンカか? 受けて立つぜコラ」

「やめなよヒイラギ。大雑把でも全然いいじゃん! アスカっちも、ヒイラギの料理美味しかったでしょ?」

「はい!」

「ね、大丈夫だよ、ヒイラギは」

 ギュッと腕を絡めて同じ高さにある頭を重ねながら、ツバキは優しい声音で言う。ヒイラギはグッと肩を竦めて淡い息を吐き、目を伏せ視線を逸らした。

「別に、気にしてねーよ」

「よしよしいい子。んじゃ、ウチらそろそろ学校行くね!」

「あ、片付け、オレやっとく!」

「悪いアスカ、頼むわ」

「はい!」

 絡めた腕をそのまま引いて、調理場を出て行く2人。オレンジの風のような2人を見送ったアスカは、パッとその場を離れて空になった皿を片付け始める。

「アスカ」

「ん、はい?」

 捻った蛇口から噴き出す水流に重なる声。アスカは肩越しに視線を巡らせハスミに応じた。

「体どっかおかしくしてねえか?」

「はい、全然。すごくたくさん寝て、寧ろ調子いいです!」

「そうか」

「あと、えっと」

「なんだ?」

 水流を一度止めて、備え付けのスポンジに洗剤をしみこませながら、アスカはフッと短く息を吐く。

「ハスミさんが、ちょっとだけ近く感じます」

「そうか」

 アスカはキュッと目を瞑って、一心に手元の汚れを落とすのに手を動かした。ハスミは視界に掛かる黒髪の毛先を指先に絡めて、ピンと引いてから離す。

「アスカ、少し外に出るか?」

「え、昼間……だけど……あ、それもオレ、平気なのか」

「まあな」

「行きたいです!」

「ちょうど買い出し当番でもあるし、それ片付け終わったら出るぞ」

「はい!」

 皿についた泡を透明な水流で流して、アスカは水滴を払い、入口で待っていたハスミの傍へ駆け寄った。ハスミはアスカを傍らに添わせて通路を進み、自室に戻る。

「お前って服はそれだけなんだよな」

「まあ、はい……ですね」

「服も買うか……。あと靴な。大掛かりになりそうだな……先にネットで注文しとくか」

「ネット!」

「靴ねえと外歩けないし」

「別に、なくても」

「外の世界は異物に対して不寛容なんだよ。溶け込んどくにこしたことはないぜ」

「……はい」

 アスカは自身の裸の足を見てキュッと強く唇を嚙みしめた。ハスミはフゥと短く息を吐いて、ノートPCの起動画面を見つめる。

「まあそんなこと、お前がいちばんよくわかってるか」

「たぶんオレ、あんまわかってないかも、です」

「あ?」

「ずっと、引きこもってたから。誰にも会ってないし、外の世界がどんなのかも知らない」

「引きこもってたっていっても、200年もの間全く外と関わり持たないってのは」

 ハスミはハッとしたように言葉を止めて、唇を結んだ。アスカはハスミの様子を薄目で窺って、言葉を呑んだハスミがキーボードを打つ音に、少しずつ体の緊張を解いた。

 青い光が照らすハスミの横顔。ハスミは画面の上に視線を行き来させて、次々と商品をカートに放り込んでいく。

「とりあえずすぐいるもんは注文済んだから、届いたら出るぞ」

「うぇ、オレのサイズとかって」

「細部まで計測済みだ、安心しろ」

「ひぇ……っ」

 ブルッと体を震わせたアスカを見て、ハスミはフッと口の端を緩めた。アスカもつられるように表情を緩めて笑い、商品ページを指さし会話を弾ませる。

 あれこれ話ながら余計なものまで注文する内に、ハスミの部屋のインターフォンが鳴る。配達ロボットの電子音声に応じてロックを解除すると、段ボールに入った荷物が届けられた。

