【0102】 旅立ち
黒子に嵌められ、イノチを落としたわたしは純白の猫に変えられた。これまでの人間関係にお別れを告げて「モノノケの白子」として新生活を始めるために、黒子と共に旅に出る。
【0102】 旅立ち
「さあ〜て、行くかぁ~」
そろそろ夜も明ける頃となって、ひと通り段取りを終えた黒子とわたしは、いよいよ出発することにした。
東の空は光がよいしょと顔を出す前兆に満ちてきた。
どんどん明るさを増す景色の中に、真っ黒と真っ白のヒト型はかなり目立っている。
「そのためのネコ型よ」
言い終わらないうちに黒子の躰はしゅるしゅると縮んでゆき、形もネコそのものになり、同時にわたしもネコにされた。
「こら。二足歩行すんな」
…そうは言っても四足歩行したことないしー、オットット。
「それも修行さぁ。馴れたらこっちのが素早く動けるし跳躍力も段違いだぞ。あとやっぱり、周りに怪しまれるだろ?」
…タシカニ。
たまに気を抜いてうっかり直立したところを撮られてしまった写真がSNSにアップされているのを見るね。あれは中身宇宙人だと騒いでるヒトもいるけどもしや。
「さてね。中身はあぁしも知らんけど、くれぐれも変なとこ写真に撮られんでくれたまい」
今の時代はもはや動画ありきだから、ヒョイと立ち上がってスタスタ歩く一連の動きを撮られたら、もはや言い逃れはできないなあ。
とにかく多少もたつきながら、わたしは黒子と並んで歩き出した。
この姿になって思考がドライになったといっても家族や故郷にはまだ未練たらたら、が正直な気持ちなので、返ってくる言葉は半ば予測しつつもわたしは黒子に身を擦り付けて言った。
…でもさぁ、やっぱり遠くまで行かなくちゃだめなのかな? ご近所で様子を伺いながら、ってのは…
「オマイがしっかりとした存在になってからならいいけど、今のひ弱な状態じゃあ、ニンゲンだった頃の思い出に影響を受けてしまい過ぎて、幽霊のなりそこないで終わるだけだ。しばらくはあぁしと一緒に修行の旅だ」
…詩吟の修行って言い訳つくったけど、あながちデタラメでもなくなったんだね。さすがにブラジル行く算段はつかないけどね。
「そのぶら汁っての、あぁしも興味はある。土地が違えばヒトも違うだろうし、あぁしらみたいな存在もきっとだいぶ成り立ちが違うだろ。きっかけがあったら行こうね?」
…へ〜〜ポジティブだねえ黒子。言葉の壁とか関係ない感じ?
「ことば? 要らんだろ? 吸った吸われたイノチのやり取りじゃ」
…お、おぅまさに修行。で、行く先の宛はあるの?
「まずは長いこと一カ所にとどまっとったから、あぁしらの仲間がどんな感じでやってるか、リサーチしないとな」
黒子によれば、この町「野比田市」の隣りの古い町(といっても電車で一時間ばかりかかる)に黒子の大先輩が住んでいるそうで、周辺の事情やらヒアリングするため遭いに行くそうだ。
「何をするんもトレンドを掴んでおかにゃにゃ?」
と言って髭を引っ張った。
…あーそーですね。
…どれぐらい先輩なん?
「大大先輩だがや。あぁしよりも千年以上長いかも?」
…いやちょ、単位がバグる! アンタらいったい何年生きるの? まず黒子はおいくつ??
しばらく固まった黒子は、頭のアホ毛で上手にハテナをつくた。
「…数えたことニャイ」
そもそも黒子のような存在は、当たり前だが産婦人科でスッポンと産まれるわけではもちろんなく、戸籍があるわけでもない。
どの時点をもって産まれたとするのかの基準もなければ、逆にいつ死んだと証明できるものもないのだ。
そういうことなら、少なくとも産まれた日は本人がそれを自覚した年月日を以て「見なし年齢」とするしかないね。
黒子がさ、自分の存在を初めて意識した時ってさ、ニンゲン界でなんか大きな事件とか起きなかった?
