6
「ありがとうございます。エミリもこういった仲間に囲まれていれば安心です」
いいのか、丑の刻参り女と女装男で。
「エミリも学校が楽しいようで、普通の週末は帰ってくることは稀です。でも夏休みには戻ってくる。それまでになんとかしないと……」
「なあ、それって取り返せないのかな?」
エリックさんの苦悩に佐藤君が答える。非常に実務的な話題になってきた。
「だってそもそも香坂翔子さんの遺品なんだろう?エリックさんかエミリさんの名義になっているのが普通だよね。だったら無理やり奪われたなら、出るところに出れば」
「だめです。名義は僕が書き換えてしまった……」
「なにしてんだ、おっさん……」
佐藤君の口調が荒れた!
「だめだろう、それは!すごく!」
「わかってます!すみません、みんな僕が悪いんです。口車にのって彼女の名義にしてしまったんです。彼女は正当な持ち主です」
あちゃー、としか言いようが無いが。
「まあ今ここでエリックさんを責めてもどうしようもないよ」
「そうだけど」
「きっとそういう風にわけもわからないくらいに誰かを好きになってしまうことだってあるんだ」
「なんで三嶋はそんなに物分りが良いんだ?」
「いーや、良いわけじゃないよ?」
答えたけど、まだいまひとつ納得しかねているっぽい佐藤君に私は一言付け足した。
「知っているんだ。そういう魔性の女を」
魔性の女か。なんだか大げさだけど、そういうしかないよな。トロイア戦争のヘレネとか、マノン・レスコーとかカルメンとか。そういう人種。
よくあるモテる女子とはもちろん違う。好きな男を落とすために知恵を巡らすなら、ただの賢しく可愛い女子だ。
それと魔性の女というのは多分違うものだと思う。どこかに不幸の影を引きずっている。他者を不幸にするか自分を不幸にするか、それか両方か。
「なんだか身近にいるみたいだな」
「もういない」
私はそっけなくそれだけ答えた。もうそのことはうんざりだ。
私は話を変えるように、再び香坂翔子さんの遺作の話に戻った。それから三人で夜が白々と明けてくるまで話をしたけど、当然答えなんて出なかった。
エリックさんには、とにかく自殺なんてもう絶対考えないように、と言い含めた。なんだかわからないけど、とりあえず携帯のメアドを三人で交換して、来週末にエリックさんちに伺うことにしたのだった。
一端寮にこっそり戻り、昼になってから佐藤君と待ち合わせると、林の中でまっていたエリックさんを駅まで送っていった。
もうほんと……なんでこんなことになってしまったのか。
そんなことをがお部屋のベッドに置いた藁人形に向かって話しかけたことを付け加えておく。
「先日はどうも」
週があけた月曜日、私と佐藤君は初めて校内で親しげに挨拶をした。
「土曜日はもう眠くて。エリックさんを送って寮に戻ってきてから昼過ぎまで寝ちゃった」
「俺なんて気が付いたら夕方だったよ」
なんて話ながら教室を出た。中庭に出て、ベンチに座る。朝とはいえすでに日差しが強い。ああもう夏になるんだろうか。
「しかし、凄いことになってしまった。香坂エミリとどうやって仲良くなるかという話をしていたら彼女の父親がでてくるなんて」
「しかもめちゃくちゃ面倒なことに……」
「とりあえず週末はなんとか生き抜いた見たいだよ。俺がノイローゼになりそうだけど」
そういって佐藤君が私に差し出した彼の携帯には、エリックさんからのメールの履歴で埋め尽くされていた。タイトルからして少し病んでいるような……。
「あの人ってネガティブ思考だよね……」
「かなり。俺、アメリカ人って、もっと大雑把であっけらかんとしていると思った」
「でもこれだけのこと相談してきながらあっけらかんとしていたらこっちがキレる」
「なあメールの相手変われよ。俺の励ましの言葉はもう擦り切れた。俺は誰に邪魔されることなく、スカートにレースを縫いつけたい」
「えっアレ手作り?」
