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モのの毛 -- mononoke --  作者: 低血猫じゃらし
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【0101】 白猫爆誕

挿絵(By みてみん)


わたしがあの黒ネコと出会ったのは、雲に(おお)われた暗い夜のことだった。


というかわたしは殺された。


片田舎の町のさらに外れの沼の中。


昔からあった小さな沼を掘り広げて作った農業用の貯水池なのだが、地域のヒトは変わらず昔の名前で田螺(たにし)沼と呼んでいた。

その沼のほとりで、わたしは男たちに襲われた。


闇の中で錯綜する足音。


(にご)った息遣い。


唸り声。


いやな臭い。タバコの臭い。


血管。鼓動。暴力。


そんな夜になぜそんな物騒な場所に行ったのか


お金がなくて暇を持て余した不良と呼ばれる若者がたまにお酒を買ってきたりして煙草を吸いながら屯している、わたしのようなパンピー学生には危険な場所だということは地域でも学校でも有名だったのに。


そこは街道から脇道を五十メートルほど入った普段からヒト(ひとけ)のない場所で、灌木(かんぼく)を中心にした木々が縁に沿ってまばらに茂っている、周囲百メートルほどの沼だった。何を入れてあるのかわからない、窓もない小さな管理小屋があって、脇道から小屋に繋がる部分は管理者が駐車のために粗く草を刈って砂利を敷いてある。

背の高い木は数本しかなく、街道からぱっと見、それほど見通しが悪そうには見えない。

しかし夜ともなればその木々が目隠しとなり、街道に点々と光る街灯は、脇道の奥までは照らしてくれない。

夜は滅多にヒトが来ないのをいいことに、だいぶ以前から地元の不良たちが車で乗り付けて、遅くまで管を巻く場所として有名だ。『田螺沼集会所』という通称まであった。

地元でヤンキーデビューしたい悪ガキは、「センパイ」に引率されて必ずここを表敬訪問するとかそんな伝統もある、という話だった。


わたしは地元の高校二年生で、部活のために帰りが遅くなり、人家が少ないため街灯以外ほとんど灯りのない街道を愛車チャーリー号(自転車)を駆って急いでいた。

日はとうに没して遠い山の端にほんの少し赤みが射しているだけ、あとは八割方厚めの雲で覆われていて常より一層かった。もしも雨が降ってきたら途中で宿る軒先もない。

だから、何もなければそのまま沼など見もせず一気に駆け抜けるはずだった。


でもその日は自転車のライトに反射してキラリと光る二つの眼を見つけてしまった。

遠くに見える人家や街灯の光とはあきらかに違う足元の暗がりで、それは光った。


動物の光る瞳孔。ずいぶんと小さい。

通り過ぎた車のヘッドライトでさらに明らかにされたその姿はまだ幼い黒ネコに見えた。


わたしは自他ともに認めるNEKKO KITTYネコキチであり、ネコ、しかも子ネコを道端で見つけてしまったらスルーなどできよう筈がない。


わたしはその場で自転車を停め、子ネコの方に向かっていった。


野良ネコだろうか、母ネコとはぐれてしまったのだろうか?


街道はほとんど直線で何もないので、自動車がまばらな台数ながらも結構なスピードで行き交っている。


このままだとわけもわからず道の真ん中に飛び出て轢かれてしまう可能性が高い。


わたしはネコちゃん、黒ちゃん、チッチッチと驚かさないよう声をころし、足音をたてないように近づいていった。


ネコはわたしの到着を待つように無言でこちらを凝視したままうずくまっていたが一定の距離まで近づくと手が届くギリギリ手前でプイと飛んで短い尻尾を振り立てて逃げる。


それを何度か繰り返しているうちにいつの間にか沼への脇道を随分と入ってきてしまったことに気づいてドキリとした。


わたしはかがめていた背を伸ばして沼の方を見やったが、停めてある車やヒトの姿は確認できなかった。


けれどやっぱり不気味には違いなく、気が急いてきたわたしは

待って、待って。

と言いながら捕まえられないまでもせめて街道からできるだけ子ネコを離そうと、半ば子ネコを追い立てるようにしてちょこちょこと走った。


そしてほとんど沼の畔まで来たところで子ネコはまたわたしの手を逃れ、茂みの中へ飛び込んで見えなくなった。


わたしはこれが限界だと思い立ち止まった。


立ち止まって背を伸ばすと血管の音が鳴り響いた。急激に不安が増してきたので、だれも来ないうちに街道へ引き返そうと振り向いたその時。


ジャリッ。


と音がして強い力で腕を掴まれた。


驚愕(きょうがく)のあまり呼吸すら止まった。

反射的に踏ん張って引かれる力に抵抗した。


途端に複数ヒトの息遣いがしだした。

バタバタと足音が聞こえ、黒い影がのしかかるようにわたしに急接近してきた。


二ヒト、三人?


おい足つかめ、足。

息を切らしながら男の声が言った。


ほとんど何も見えない中で、制服のスカートが強く引っ張られた。

それを振りほどこうとまた後ずさる。

小石や砂をこする靴音。


スカートの掴み方が不十分だったのか、手がはずれたのを感じた。


わたしは急にスイッチが入ったように街道へ向けて走り出した。


と、思った瞬間に両足を太い腕で抱えられた感触があり、わたしはつんのめって頭から先に転倒した。


視界が真っ赤に光ったと思ったらそのまま意識を失った。



*****



気がつくとヒトの気配は何もなく、夜の風がそよそよと吹いていた。


いつの間にか仰向けになっていたわたしの眼には、雲の切れ目からいくつかの星が見えた。


わたしは気を失っていたのだろうか。

男らがいないということは、やはり罪が怖くなって放置して帰ることにしたのだろうか。


しばらく耳を澄ましてみたが、数十メートル離れた街道を時折車が通り過ぎる音と、風に葉がこすれる音が聞こえるだけだった。


衣服や躰を調べてみたけれど、特に破けたり、傷ついたりしてる部分はないようだ。ゆっくりと起き上がった。

起き上がはじめは、なぜか自分の体重が三倍もあるように感じて再び倒れそうになった。もう一度気力を振り絞って立ち上がってみると、に重さが嘘のようスッと消えて、むしろ軽すぎるように感じられた。



…そうだ。ネコちゃん?


ヒトがバタバタと騒いだからきっと逃げてしまったのだろう。近くにいる気配はもうない。


ここへ来てからどれぐらい時間が経っただろう…?


とにかく自分の持ち物と自転車を探そう。脇道に入る手前の街道沿いに停めたはずだ。


危なかったけど結果的には何事もなかったようだ。家族が心配する前に早く帰らないと。


わたしは歩いて街道の方へ行きかけた。


「うーん、それは、どっかなと思うけんど?」


ふいに若い女性の声がしてわたしはビクリと立ち止まった。


誰? と聞くよりもまず若い女性の声だったことでわたしのどこかが安心したのだろう

のろのろと声の方に顔を向けた。


ふたつの光る眼があった。

さっきの子ネコの金色に光る眼だ。


それにしても先刻に比べ、なんだかずいぶん大きい気がする。

もはや子ネコではなく、どころか大ヒトのネコにしても大きい。


なるほどわたし頭を打ったみたいだからなあ。

あるいは一連の出来事を受容しかねて脳的に幻聴を聞き出したのかも。


そう冷静に判断すると再び前を向いて深い方へと歩き出した。

わたしの立ち直りの早いことは子供の頃から定評がある。


ミスや敗北はいつでもドンマイである。

最初に誰が言いだしたのか知らないけれど、

自分であろうが他ヒトであろうが

ドンマイの一言で気持ちは一変するのだ。


体育会系みたいだがわたしが言うのだから間違いない。だが今はそんなエッヘン面をしている場合ではなさそうだ。


わたしは気を取り直して歩を進めた。

「止めはしねっけどお?」


今度は明らかに金色の目が喋った。

正しくは目の下の口だろうけれども、らんらんと輝くその瞳はまたたかなくとも口ほどにものを言った。


黒ネコスタンダードの金色だ。


「なぁにしてももはや死んでんに、そんのまま帰っても誰も気づかねえと思んだがに」


……。


幻聴のくせにおかしな訛りなど入れて、この地域も立派に田舎だから訛りぐらいはあるけど、初めて聞く訛り方だ。死んでんに? 「死んでるのに」かな。重ねて死ぬてぇ…だがに? だがにってなんかオモロイなどこの言葉だろう…「誰も気づかねえ??」…なんだって?


