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「ねえ、藍。あんた佐藤君と付き合ってんの?」
真弓からそんな驚天動地の指摘を受けたのは、その週末だった。
金曜日のお昼ご飯を学食で食べている最中だ。A定食を吹かなかったのは奇跡。
「何言ってんの?」
吹かなかった代わりに勢いあまってご飯一口分を思い切り丸呑みしてしまい、若干詰まり加減のものを食道から胃に思い切り押し込む。んがくく。
「ていうか、噂になっているの、あんた本人は知らないのね」
「いや別につきあってないよ?とりあえず否定させてもらうけど」
「そうなの?」
真弓は淡々と食事を続けている。淡々としているぶん、怖い。
「だって普通の友達だよ?朝ちょっと話して、昼もちょっと話して、お互いに都合があったら一緒に昼ごはん食べて、放課後図書室で勉強がてらちょっと話して、寮に帰ってからメールするくらいで」
「清い交際的にはそれレベルカンスト」
はっ、そうなのか。次は手をつなぐとかそういう段階……!まあ進まないけどね、絶対。
「どんだけ話すことがあるの」
「いやまあ、いろいろと」
香坂エミリとどうやったら自然に仲良くなれるかとか、ストップ自殺!の啓蒙を二人で調べたりとか。
ちなみに今二人の間での、香坂エミリと仲良くなるに一番優れたシナリオというのは、香坂エミリが不良に絡まれているのを佐藤君がさっそうと助ける、というものだが、不良に心当たりがないため計画は頓挫している。どっかに落ちてないかな。
「とにかくちょっと共通の用事があるので、打ち合わせがあるだけ」
「ふーん」
真弓は長い髪を耳に掛けた。すうっと背が高くて細身の彼女こそ、佐藤君の横にいても彼の光に負けないよなあ。
「それより藍、あんた丑の刻参りの件はどうなったの?そろそろ受験勉強にだって本腰入れないとやばいでしょう。そもそも結婚式だって今年の秋なら、計画的に呪っていかないと間に合わないわよ」
受験と呪詛を同一で語る真弓にしびれそうだ。彼女は私の恋の顛末を知っているが何一つバカにしたりしないいいヤツだ。
「あー、うん。ちゃんとやります……」
しかし、呪いにいくたびに変な人たちが現れて、正直うまくいく気がしない。次は宇宙人がでてくることを確信している。遭遇だけならともかく、さらわれたら困るじゃん。
佐藤君の件も、エリックさんの件も気が付いたらすごく足抜けしづらい状況だ。今週末だって佐藤君と一緒にエリックさんちにお邪魔することになっている。佐藤君がエリックさんに対していい人過ぎるのだ。
あ、なんだろう。もしかしてこれデートか?二人っきりのお出かけだな。
「まあ佐藤君の件はみんな気にしていると思うから、私だけじゃなくて、いろいろと聞いてくると思うよみんな」
「ええー、面倒くさいなあ。本当に誤解なのに」
「佐藤君が早く彼女つくればいいのにね」
「真弓どうよ」
「趣味じゃないもの。でもいい人だから幸せになるといいとは思ってる」
「なにか借りでもあるの?」
「ちょっとね」
そう言って真弓は食事を終えた。私これで行くところがあるから先に行くわね、と言う。お昼休みはまだ十分あるはずだけど。
「美術室。今から少しずつやらないと文化祭に間に合わないから」
真弓は本当に冷静だ。確か美術部だったはず。そうだよな、受験勉強しながら作品も仕上げるならちょっとずつやるのが一番得策だ。
「多分高瀬先生も文化祭には来るから真面目にやっておきたい」
高瀬先生というのは今年の三月末で産休に入った美術の先生だ。真弓は一年生から付き合いがあったわけだから、あの先生が見に来るとなればそりゃ最後の文化祭もちゃんと作品出したいだろうなあ。ああーなんか彼女の計画性と比較してちょっとへこむ……。
真弓が去ってからしばらくはそこで反省していたけど、それも飽きて私は学食を出た。とりあえず教室に戻ろう。
食堂をでたところで、私は足を止めた。
「あ」
買ったばかりのペットボトルを開けようとしている佐藤君にばったり会ってしまったのだ。うーむ、話を聞いたばかりだから回りの反応が気になる。
