<糸は縺れる>
「大変なことになったね」
一緒に子爵邸の庭を歩きながら、レナート様の言葉に頷きます。
夫……元夫のピョートルは、どこまで私を苛めば気が済むのでしょう。
彼は『体の相性が良い』浮気相手を撲殺して捕まりました。とんでもない醜聞です。
「泣かないで、ライサ。子爵家や君まで巻き込まれないように、僕が手を回す。だから……予定通り結婚して欲しい」
ピョートルが浮気相手を撲殺したのは、私がレナート様とお出かけして、彼の求婚を受け入れたのと同じ日でした。
レナート様は学園の在学中、私に婚約を申し込んでくださっていた伯爵家のご子息です。卒業後は早めに引退なさった病弱なお義父様から爵位を受け継いで、若き伯爵として活躍なさっています。
伯爵となっても独身のまま婚約者も決めていなかった彼は、私がピョートルに離縁されたと聞いてすぐ、求婚しに来てくださいました。
「……私で良いのですか?」
「君が良い。君でなければ駄目なんだ」
レナート様は魅力的なお方です。学園でも社交界でも注目の的でした。
私のどこが良いのかわかりません。
でも私の笑顔を見ると幸せだと言ってくださいます。私と一緒にいると心が落ち着くのだそうです。私と話していると元気が出るともおっしゃいます。
元夫ピョートルへの縺れた想いに縛られた私を、レナート様はずっと慰め続けてくださいました。
今はもう自分で気持ちを断ち切りました。断ち切ってしまったのに、やっとレナート様の求婚を受け入れる勇気が芽生えたのに……ピョートルは殺人犯になって、元妻の私を苦しめるのです。
彼と過ごした日々のすべてが過ちだったと感じます。一度は心から愛していた人なのに。
私はレナート様の胸に顔を埋めました。
大きくて優しい手が私の頭を撫でてくださいます。
どうして人は過ちを犯すのでしょう。間違えた道を選んでしまうのでしょう。
私がレナート様を心から信じることは永遠にないでしょう。
ピョートルとレナート様は違うのに、元夫に裏切られた記憶が私を縛っているのです。
レナート様が私の愛を信じることもないでしょう。私は一度、レナート様ではなくピョートルを選んでしまったのですから。もちろん関係を結ぶ前の選択ですから、裏切りとは違います。それでも人の心は割り切れるものではありません。
信じ合えないふたりの愛が実る日は来るのでしょうか。
実ったとして、続く保証はあるのでしょうか。
ありません。運命の糸は縺れ合い、断ち切っても纏わりついて消えません。それでも──
「……レナート様……」
私は、顔を上げて彼に微笑みました。
「愛しているよ、ライサ」
私は目を閉じました。
レナート様の唇が降りてきます。
それでも信じたいのです。過ちを犯してしまうかもしれない、間違えた道を選んでしまうかもしれない。いつか『体の相性』に奪われてしまうかもしれない。
それでもそれでも信じたいのです。この新しい運命の糸はけして断ち切れないものであることを。
そう願うのはきっと、もうレナート様を愛し始めているからなのでしょう。
元夫ピョートルを想う縺れた糸を解いてくださった彼の優しさを──