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スプリングデート  作者: Administrator : Marve
16/25

Day30-3

 三


「ちゃんと夜になるまでには帰ってきてくださいね」


「うん、わかった」


 デートの忠告を受け、私はフロストちゃんと一緒にうなずく。

 スイートさんはあっさりと二人で出かけることを許可してくれ、デートは渋々といった感じで許可してくれた。彼女にはいつも心配をさせて申し訳ない。患者がかける迷惑を受け止めるのが干渉医の仕事だ。それをわかっていながらも、できるだけ彼女にかける負担は減らしたい。


 玄関の扉を開くと、曇天の下に無数の枯れ木と積雪。私の後ろを歩く少女の瞳には、雪の中に咲く紫色の花も美しく映らないのだ。彼女はマフラーで顔の下半分を多いながら、黙って私についてきている。

 坂を下り、東へ曲がる。


「……どこに行くの?」


「どこに行こうかな」


 そんな返答をしつつも、私の心はすでに行き先を定めていた。

 無人の民家、足跡ひとつない白い地面、人や電気の熱が籠っていない冷えきった空気。静寂の帳に包まれた街を進む。私は街のフリジディティーと同化したかのように淡々と、なにかに魅入られたかのように粛々と歩みを進める。


「誰も歩いてないね……」


「ここは無人の小地区だから。なんだか落ち着かない?」


「うん、静かだと落ち着くね」


 歩いて、歩いて。

 前にここを通ったときよりも、やけに歩く時間が長く感じられた。雪を押しつぶす足音が鼓膜へと届くたびに、今いる場所を見失いそうになる。

 不安定な白い波の中、私たちは進み続けた。


 真っ白な地面と建物に挟まれて進んで、しばしの時間が経った。 

 細い道を曲がり、ふと視界が開ける。柵に囲まれた大きな敷地だ。敷地内の雪下には、花々の死骸を吸った土や種が埋まっているはずだ。

 入り口の方面に回り、『閉鎖中』と書かれたプレートを通り過ぎる。鎖を乗り越え、眠る花畑の中へと。

 錆びた鎖が、私を咎めるように軋んだ音を出した。


「え……レーシャさん!? ここは入っちゃ駄目じゃ……」


 そうだ、駄目だ。不法侵入で、犯罪だ。

 寿命が一年削除される程度の軽犯罪。でも、普通の人は二十年しか生きられないから……一年というのも大きい時間だ。奇病の患者は症状の完全進行後に追加の余命が二十年あるから、そこまで痛手ではない。

 駄目なことはわかっている。でも、私の心理とは裏腹に……情動が無理やり身体を動かしていた。


「……大丈夫だよ。誰にもバレない」


 良心を排除する衝動と、背徳すらも感じさせない衝動がこの身を突き動かしている。

 私は逡巡する彼女の手を引き、無理やり敷地内へと誘った。犯罪勧誘、刑罰は倍増。誰かに報告されれば、私の寿命は二年削除される。

 でも、この禁足地の先にはカミサマがいるのだ。カミサマに懺悔するために罪を犯さねばならない。それはなんだかおかしい話だ。

 一度足を踏み入れると、フロストちゃんの足が止まることはなくなった。

 彼女は私の視線の先にある建物に気がついて、共にその地を目指す。


「あの建物は何か知ってる?」


「ええと……似たような建物は見たことあるけど。イデア箱?」


 イデア箱ってなんだっけ。やけに聞き馴染みのある言葉だけど、なんなのかわからないから、たぶんもう忘れている言葉だ。


「ううん。あれは教会だよ」


「キョウカイ……あ、【氷丸地区】の建築物だね。小さいころ授業でインプットした知識だよ」


【氷丸地区】にはもう人が住むことはできない。氷が地上を覆い隠していて、我々の世界がたどり着く前に、その大地区に存在したすべての生命を消してしまった。また数千年後には氷が溶けて居住可能区に指定されるらしいけど……私達の世界が【氷丸地区】を制圧するのがもう少し早ければ、多くの命を救えたかもしれない。どうでもいいか。