「すごい、速いですね」

「日用品は契約業者がいるからすぐだな。好みのブランドとかのもの取り寄せようとすると時間かかるけど」 

「ああ、じゃあそれは大丈夫です」

「わからねえぞ? 吸血鬼は大体こだわり強えからな」

「えぇ……そういうもんですか?」

 アスカは床に膝をつき、届いたダンボールの封を切る。アスカがもともと着ていたのと似たような形のシャツと足首丈のボトム、靴下とショートブーツを合わせて見て、サイズを確かめる。

「ちょうどいいな」

「はは、さすがです……」

「キャップも被っとけ。お前の髪は目立つから」

「う、はい」

 手渡された黒いキャップを被り、前髪を避けて視界を確保した。つばの向こうに立つハスミを見上げて瞬きすると、体を屈めたハスミがアスカの顔を覗き込んでくる。

「まあいいだろ。髪染めてる若者なんてごまんといるし。瞳もカラコンだって言い張りゃまあ」

「ハスミもさんも同じ色ですもんね」

「俺はお前よりは薄いだろ。自分の見た目にまだ慣れねえけど」

「すごいですねえ、番って」

 アスカは掌の半ばまで覆うシャツの袖をギュッと握りしめて、ホゥと指先に息を吐きかけた。

「オレ、一生ひとりぼっちなんだって思ってました」

「……俺がいる」

「はい」

 ポツリとハスミの零した言葉に、アスカは柔らかく笑って答えた。視界が十分開けるように斜めにキャップを被り直し、真新しいブーツの靴底で床を打つ。

 傍らに屈んでダンボールの中身を漁ったハスミは、ビニール袋に包まれた新品のアウターを取り出した。

「ハスミさん、カッコイイですね!」

「んぁ、外出するのに白衣ってわけにもいかねえしな……」

「似合いますよ! 着てみてください!」

「期待すんなっての……まあ多分似合うけど」

「イケメンですもんね!」

「まあな」

 ビニールを解いてスタンドカラーの紺色のシャツに重ねる黒いマウンテンパーカー。アスカが向けるキラキラの視線をいなして、鏡に向かって服装を整える。

「んじゃ、行くか」

「はい!」

 並んで部屋を出て、アスカは外に向かう導線上にあるシドウの部屋を横目で見た。

「そういえば、シドウさんとリクはまだ起きてないんですか?」

「あいつらは必要がなきゃ起きてこねえよ」

「そうなんですね」

「あいつらの見た目に騙されんな。生活能力皆無だし、一番だらしねえから」

「……そうなんですね」

 シンと静まり返ったまま、人の気配すら感じない部屋の前の通り過ぎて、ミーティングルームに入りIDカードをそれぞれ手に取る。

「これが施設の鍵代わりな。中にいる間は基本そこに置いておけばいいけど、外に行くときは持って出ろ」

「オレも、自由に外に出ていいんですか?」

「必要がありゃな。さっきしたみたいに買い物もまあネットでできるし、調べ物も研究部屋いきゃ資料整ってる。暇つぶしはまあ、それぞれだけど、外でなきゃできないなんてもんもそうそうねえだろ」

「う、まあ、そうですね……」

「外に出たいか?」

 ハスミは傍らのアスカに見下ろす視線を向けながら問う。アスカはハスミを見上げて目線を合わせてから、フルフルと首を横に振った。

「オレは、ハスミさんといっしょにいたいです」

「……そうか」

 ハスミはフッと柔らかく息を吐いて、アスカの側に垂らした腕の力をフッと抜く。アスカは躊躇ないながら指先を伸ばし、ハスミのジャケットの袖を少しだけ掴んだ。

 ハスミはアスカが掴んだ分だけ引っ張られる腕を、そのままの角度に留めておく。ハスミの仕草を察したアスカは機嫌よく笑って、掴んだ生地をギュッと強く握り直した。

 エレベーターに乗り階下に降りる。研究施設を擁する建物は、国が設置した対吸血鬼専用の巨大組織の一角。最上部に据えられた研究施設の下は研究員以外の組織の人間が働いていて、各所に設置した保護施設の管理や、吸血鬼対策における備えや指揮、発生場所の分析を行う部署に加えて、吸血鬼被害にあった人間の医療施設、地下には軍の養成施設がある。