「だーらアンタはすでに死んでんだがに」


…ひでぶっっ???


思わずどこかで聞いたような悲鳴をあげて、わたしは蹈鞴(たたら)を踏んだ。


*****


…わたしが? …死んでるって? でも現にわたしはこうしてピンピンしていて…


それを証明するためにわたしはラジオ体操第一を始めたが、

振っている腕に重さを感じない。

腕を振り回すと手先に血液が移動する感覚があるのだがそれもない。

まるで夢の中のように、体を動かしている感覚が薄い。


そしてなんだかわたしは透き通ってきたようだ…?


混乱と恐怖で思わず黒ネコの眼を見た。


「ようやっとわかってきたかや?」

なぜか上機嫌な声でそう言った黒ネコは、隠れていた草むらからむくむくと出てきた。

出てきたというより、ネコがその場で急に巨大化した、というのが正しい。


そうして普通のヒト間サイズになった黒ネコ? は、耳こそネコそのままに頭の両側に飛び出しているものの、暗がりに浮かぶシルエットは完全に人間の女性だった。


「彼女」が話したところによると、

大凡(おおよそ)の流れはわたしが意識を失うまでに見聞きした通りで、わたしは逃げようとして大きく跳躍した瞬間に、膝あたりを男たちのひとりに抱えられ、脚が浮いた状態で勢いよく前に飛び、地面に半分型埋まっていた大きな石に頭部を強打してそのまま動かなくなった、ということだった。


男たちは最初気を失っただけと思ったようだが、息をしてない!から始まって脈もないのがわかり、大変に慌てて右往左往したようだ。


「あはぁ〜。あんな脳みそもねぇ小僧っ子どもにすりゃあ、まさか死ヒトが出るとは想定外すぎてうろが来ちまったんだべな?」

彼女はケタケタと笑った。


…ちょっと!他人事だと思ってその笑いムカツク!


改めて男たちと、笑った彼女にも怒りを表明するわたしだった。


男たちはしばらく仲間同士ミスをなすりつけあっていたそうだが、とにかくこのままにしていては、夜が明ければ事態が露見してしまう、という結論に至り、車に積んであったらしい工事用のシートを広げてわたしの躰とわたしが乗ってきた自転車チャーリー号を包むと、できるだけ大きな石を潜り込ませて重しとした。


そして三人はわたしと自転車セットを持ち上げて行けるだけ深いところまで行くと、いっせーのーせーで沼の中央部めがけて投げ飛ばした。力だけは有り余っている男三人の投擲、しかもこんな時だけ息ピッタリ。ブルーシートの簀巻(すま)きはかなり遠くまで飛んで沼の真中付近に落ちた。


わたしを包んだビニールシートはボコボコと大きな泡をはじかせつつ、次第に沼の底に沈んでいったそうだ。この沼の中心部あたりは十メートル前後の深さがある、と聞いたことがある。


アイツら小学生と同じ思考レベルでヒトの躰を沼に沈めやがった。

「沼」というのはオンナの敵だとは古来言われている警告だ。

存在としてもヒトとしても言葉としても一度ハマったら最期、絶対に幸せになれないどころか言葉通り不幸の沼底に引きずり込まれてしまうのだ。いや話が()れた気がする。


「危険なので一刻も早く柵で囲うなどの対策を」と何度も沼を含む土地の持ち主に対して通告がなされていたし、「これぐらい深いし、岸辺は滑りやすく危ないので決して近くで遊ばないように」とはわたしが子供の頃からずっと言われてきたことだ。

これでいよいよ柵の設置を急がねばならないと、町も真摯(しんし)に受け止めるだろう。って遅いが。

それよりもまず、わたしが沈んでいることをいつ誰が気づくのか。


そこまで考えて、ようやくわたし自身の死というものを実感し始めたのか、

わたしの躰は透明度を増し始めてほとんど見えなくなった。

それでもここまで理不尽なめに遭わされた恨みつらみは消えるわけがない。


「全員ぶちコロシテやりたい。ギッタギタに刻んでやりたい」

わたしの躰も何もかも、なかったことにされたのだ。何も、何も悪いことしてないのに!


…そう思って当然でしょう違いますか!?

わたしは沼の畔の空き地の中心でそう叫ぶ。


「じゃーあさ。その恨み晴らすまで、この世にいるかい??」


…えーとそれは幽霊になる、ということかな? それともやっぱり強い恨みとかがあれば自動的に蘇ったりするものなのかな?

「まぁ〜そこまでお手軽なもんでもねぇけども」


…ああそうかまだ死んだばかりだから躰を取り返せば生き返れるのかもしれない。じゃあ早よわたしの躰を沼の底から引き上げてよ早く早く!

「それぁ〜、無理だ。沼の底にも行けないのに重い躰なんて持ってこれっか?」

…なんだよ使えねーな!

「オイ。」

わたしがイラツイて放った言葉に彼女もすかさず突っ込んだが、ただのノリだったようだ。


「そうは言っても死んだオマイがこの世の者にちょっかい出せるまでになるんはじんじょーでねぇっからなぁ?」


しばしわたしを見ていた彼女は何やら口の中でごにょごにょと唱えだしたが、ふいに「オマイ、名は?」と、問うた。


…え?…上白石(かみしらいし)(とうげ)羽生子(はぶこ)


「ン〜〜長ぇなぁ~…んとじゃぁ〜、白子(しろこ)な」


…いや略し方、雑!


「あぁしゃ、黒子。」


…自分の名前も雑か!


黒子と名乗った彼女は、やおら屈んで自分の両脚を掴むと逆さまに持ち上げ、顔の前でくるくると丸めた。


物理感覚を無視した描写だけど、その通りなので仕方がない。


そして両手で捧げるように持ち上げると、元は脚だった塊は謎っぽく回転する朧な球体となって 宙かんだ。


「これより黒龍院権兵衛府薊方鯖缶無印良子(こくりゅういんごんべえふあざみかたさばかんむじるしのよしこ)の名に於いて我が半身を受け渡す。命名、白子!」


…えっと、アンタさっきの雑な名前は?? そんでこっちだけ雑なまま??


「呑みや」


…はい?


「この玉をば、一息に呑みやれ」


…え……やだ。第一でかいし。ついさっきまで他ヒトの下半身だったものだし。無理。

「四の五の言わんで呑めやホラア!!」


彼女はキレたように叫ぶと球体を引っ掴んでわたしの口にぐいぐいと押し付けた。


…無理無理無理無理!なんかキタナイ!

「ア??」


黒子の眼に凶暴な光が宿ったと思った刹那、彼女はありえないほど口を大きく開け、自らその球体をばくりと咥えるとわたしの口を両手で裂けよとばかりにこじ開けた。


…アガッ? あがが!!


