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さて、週末はエリックさんのうちにお邪魔するため出かけた。
万が一香坂エミリが自宅に戻り、鉢合わせしようものなら、何重もの意味で最悪なことになるので、様子を伺っていたが、彼女は寮の食堂で友達と話をしていて動く気配がなかった。
佐藤君と一緒に寮から最寄のバス停まで向かう途中で何人も生徒に出くわし、そのたび不審な目でみられたので、どんな噂が広がるのか甚だ不安だが、それはもう後で考えることにしよう。
「なんでこんなに見られているんだろう」
ぼそっと佐藤君が呟く。
なんなんだ、おめえは。少女向けラブコメの超絶鈍感主人公かゴラ。
「俺、間違えて女子モノ着てないよな」
「うん」
あっ、そこ心配してるのか……。
今まで(表向きには)硬派つらぬいて、女子とほぼ接点無かった佐藤君が、女連れで歩いているからですよ。おまけにそれが得も言われぬ地味ーな女子だからですよ。わかったか!と心の中で説明する。なんで声に出して言わないかというと、それは自虐極まれりだからだ。
「俺、校内の誰がもてるとかそういう噂に疎いんだけど、もしかして三嶋ってもてるのか?俺、嫉妬されているのかな。でも三嶋はそれほどもてるようには見えないんだけど、もし俺のせいで変な誤解が生まれたらごめんな」
誤解よりも『非リア充発言』をきっちり謝罪してもらいたいものだ。
なんか佐藤君って、硬派じゃなくて、ただ単にぼけーっとしている男子ではないかと気が付き始めたぞ、私も。
「……佐藤君って、普段なに考えているの?」
「えっ、普通のことだけど。勉強とか部活とか趣味とか。今一番考えていることは、十センチで三千円越えるアンティークレースを買うかどうかだなあ」
そうか、そのせいで貴様に向かう熱視線がまったく見えていないのか。しかもそのレースは高いのか安いのかも素人にはわからないよ……。
そんなのんびりした会話をしながら、私達はエリックさんちに向かったのだった。
エリックさんの家は俗にいうところの「閑静な住宅街にある瀟洒な家」だった。町全体のIQと偏差値と年収が高そうだ。佐藤君はこの空気に当てられていないから、きっと彼の実家もこんな雰囲気なんだろう。
門のところでインターフォンを押すと、エリックさんの声がして門を開けてくれた。門から玄関までは綺麗に剪定されたバラ園だった。ちょうど盛りの季節で、色とりどりの薔薇が咲きほこり、匂いでくらくらした。その向こうに、少し古びた、でもその加減がとても印象的にみえる洋館がある。なるほど、こういう家だったら香坂エミリもじつにしっくりくる。
「いらっしゃい」
この間あったときよりはずいぶんよい顔色でエリックさんは扉を開けて迎えてくれた。佐藤君のメールも無駄にならなかったようで実に喜ばしい。
洋館の室内もとてもよく考えていてあしらわれていた。ていうかここ日本じゃない。よく雑誌のインテリア特集である「海外のインテリアをお手本にしちゃおう!」というムチャぶりの時に良く見るような室内だ。壁紙がエメラルドグリーンなのに、しっくりきているなんて技が凄すぎる。
ただ、いかんせん。
リビングに通されたところで、思いつめたように佐藤君が口にした。
「エリックさん。部屋、散らかりすぎじゃないでしょうか……」
「だよね……」
部屋が汚い。
大学教授らしく、書籍が散らかっているのはまあよしとしよう。足の踏み場が無いのもご愛嬌だ。だって本は腐らないし。
ただ、ソファの周囲を中心として……あの……汚染、と言うのがわりと近い状態のものがいろいろ散らばっている。どうやらエリックさんは自炊という概念が無いらしく、買って来た惣菜のパックなどが散らばっているのだ。ペットボトルはこの素敵ルームにはすごく似合わない!百歩譲ってガラス瓶の輸入物ミネラルウォーターにして欲しい。ていうか、カップラーメンの食べかけが片付いていないのが嫌過ぎる!
