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スプリングデート  作者: Administrator : Marve
12/25

Day16-3

 四


 ……眠れない。

 夜中、私はベッドの上でひたすらに瞳を閉じていた。暗闇がただ視界を覆いつくすばかり。だが、なかなか眠気が襲ってこない。カフェインを取った覚えはないのにな。

 しっかり睡眠を取らないとデートに怒られてしまう。


「…………」


 もどかしい……睡眠剤があればいいのに。健康によくないという観点から、この地区では睡眠導入の補助道具は使用を禁止されている。眠れなくて睡眠時間が削られる方が健康によくないと思うよ。

 この部屋は日当たりが悪いので、一切の月明かりもない。真っ暗な闇が、かえって私の心を落ち着かせるのだ。落ち着いているのにも関わらず眠れないとはどういうことなのだろうか。さきほどからずっとシーツと衣服の擦れる音だけを聞いて、瞼が作る黒い視界を見続けている。ときおり目を開けては、底知れぬ暗闇を見つめるのだ。昔は暗闇に潜んでいるらしい幽霊が怖かったものだが、今は怖くない。むしろいるなら会ってみたいものだ。

 幼少の砌、私は大人しい子供だった。今でもうるさい人間ではないと思うけど。瞳を閉じながら、昔のことを思い出す。もう故郷のことも、家族のことも、なんにも覚えていないのに……本当に幼いころの出来事は少しだけ記憶に残っているのだ。人の顔、住んでいた場所、読んだ本。すべて覚えてはいないが、記憶の断片がときおり脳裏によぎる。


 そうして想いを巡らせている内に、一つの光景が浮かんできた。

 光だ。白と金色の光が紫紺の世界で綺麗に輝いていた。あれは……そう、私が四歳だったか、五歳だったかの頃。一人で丘の上に登ったのだ。そんな状況に至るまでの経緯と、それを終えての顛末は覚えていないが。

 丘の上で見た光景は、夜空にたくさんの星々が散らばっている光景だった。私の故郷は曇ることがなかったらしいから、その影響で星空がいつも輝いて見えたのだろう。丘の上で見た光景はあまりにも美しくて、幼心に憧憬を抱いたものだ。陽の光は嫌いだが、星々や月の灯りは好きだったなぁ。まあ、その夜の光も太陽の光を反射しているというのが皮肉な話だけど。


 大地区によって空の景色は異なる。多くの地区では水面を反射する青空があって、時には曇って、そして夜になれば陽光を失ってしまう。大体の地区では雨が降ったり、雪が降ったり、すごく強い風が吹いたり、雷が落ちたり。ごく一部の地区では粘液が降ったり、石が降ったり、暗闇が降ったり。まだまだ見たことのない空模様は無数にある。


 ……そういえば、この【安寧地区】の空ではどんな星が見えるのだろう。たまに見上げることがあるが、大抵は雪が降っていて明るい空が見えるだけだ。でも、ごくまれに晴れる時があるらしくて、その時には夜空を見上げてみたいな。

 ふと、私は思い立つ。ベッドからするりと抜け出すと、凍えるような寒さが身を襲った。


 無性に夜空が見たくなったのだ。どうせいつもどおり雪が降っている明るい空で、目新しい光景は見えないのだろうけど、眠れないから。それに、ベッドから出て寒さを味わってしまったせいで、余計に目が覚めてしまった。

 身を縮めながら、自室のドアを開く。私は西側の日当たりが悪い部屋で、デートの部屋は中央の部屋。中央のドアの隙間から明かりは漏れていない。さすがに眠っているようだ。ときどき夜中に目を覚まして部屋を出る日があるが、深更に及んで仕事をしていることがある。デートは偉い人だけど、大変な人でもあるのだ。だからこそ、私の好奇心による行動なんかで彼女を起こすわけにはいかない。


 足音を殺して私が目指すのは、東側の部屋。私の部屋とは対照的に、あの部屋は日当たりがいい。昼間ならば死んでも居座りたくないような部屋だが、夜はあそこで寝るのも悪くないかもしれない。でも、朝日に照らされた状態で目を覚ましてしまうのか。それは最悪な起き方だなあ。日陰で、じっとりとした部屋で目を覚ましたい。そう考えると、やっぱり眠るのも西側の部屋でいいやと思った。


 東側の部屋へ入ると、雪明かりが室内を照らし出していた。家具はほとんど置かれておらず、棚が一つと、テーブルが一つ。

 私は窓に歩み寄り、空を眺める。


「あれは……」


 明るい桃色の夜空に一つ、光が瞬いていた。

 エメラルド色の、大きな光だ。はじめて見るこの地区の星だ。どうしてあの星だけが見えるのだろう。数多ある星の中で、あの星だけが自己主張をして夜空を占領している。雪すらも押しのけて、まるで晴れの夜空に輝くように居座っている。分厚い雪雲を貫いて、地上まで光を届けているのだろうか。


 その星を眺めていると、とある景色がフラッシュバックする。そう、あの丘で見た夜空だ。丘で見た星は金色の星だったが、どちらも負けず劣らず綺麗な光を湛えている。私が幼少期に見たあの星の名前は、ケリュテュア。あと何万年後かに爆発してしまうらしい。

 星にも終わりがある。ずっと、ずっと続くかと思われるこの大地も、やがて死んでしまう。まあ、そうなれば政府の指示のもとに別の大地区へ避難するだけなのだけれど。

 終わらないモノなんて存在するのだろうか。エメラルドの星を見ながら、私は考える。


 宇宙だとか、神様だとか、運命だとか、パラレルワールドだとか。こういう規模が大きすぎることや観測不可能なことを考えると、自分のことがちっぽけに思えて、すべてがどうでもよくなると言う人がいる。


 ――私は違った。

 測り知れぬモノに想いを馳せる時、私はそれに触れたいと思うのだ。見たい、知りたいのではなく、触れたい。この手で、身体で感じたい。温もりは持っているのかな。触れたらどんな反応が返ってくるのかな。

 幽霊も、妖怪も、カミサマも。この手で触れてみたい。それが運命だとか、世界だとか。実体のないモノであっても、私は感じてみたい。触れてどうしたいのか……自分でもわからないけど、とにかく触れてみたい。私みたいな歪んだ人間が、カミサマに触れることなんて許されないと思う。でも、きっと未知のモノを前にした時――私は衝動を抑えきれないだろう。

 好奇心は猫を殺す。どこの地区のことわざだっけ。

 

 きっと、あのエメラルドの星もいつかは終わりを迎えてしまう。あんなに光り輝いて、自己を主張しているのに。

 そう考えるとなんだか虚しい気持ちになってきて、私は目を逸らした。逸らした先には、仄暗い闇。


「……おやすみなさい」


 その言葉は誰に告げたものなのか。

 自分でもわからなかった。


 ようやく襲ってきた眠気に気づき、私は夜闇を縫って自分の部屋へ戻った。


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