「おおう大事件な…なんだろな? 基本なるたけヒトには関わらねーようにしてたしなぁ…」
黒子は遠くを見るようにして記憶を辿っているようだった。
「だいたいがニンゲンなんて早死になもんだからよ? クルクルヒトが変わってって、いちーち憶えるのんも…」
…じゃあ地名、というか場所は見当つくかな?
「うーん、とにかくここよりは暖かい処だったよ?」
…モノノケも寒いのは苦手かい?
「そらそうよ。寒すぎたり乾いてる場所は物の境目ってもんがクッキリし過ぎて、あぁしらのような曖昧なもんは生き辛え。その地に合った特性を持ってれば別だがな」
あー思い出した、と急に黒子は声を上げた。
「あん時、近くにウミつー地面より遥かにでっけえ水たまりがあってよな?」
黒子は両腕を子供のように広げた。
「そのざんぶざんぶいう音がすぐ近くで聞こえる場所だった。これでわかっかや?」
…うん。その音は日本中の沿岸地域もれなく聞こえるかな?
「さよかぃ。とにかくそのウミつー水たまりの見えない向こう側から「ゲン」てヤツが来るて大騒ぎしててな」
…おおそれって、かの有名なフビライハンの…
「アントキは、そんなええもんなかったよなあ~。タルタルソースもなかったしなあ~」
…あえてツッコミませんが大事件ですね。しかも国家間レベルの。
相手国の大きさや勢いも知れ渡っていた筈だから、日本中がびびりまくった大事件だよね。奇跡的な神風で元側の船団が壊滅したから侵略されずに済んだとか? しかも二度も。
「うむ諸説ありますがそんな感じです」
…えっ?
「まぁカミカゼってのは、あぁしのくしゃみなんだけどね」
…元の連合艦隊をくしゃみで壊滅させたネコ、後世の歴史教科書に載り続ける!
「嘘じゃ。あぁし水嫌いだもん」
…なーんだ。一瞬、特撮的なスペクタクルシーンが浮かんだんだけどな。
「心外な。あぁしは大怪獣じゃねーぞ」
…でも大体時代背景がわかったよ。およそ、ン百歳かいな…場所も歴史的な戦場の近くと。そこからえらい遠くまでやってきたもんだねえ。
「一気にここまで来たわけじゃないけんどな。そこの大先輩のとこも、だいぶ最近かな」
…じゃあとにかくその千年以上先輩という大怪じゅ…大先輩に会いに行くんだね?それにしても、歩いていくしかないのかい? 瞬間移動とは言わないまでも空を飛ぶとか…
「シュンカンナントカは知らん。空を飛ぶのはやってやれないことはないけど、別に早くはないぞ? めっちゃ疲れるし。あと空は危険なんだ。まず地上で無風に見えても、上空はとんでもない強風が吹いてることもある。高くなるほど気温も下がる。あぁしも、なんも知らんで楽だと思って風に乗ってホワホワ飛んでたら、知らないうちに躰が散り散りになりかけて焦ったことあるで」
…まじかぁ怖いなあ…
「あとトリな。動物はよくあぁしらの姿が見える、て言ったけどそれはトリも同じじゃ。油断してると突然真上から降ってくる奴もいる」
…そうか、鳶や鷲は狩りのプロだものねえ…カラスも団体で襲ってきそうだし、たしかに怖い。
…でも歩きじゃいくら素端っこくても、二、三日かかるんじゃ?この際だから列車乗っていかない?
「れっしゃて、あの長ぇえ〜金物の蛇か? あの蛇なら一度乗ったことあるぞ」
黒子はぴたりと止まると、再びヒト型になってスックと立ち上がった。
黒子が立てばわたしも同じくヒトの姿になる。
これはわたしがまだ生まれたてで、黒子のステータスが自動的に反映される設定になっているかららしい。
黒子は乗車経験を誇りたくなったようで、わりと大きめの胸をツンと張った。
…うーん、コレの中身はやっぱゆうべ吸ったアレですかね…?