あの男らよりも凶悪な暴力じゃねぇか!!

言葉にならない悲鳴を上げているわたしの口の中に彼女は渾身の力で球体を吹き込んだ。


「ぶっ!!!!!」


顔より大きな球体を強い力で吹き込まれ、わたしは目を白黒させながら飲み込んだ。

肉体がないからどうということはない筈だけれど、気持ち的には喉が顔より大きく膨らんだような気がしたが


ぐっぽん!


…あばっ!? がばばばばばぶべこっきゅん!!げふっっ!!


女学生にあるまじき異音を響かせながらわたしはその真っ黒けな球体を呑み込むしかなかった。呑み込んで一息つく間もなく今度は胃のあたりに収まったらしい球体に向かってわたしの躰の全てが渦を巻いて急速に吸い込まれだした!

…ぬ、ぉおおお? 


激しく回る景色の中で、わたしはヤツの目がとても嬉しそうに爛爛(らんらん)と輝いているのを、確かに見た。

コイツ、なんで喜んでんだ??


呑んで呑まれて回されて、わたしの意識はまた飛んだ。


…ケッ! ケッ!

気がつけば真っ白な子ネコが嘔吐するように何度もえづいていた。

というか、それがわたしだった。


…クション!クション!クション!ッキショーホラァア!

可憐な女学生、今は愛くるしい純白の子ネコがえづきの後はクシャミの連発だった。


「ウンウンいけたなぁ。上出来上出来?」

黒子はわたしの首根っこを掴んで軽々と持ち上げ、満足げに言った。


…待って? 復讐させてくれんじゃないの? こんなチビネコでどうしろと?

「でぇーじょーぶだ。無問題無問題」

黒子はニヤニヤしながらわたしをぶら下げたまま、灌木の陰に歩いていった。

そこにあったのは岸辺の地面に黒々と横たわる、複数のヒト間の躰らしき影だった。


「さっきの三匹さぁ~。オマイが死んでる間に眠らしといたんだ。さあて」

すごくウキウキした声で黒子は言うと、転がっている男らの頭を順繰りに蹴飛ばした。

「ふがっ?」「ごっ?」「ゥ゙ッ?」


…いや待って、いったいどうすんの?

「三匹いるから一匹やる。まずは栄養補給だけんど、生まれたばかりで大の雄三匹はさすがに手に余らっさ。なあに」

黒子は男の頭をカボチャか何かのように雑に叩いた。ポクポク。


「術で幻を視てる真っ最中さぁ。そう簡単には起きねぇよ。…ん~いちばん頼りなさげな、この若いヤツがよかんべ。?」

ホレ、とけり転がされた男はそれでも目覚めないようで、ニチャニチャした声で何やら呟いただけだった。


黒子は一ヒトの首根っこを掴んで引きずり、もう一ヒトを乱暴なドリブルで転がして離れた場所へ移動した。


…待って待って、どうすれば?

「よおく目を凝らせ。躰の周りにモヤモヤしたもんが見えねーか??」


なるほどしばらくじっと見つめていると、動かない男の躰の周りが微かに発光しているような、(もや)に包まれたような…?


「見えたな。それだ。もっとよく見てみろ。モヤモヤのシッポみたいなのが出てる筈だ」

言われた通りさらに目を凝らしていると、躰の中心部あたりにチョンと短く飛び出している部分が見えた。


「それ。それに食いついて思いっきり吸え」

わたしはその小さな突起をパクリと咥え、パ◯コ(某アイス商品名)を吸う要領でちゅーっと吸ってみた。

一瞬、男の躰がびくっとしたがすぐ収まった。


そして、えも言われぬまったりとした何かがわたしの躰に流れ込んできた。感覚としては非常に濃いめに作ったプロテインというか重湯(おもゆ)的な感じもあるし、味がどうと言うより、とにかく濃くて満たされる感が強い。

最初は溢れるように流れ込んできたが、何度か吸うと出が悪くなってきた。


「よしよし順調。出が悪くなったら両手で踏み踏みしてみろ、その時にイチバンいいのは耳元で囁いてやることだ」

…というと?


「いいか、この二ヒトのモヤモヤをよう見てな??」

言われた通り男二匹のモヤモヤを注視してみる。わたしが担当している男よりも気持ち薄い気がする。


黒子は並べた躰の頭の近くで、突如声を出し始めた。

「にゃあん。いやあん?」

聞いてるこっちが恥ずかしくなる嬌声というやつだ。


しかし如実(にょじつ)に効果は現れた。

男たちのモヤモヤが声と共に一瞬波打つと、ミルクのように白く濃密に現れた。


「わかったかい。相手によってやり方は違うけんど若いオスにはコレがイチバン効く」

そう言って黒子は男たちのモヤモヤのシッポからそれぞれモヤモヤを吸い込んだ。


吸われた瞬間男たちのからだはビクンと震え、夢うつつの中で甘ったるい悲鳴をあげる。


「はンム」

「ふみィ?」


しばらく吸うとモヤモヤは明らかに薄くなった。そうするとまた黒子は恥ずかしい声を吹き込む。するとモヤモヤはまた濃厚さを増す。これを繰り返すだけらしい。


だがしかし。


…花も恥じらう乙女が、んな声出せるかあ!


「乙女は死んだ。恥なんて感覚、ニンゲンの妄想じゃ。ホント自分から無駄な縛りを設けてヨガるのが好きだよな? ニンゲンてまじヘンタイ」


黒子は急に身も(ふた)もない意見を述べると、ふたたび摂取作業に戻った。


「要らねんなら置いとけ。あぁしが後でもらう」


「だけどいいか? せっかく作ってやったその形も摂るモン摂らねば虚空に溶けて無くなるで」

そうだった可憐な女学生わたしは死んだのだ。今は白子という雑な命名を受けた、それでも愛くるしい白ネコ……の形をした何かだ。

そして今、わたしの躰はさっき吸い込んだモヤモヤを猛烈に欲しているのだ。


わたしは男の耳元に顔を近づけて、咳払いすると、黒子のまねをした。

…コホン、あー…。えー…。て…ぃ


…い、、いやん?

…あ…あん?


