Day2-2
三
「……すみません、今日は休業日みたいですね」
『カフェ・ユリフィドール』の扉には、『本日は休業日です』と書かれていた。よりにもよって今日が休みとは……運がない。
「仕方ないよ、別の所にいこう」
レーシャはそう言ってくれるが、フルーツを取り扱っているカフェだと聞いた時、目を輝かせていたのだ。私は彼女の期待を裏切ってしまった。
そのとき。落胆する私に、後ろから声がかかった。
「ウチに何かご用です?」
振り向くと、そこには年若い男女が立っていた。彼らは私やレーシャとそこまで歳が離れていないように見える。
……『ウチ』と言っていた。このカフェの経営者だろうか。
「ああ、いえ。何でもありません。今日が休業日だと知らずにきてしまって……」
私の言葉に彼らは顔を見合わせ、それから笑顔で女性がカフェの扉を開いた。
「よかったら、どうぞ。お腹も空いていることでしょうし……」
「い、いえ……せっかくのお休みに申し訳ないですから。大丈夫です」
「まあまあ、そんなこと言わずに。あなたたち、見ない顔だもの。最近この地区にきたのでしょう? ウチのよさを知って帰ってほしいの」
そう言って、女性は半ば強引に私たちを店へと誘い込んだ。
男性の方は呆れたように笑って、カフェのカウンターの奥へと彼らが持っていた荷物を運んでいった。
私たちはカウンター席に座らせられると、彼女の話を聞くことになる。
「私はユリフィって言うの。あの人……夫はドール。だから、『カフェ・ユリフィドール』。このカフェはね、たくさんのフルーツを扱ってるのよ。独自のルートで新鮮なフルーツを仕入れているから、とってもおいしいの」
「ええ、それは見ました。この娘……レーシャが林檎好きなので来てみました」
「あらまあ、果物好きに悪い人はいないわ! ねえあなた、りんごのデザートを作りましょう!」
彼女……ユリフィさんは私の言葉を聞くや否やたいそう喜んで、店の奥にいる旦那のドールさんを呼んだ。ドールさんは呆れたように奥から顔を出して、彼女にこう言った。
「まずデザートよりランチが先だろ? メニュー見せてやれよ」
「あら、そうだった。デザートはもちろん、ランチもおいしいのよ! 特にパンなんか、ここら辺のお店でいちばんおいしいって言ってくれるお客さんもいて……」
どうやらユリフィさんは自分のカフェにとても愛着を持っているらしい。
私とレーシャは彼女から長々と『カフェ・ユリフィドール』に関する魅力を聞かされ、しばらく後にやっとメニューを見ることができた。そして彼女がおすすめしたランチを注文。
評判どおり、このお店のパンはとてもふんわりとしていて、甘くておいしかった。その他の料理もとても味がよくて、私もこの夫婦から料理を勉強したくなるほどだ。レーシャも幸せそうに料理を食べていて、私まで幸せな気分になった。
そして、お待ちかねのデザートの時間がやってきた。
「はい、どうぞ。リンゴのシャーベットです」
ドールさんが出してくれたのは、林檎のシャーベット。口に運ぶとひんやりとした柔らかな氷が溶けて、林檎の味が広がった。
「んー! おいしい……!」
隣に座るレーシャは表情を綻ばせてシャーベットに夢中になっていた。このお店に来てよかった……私は改めてそう思う。
「そう言ってもらえると俺らも嬉しいよ。このカフェと一緒に、この街のことも好きになってほしいな。レーシャさん達は、まだこの四番街についてあまり知らないの?」
「うん。家がある七番街のことも知らないけど……」
ドールさんの質問にレーシャは答えた。
私もまた、それぞれの街の違いについて何も知らない。ここ七番街がいちばん人口が多いことは知っているけれど。
「四番街はね、見てのとおり店が多い。わざわざお昼を食べに他の街から来る人もたくさんいる。とにかく、探し物があれば四番街……って感じだ。七番街は……何があったかな? たしか大きな花畑があったな」
「花畑?」
「ああ、今は冬だから閉園してるけどね。ここがまだ【安寧地区】に指定される以前……あの花畑にはどこかの宗教の教会が建っていて、花畑が開かれる季節になるとそこに人が集まるんだ」