至近距離からまじまじと見ているわたしの視線に気づいた黒子は、なぜか焦って両腕で胸を隠して後ろを向いてしまった。
「な、何見てんだ! なんか知らんが焦ったじゃねえか!」
…ほほぅ? キミがそんな初い反応をするとは…減る物ではなし、良いではないか良いではないか。ホォ~~レクルクルクルクル。
「あァ~~れェ~~」
なんて遊んでる場合じゃなかった。
…や、お腹空いたら黒子のコレ、吸えばいいかなぁ? って。
「減るじゃねえか!」
黒子はさらに胸のガードをきつくした。
…別に出ないオッパイ吸おうてんじゃないんだから~、けち。
…そいで黒子さんよ、いつ乗ったんだい?
「いつだ聞かれてもワカラン。ただあの蛇、今見るヤツとはだいぶ形が違ったな?」
おや、そうなんだ?
「頭から煙吐いてた」
…おおおレトロ! ど、どんなカッコで乗ってたん?
「ん~~たしか……」
次の瞬間ボン! と音がして黒子の躰が白い煙に包まれたかと思うと、なにやらコスプレ黒子が現れた。
「どーよイマドキだべ?」
…キネマクイーン!
金輪際直射日光は浴びないぞ、という強い決意の巨大なつば広女優帽子、顔面の半分以上もあるグラデーションのサングラス、無駄に生地と仕立てのいい純白ワンピース、ご丁寧にフリフリの小さな日傘付きだわよ。
…な、なんとなくの年代はわかった気が……おっと?
わたしは思いついた。今後のこともある。
移動手段が多いに越したことはないよね?
ヒッチハイクはいろんな意味でリスキーだし、距離が長くなるほど鉄道の方が圧倒的に速くて安心だ。
ニンゲンではないので無論のこと無賃させていただくわけだが、ならばなおのこと目立たぬように、今の時代に溶け込んだ装いをせねばならないよなあ。
とりあえずは旅セットということで、二人でコスチュームをそろえようそうしよう。わたしは急にウキウキしてきた。
言葉で説明しても伝わらないので一旦ネコ姿に戻り、駅へ行く道すがら町唯一の書店に寄ることにした。
書店といっても専門の本屋さんではなく、中学校と高等学校の通学路に面した店なので、その年齢層向けのファッション雑誌や一般に売れ線の書籍が少し置いてある文房具屋さんだ。まだ早朝だから店は開いてないだろうけど、店頭は大きなガラス張りで、そこから雑誌が見える配置でラックが置いてあるから、うまく行けば表紙のモデルが着ている服ぐらいは見えるだろう。
…さっきのレトロ女優ファッションはいったいどこから元ネタを?
街道と並んで流れる小川に沿った、街道とは反対側の農道を駅に向かって歩き出しながらわたしは聞いた。
「あーあれはあの蛇が初めて近くを通るってえんで、見に行った時にその蛇から降りてきたオンナさぁ。それ見たニンゲンどもが大騒ぎを始めたんで近くに寄ってずっと見てた。確かになんかハンパねぇカンジがしたんで、あぁしもカッコを真似して蛇に乗ったのさぁ」
…ぅおなんて大胆な。それにしても再現度高かったね。みんなびっくりしたんじゃ?
「アタボーよぉ。みんな目ン玉真ん丸にしてあぁしを見たさ。叫んでひっくり返るヤツやら固まって動けないヤツやら、あとは後退りして席を空けたんで、あぁしはど真ん中に座ってポーズとってた」
…えっとさっきのは、頭から爪先まで、まんまその時の再現?
「うむなんかよ~~く憶えてたからな。まったくあの通りさ」
…な…なるほど? それは確かに後退るかな…いやわたしなら気を失うかも。
「なんでだよ?」
黒子の顔。
「…あ」
…いきなり目の前に真っ黒の毛むくじゃらで金色の目をしたネコ顔の女が現れたら、そりゃね…?