かなり恥ずい。声がかすれてうまく出ない。

しかし今のでもそれなりの効果はあったらしく…いや。


予想外の効果が出たらしく、わたしの担当の男ばかりか、黒子が抱えていた二ヒトの方も魚みたいにびくんびくんとのた打った。

「ぅお」「おお?」「おほおほ?」


モヤモヤはほとんど透明度を失い、激しく波打ち、「シッポ」の先からぴっぴっと飛び散った。


「はぁ? プロのお姉さん声じゃイマイチてかぁ? このサルどもが!?」


なぜか黒子が不機嫌に吐き捨てたが、溢れ出すモヤモヤがもったいなかったようで、慌てて吸引を再開した。


わたしもボンヤリしてられない。力いっぱい吸い込む。

体中が満たされているのを感じる。

さらに子ネコだった躰が明らかに大きくなってきた。

それからは脇目も振らず吸いに吸い、出が悪くなったらアノ声で男どもを鼓舞した。


たまに黒子もやったけれど、あからさまにわたしの辿々しい発声の方に軍配が上がった。

圧勝だった。

競ってたわけじゃあないが。


*****


黒子とわたしがパンパンに膨らんだお腹を天にむけて転がった時、もうモヤモヤはどこにもなく、干涸らびてぐったりした男どもの躰が転がっているだけだった。


満腹感に夜風が気持ちいい。


「カーーッ、久々に吸った吸った」

黒子は満足げに伸びをすると、わたしを見て顔をほころばせた。


「躰もだいぶ大きくなったな。あぁしと同じになるまでもうちっとだ」

…ありがとう。あなたがいなかったら、今頃どうなっていたか。


「あ? …いや…礼を言われるようなこたぁ、なんもしてねえが…」

決まり悪そうに手をブンブン振ると、黒子は腕枕をして沼の中央部を見つめた。


つい一〜二時間ほど前にわたしとわたしの愛車チャーリーが沈んでいったと思われる位置だ。


安らかに眠れチャーリー号。さようならわたしの躰。まだまだこれからだったのに。

お父さんお母さんばぁば麻衣子にお別れ言いたかったな。

ちゃんと恋もしたかったな。

詩吟部(しぎんぶ)の県大会ももうすぐだったのに。


好きだった、けど、言えなかった詩吟部の顧問、デューク勧進原(かんじんばら)先生。今日初めて褒められた。

「君、声イイネ??」

それで舞い上がっちゃって練習し過ぎて遅くなったんだけど。


とにかくすべてが奴らのせいで終わってしまった。

ああ悲しや口惜しや。


なのだけど、不思議と今感じているのは……

「まことに遺憾ではあるが、何をさて置いても旧に復すべきかというと、それほどでもない」という気持ちだった。


死んで肉体を失い、「魂」? だか何だかとにかく違う存在になってしまったせいだろうか。


確かに死んだと言われた時は、激しい悲しみと怒りの嵐が心の中を吹き荒れた気がしたんだけど、激情はすぐに鎮まり、心残りはありつつも、「しゃーないか」「ドンマイドンマイ」「次行こう次」という心境に、割とあっという間に変わっていってしまったのだ。


やっぱあれかなあ~肉体を失うということは、執着心的なものも失ってしまうのかも?


考えてみれば生きるってことは、肉体を維持するために働いたり食べたり毎日が重労働なわけで、それを下手すりゃ百年繰り返すなんて、まーとんでもない肉体への執着心と言えるよね。


だがしかし、その激メラな思いがなければ生き物なんてすぐ滅んでしまうのだろうな。


そんなふうに生きているときは考えもしなかったことをぼんやり思っていると、隣に寝ころんでいた黒子がわたしの脇腹をツンツンした。


「どうよ今の気分は??」


まー腹いせに心ゆくまで生気を吸い取ってやった。それはそれで満足ではある。

だがしかし。


…なんだかなあ~わたしが言うことではないだろうけど。

ちょっと気恥ずかしくなり、小さく咳払いした。


…何も、ここまでしなくてよかったかな? って。

「ほん?」


…奴らに怒りとか恨みがないわけじゃないけど、あんな風に育ってしまう理由を考え出すと何だかむしろお気の毒? みたいな…


「カッカッカァ~」

黒子はヘソ天したまま笑った。


「満腹んなって余裕ぶっこいて菩薩(ぼさつ)タイムかい? ええこっちゃ。ほれ?」


黒子はわたしのお腹を再びツンツンした。


「オマイのカラダ、よぅ見てみ??」


言われて起き上がり、自分の躰を見回して驚いた。


サイズがほとんどヒトであった頃に戻り、形もニンゲンになっている。


ただし体中真っ白な毛に覆われていて尻には長いシッポがあって、触ってみた頭の両側にはピコンと耳が…

…わあお。


…わたし、かわいい!! キュートな白ネコチャンだあ!

「おっ? おぅ。お喜びいただけて何より」


興奮のあまり足をバタバタさせるわたしに一瞬鼻白んだ黒子、普通に褒めては負けだと思ったようで、

「主な材料があぁしのカラダだけんな! カワイくならいでか!?」

とマウントしてきた。


確かに黒子も黒ネコ補正も相俟(あいま)ってたいへんに可愛い。全身天鵞絨(びろうど)のような毛に覆われ、ヒトの頭部にあたる部分は髪の毛のように長く、それを無造作につむじの位置で束ねている。

大きな眼はまさに黄金色で、真ん中の漆黒の瞳は針になったり円になったり忙しい。


これが普通のネコサイズならばぎゅ~~して激しくグリグリしてやるところだ。


「ヤメレ、引っ掻くぞ? まーオマイも真っ白で眼が青くて、なんだかエエトコの飼いネコみたいだ……なんか、ムカツクな??」

思ったよりチョー上出来だ、と黒子は満足げに鼻を鳴らした。


…うん、ありがとうだよ? 黒子は恩ヒトだと思ってる。それに、黒子の黒ネコもヤバいカワイイ!


「な、なーにホントのごど言ったって褒めたことにゃーならんじ。コォの、ホレ?」

…きゃん!

黒子がまたわたしのお腹を突っついてきたので、こそばゆさに我慢できなくなり、お返しと黒子のお腹を突き返した。倍返しだ。


「うひゃヤメロ、この!ツンツンつんの、つん!?」

…きゃーー脇は反則!おのれ倍返しの両脇こーげきー!


そうやってしばらくじゃれ合っていた二ヒトだがさすがに疲れて、ゴロゴロと喉を鳴らしながら星空を見上げた。


「ま~アレだ。あの三匹、トドメを刺したわけではねぇから。生きてるよ? かろうじてだけど」

寝たまま手を毛繕(けつくろい)しながら黒子は言った。

…えっまじ? あんなカラカラで…


「あぁしらが直接ヒトの命を奪うことは、なかなかできねぇよ? なんだろ、存在の格が違うと言えばいいのか…」


「やっぱこの世界を()してきた種族ってのは、存在として強えーのよ。頑としたカラダ持ってるわけだから、それこそ生命力ぱねえし」


手を舐めていた黒子はやがて爪抜きに夢中になり始めた。

「んきっ。もちろんこのまま放っといたら死ぬよたぶん? んきっ。衰弱死ってえか」


…どうすれば?

「助けたいのかい? そりゃあ今吸ったもん必要なだけ返せば命はながらえるが…んしょ?」


今度はヘソ天のまま首だけ起こしてお腹をなめはじめた。さすがネコだ。


「オマイを沈めるのも躊躇(ためら)わなかった奴らだぞ? その前からいったい何をやってきたか…。助かったら反省すると思うか? もう誰も傷つけたりしないと思うか??」

…うーん。別にいい子ぶるわけじゃあなくて…なーんかどうも。命を取ってしまったらもうアイツラはそれまでだよね。なんかさ。命を取られたわたしばっかり割食って終わり、ってなんか納得行かない!


「ほん? つまり??」


…ゴニョゴニョ。

わたしは黒子に耳打ちした。


「…ふーん、そういうのって、いかにもヒト間ぽいな? いんじゃね。やったげっぺ?」


わたしらはほぼ抜け殻の男たちの躰を並べなおすと、

一番多く吸って満腹の黒子が、もはやカスカスで目を凝らさないとわからないほどの

もやもやのシッポを咥えた。


ぷっ、ぷっ、ぷっ、と各自一吹きずつだが、反応はすぐに現れた。


三人とも目をつむったままもぞもぞと躰をくねらせ始めた。

動くたびに手足がシャツやズボンの中へ隠れてゆく。躰が縮んでいってるのだ。


数分もすると顔がどんどん若返り、少年を経て幼児に還ってゆく。

どの顔もひねこびていて、純真さが見えない。幼少の頃からの環境が(しの)ばれる。


乳児になってようやく表情の陰が取れた代わりに、今度はずっと泣き顔だ。笑顔どころか安らかな表情もめったに見られない。


やがて赤ちゃん時代も(さかのぼ)り、教科書や図鑑なんかで見たことのある胎児の状態になってきたところで、急激に若返り速度が鈍くなりやがて止まった。


トカゲ大のほどのものが(しぼ)んだシャツの襟の中でゆっくりと(うごめ)いている。シッボとかあってヒト間感はない。


「さあ、最後の仕上げだ。こっからは白子にもできる。白子にあぁしがやったみたいに、自分のモヤモヤで包んで念じるのさあ」

あんな状況で言われたことなんか憶えてねぇが…とりあえずわたしは言われた通り自分の両手にモヤモヤを集めると、三つのからだを抱えて捧げ持った。そして念ずる。


…ええと、これより、んと、白子が命名いたそすべす? イモリ三兄弟!