 組織の階級において軍の上に医療が立ち、吸血鬼を擁して戦闘員も兼ねる研究組については異質の扱いを受けていた。揃いの十字架のエンブレムに、グレーの制服で統一された組織内で、私服が許された研究組に向けられる目は無言でありつつも静かな圧と奇異の色が込められている。

 ハスミは不穏な空気を裂くように堂々と歩き、エントランスを抜けた。

「はー……緊張しますね」

「そうか? 慣れろよ。仮にもお前は吸血鬼側なんだし、人間よりも上位だろうが」

「オレは別に人間を襲う気も上位に立とうって気もないですって」

「まあ、吸血鬼だって本来は紳士的で気性が荒いことも攻撃性もねえもんなんだけどな。そういう意味でお前はめちゃくちゃ吸血鬼だわ」

 アスカはハスミの述べる吸血鬼像にむず痒さを覚える。それが本来の性質なのだとしても、長年続く種族争いの果てに、そうした印象も性質も、すっかり薄れていた。

 一階に降りて、開けたエントランスに出る。ズラッと並んだ入館ゲートを前にして、ハスミは「げっ」と小さく声を上げた。

「どうかしたんですか?」

「んあ……ID忘れたなって……」

「あ、あれ……オレも持ってないです」

「取りに戻ってもいいけど……あ」

 中途半端な時間なこともあって、ゲートの周りは人が疎らだった。中でも一番端のゲートに近づいていくハスミの後に、アスカは小走りでついていく。

「お嬢さん」

 ハスミが声をかけると、茶色のショートヘアの女性が振り返った。ミナミはパタッと瞬きをして、怪訝そうな顔でハスミを見つめる。

「ご指摘通り、ちゃんと『若き天才』の見た目になってんだろ? 文句あるかよ」

 ミナミはハスミの言動を聞いて、より顔を顰めて首を傾げた。ハスミはすぐにピント来てないミナミの様子を察して、ジャケットのポケットからスマートフォンを取り出し画面を開いた。

 表示された画面を目にしたミナミは、ハッと瞳を見開いてハスミを見上げる。

「あなた、あの時の老け研究者……!」

「おいコラ。ID忘れちまったんだ。顔パスで頼むわ」

「んぇ、えっと……そう言われましても」

「んじゃ、これで頼む」

 ハスミはチッと舌打ちを吐きつつ、左手を掲げて見せた。そこに刻まれた紋様を見て、ミナミはサァと顔を青ざめる。

「あなたも、吸血鬼の番が……」

「ああ。だから、あいつも一緒だ」

 ハスミは背後にいるアスカを指さして言う。ミナミの視線は震えながらアスカを捉え、その赤眼を目にした瞬間ハッと顔を背けて俯いた。

「……どうぞ。引き継いでおくので、帰りも必ずご提示をお願いします……」

「はーいよ。アスカ、行くぞ」

「は、はい!」

 レッドからグリーンに変わるランプ。左右に開いたゲートをくぐり、外に出るハスミの後について、アスカも小走りでゲートをくぐった。

 ミナミは一度も顔を上げることはなく、アスカは彼女の様子を不思議そうに眺めながら、ゴクッと小さく喉を鳴らす。



 組織の建物を離れた時から、アスカは妙な寒気を覚えていた。肌がゾワゾワと粟立つ感じ。こめかみ辺りで脈打つ血流の音が妙に大きく響いて、思考を乱す。

「大丈夫か、アスカ」

「うっ、はい……弱いですけど、吸血鬼の気配がそこかしこに」

「戦闘の名残もあんだろうけどな。そこら中に種がまかれてる。成長した個体も人間の中に入り込んでるだろうし」

「昼間だから抑えられてるだけで、これは」

「やべえか。そんな気はしてたけどな。……影に気をつけろ」

 ハスミの言葉につられて、アスカは建物の影に視線を向けた。黒く塗り込める影がボコッと浮き立ち、双対の赤い目を光らせている。アスカはその三角を強く睨むと、浮き立った影はスッと地面に戻り、静寂が落ちる。

