Day30-1
day30
一
朝氷が窓にこびりついている。私は朝食を終えたばかりの自分とレーシャのために、あたたかいハーブティーを淹れていた。
家のインターフォンが鳴った。この家に客人がくるのは珍しい。そもそも、この七番街で他の人の姿を見ることも滅多にないのだ。東側は誰も住んでいないし、西側も駅へと近づかないと閑散としている。
レーシャが来訪者に疑問の声を上げる。
「あれ? 誰かきた?」
「私が呼んだお客さんです」
玄関まで行って、扉を開ける。
そこには私よりも堂々とした佇まいの女性と、気弱そうな少女が一人ずつ立っていた。
「スプリング、久しぶりだね。元気してたかい?」
干渉医の同僚、スイート女医。同僚と言っても、私よりも年上。
快活な性格で、その性格が幸いして患者の心を元気づけることもあれば、災いして傷つけることもある。なんだかんだ付き合いはそれなりに長い。たしか、私が十四歳のころからの付き合いだ。
え? 私が今何歳かって? 見た目が若ければ何歳でもいいじゃないか。容姿だけで言えばレーシャと同じくらいだし……。
「ええ、まあ……その子は? 患者さんですか?」
彼女の後ろで不安そうにこちらを見つめている少女がいる。なんだか初めてレーシャと会ったときを思い出す。あのときの彼女と似た瞳をしていた。
歳はレーシャよりも少し年下だろうか。栗色の髪を短く切り揃え、朱色の瞳を輝かせている。
スイートは少し怯えている彼女の肩に手を置き、私の前へと引っ張り出す。
「この娘はフロスト。『色喪病』を患ってる、アタシの患者だよ」
「は……はじめまして。フロストです」
「はじめまして。私はスプリングデート。スイートのお友達です」
『色喪病』は、次第に認識できる色が少なくなっていって、最終的には視覚を失ってしまう奇病だ。視覚の衰えは精神的な負担による障害であるため、眼球の手術をしても、神経や脳を入れ替えても治すことはできない。脳に直接周囲の光景を投影する機材を使えば、なんとか生活を送ることはできるが……慣れるまでが大変だ。
今後の人生を考えれば、『廃忘病』よりも深刻な奇病かもしれない。
「それにしても……他の干渉医との面会に患者を連れてくるのはいかがなものでしょう。この娘に何か関係のある相談なのですか?」
「いや、特に関係はないけどさ……患者は先生と一緒にいた方が安心できるだろ?」
「そういうものでしょうか……」
レーシャは私と一緒にいることで安心するのだろうか。一人でいると心が安らぐと言っていた記憶があるが、私といるときと一人のとき……どっちがいいのだろう?
私はレーシャといると心が安らぐ。他人と一緒にいることが好きなわけでも、嫌いなわけでもないが、親しい人と一緒にいるのは好き。そう考えると、私とレーシャはかなり親しい間柄になっているのかもしれない。私はいまだに他人との距離感を測るのが苦手だから、妙に遠慮してしまう節がある。
ロストフィルズや毎日のように顔を合わせる人にも、こちらから何かを頼むことは少ない。今回のスイートのように、誰かに相談したこともない。まあ、天才だから相談する必要がないのだと自分で自分を納得させている。
「今回の相談ってのは医務に関することで……ああ、フロストの治療とは関係ないんだけどね?」
「まあ、詳しい話は中で聞きますよ。入ってください」
スイートとフロストさんを家に招き入れると、リビングにいたレーシャは目を丸くして驚いた。滅多に客人など来ないので、違和感がすごいことだろう。
私も、なんだか二人だけの領域を侵されてしまったような気がする。いや、彼女らを家に呼んだのは私なのだけれど。客が来るということをあらかじめレーシャに伝えておけばよかったかもしれない。まさかスイートが患者を連れてくるとは思っていなかったのだ。相談を聞いて即座に彼女にはお帰りいただこうと思っていたのに……フロストさんがいるのでさっさと帰れだなんて言えなくなった。
「レーシャ。この人は干渉医の人で、ちょっとお仕事の話をします。ここにいても構わないのですが……どうしますか?」
「わかった。二階に行ってるね」
彼女は物わかりがとても良く、すぐさま二階へ上がっていこうとする。
そんな彼女の背に、スイートが声をかける。
「ああ、ちょっと。レーシャちゃん……でいいのかな? 話が終わるまでこの娘と一緒にいてあげてくれないかい?」
「え……えっ!? ちょ、ちょっと、スイート? ボクのことはいいから……」
突然の持ち掛けにフロストさんは慌てふためき、スイートを止める。
最初に会った時の態度からわかっていたが、フロストさんは人見知りだ。初対面のレーシャと二人きりなんて嫌だろう。対してスイートはそんなことを気にせず彼女を預けようとしている。
正直、スイートとフロストさんの相性は最悪だと思うのだが……なぜ事務員はこの采配にしたのだろう。スイートに適した患者は前向きな患者だし、フロストさんに適した医者は物静かな医者だ。私は大抵の性格の患者に対処できる。よほどの奇人だとか、ハイテンションな患者でなければ。
干渉医と患者は性格の波長が合う組み合わせがほとんどだ。私も多くの患者に適応するため、性格とテンションの変化を柔軟に広げてきた。もしもハイテンションな患者の担当になれば、私もハイになってやろう。クレイジーな患者なら、私もクレイジーになる覚悟はある……はず。
「私は、その子と一緒にいてもいいよ。同じ患者同士……話してみたいこともあるし」
「おお、話のわかる子だね! そんじゃフロスト、話が終わるまで上に行ってな」
「う……わ、わかった」
彼女は半ば無理やり説得され、レーシャと共に二階へ上がって行った。
この女医にはデリカシーというものがないのだろうか……? 少しは患者の気持ちを慮るべきだと思う。いや、彼女なりの配慮はしているのかもしれないが……性格が絶望的に干渉医に向いていない。
「レーシャちゃん、いい子じゃないか。アタシの無茶にも付き合ってくれるなんて」
「患者の優しさに胡坐をかいて、精神的な負担を掛けるとは褒められたものではありませんね。フロストさんはあなたと一緒にいたいのではないのですか?」
レーシャは私の患者だ。さきほどのように一方的にわがままを押しつけられては困る。
それに、彼女は医師としてフロストさんの気持ちを正確に理解しているのだろうか。患者が見知らぬ人と付き合うことを嫌っているのならば、不要な他者との接触は避けさせるべきだ。
「べつにいいじゃないか。患者のことばかり気にして、医師の心がやられちゃったら元も子もない。負担ってのは分け合うものさ」
「やはり、あなたと私の意見はどうしても食い違う。いつものことですが」
「そういう意識の差が、一級干渉医と四級干渉医の差なのかねえ。ま、アタシの心はアンタみたいに強くないからね」
べつに私だって心が強いわけじゃない。強さなんて測れない。
他の干渉医は心や感情を数値化しようとする。可視化しようとする。色を付けようとする。だから、人の心がわからなくなる。私を一級干渉医たらしめているのは、その歪みへの認知が大きな要因となっているのだろう。ただし、一番大きな要因はそれではなく。私が否が応でも背負わされることとなった使命だ。
まあ、それは置いておいて。
「……で、相談とは何ですか?」
「ああ、それなんだけどね……」