 両開きの大きな扉に手をかける。冷たい風が内側へと流れ込んで、呻き声のような風音が響く。

 中には奥までずっと赤い絨毯が続いていた。長椅子が六個、左右に置いてある。扉を開けた風で埃が舞って、光に透かされる。

 私は以前訪れたときに座った、右手にある前から二番目の長椅子にフロストちゃんと座る。冷たいクッションに身体が沈みこむ。


「ここは何をする場所なの?」


 彼女の純粋な双眸が私を覗き込んだ。鮮血のような光が射し込んだ朱色の瞳。その瞳が映すのは、モノクロの世界。

 古びた柱、明りを灯さぬランプ、窓から射し込む光、美しい色彩を放つステンドグラス。彼女にとってはすべてが白黒で……やがて形も見えなくなってしまう。

 光の美、その概念の抹消。心の美、音の美があっても、光を喪う。私は多くの記憶を失っているからだろうか。多くの景色が、とても美しいと感動することがある。その感動もすぐに忘れてしまうのだが……無限に初見の景色を見る美しさを味わえるとも言える。そんな私だからこそ、フロストちゃんの痛みが色濃くわかる。

 彼女は私の視線の先にあるステンドグラスを見つめた。


「私は時々……この教会に懺悔をしにくる」


「懺悔……? レーシャさんはなにか悪いことをしたの?」


 ここに不法侵入していること自体が悪いことだが、懺悔しているのはその件ではない。


「私は、私の存在を懺悔している」


「え……?」


「この身体は、いずれすべてを忘れてしまう。もう故郷や両親のことを忘れていて、やがてこの地区での出来事も、デートのことも……みんな忘れてしまうんだ。無意識にたくさんの人の心を傷つけて、迷惑をかけてしまっている」


 私は、デートのことを忘れたくない。

 料理のレシピも、手芸の楽しさも。身体で覚えたすべてのことも、今まで受けてきた優しさも。傷つけてしまったすべての人の心も、傷つけられた悲しみも。忘れたくない。

 でも、その願いは叶わないから。懺悔しよう。


「け、けど……レーシャさんが病気になったのはレーシャさんのせいじゃないよ? だから、他の人に迷惑をかけることを懺悔する必要なんて……」


「ううん、違うの。たしかに、それも申し訳ないと思っているけど。私がいちばん懺悔したいのはね……」


 何かが頭の中でフラッシュバックする。

 雪のように白い髪と、翡翠のような瞳を持つ人間だ。私だ。

 どうしようもなく愚昧で、蒙昧な人間。私が考え得る限り、この世で最悪の罪人。


「今までの自分に、懺悔しているの。奇病に罹る人は、自分の心に何らかの壁があって……自分を拒んでしまう人らしいの。そうして自分を退けながら生きてきて、こんな結果になってしまってごめんなさいって。私はね、鏡を見る度に叩き割りたくなるほど自分が嫌いだったの。理由はわからない。いえ、忘れているだけかもしれない。そうして捻じ曲がって歪んだ生き方をしてきたせいで……自分の記憶を殺してしまった。だから、今まで苦しみながらも生きてきた私に謝って、懺悔して……新しい私を迎えるんだ」


 奇病は神による罰だという人がいる。

 奇病は神による救済だという人がいる。

 奇病は遺伝子の進化による自浄機能だという人がいる。


 どれでもいい。カミサマが私を赦そうが赦すまいが、心が壊れようが壊れまいが、私は私だ。どう足掻いても変えようがない過去が憑いて回る。

 どんなに歪な自分になってしまったとしても、受け入れて歩み出すしかない。ならばせめて懺悔を。この『美しい世界』をもがき苦しみながら生きてきた私に敬意ある懺悔を送る。

 