「ちぃ…」
黒子は無念の表情をした。
今の時代ならあっというまに写真も動画も撮られてSNSにアップされて数秒で世界中に拡散だね。まー作り物だと断定されるだろうけどね。当時のことだからどっかの瓦版とかで怪異譚としてちょっと話題になったかもだけど。
…黒子もけっこう迂闊だったんだねぇ。くすくす。
「はぅふ。」
黒子は無言でわたしの首根っこを噛みにきた。
…おっとぉ。ホホホ。そんな怒りにまかせた攻撃など当たるものですかホホホ。
「待てコンナロァ〜!」
白黒のネコ二匹はピョコピョコとじゃれながら農道を進んでいった。
*****
やがて街道沿いに明らかに人家が多くなってきて、わたしの通う学校も見えてきた。ここが我が野比田市郷瑠後田のメインストリ―ト。
…皆さま街道商店街いちばん右手に見えますのは町唯一の総合病院海東医院、そのお隣が薬局、そして郵便局に不動産屋さんなど、とりあえずの暮らしに必要な店舗施設が並んでございますぅ。街道と直角に交わる町道を入って突き当りまで参りますとわたしの通っていた野比田高校がございますぅ。街道から町道に入る角に、目的の文房具屋さんがありますのですぅ。
「ほん? ここかぁ。あんまり街場には近づかないようにしてたんで知らんかったなあ」
黒子はキョロキョロと辺りを見回しながらそう言った。まだ夜明けを過ぎたばかりのメインストリートは静かでヒト通りもない。
学生の通学路ということで、文房具がメインだがついでにという狙いで書籍類も置いてある。ハードカバーや文庫本、辞書などは奥の書棚に並び、店舗入口付近のラックには様々な週刊誌月刊誌が立てかけてあって、外からガラス戸を通して見えるようになっている。
「婦人手帳」、「暮らしの光」、「囲碁ワールド」などのアダルティー方面じゃなくてもっと我らが青春真っ只中の…
…「PocCoTeen」…いやいやこれはバリギャル全部盛り、こんなど田舎では却下…って?
「ハァハァ…」
ガラスを割らんばかりに顔を押し付け、却下したポップギャルズの表紙をガン見して超興奮状態の黒子がいた。
…アンタこっち系だったのか! いやね、黒子、これもいいとは思うけども、その、ヒトに化けるにはやっぱTPOというモノがあってだな…今回はこっちの…って聞いてねえ?
「ウハ。ウハハ。ちっとあぁしが見ねえ間に世間はこんな…こんなチョヤバなことにじゅるrrr」
瞳孔が開いてしまっていて口からはヨダレが滝のように。そうか黒子も女の子だったのだな。それにしても元寇の世の生まれにしていきなりコッチに走るとか…いわゆる傾奇者だったのか??
すでに部分的にギャル系のギラギラモリモリコスに変身しかけていた黒子の頭をがっしと掴み、渾身の力で隣の雑誌にギリギリと方向を変えた。
「グ…ゲァアアアア…ゴェエエエエエエ」
この世のモノならぬ奇声を発し、黒子の本能は抗った。
…だめえー黒子!ソッチへ行ったら戻れなくなる! ぬおおお…くらえ「女学生の友:お誕生日会訪問マナー特集号」!!!
メキメキメキ…バキィ!!