「イニシアチブか」

「んぇ?」

「上位の自覚あんじゃねえか」

「んぇ、なんですか? それ」

「知らねえの? 吸血鬼同士の階級っつーか、上位の吸血鬼は下位の吸血鬼を従わせる能力があんだよ。自分の血を与えて眷属にしたり、さっきみたいに睨み一発で黙らせることもできる」

「うぇぇ……オレ、そんなこと」

 反論しかけたアスカの耳に、耳障りに弾ける笑い声が響いた。ふと視線を向けた先、白いブレザーにグレーのシャツ、深緑のネクタイの制服姿の一団が目に入る。

「あれ、ツバキとヒイラギと同じ」

「近所の高校のだな」

「この近くなんですね」

「まあな。このエリアに居住してるやつは組織への志願者か職員の家族が多い。利権も多いが被害者も多いからな……俺らも警備の役を担っちゃいる」

「……うわっ!」

 短い悲鳴に重なる何かが倒れる音。車道を挟んだ反対側に固まった白いブレザーの集団は、皆背を向けて路地裏を覗き込んでいる。

 若い集団に発生しがちなヒエラルキー。白ブレザーの集団の影には、突き飛ばされて倒れたらしい男子生徒の姿が見えた。悪ふざけにしても悪意がすぎる行動に、ハスミは表情を顰めて舌打ちする。

「クソガキが……」

 ゾワッと背筋が湧いて、アスカは赤眼を大きく見開いた。サァと目の前を通り過ぎた大型トラックの影が抜けた瞬間、建物の隙間に巨大な黒い影が現れる。

 ザァッと立ち上った影は路地の入口辺りに倒れた男子生徒に向かって襲いかかろうとしていた。アスカはヒュッと喉を締め、車の行き交う通りに飛び出しかけた。

「アスカ、待て!」

「……ッ!」

 肩を掴んで引き留めたアスカの目がグァッと燃えるように湧き立ち、ハスミは反射的に手を離しかける。

「昼間の駆逐活動は……」

 一瞬の攻防の刹那、オレンジの気配が真っ直ぐ襲い掛かろうとする影目掛けて飛び込み、鋭い切っ先を受け止めた。

「な……ぁッ……」

「ヒイ、ラギ……?」

 車の群れの影に、オレンジの後頭部が見える。影の中に押し倒されたヒイラギは、大きく晒した首筋を影に差しだしていた。

「あいつ、なんつー無茶……っ、て、こらアスカ!」

 一瞬の油断の隙をついたアスカは、行き交う車の上に飛び乗り、数台の車体を経由して対岸まで一気に渡り切る。ハスミは舌打ちをしつつ、車の流れが途切れるのを待って道路を渡った。

「アスカ、危ねえだろが」

 触れた肩が脱力していることに気づいたハスミは、そのまま力を緩めて彼の肩に掌を添える。アスカは上がりかけた呼吸を押さえて、戸惑いの揺れる瞳でハスミを見上げた。

「ハスミさん……ヒイラギが」

「……ああ」

 影に圧し掛かられ倒れたヒイラギは、首を反らして路地の入口に立つアスカと視線を交わした。全開になった前髪の下、なんの感情も宿していないようなオレンジの瞳はジッとアスカを見つめて牽制し、ヒイラギはゆっくりと薄い胸を上下させる。