 これは、盛大な葬儀だ。あるいは、処刑だ。

 私というすばらしき人間の葬儀。私という最悪の罪人の処刑。誰もこれまでの私を葬る者はいないのだ。だから、私自身の魂で葬りたい。記憶を失って、やがて別人になってしまうレーシャは私じゃない。だから、私が私を覚えている内に葬ってしまおう。懺悔してしまおう。

 この想いはきっと誰にも理解されない。されなくていい。私は歪だから。


「…………ボクは、怖い」


 フロストちゃんはステンドグラスをじっと見つめたまま、小さな体を震わせていた。


「何も見えなくなることが、怖い。真っ黒な世界に放り込まれたボクでも、レーシャさんみたいに新しい自分だって思える気がしない。だって、嫌だもん。何も見えなくなる自分なんて認めたくない……」


 私は彼女の気持ちがわからない。恐怖がわからない。

 相手の立場になって考えてみろ、だなんて綺麗事だ。だって相手になれやしないんだから。もし私が何も見えなくなって……なんて考えたとしても、彼女の心の闇は見通せない。だから、何もかけてあげる優しい言葉は見つからない。

 ……でも、優しくない言葉なら見つかる。そして滔々と優しくない言葉が口から流れ出る。


「じゃあ、フロストちゃんはそこで死ぬんだね」


「……そう、かもしれない」


 彼女の生きがいが旅をしたり、景色を見ることなのだとしたら、彼女は何も見えなくなった瞬間に死んでしまうのだろう。物理的な死ではなく、心の死を迎える。

 私も記憶がすべてなくなれば、死ぬ。新しい私が生まれる。


「私は新しいレーシャになれるけど、それは私じゃない。でも、怖くはないよ」


「どうして?」


「――自分が嫌いだから」


 理由はわからないんだ。

 いくら考えても、頭を痛くするほど負荷をかけても思い出せない。想起して、追想して、偲んで……血管が千切れそうなくらい懊悩しても、答えは見つからないまま。私は終わりを迎えていくのだろう。とにかく自分が嫌いで、憎くて、忌々しくて、殺したい。だから快く自分の消失を受け入れられる。


『廃忘病』は忘れたいものから忘れていくらしいが、自分のことはまだ忘れていない。こんなに嫌いなのに……どうしてなのだろうか。

 もしかしたら、心の奥底では消えたくないと願っているのかもしれない。でも、私はそこまで臆病な人間ではなかったと思う。


「フロストちゃんは、自分が好き?」


「好き……なんだと思う。だから怖いんだ」


 教会の中に沈黙が流れた。

 家にいたときのような気まずい沈黙ではない。お互いの心が理解できないことを理解し合っているがゆえの、ゆったりとした沈黙。

 建物を包み込む風の唸り声が大きくなる。悲鳴のようにも、笑い声のようにも聞こえる。私は風のざわめきを聞きながら、ステンドグラスを見上げていた。



 そうして、どれほどの時が経ったのだろう。

 流れた時の中でフロストちゃんの瞳から涙が流れていたことを記憶しているが、今はどこかすっきりとした表情を浮かべている。

 永遠に続くかと思われた沈黙が破られた。


「……よし。ボクもボクなりの懺悔をしてみたよ。ありがとう、レーシャさん」


「うん……よかったね」


 内容は聞かない。どうせ理解できないから。

 帰りが遅くてデートは心配しているかもしれない。いや、絶対してるよね。フロストちゃんの医師さんは快活そうな人だったから、気にしてないかも。


「そろそろ帰ろうか」


「うん」


 私たちは静かな教会を歩き、外へと出る。ちらと振り返ると、物言わぬ教会が私達を黙って見下ろしていた。最初に訪れたときのような、不気味さ……というか、生き物のような感覚はとうに消え失せている。

 雪が降っていた。行きの時は降っていなかったのに。


「レーシャちゃんの医師さん、心配してるんじゃない? スイートは心配してないと思うけど」


「ふふっ……私も同じこと考えてたよ」


「そ、そうなんだ……じゃあ早く帰ろうか」


 そして私たちは雪の中、歩幅をそろえて歩き出した。


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