教会。宗教とかいう非科学的なものを信じている人間が集まる場所。どれだけ科学が発展しても、宗教を信じる人はいなくならないというデータがあるらしい。別に否定する気はないけれど、なにぶんガチガチの科学者なので。
私は神を信じていない。もしも神がいたとしても、それは人間が信じるような、『祈るだけで救いをもたらしてくれるカミサマ』ではないと思う。ある大地区で「神様」だとか「主」とか呼ばれる、高次生命体が存在しているだけのこと。そんな大層な種族でも私たちの政府には敵わない。
「なんで無人の教会の跡地に人が集まるの?」
「知り合いの話によると、懺悔したい人が集まるらしい」
「懺悔……」
レーシャはぽつりと呟いた。
懺悔か。神に祈るのはともかくとして、自身の行動を反省して今後の改善につなげるという意味では善き行いだとは思うが。
「この地区に住んでいる以上、犯罪なんてものはまず起こらないけど……口論で人を傷つけてしまったり、他の人に無茶をさせてしまったり。人が生活を続ける限り、懺悔したいことはいくらでもあるだろう。そんな人たちが集まるらしいよ。もちろん、花畑の美しい景色を見る為に集まる人もたくさんいるけどね」
俺も一回行ってみたいな、なんてドールさんは笑いながら言って。空になった私たちのお皿を厨房に戻しにいった。奥からは彼と話をするユリフィさんの笑い声が聞こえてくる。
「なんだか、ここにいると気分がよくなりますね」
「……そうだね」
私の言葉に対するレーシャの返事は、どこか上の空だった。
時折、彼女が何を考えているのかわからない。まあ人が考えていることなんて、わかるわけないけど……彼女は特にわからないことが多い気がする。付き合いが長くなれば彼女の意を汲むことができるようになるのだろうか。
私たちは会計を済ませ、わざわざ休日なのにお店を開けてくれたユリフィさんとドールさんに感謝を伝える。またレーシャと一緒にここを訪れよう。それが一番の恩返しになるだろう。
午後は買い物だ。必要な物を買いそろえるために、私たちは街中を進んでいった。
四
夜、買った荷物を持って私たちは家へ帰っきた。
当面の生活に必要なものはひととおり買いそろえた。別に七番街にもお店がないわけじゃないし、何か他に欲しいものができた時は追加で買いに行けばいいだろう。
レーシャは日中歩いた疲れが出たようで、夕食と風呂を済ませるとすぐに床に就いた。
私は昨日と同じく部屋へ戻り、仕事を片づける作業にかかる。せっかく【安寧地区】に住んでいるのだから、長い睡眠時間を取りたいものだ……そう夢想しながらも、私はデータ処理とともに一夜を明かすことになる。
「はい、スプリングです」
作業中、電話がかかってくる。いつもお世話になっている事務員だ。
時間を考えろ……と言いたいところだが、向こうの一般地区では今は起床時間。私もまた起きているので問題ない。おそらく、仕事の調子を確認しに電話をかけてきたのだろう。
「こんばんは、先生。赴任二日目になりますが……何か問題はありませんか?」
「はい、大丈夫です。まあ……送りつけてくる仕事の量をもう少し減らしてくれると助かりますけど」
「それは私ではどうしようもありませんね。管理者様に直接おっしゃって下さい。それで、患者さんの様子は?」
「安定しています。症状は初期状態ですね。完全に記憶を失うまであと二か月といったところでしょうか。患者自身は普通の少女なので特に心配はいりません」
記憶が人を形づくるという。
ならば、もしレーシャが記憶をすべて失ってしまったら……今の彼女は死んで、新しい彼女が生まれるのだろうか。
「了解です。では、引き続きお願いしますね。それでは失礼します」
私はすぐに電話を切り、作業へと戻る。
レーシャの病気についてはあまり考えないことにしている。『廃忘病』が最終ステージに到達するまで、ただ彼女が幸せに在れるように尽くすまでだ。そうでもしないと、私の心まで擦り減ってしまうから。私は、患者の心と向き合えている……そう信じないといけない定めを背負わされているのだから。