念じるとモヤモヤが濃くなり強い光を放った。

そして包んだ手を開くとそこに現れたものは、テラテラと黒光りする背中とみごとに毒々しいまだら模様の深紅のお腹。

…うぁキモッッッ!!


わたしは叫びと共に三匹を放り投げた。地面にぺちゃぺちゃと音を立てて落ちた彼らは変わらずむにょむにょと動いている。


…うそイモリって、こうだっけ?? 思ってたのと違う!

「どういうのだと思ったんだ?」

言いながら黒子は三匹を拾い上げると美味しいモノを見る目で見つめた。


…や、ホラ夜になるとたまーにガラス窓に貼り付いてたりするじゃん。パステルグリーンでつぶらな瞳で吸盤がプリチーな…


「それヤモリな?」

…あっ…。

わたしは顔を覆った。のおおお!一文字違いでルックスに大差!


…えーとコレ…やり直し行けますかね?

「んんん出来なかないが、今変えたばかりですぐ変えるとミスる可能性が高いなあ。ミスるとよくて死んじまうか…」

…よくて?


「もしくは、さらにとんでもねぇクリーチャーになっちまうこともある」

…まじでぇ…。


「そうでなくても最初の若返りと変形でかなりの負担がかかってるうえに、なにより小さい。小さいのって、やっぱ難しいんよ。オススメはしねえなあ」

…そうかあ…。


「先に言ってくれりゃあ訂正したによ。せっかくオマイの眷属(けんぞく)として作ってやったに…?」

…ウ〜〜〜ゴメン。


「ま、勉強になった思って、これはあぁしがイッタダッキマーース」


言うが早いか黒子は掴んでいたイモリ三匹をあんぐりと

…待った!

わたしは素早く三匹を奪った。


「がりっ。うぎや!?」

黒子は勢い余って自分の指を噛んでしまった。

…あ。ごめんごめん。いやね? じゃーとりあえずイモリでもいいかなって…。


「はぁ~?? 即キモいってぶん投げたくせに!!」

黒子は涙目で恨めしそうにわたしの手の中の三匹を見つめた。


「だいたいヤモリなら斥候(せっこう)として役立ったりするモンだが、イモリは基本水の中じゃないと生きれんし、動きは(のろ)いし、なんも役になど立たんよ??」

…うん…。それはわかるんだけど…


気付くとわたしの手の中で三匹は頭をもたげてじっとこちらを見ていた。


どうも自分たちの行く末が、今この場で話し合われていることを認知しているようだ。黒子がしゃべると三匹一斉にそちらに顔を向ける。

「この沼にでも放しておくんかい? 手元から離しといたらそのうちだれが主ヒトかも忘れてただのイモリになってまうで??」


…いや、思ったんだけど…コイツらにはわたしへの行いの責任を取る形で役に立ってもらおうかと。

「イモリを? …ふうん…??」

意味ワカラン、といった表情でわたしを見つめた黒子だったが、あえて異を唱える気もおきなかったらしい。


「まーじゃあ、後片付けだけはきっちりするか。こいつらの服とか持ち物が地面にこのまま散らばってたらすぐに騒ぎになるだろう」

そういえばコイツら歩いてここまで来た…わけないよね。街中からはけっこう距離がある。中学生じゃあるまいし全員チャリで集合というわけでもないだろう。

どこかに車を停めてあるハズだけど。


「そりゃアレか。くっさいガスを吐き出すウルサイ乗り物のことか。あー確か沼の奥の方に停めてたような??」

…黒子、ずいぶんと状況に詳しいね。そんなに前からここにいたの。


「んん? …そらーあぁしがこの辺に来たのは結構前だからな。あぁしらに何日とか何年とかいう概念はないが。それとネコってもんはとにかく目ん玉かっぴらいて見るのが商売だからなあ」

そう言って、黒子は名残惜しそうにイモリ三兄弟を見やった。


…黒子。ヨダレ。

「んぐ? あ、あぁ…じゅる?」


わたしの手の中のイモリたちが本能的に天敵を察知したらしく、もぞもぞと蠢いて少しでも奥の方へと逃れようとしているのがわかった。


「で、どうすんだい結局??」

…うんとりあえず、なんだけどわたしの家族にね?


「なんだオミヤゲかー。オマイの家族もなかなかニンゲン離れした嗜好を…もしや妖怪一家??」

…だから食わねーわ!!


…まずさ、わたしは死んじまった。これはどうしようもない事実。オーケー?

「おう異議なし!」


…でもわたしは、少なくとも今はそれを家族に知られたくないんだ。ましてやこんな沼の底から自転車に縛り付けられた状態の腐乱死体で発見されてとか、発狂するほどショックだろうしわたし自身も絶対にやだ。

しかも同時にこの三人組も姿を消しました、じゃ関連性わかりやす過ぎて悲惨な死に方がモロバレじゃん?


「うむたしかに?」


…で、まずプランA。

わたしはヒト差し指を立てた。


…今のわたしがあたかも生きているような姿で家族と暮らす、というのが理想的なのだけど、できると思う?


「…ウウン…今すぐは、ちょと無理かにゃ。あぁしなら、めっちゃがんばればニンゲンの姿にはなれるけど、まだ死んだばかり、変わったばかりの白子じゃあまりにもあれこれ足りてないから、ニンゲンの姿を見せるどころか声を聞かせることも難しいかな。本物のネコにならわかるかもだけど」

…うちはお父さんが重度のネコアレルギーだからネコいないんだよねえ…。それはともかく、ならばプランBよ。

わたしはヒト差し指に加えて中指も立てた。


「…ほぅ?」

おそらくというか確実に家族はわたしの帰りが遅すぎる、と感じている頃だろう。いくら部活で遅くなると言ったって、これほどに遅くなることはめったになく、そのときは電話なりSNSで迎えに来てもらうのが通常の流れだ。

夜更けの片田舎の街道を一ヒトで自転車に乗って帰るなどあり得ない。これはちょっと急がなければならないな。


わたしたちは、急ぎ足でわたしの家へと向かった。

…こんな形で家に帰りたくなんてなかったよ。でも仕方ないんだね。もう。


*****


とりあえず最優先で黒子にお願いしたのは、わたしの行方不明を世間様にお知らせする行動を阻止することだった。

これ以上遅くなれば両親は警察に捜索願を出すだろう。

それだけは何としても避けなければ。


好都合なことに、わたしたちが到着した時、家族は居間のテーブルを囲んで絶賛家族会議中だった。ほどなく決議がなされ、通報まっしぐらというタイミングだった。


黒子が先に侵入してみんなを眠らせる。

わたしはしばらく外でふわふわした後、しんとした家の中に足音を殺して入っていった。今更そんな必要もないのだけれど。


お父さん、お母さん、ばぁば、麻衣子…。


みんなは椅子に座ったまま思い思いのスタイルで眠っていた。

お父さんだけはネコの気配に免疫機能が反応し、無意識にクッシャンクッシャン躰を跳ね上げていたが。


もう、人間同士、という形で会うことは二度とないのだ、と思い返して鼻がツンとなったけれど、その反応も現在のわたしにはなくなってしまった肉体的なものへの執着か。


今生の別れということではない。しばらく修行したら、見かけだけでも羽生子としてみんなの前に帰ってくるからね。


すやすやと眠る家族ひとりひとりのおでこやほっぺに感触のないキスをしてから、わたしはみんなに「わたしがいなくなった訳(でっち上げ)」をわたしの声として発表した。

無論これも黒子の術のなせる技だ。


黒子って、改めて考えるととんでもなくチートな化けネコだなあ、と思った。

「オイ化けネコたあ~なんだ」

耳ざとくわたしの心を読んで黒子がわたしを睨んだ。


…ごめんごめん。じゃあ、寝てるみんなの記憶にきっちり残るように発表します。


(以下わたしのメッセージ)