「三嶋、教室に戻るのか?」
「あ、うん」
「まだ時間早いから、それならちょっと中庭行こう」
相変わらずの淡々とした調子で言うと、佐藤君は私の返事を待たずに歩き始めた。まあ暇だからいいけどさ。
佐藤君の後を歩きながら、周囲の人々を観察してみる。周りはおおよそ興味なさそうだけど、それでも何人かの厳しい視線は感じる。すみませんね、本当に雑事にまつわることなので、別にお付き合いしているわけではないんですよ。
心の中で一生懸命言い訳しながら廊下を抜けると、中庭に出た。ベンチはさすがに直射日光がきついので、出口近くの階段に座って、建物の影を日よけにしながら、話し始めた。
「明日、どうする?」
「あー、駅で待ち合わせる?」
「なんでだ?一緒にでかければいいじゃないか」
……最近わかったことがあるんだけど、佐藤君は自分の顔立ちのよさと好かれている事に無頓着だ。わかっていないふりとか興味ないふり、とかじゃなくて。
「なんだよ、三嶋は俺と歩くのが嫌なのか」
本当にわかってねえ~。
なんで傷ついたような顔をするんだよ。ああ嫌だよ、どちらかといえば嫌だとも。女子の要らぬ敵対心を買いたくもないし、それが誤解と解けたときに「やっぱりねー」的な反応もらうのも遠慮したい。
「まあ……寮から一緒でもいいけどさ」
しかしそんなこと言っても仕方あるまい。
「そうだよ。だってバス停とかで待ったりするのも一人じゃ退屈だ」
携帯でゲームでもやっていればいいじゃんか……。最近の若者なんだから。
「三嶋が一緒なら、退屈しないですむし」
藁人形と金槌持っている女なんて、確かに大変面白いと思うけど、一応普通の姿でいくつもりだぞ、私は。
それともやっぱり期待には応えるべきだろうか……でも別に私あまり持ちネタないしな……。
「なあ、三嶋はどんな相手に失恋したんだ?」
いきなり無遠慮なことを聞かれて仰天した。まったくも今日はさっきから驚いてばっかりだ。
「まだ失恋してない!」
いいか、終わってないんだ。
「あ、ごめん」
あんまり悪びれていない顔で佐藤君は少し表情を和らげた。
「どんな人が好きなんだ?」
別にこんなことを佐藤君に話す義理はさっぱりないのだけど、まあでも佐藤君の話もいろいろ聞いてしまったしなあ。
「どうということもないけど……でもすごくかっこいい人だよ」
「ふーん」
おい、話をふってきたわりには反応薄いな。
「結構付き合いが長くってさ。もう十年くらいになるかな」
「十年前って三嶋はまだ子どもじゃないか」
「うん。でもその頃ちょっと助けてもらってね。その人はもう二十歳くらいだったかなあ。でも当然こっちは子ども扱いしかされていないよ」
思い出すのは、古いアパートの錆びた階段。そして差し出されたコンビニの肉まん。
あの人がいなかったら、今頃私はどうなっていたんだろう。
『私はやっぱりあの人のところに戻る。それをしないのは裏切り者だわ』
あ、嫌なことを思い出してしまった。
私は飛び出そうとしてくる記憶が入った箱の蓋を慌てて閉じた。不用意に昔のことなんて思い出すものじゃない。
「それから三嶋の王子様なのか?」
佐藤君のくだらない質問にほっとする。
「王子様なんかじゃないけどさ。でもすごく好きなんだ」
「……まあ助けてもらえばそうなるかあ……」
佐藤君はため息をついた。
「そうなんだよねえ。だから、私としては不良から香坂エミリを助ける作戦が当然一押しだったんだけどね」
「実体験……」
「そうです。若いのでまだ引き出し少なくて」
でもものすごく大切な記憶の一端を打ち明けたんだからね。
「……いいなあ、そんな風に好きな人がいて」
佐藤君はそんな意外なことを言った。
「俺はまだ確実に好きだと誰かに言うことができるほど、そういう気持ちを抱いたことが無い」
そして彼は不安そうに私を見つめた。
「なあこれってもしかしてナルシストなのかな」
「……さあ……なんか違う気はするけど」
佐藤君というのは、女装癖だけはちょっとアレだけど、それ以外は至極まっとうな人だなあと思った。ちゃんと普通に育った人だ。
その無神経さは苛立たせるけど、ちょっと羨ましいものだった。