 転がった白いヘッドフォンに付着した血痕。深々牙を突き立てられた首筋の下にも血だまりが出来ている。けれども噛まれたヒイラギ自身は平然としていて、影が吸血する音を黙って聞いていた。

「なんだよ、おっさんとアスカっちが近くにいんなら、任せたらよかった」

「悪いが俺らは駆逐許可を持ってない」

「またID忘れてんのかよ。シドウにチクったろ」

「やめろや。そもそもこの周辺の担当は」

「そこらへんにいるだろうけど、俺が動いた方が早いだろ。番使役するよりも、使えるもん使ってソッコー駆逐した方がさ」

 ジワッと広がっていく赤い血。吸血鬼と番契約をしているヒイラギの血液は、不可侵であり吸血鬼にとっては毒になる。ヒイラギは痛みに一瞬顔を顰め、ハァとゆっくり吐息した。

「俺が吸われる分には雑魚バンプも生まれねえし……ってかオメーも早く退けや。もう形保ててねーだろ」

 チッと吐いた舌打ちに乗せて、振り上げた脚を蹴り出すヒイラギ。圧し掛かっていた影はサァと砕けて、地面に呑み込まれるようにして消える。

「種まで逝ったか?」

「多分な。ガッツいてたし、致死量だろ……くっそ、力入んねえ……」

 パタッと両腕を投げ出し大の字になって空を仰ぐヒイラギに、アスカが慌てて駆け寄った。

「ヒイラギ、大丈夫?」

「んぁー……アスカっち……近づかないねえほうがよくね? 俺めちゃくちゃ腹減る匂いしてるかもよ?」

「腹は、減らない。大丈夫」

「ふーん……?」

 パタッと瞬きしたヒイラギは、一度アスカに向けた視線をハスミの方へ向ける。

「そいつな、人間の血恐怖症なんだと」

「うそだろ。ウケる」

 ハハッと乾いた笑いを吐いたヒイラギは、蒼白な顔で目を閉じた。アスカはヒッと短い悲鳴を上げて、動揺した様子でハスミを見上げる。

「吸血鬼に血くれてやったんだ、しばらく動けなくてもしゃーないだろ」

「う、でも、人間が吸血鬼に吸われたら」

「大丈夫なんだよ。吸血鬼と番契約を結んでる人間の血は不可侵であって、番以外の吸血鬼に対して毒なんだわ。血清なんかよりも数億倍強えーし」

「しかもヒイラギはツバキと番になって長いからな。組織中にすっかり馴染んでる」

 ヒイラギは建物の隙間に覗く澄んだ青空を見つめて、目を細めた。ゆっくりと持ち上げた左手の甲に刻まれた印を眺めて、ひとりごとのように呟く。

「はあー……あーあ。どんな強い武器作ったところで、俺の血のが全然最強なんだよなあ。いざとなったら、姉ちゃんを守ってやれんだ」

「そんなことさせるわけないんだよなあ」

 狭い路地に響く高いトーンの声。フワッと花の香りを漂わせてしゃがみ込んだツバキが、上を向いたヒイラギの鼻頭を摘まんだ。

「げ、姉ちゃん」

「ヒイラギ、目良すぎ。また脚速くなった?」

「夜は敵わねえけど、昼間はな。姉ちゃんとよーいドンでダッシュしたら絶対俺のが負けんじゃん。それに昼間の街中で武器使うのはリスクだし」

「だからって自分の血飲ませるとかギリギリの手段使うのやめなよって言ってんの。血で釣れなかったらヒイラギがケガしちゃうかもしれないのに」

「それは姉ちゃんだって条件一緒だろうが。確実に仕留められる手段持ってる俺のが適任なの。街中で銃ぶっ放すのよりも、人間が吸血されてる方が見慣れた光景だろうしさ」

 ブゥと丸く頬を膨らませるツバキに、ヒイラギは蒼白の顔を向け歯を見せて笑う。ツバキはヒイラギの鼻から指先を離して、地面に座り、ヒイラギの頭を腿の上に乗せた。

「昔はこんな堂々と人間を襲うとかなかったんだけどなあ。わざわざ影の中移動してまで日中活動することもなかったし。同族のしてることとはいえ信じらんないよね、アスカっち」