お父さん!お母さん!ばぁば!麻衣子!羽生子はしばらく家を出ます。学校も中途半端でごめんね。

理由は、部活の先生に褒められたので、詩吟の道を極めるべく、諸国放浪にて修行してまいります!

代わりにイモリ三兄弟を預けていきます。ほんとうはヤモリにしたかったけど、手近にいなかったのでイモリを掴んできました。

彼らとは師弟の契りを結んでいますので、わたしが元気ならば彼らも元気です。

逆もまた真で、彼らがみんな元気でいればわたしも元気で修行に邁進(まいしん)できます。


とりあえずはお水がないと干からびるので、お父さんの湯呑を水槽代わりに入れていきます。くれぐれも大事にお世話お願いしますね。


食べ物は、たぶんタニシとか川ガニとか、かな? 知らんけど。

何卒よろしくお願いします。


いつとは言えませんが、一流のシギナーとして帰ってきますので、心配しないで待っててね。


じゃあ急ぐのでこれで。

みんな元気でね!

(以上わたしのメッセージ)


黒子に教わったのだが、眷属契約をした者同士は互いにその存在状況をシェアできるのだそうだ。何でもかんでも感応しあえるわけではないけれど、お互いが物理的にどんなに離れていようとも、片方の存在状況に何か重大な変化があればそれを察知出来るという大変便利な機能だ。


「キモい」と言われて明日いきなり潰されたらゴメンだけど、わたしの家族はそういうところ律儀なので、きっとあんじょうお世話してくれるだろう。麻衣子なんて実はわたし以上のキモナーだし。

ちゃんと飼ってもらえていればわたしには何の知らせも来ず、イコール我が家は安泰ということだ。

頼むぞイモリ三兄弟。


ヤモリの代わりに我が家を見守ってくれ。

というかせめてそれぐらいは役に立て。いずれ本物のヤモリと仲良くなれたら、あんたたちは晴れてお役御免にしてあげるし。


その節はすかさず黒子がパックンチョと食べるだろうから、死んでもお役にたてるわけだ。めでたしめでたし。


イモリ三兄弟は状況を知ってか知らずか、お父さんの湯飲みの底から揃ってこちらをじっと見上げている。

が、湯飲みの水面に映るわたしの背後に黒子のグッジョブが映った途端にわさわさと慌てだした。

やっばり状況はわかっているんだな。



さあ名残惜しいけどお別れは以上だ。残るは学校の詩吟部の顧問、デューク勧進原先生と、イモリ三兄弟の家族への吹き込みとやらねばならないことが残っている。


あの不良どもの幼少期の顔を見た限り、親兄弟も心配などしてくれないのはほぼほぼ明白だけど、いつもつるんでいる三人が同時に姿を消したら、家族よりも彼らの仲間やら何やらが騒ぎたてるだろう。彼らの上前をはねている立場の者なら余計に。あと警察。どうせ日頃から目をつけられている筈だし。

だから聞き込みをされた場合に備えて、できるだけ不自然に見えない理由を家族に刷り込んでおかねば。

それが終わったらもう一度現場にもどって物証や痕跡の消し忘れがないか厳重チェックだ。


なんだかまるっきり犯罪者の行動だ…わたしが一番の被害者なのに。ぶつぶつ。


顧問の先生はわたしがこんな事態になっているのも知らず、自宅で安らかにお眠りだったのでやり安かった。


わたしが部活の後突然、帰り支度をしている先生を訪ね、見聞を広めたいので海外にいる先生の詩吟仲間を紹介してほしいと頼まれ、てっきり手紙でも出すのだろうとブラジルにいる、今はカポエイラの師範をしているというダーメリダ・アッポラーダ・寺西という学生時代の詩吟仲間の連絡先を教えてやった、というでっち上げの記憶を刷り込んだ。


わたしの失踪問題がオオゴトになって先生に問い合わせが行ってもまあ大丈夫だろう。

うちの家族も寺西さんと連絡済み、という記憶を刷り込んで置いたし。


まかり間違って先生がわたしを(よこしま)な動機でどうにかした、と疑う深読みデカが現れないとも限らないが、多分大丈夫だろう。だって先生、部長の五島謙介先輩にぞっこんだもの。それは学校中の基本情報だもの。

というか先生御年八十二歳だもの。


デューク先生とは何となく永の別れのような気がしたので、せめて一節詠じて暇を告げよう。…オホン。


…♪鞭声粛粛べんせいしゅくしゅく ~~~夜河を過る(よるかわをわたる)うううぅ


「わからんけどそれ今必要??」

明らかにイラついた様子で黒子が言う。


…この夜陰に乗じた胸を締め付けるような静寂を歌で表すのがミソなんで、声を張り上げればいいというものではなくだな!

「いやいいんだけんども! まだメンドクサイのが残ってると思うんだが??」


…ああそうだった。いちばんの難題が残ってたねぇ


難題、というかメンドクサイのはやっぱりイモリ三兄弟のファミリーだ。本当の兄弟ではないから、それぞれの家族が別にいる。別々の家の家族を三つも相手にするのはいかにも非効率で時間もかかる。

夜遅くまで呑んだくれてるか、悪事業務のために不在の家族もいるだろう。家族ぐるみで仲良しこよしでもないだろうし、ならば全員じゃなくても誰かが信じればよいと、馴れている黒子のアドバイスを聞くことにした。


奴らの持ち物から漁った情報でそれぞれの家に黒子がこの辺り一帯を仕切っている反社会的な団体の幹部と名乗り、それらしい名前と声色を使って連絡した。

「あ~、私だ。あ? 誰? だーら私だ。知らんのか」


「…いっ、犬噛組(いぬがみぐみ)の? だいし?…おおしば、だが。あ~…お宅のね。息子さん? あー××君ね? ちょっとやらかしてくれちゃったんだわ。ウン。ほら、いつも連んでる□□君と△△君ね? 彼らと一緒になんですわ。え? 何を? あー電話ではアレなんで、×××君のお宅にね? 関係者の皆さんお集まりいただいて。そーそー。ウン今後についてお話し合いをね? あ? 関係ねえ? 親だろがコラ。逃げんのかコラ。…あーいやいや我々ね? 日々街の安全を守る番犬だから。イヌッコロですから。逃げられるとどこまでも追いかけたくなっちまうんですわ。まあとにかく皆さん一堂にお集まりいただいて? え~えー悪いようにはいたしませんので。えー穏やかにお話し合いをね? ええ、お三人もその時に連れて行きますんで。ハイよろしく?」