その破壊力は黒子の顔と言わず頭と言わずコッテコテに覆っていたすべての光り物を一瞬で引き剥がすものだった。
「ギィイヤアアアーーーーイモォオオオオス!!」
目から巨大な火柱をあげて、怪ネコは地響きを上げながらゆっくりと崩折れてゆく。
もうもうたる火の粉や煙が晴れたあとには、消し炭と化した黒子が横たわっていた。
「……ヒィン…クスン。しく、しくしく……」
黒子。世の中に出るっていうのはね、透き通ってキラキラしたものを脱ぎ捨てることでもあるの。光ってばかりいたら悪目立ちしてしまって、世間からは攻撃対象になってしまうの。わたしたちはこれから目立たぬようにそっと生きていかなければならない。もう、オトナにならなければならないのよ。
わたしはプスプス煙を上げている黒子の頭を撫でながら、優しく諭した。
そんなこんなで泣きじゃくる黒子をなだめすかし、ようやく地味系ファッションに軌道修正させたわたしも、自分でもヒトコスができるようにやり方を教わった。
あとふたりとも、ネコ顔白黒のままでは、ばぁばの若い時代に流行ったという目玉がちょーでかい「シロコサンクロコサン」という某化粧品のイメージキャラクターそっくりになってしまうので、普通の肌色に近づけた。
今はとりあえずの隠れ蓑なので、これからおいおいブラッシュアップしてゆく所存。
無表情で拗ねている黒子をなだめすかし、わたしたちはヒト型の姉妹というていで駅へ向かうことにした。
お金を持ってないので切符は買えない。ヒトならざるモノなのでどうかご容赦。今後の出世払いということでひとつ…。
「なぁにゴニョゴニョ言ってんだオメ。行くぞ」
躊躇しているわたしの襟首を問答無用で掴み、黒子は軽々と駅の天井近くまで浮かび上がって改札を越えた。
「あまりニンゲンだった頃のことを引きずってるとな、いざと言うときヤラレっぞ? もう割り切れ」
…へ~い。
自分だって今しがたまでグズグズ泣いてたくせに、と思ったが言わすにおいた。左耳の小さなピアスだけは残していいから、と言ってようやく納得させたのだ。まったく何百年も生きてきて、とんだ…おっとぉ!?
「……」
目だけ巨大なネコ目に戻した黒子が至近距離から瞳孔を針のように細めて睨んでいた。これはこれで怖い。
「言わんでもわかってしまうワケだが?」
…えっへっへ、ゴメン。
…それよりそろそろ地面に降りないといつ駅員さんに目撃されてしまうかもしれない。降りて降りて。
ひゅるるるる。と、どっかで聞いたような音を立ててわたしたちはゆっくりと舞い降りた。
見回してもまだ乗客はいないようだ。
静かな駅の構内に、わたしたちが履くスニーカーのラバー音が柔らかく響いた。
やがてアナウンスもなく、ゆっくりと二両だけのディーゼルカーが独特の唸りを上げてやってきた。
わたしたちが目指す町、古乃宮市の駅を通る各駅停車の列車だ。
ブレーキが軋んで所定の位置に停止する。
駅名のアナウンスもない。早朝だからサイレントモードなのだろうか。
わたしたちは連れだって二両目に乗り込んだ。
シートは車両の両側に長く置かれたベンチシートタイプ。
先客は大きな四角いかごを自分の前の通路に置いた、手ぬぐいを姐さんかぶりにして野良着を着ているおばあちゃんひとりが、やや離れた斜め前方に座っている。かごはずいぶんと大きく、オトナのヒトも入れそうなぐらい大きかった。竹なのか藤なのか、たいそう年代物らしく、全体が渋い茶色にくすんで、昇り始めた朝日を受けててかてかと輝いていた。確か「郡」という伝統的な入れ物だ。
他一両目にも見た限りでは乗客はなさそうだった。
おばあちゃんはこちらを気にもせず、開いているのか閉じているのかわからない目を正面に向けたまま、微かに笑うような表情で、胸ポケットから伸びた片耳イヤホンを聞いている。携帯ラジオかな。
発車ベルもなく、いつの間にかホームに現れた駅員さんの確認動作と控えめな笛の音でドアがしまり、電車はゆっくりと動き始めた。
「なんかえれー静かだなー?」
黒子はキョロキョロと車内を見回しながら言った。
…そう? ディーゼルカーだからそれなりにうるさいと思うけど?