「え、ぅ……あ」

「やめろって姉ちゃん。アスカっちは多分、人間が暮らしてる場所での生活とか経験ねえから」

「ああ、純血だっけ。同族の中で引きこもってたの? ってか、同族って、まだいるの?」

 ツバキの冷めた目がアスカを見る。アスカは小さく唇を噛んで俯いた。

 傍らで聞いていたハスミは小さく舌打ちをして、ツバキとの間に割って入る。

「その辺は番の俺ですら聞けてねえんだ。抜け駆けすんなよ」

「同族の絆のが強いことだってあるじゃない。話すかどうかはアスカっちの自由でしょ?」

 睨み合うツバキとハスミに交互に視線を向けたアスカは、自身の手首を強く掴んで言葉を零す。

「オレは……ハスミさんに、最初に話します」

「ふぅん。上手く躾けてるのね」

 ツバキは興味無さそうに吐き捨てて、膝に乗せたヒイラギの額を掌で撫でた。

「いずれにせよ、立場ははっきりさせといた方がいいよ。私は世界で一番ヒイラギが大事だし、ヒイラギのしたいことに従うから」

「オレも……! オレも、ハスミさんが大事です」

「……そ?」

 カーネリアンを細めて、ツバキは首を傾けて応じる。ヒリついた重い空気に、アスカはもやもやする胸の内を抱いたままでフーッと細く息を吐いた。

「てか多分、ヒイラギのこと襲ったやつ上級ダーケストのなりそこないじゃない?」

 話題を変えたツバキに、ハスミはアスカに目配せする。アスカは自身の腕を撫でて、直前に受けた感覚を思い出す。

「たし、かに。ゾクッてする感じ、強かった」

「夜でもねえのに、上級が外で活動するか?」

「なりそこないって言ったでしょ。ザコだって、中級ダーカーだって、集まったら上級レベルになるじゃん」

「集まったら、って……あ」

 アスカの脳裡にフラッシュバックする光景。アスカはハッとして傍らのハスミを見上げた。ハスミが苦々しく口の端を歪めるのを目にしたアスカは、サッと顔を青ざめポツリと零す。

「オレ、が……」

「アスカがイニシアチブを使ったのは無意識だ」

「無意識だとしても、純血の吸血鬼なんて上位なの明らかなんだから、ザコ吸血鬼バンプがビビんのなんて当然でしょ? 自分に懐かせる前にちゃんと身の振り方の方躾けときなさいよ、ボウヤ」

「ツバキ」

 鋭く、冷たく言い放つツバキの声を、ヒイラギの絞り出すような声が遮った。ツバキは唇を尖らせフイッと顔を背ける。居た堪れない空気の中で落ち着かない様子のアスカは、隣に立つハスミの表情を見てヒィと悲鳴を上げた。

「おっさんも! 地雷なのはわかっけどアスカっち怯えさせんなよ」

 ハスミはヒイラギの言葉に振り上げた両手でパァンと強く頬を挟んで叩く。魂が抜けたように縮み上がるアスカを見下ろしたハスミは、フゥと長く息を吐いた後、今にも消えそうな小声を零した。

「……悪い」

「あ、いえ」

 アスカはブンブンと首を左右に振って、大きく空けてしまっていた距離を密かに詰める。

「ツッコミどころ多すぎて頭ブン回してるうちに血巡ってきたわ」

 ハァと深い溜息を吐きながらヒイラギが体を起こした。ツバキはヒイラギの背中に掌を添えてソッと上下に摩る。

「白昼堂々上級退治できたんなら、今日の夜の襲来はねーじゃねえの? アスカっちのイニシアチブも効いてるだろうし、今夜は久しぶりにゆっくり過ごせそうでよかったじゃん」