他にも、エリックさんのものと思われる服が無造作にソファに上に積みあがっていて。
「エリックさん、掃除ってします?」
「普通しません。というか性格的にむいてないですし、時間もないんです。だから、家政婦さんに入っていただいているのですが、あの騒ぎでそれも連絡するのを忘れておりまして」
「あの、少し片付けて良いですか?」
私はおそるおそる尋ねた。でもはっきりってソファも座るところじゃないぞ。佐藤君も同意らしく私に続いた。
「俺も手伝いますから」
「あ……すみません……」
恐縮しているエリックさんだけど……なぜだろう……渡りに船、という顔にも見える。
結局、ごみを集めて袋に捨てて、洗濯物をまとめて洗濯場にもっていくと、洗濯機に放り込むなどという地味な作業をしていたら、二時間ほどたってしまったのだ。なぜだろう……本当に不思議だ。
この一連のできごとの最初は、丑の刻参りのために夜寮を忍び出たということだ。
それがアクシデントに見舞われるにしても、せいぜい、夜の神社で幽霊を見てしまうとか(ホラー)、足を踏み外して崖を転げ落ちてしまうとか(アクション)、変な取引に出くわすとか(サスペンス)であるはずが、なんでここで人のうち掃除してんだ(家政婦は見た)。
「エリックさん、この本は」
「あっ、凄くこれ稀少な美術書なんですよ。ここにあったのか!」
「……本はちゃんと本棚入れとけって、俺、小学校の頃に母親に注意されました」
その稀少書はエリックさんの衣類の下から発見された。
しかしエリックさんが美術大学の教授と言うのは本当だったんだな。
「エミリさんの部屋は二階なんですか?」
「はい。妻の部屋も二階で。そこに彼女の作品も含めて持ち物は全部しまっておいたんです。今は作品がなくなってしまったので、がらんとしてます」
私達はリビングの中にある螺旋階段を見上げた。階段にも本が積んで有るけどさすがにそこまでは片付けないよ。
「……奥様の部屋ですが、とりあえず鍵を掛けておいたほうがいいんじゃないでしょうか」
「そうします。エミリがふいに帰ってこないとも限りませんし」
そんな話をしつつ、ようやく居場所を作って私達はなんとかソファに落ちついた。たどたどしい手つきでエリックさんが冷たいコーヒーをグラスにいれて出してくれた。私も佐藤君も思わず一気に飲み干してお代わりを貰ってしまう。心の底から今日ここに来た目的を忘れそうになっていた。
そうだ、エリックさんを励ましにきたんだっけ。
「で、どんな女性だったんですか」
えっ?
私は横に座った佐藤君を見つめてしまった。
それ、なぜ尋ねるの?
「さ、佐藤君」
「だって、取り返すならそういう情報の共有は必要だろ?」
なんで、取り返すとか、そういう話に?
「いや、僕は無理だとわかっていますから」
「ほら、エリックさんのほうがよほど」
「でももうちょっと頑張ってみましょうよ。このままじゃ香坂さんだってかわいそうだ。お母さんのものが何一つ残ってないなんて」
驚きの正論を吐き出して、佐藤君はまっすぐにエリックさんを見ている。どうしてそんな大事になってしまったのだ。それは間違いなく私達の手に終えない話だぞ。佐藤君ってぼんやりしているように見えて、熱血なのか?
「できるできないはともかく」
エリックさんは静かに微笑む。
「そうして聞いてくださることはとても嬉しいです」
実際、私は諦めている。今となっては正当な所有者になってしまっている相手から、取り返すなんて無理だ。エリックさんの話では、懇願も交渉ももちろんしたそうだ。それでも相手はうんと言わなかったのだから。
そりゃ諦めて、香坂エミリにどうやって傷つけずに説明するか、そっちのほうがよほど建設的だと思っていたけど。
でも私は間違っていたんだろうか。佐藤君みたいな態度こそ、誠実なものなんだろうか。でもそれ言ったら、そもそも夜の林で出会った人に誠実に対応するべきかなのかということからしてわからない。私はやっぱり打算的なのかな。 佐藤君のほうがよほどヒロインらしいなあ。
可愛いものが好きで、周囲の好意に鈍感で、余計なことに首突っ込むおせっかい体質で、面倒見が良くて。
エリックさんも佐藤君のそういう態度で落ち着いたのかもしれない。私なんてメール貰ってもどうでもいい用事なら返事を三日とか寝かせてしまうこともある。夜に会ったのが私だけならエリックさん、今頃死んでる。
『藍ちゃんには、人の気持ちなんてわからないのよ』
昔言われた言葉を思い出す。実際そうなのかもしれない。
「彼女はとても綺麗な人です」
そしてエリックさんは、その魔性の女について語り始めた。