「ああぁしが乗った時はもっとこう」
黒子は意味不明なジェスチャーをした。
「シューッとかポーとかガッシュガッシュとかさわがしい蛇だったな。もっと長かったし何より煙ひどかったし」
…そりゃあね。そこはいろいろと技術革新とか。
「ギジュツカクコキケ…ふぅん?」
黒子は興味なさそうに鼻を鳴らした。
「食えねぇ蛇だからどーでもいっけど」
黒子…やっぱり生きてる蛇とかも、食べるのん?
「おーてりめーだ。オマイ、ニンゲンの生気なんざめったに吸えるもんじゃねえし、哺乳類獲って食うには本物のネコみたいな重さと力が足りない」
その点、爬虫類系はあんますばしこくないから、だそうだ。
ま、わたしもイモリにヨダレしてしまうほどにまで嗜好が変化したので、きっと大丈夫だろう。
*****
わたしたちを乗せた列車は、八割がた田園風景の中をのんびりした速度で進んでいく。朝靄たなびく田んぼの中にポツンポツンと、大きな木を中心とした小規模な藪が点在している。
中でも大きめな森の中には祠らしいものが祀ってあるところがあり、ひときわ巨大な樹木が鎮座して、いかにもナニカいそうな雰囲気だ。
こういう場所が、あのモ~~ォと叫ぶトロル的な存在の隠れ家だったりするのかな。ネコ型バスとかあったらいいなあ~~、などとぼんやり妄想している間に次の駅へ到着するようだ。
「つぎはぁ~にしょいばなしゆでば」と低い声でぶっきらぼうに、地元のヒトでければ二百%ヒアリング不能の車内アナウンス。
この時間は地元のヒトしか乗ってないだろうからわからなくても大丈夫ではある。
一応「西大石旧停車場」て言ったんだけどね。
昔、操車場があったとかで、今は使われておらず、人家もあまりないので基本は無ヒト駅になっていると聞いた。なるほどホームは長年風雨に打たれてコンクリートが洗い流され、ぼこぼこした表面を晒している。
目指す古い大きな街の駅までは一時間弱、数個の駅がある。
ターミナルになっていて都市や他の地方へ至る線もつながっている。そこを抑えておけば、今後あちこちへのアクセスが便利になる筈だ。
停車中の数分間、小鳥の声以外はほとんど静寂が支配していたが、またアナウンスなしで圧縮空気がドアを閉じ、発車した。
鉄輪がレールの継ぎ目を叩く音が軽やかに響く。
ふっと見るとおばあちゃんが増えていた。
さっきの駅で乗ったのだろうが、全く気づかなかった。話し声も足音も聞いたおぼえがない。
新しいおばあちゃんもやっぱり野良着を着ていて、最初のおばあちゃんの隣によいしょと座り、かごを自分の目の前の床に置いた。
多少服の柄と色が違うぐらいで、姐さんかぶりの手ぬぐいも顔の表情もほぼ一緒である。
お互い挨拶を交わすこともなく、最初のおばあちゃんは前方を向いたまま動かない笑顔でラジオに聴き入っていて、後から座ったおばあちゃんも同じようにイヤホンをして同じ表情でラジオを聴き始めた。
これは偶然の出来事なのだろうか? ちょっと不気味な気はしたが、挨拶する必要もないほど親しい仲であれば、あり得ないことではないかもしれない。
横の黒子を見ると、むしろおばあちゃんたちの方を見ないようにしてなんだか真面目くさった顔で前方を見ている。
…ねえ黒子?
「あんまり見るな、みんな注目されるのは嫌がる。どうしたって緊張してまうからな。そうすると空気が悪くなる」
…えっと…?
「知ってるよう。ニンゲンじゃねえ。もっと言うと」
黒子は座ったまま両手を上げて欠伸した。
「車掌もニンゲンじゃねえ。さらに言うならばだ、この乗り物自体、機械の蛇じゃない」
…ええええ??