だいたいこんなような調子で三人のリーダー格の家にお集まりいただく手筈をとった。

後は全員集まったところで黒子が例によって眠らせ、テキトーに吹き込む。


曰く、彼ら三人は知らずとは言え犬噛組組長の妙齢のお嬢様を襲い、いわゆる「キズモノ」にしてしまった。事情を知った組長および組員は当然三人を捕まえて、いわゆる「オトシマエ」をつけることにした。しかし彼らも彼らの親や親戚もしょーもないヒト生を送っているためにひとしく貧乏でお金は引っ張り出せない。代わりに命で補ってもらうというのも、現代社会では組織にとってリスクとコストにしかならず、なんの得にもならない。ならば若さと体力だけは有り余っている、ということで慰謝料を本人たちに稼がせることにした。


オツムの出来があまり良好ではないので、詐欺関連や客商売は無理だ。行き着く先は肉体で稼いでもらうしかなかろう。組織が上納金を貢がせている建築会社の現場作業や、組織がらみの揉め事で犠牲が出た際の後始末的な汚れ仕事など、とにかく一定期間躰を使う仕事をさせて上前をガッツリ()ねることで慰謝料に換算する。


組長の娘のことだからオトシマエは相当高くつく。よってかなり長い期間身柄を拘束して働いてもらうことになろう。代わりに家族にまで賠償金を払ってもらうことは思いとどまろう。


「家族の支払いは免除?」と聞いただけでこの中の身内に否やはないだろう、と当て込んだストーリーだ。


また「組長の娘を云々?」という事件なので、当然それを口に出すことはご法度だ。犬噛組への問い合わせ等も却下だ。

そうでなくても三人のリーダーは似たような事件で前科があるらしいから、家族にとっても不名誉極まりない案件だしね。

もし何か疑問を感じたとしても組に対して話を蒸し返すような行動を取れば、そのときはわかっているな?


あー、あと彼らが乗り捨てた車は現場の沼に乗り捨てられたままなので、通報される前に速やかに撤去しておくように。あと彼らの持ち物、免許証や貴重品などはしばらく必要ないのでここに置いてゆく。

では数年後、立派に更生した息子さんらと会えることだろう。以上解散。


と、一軒の家に集まったところを一網打尽で眠らせ、会ったこともない組織の組長になりすましてさんざん脅しつけたから、もともと自分だけが可愛い性質のヒト間たち、多少疑問があっても敢えて異を唱えたりはしないと思う。


イモリ三兄弟の家族たちよ安心しておくれ。

アナタタチの息子三人は自分が害した被害者の家で立派に役立ってるよ。役目は単なる安否センサーだけどね。


*****


ひと通りの工作も終わったところで。

…ねえ黒子?


わたしたちは念のため最後の現場チェックに来ていた。もうすっかり真夜中だ。街道を走る車もまばらになっていた。

事件当時ほぼ雲に覆われていた空も今はかなり晴れて星空になり、幾分か地面の様子も伺いやすい。


「んぁあ〜?」

割とテキトーに地面をサーチしていた黒子は、それでも地面から視線は離さず、生返事のように答えた。


…ここに住み着いて結構長いって聞いたけどさ。どうしてわたしとの修行に付き合って旅に出ようと思ったの?

「…あはぁ~…なんつうか…?」


ヒト間だって準備もなくいきなり土地を移れば、せっかく得たヒト間関係や職も失うことになる。

また一から生存手段を構築するのは大変なことだろう。

家族に厚く庇護されて育ったわたしとてそれぐらいはわかる。

ましてや黒子のような存在が新たに生きる糧を得るにはどれだけの…。


…ねえ黒子? 新しい土地へ行ったら、毎日今日みたく誰かのアレを吸い取るの?

「うにゃぁ~、まさか!?」

黒子は顔の前で手をブンブン振って即座に否定した。


「あ~んなハデなゴチソウをしょっちゅう食ってたら、いろいろとな、ヤバい」

…やばい?


「さっきも説明したけどな、あぁしらに直接ヒトを殺すチカラなんて、そうそうない。もっと強い、ニンゲンから妖怪だ悪魔だ言われる存在になれば知らんけどな。あぁしらみたくどんなに頑張っても気のせい、って言われるようなハンパな存在は、相手がよっぽど大きなココロの隙間を持ってなければとりつくこともできんさぁ?」

…ココロの隙間?


「今日ので言えば、あの三人組さ。アイツらオマイをどうにかしたい、っていう(よこしま)な強い欲望を持ってた。アタマぁ悪くて欲望に弱いニンゲンほど、デカい隙間ができやすい。さらに幼稚なままで育ってない小っちゃな良心てのも持ってたりする。そこがさらに隙間をでっかく広げる。逆に言えば、アタマよいヤツ、ちゃんと良心が働いてるニンゲンには、そうそう大きな隙間はできやしない。だからあぁしらもいわゆるフツーの善人を手当たり次第襲うことはできにゃい」


…ふうん。

「ああいう奴らはちょいとエサ見せてやればすぐこっちの思い通りに…」

…なるほど? だからわたしを呼び込んだわけねえ…

「!!!」


黒子の瞳孔がまん丸にかっぴらいた。さすがはネコ型だ。

ネコというのは表情筋が発達してないから顔自体は無表情な癖に実に表情豊かだ。

ワンコもそうだけど、やはり代々ヒトと暮らした年月の長さがそうさせるのだろうか?


「べ、べーろべーろべーろ」

心の動揺を静めるべく、不必要な範囲でグルーミングを始める黒子。


…黒子。わたしがヒトのままだったら怒髪天なとこだけど。

わたしは平常の声で黒子の動きをストップさせた。


…なんでかね? 一度死んだせいなのか、黒子と同じ存在になったからなのか、なんだかどこか他ヒト事に思えてさぁ。


「おっ……おぅ…??」


…ねっ、黒子。だから理由だけ聞かせて? 食料調達のつもりにしては手間かけ過ぎだし、自分より強い存在のニンゲン三人、しかも頭悪くて凶暴なのをわざわざ操ってわたしを襲わせて自分の仲間にした理由。


「あ〜、あんな野獣みたいな奴ら、いくらあぁしでも力業でなんか勝てるわけがねーよ? あーゆー奴らって思考力はお粗末だけど、そのぶん動物的な勘は鋭くて、身に危険が迫るとわけもわからず暴れ出す」


黒子目線の流れとしてはこうだ。


この沼あたり一帯を「餌場(?)」としていた黒子だが、昨今はネットとゲームの時代であり、用もなく外をフラフラ出歩くニンゲンは壊滅的に減った。どころか、農地整備や潅漑(かんがい)事業の発達で虫がめっきりいなくなり、その影響で食物連鎖に連なる鳥や動物たちも見る間に数を減らしてゆく。


なるべく弱い生き物から糧を得ていた黒子のような存在にとっては、だいぶ厳しい食糧事情になってきた。

もうそろそろこの土地も見限るべきかなあと。


でも旅立ちの前にせめて、それなりの腹ごしらえはしておきたい。

どこかに落ち着くにしても腹が減って行き倒れでは目も当てられない。

そこで目に入った、というか目に余る振る舞いをしているこの三人組だ。


だが無作為に襲うことには大変な危険が伴う。

奴らの生気を吸い取るには完璧に意識を失わせるのが一番いいけれど、当然フィジカルな戦いでは叶うとも思えない。しかもコイツラ無駄に元気がいい&動物的勘も持ち合わせている。さらには常に三人一緒だ。とてもメンドクサイ。