「そんな結果オーライみたいなこと言って」

「実際そうだろうよ。危ない目に遭うのなんても今に始まったことじゃねーだろ? むしろ今は最強の純血様が味方になってんだ、もうちょっと泰然と構えたっていいじゃん」

「もう……」

 呆れたように吐息したツバキは、ヒイラギの首筋に腕を回して肩に額をつけた。ヒイラギは寄せられたツバキの頭に触れ、オレンジの長い髪を優しく撫でる。

 ハスミは呆然と2人を眺めるアスカの隣に添い、肩に掌を置いてキュッと握った。

「おっさんたち、今日買い出し担当なんだろ? 夕飯楽しみにしてっからな」

「食事当番はお前らだろうが」

「どうせ食材傷まない内にとか言って作り置き作るじゃん。キッチンの使用権譲ってやんよ」

「んぁ、……まあ、うん」

 曖昧な返事を零すハスミの顔をジィと覗き込むアスカ。アスカの視線を避けて空中をさ迷う視線に、アスカは不思議そうに首を傾げる。

「おっさん、凝り性で料理好きだから。キッチンの使用権譲られてウキウキしてるだけだぜ」

「ああ!」

「うるせえよヒイラギ」

「図星じゃんよ」

「あ、ねえあと、なんかすぐ食えるもん買ってきたほうがいいかもよ。シドウたちがお腹空かせてると思うし」

「あー……俺が作った焼きそば、2人で全部食っちゃったしな」

 ツバキはヒラギノ手を引いて立ち上がり、背負うとするのを拒否されて唇を尖らせていた。妥協点なのかツバキの肩を借りたヒイラギはヘラッと苦笑して顔を上げる。

「ちゃんとアスカっちにもあいつらの生態教えといてやれよ、おっさん」

「教えないでも嫌でも思い知るだろうが」

「うぇ……そんなに?」

「まあ見た目とのギャップで面白いけどね。じゃ、うちらは学校戻るし。またね、ハスミン、アスカっち」

「おー、ヒイラギ無理そうなら早めに帰ってこいよ。今日もうちに泊まんだろ?」

「うん。そうするー」

 ヒラッと手を振り2人で体を寄せ合いながら去っていくツバキとヒイラギ。アスカはフゥと息をついて、自身の左手にくっきり刻まれたまだ見慣れない跡を見つめる。

「絆の強さで張り合おうなんざ無理だぞ。ただでさえあいつらは生まれた時から一緒にいるんだしな」

「張り合うってことじゃないけど、でも、絆が強かったら強くなれるって、ハスミさんが言ったから」

「ああ……、まあな」

「オレ、強くなりたいです」

 左手をキュッと握りしめてアスカが言う。ハスミは後頭部をガシガシと掻いて首を傾けた。

「その意味で俺はお前の枷かもしれないが……それでも、お前ひとりでは超えられない限界は突破させてやれる」

「はい!」

「お前は俺を信じてんだな」

「だって、そういう約束でしょう?」

 ハスミはアスカの瞳を見つめて、微かに目を細めた。純粋な光を宿す赤眼に連想する、遠い過去の記憶。耳底に貼り付いた懐かしい声を聞いた気がして、ハスミはブルッと軽く頭を振った。

「……そうだな」

「まずは買い出しですね! シドウさんとリクには何を買っていきましょうか」

「繋ぎになるならなんでも……焼き芋でいいんじゃね?」

「焼き芋!」

「お前の分も買ってやるよ」

「ありがとうございます!」

 タンッと石畳を打って飛び上がるアスカ。ハスミはフッと息をついて、肩越しに背後を振り返る。エリアの中央に聳える円柱形の高い建物。巨大な組織が見下ろす街の、影が抱く闇は静かに息を潜める。


《3/END》

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