「本物のレッシャの始発はもう間もなく出るけんど、その前にあぁしらみたいなもんを乗せて走るレッシャがあるのさぁ」
黒子は得意げに鼻を鳴らした。
「オマイ駅でキップ買わないからってココロで謝ってたがよ? ちゃんと運賃は降りる時、強制的に生気持ってかれっから、心配すんな。もちろん遠くまで乗れば乗るほどたくさん持ってかれっから、生気の残量に気をつけないとだが」
そんな交通システムができているとは! あなどれませんモノノケ界!
「あぁしらも全くのバカじゃねぇ。ニンゲンが便利そうなもん使ってたらちゃんとパクるのさ。無論ニンゲンにバレねえようにだが」
そうかどんな世界も日々変わっていくのだな、と感心する。
次の駅に着くとさらにおばあちゃんが増え、また隣に座って同じくラジオを聞き出した。
他にも何人(?)か乗ってきたようで、昔のお侍のような格好をしたヒト、なんだかわからないけど影っぽいやつ、列を作ったカルガモの親子、電車の床で釣りをしているナマズとか、実に多様な者たちがのってきている。さながら通勤列車だ。
その後の駅で降りたり乗ったり、いろんなモノが見れて楽しかった。どのヒトたちも黒子やわたしには目もくれず、自分の用を済ますために去っていった。
過ぎ去る景色の中に、朝の農作業に出かけるのか、ちらほらと軽トラックの姿が見えだした頃、わたしたちの乗る列車は目的の古乃宮駅に滑り込んだ。
ばーちゃんズは一駅ごとに増え続けてシートに連なってゆき、最終的に八名を数えた。
彼女らもこの駅が目的地、もしくは乗り換え駅だったようで、おもむろにくるくると回りながら大きな毬のようになり、自分の目の前のかごに入った。八つのかごは大きなムカデのように連なりながらドアを抜け、電車の外に出ていった。
他のモノたちも降りてゆき、黒子とわたしも降りた。
その瞬間、軽い衝撃と共に躰から何かを抜かれた感触があった。なるほどこれが運賃徴収か。遠くまで乗ったらもっと強い衝撃があるんだろうな。憶えておこう。
列車は先頭がでっかい蛇になってぺろりと舌を出し、車掌と共にすうっと消えた。
本日の営業は終了したようだ。
…ええと、黒子。こっからはどこへ?
ネコの姿に戻ってしばらく耳と鼻、ヒゲをぴくぴくさせて辺りの様子を伺っていた黒子だが「こっち」と言って駅の一方の出口に向かってぴょこぴょこ走り出した。
魔列車と知っていれば別にヒト型になることもなかったな…ファッションだって黒子の好きにさせてよかった。
「なぁに、白子の練習でもあるからな。今後は二人であちこち出かけるようになるから、今のうちにニンゲンの街や暮らしに慣れとくさ」
黒子はなんだかエラソーにそう言ったが、ふと立ち止まり
「ここらにもきっとあの本があるだろ。あとで見に行こう。もっとよく見てパーペキにパクっちゃる」
決意新たにそういうのだった。筋金入りだな。
そろそろ朝早い職業の人々があちらこちらと街に出だした。本物の列車も走り出す頃だ。
…黒子、ここからは歩いていくの?
「ウン、白子、ちょっと小っちゃくなれ」
言いながら黒子はネコ型に戻った。同時にわたしもネコ型になる。
…へ?小っちゃく?
「簡単だ、思え。アタチは小っちゃい仔猫ちゃん」
…お、おぅ。アタチは小っちゃい仔猫ちゃん。
たちまちわたしの躰がスルスルと縮み、仔猫サイズになった。
黒子は仔猫になったわたしの首根っこをぱくっとくわえると、家屋の庭といわず軒下や屋根といわず、縦横無尽に駆け抜けてゆく。
…すげー黒子!
わたしはとても感心して叫んだのだったが、ヒトにはきっとただの仔猫の鳴き声にしか聞こえなかっただろう。