そんな勘も吹き飛ぶほど何かに強く心を奪われて、でっかい隙を作る必要がある。年頃のオス共の心を奪うって言ったらそらー…


なるほどそれでわたしか…。


「そうじゃ。サカったオスどもにとって他の何ものをも凌駕(りょうが)する、最強の誘惑じゃ」

わたしが平日朝夕の大体決まった時間に沼の近くの街道を自転車で通る習慣を持っているのは前から知っていた。


それにしても沼のほとりに三人をつなぎとめ、わたしが通りかかるまで待機させねばならない。そしてわたしが沼の近くの街道を通るだけでは、彼らからもまず気づかれない。


気づいたとしても暗いし遠目だし、そもそもわざわざ襲う気になるかどうか、不確実この上ない。

「そこでじゃ。先に魅せたあぁしの必殺技の出番というわけだぜじゃん?」


黒子は、彼らが暗がりでタバコを吸いながらしゃがんでくだらない話をしている広場の横の草むらで、例のアノ声を出した。


「あっはん。ちょっとぉ〜だめだってばぁ?」


つまり草むらに隠れてサカリの付いた男女がやることをやっているふうを装い、そんな声を出したわけだ。


三人は一瞬顔を見合わせ、言葉もかわさずに匍匐(ほふく)前進で声のするほうへにじり寄った。こういうときのオスのチームワークはワールドカップのチーム並にすごいらしい。


黒子は時折声を出しながら少しずつ街道寄りの位置へと移動した。

黒子と数メートル離れた三人の不良どもが、草に隠れて互いにみえぬながら、揃って這いつくばりながらじりじりと移動していく。


「ねぇ誰かいるんじゃない? もう帰ろうよぅ??」

男たちが黒子の位置に近づき過ぎたときは、気配に気づいて警戒しているような声を出して彼らの前進を止めた。


案の定彼らはビタッと動きを止め、しばらく様子をうかがう。どんな男といるのか確かめてから襲いかかろうという目論見か。打ち合わせもないのに完璧な団体行動。男子ってすごい(こんな時だけ)。


「ここやだぁ~虫がいるぅ~。あっち行こぉ~? ?」

警戒心のないバカメスの振りをしてさらに少し街道側へ移動する。


彼らが立ち上がってしまわないよう、焦らすように時折立ち止まったり嬌声を上げたりしながらじりじりと。


わたしの到着がいつもより遅いので、このあたりの調節が難しかったんだ、と何故かドヤ顔をくれた。

…知らんがな。


しかしこのまま焦らし1続けていては、いつ男たちがしびれを切らして飛び出してくるやもしれず、さすがにこれ以上バカップル作戦の続行は厳しい、と苦渋の撤収を検討しだした頃、ようやく自転車のライトが見えた。


黒子はすかさず

「あ、待って!?」

とやや緊迫した風の鋭い声を出して男たちを這いつくばった姿勢のまま地面に縫い付け、黒い子ネコの姿になって街道の脇まで出て行った。


突撃したほうがいいのか、撤退すべきか、混乱気味で固まっている三人の方へ向かって「ネコちゃ~ん?」などと言いながらとてつもなく吞気な女学生がやってきたのはその時だ。

声や街道の灯りで浮かんだシルエットからして、若い女学生であることは明白だ。


先程までいたと思われるバカップルと同じなのか違うのか? 一瞬の戸惑いも目の前の美味い餌という現物に跡形もなく吹き飛んだ。


もし別にいたとしても、例え男が現れても知ったことか。出てきたらやっちまえばいいんだ!


本能と煩悩で繋がりし男たちのパーフェクトソウルボンド!

お前らなら世界だって行けるぜ。

動機が違えばな。


黒子は草むらに身を隠すと、男たちの背後に回り込んだ。

ごちそうを目の前にしたゴチソウをいただくために。


*****


「まさかいきなり死んじまうとはさぁ…あぁしも焦った」

呆然として座り込んでしまったこの野郎どもは、いったいどうする気だろう? 亡骸(なきがら)を置いたまま逃げ去るのか、バレないように何らかの工作をするのか。

黒子はしばらく様子を窺うことにした。


すると意外にも彼らは証拠隠滅(いんめつ)を図って粛々(しゅくしゅく)と動き出したではないか。

モノノケの黒子にとっても、自分のテリトリーで怪しい事件が起こったと騒ぎになれば、ヒト間社会は当然として他のモノの耳目も引き付けやすくなる。少なくとも数ヶ月以上、事件の発覚が遅れて平穏が続いた方が活動しやすい。


…あのさ。黒子?

「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺ?」


…今回の狙いって、実はわたしがメインターゲットだったり?

「ぺぺぺぺろぺろぺろおおおおおっ」


…やっぱりなあ?

「ぺ。」


…黒子。ネコなのにめっちゃ汗。

「う…ウヒッ??」


つまり黒子は、新天地に向かうにあたりじゅうぶんな体力と、そして、

「仲間が欲しかったんよ?」

ということだった。


行き着く先にたとえ強敵がいるにしても、ひとりよりふたり。

仲間を得るにあたっては、当然ながらヒト間同士よりもハードルが高いだろう。

同じ存在が二体以上存在したら、強いほうが弱い方をパックンチョして解決、がデフォの世界だから、基本はボッチだ。


特に優れた戦闘力もない黒子としては、使えるものは親でも使う。親はないので仲間をつくる。

だからといって黒子以上の古くて強いモノノケと迂闊(うかつ)に協約を結ぶのは、(おとり)(えさ)にしてくださいと我が身を供するに等しい。


できればニンゲンがいい。ニンゲンは「信頼」や「協力」が当たり前の社会に生きている。ニッポンジンならなおさら。そしてなるべくなら自分と似たような構造のニンゲンがいいと思った。肉体的にも精神的にも。


そこで毎日朝と夕方に沼のそばの街道を自転車で往復している「キュートな女学生」に目をつけた(黒子はどこで覚えたのかそういう言葉を使った。見え見えなんだこのオンナ)。


朝は遅刻ギリギリの時間に、夜は暗くなる一歩手前の時間に、毎日女学生離れしたスピードで自転車を飛ばしていく。

…行っけえええチャーリー号!うぉおおおおお。


ナルホドこれは脳天気極まりない。まさにうってつけ。


まるで違う生き物のような不良のオス三匹と「可憐な?」女学生。沼のほとりで毎日両方眺めていた黒子の頭に、ふいにペカーン!と電球が灯った。

「コイツラとコイツ。三角形ABCの中心と、移動する点Pとの交わる位置を求めよ」


…わたしが点Pってか。

「ぷりちーのPじゃ」

…やかましい。交差地点は沼だよね。()まったよ。()められた。


ヒトの行いとして考えれば全くもって酷い話なんだけれど、こんな存在になってみればそれほどの感情の乱れもなかったのが正直なところだ。わたしは既にドライ&クールな思考をするようになっていた。


それが証拠に例の三人組について

…せっかくイモリにしたんだから食べとけばよかったかな?

と考えるようになっていた。奴ら、ウマソーだったなあ…じゅる。


視線に気づいて横を見ると、黒子がまじまじとわたしを見ていた。

……何よ?


「…オマイやっぱり、ニンゲン離れしてるよな」


…失礼な。

それにしても前から思ってたけど、黒子、わたしの心が読めるんだね。

「ンン? 読めるっつーか、最初から全部わかったなぁ。…なんでだろ??」

などと掛け合いしているうちに、そろそろこの町を出なければならない。


わたしは離れると決まって、あらためて中途半端な片田舎である故郷の行く末が気になった。

モノノケの黒子にまで見放されている過疎化待ったなしの町だ。

それほど遠くないうちに近くの市や町と合併という話になるかもしれないな。


いずれ立派な存在になって帰ってきたあかつきにはぜひ町おこしを推進したいと強く思った。


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