佐藤君の可愛いスカートを思い出す。
「一部な。だってあのサイズだと可愛い服はないし、あってもセンスがいまひとつだ」
「佐藤君のセンスっていいよ!」
へー、手作りなのかすごいな。
佐藤君はへへっと短く笑った。
「ロックミシンも持っているんだ、実は」
すまない、私にはそれがなんだからわからないが、結構特殊なミシンなのだろうということはわかる。
「佐藤君って、そういう服飾の世界に進めば?」
私は話がエリックさんから脱線しているのは感じつつ、佐藤君の話を続けた。
「ああいう世界って、結構自分の好きな格好している人が多いじゃない。佐藤君も気が楽になるかもよ」
「それは無理」
佐藤君は申し訳なさそうな顔をしつつ言い切った。
「俺の家、病院なんだ。医者になって継がないといけないし、俺も小さい頃から医者になろうと決めていた。やりたい仕事なんだ」
一瞬、それはプレッシャーなのかな、とか思った。
それであんな風にちょっと服の倒錯が、と思ったけど、そんなことは佐藤君もとっくに考えていたみたいだった。
「あ、別に家業を押し付けられているわけじゃないよ?うちの両親は、お前がならなければ弟がなるし、弟も嫌なら外から医者を呼べば良いだけだ、なんてけろっとしている。いやもうちょっと息子に期待しろよとか思うくらいだよ」
だよね。こういう家庭の事情だからこういうストレスが生まれてこういう趣味に走りました、なんて世の中がそんなわかりやすい道理でできているわけがない。
ただひたすらに佐藤君は女の子の服が好きなのだ、純粋に。
佐藤君はそこでため息をついた。
「ただ、俺が美人だったらなあと思うよ」
「佐藤君はすごくかっこいいよ」
「いや、女装が似合う美人。白衣の下に好きな服が着られたら、俺はもうなにも文句はないんだ。でも俺は似合わないだろう。それはやっぱり見た人が驚くと思うんだ。びっくりついでに患者さんの心臓を止めたらまずいからさ」
「佐藤君は冷静だね……」
白衣の下に、シルクのワンピースとか着たいなあ……とか呟いている佐藤君の目はそれでも信じられないくらい冷静だ。
確かに私も「血圧の具合はどうですか?」ってこっちみた診察室の医者が、スカートはいた佐藤君だったらとりあえず「今跳ねあがりました」っていうなあ……悪いけど。
本当は誰が何着ていたっていいはずなんだから、そう言うことで驚くあたりに自分の性概念と外見に関する古臭い固定概念を感じるな…。
「なあ、俺のうちはこんな感じなんだけど、三嶋の家はどんななんだ?三嶋は大学どうするんだ?」
「あー、うちはね」
一瞬口ごもりそうになったのをごまかす。大丈夫、見えるだけの部分だけを語れば。
「うちは父親だけ。母親とは離婚して私は父親に引き取られたから。でも父親も能天気でさ、佐藤君ちみたいで、私の進路についてはあまり何も言わないと思う。せっかく勉強しているんだから大学くらいいけ、とかそんな感じ。父親は普通のサラリーマンだよ。そういえば父子家庭という点では香坂エミリと同じなんだなあ」
一部上場企業の部長って言ったって、良家の子女ぞろいの王理高校ではかすむでありますよ。
「あ、そうなんだ……じゃあ三嶋のほうが香坂エミリと仲良くなれるかもな」
「どういうこと?」
香坂エミリと付きあいたいのは佐藤君のほうじゃないのか?
「やっぱり俺が急に彼女に接触するのは不自然だよな。本当はエリックさんのこともあるから香坂エミリのことは気にかけたいけど。でもそういう共通点があるなら、三嶋が友達になってみたらどうだろう。そして仲良くなったところで俺に紹介してよ」
すげえな、自然な流れで他力本願だ。
「えっ、自分で告白すれば!?」
「いや……だって……俺のことなんてきっと知らないよ」
佐藤君は謙遜なんかじゃなく本心でそう思っているようだった。
これだけ顔が良くてスポーツできて勉強なんてあたりまえにできて、それで無名を気取るのか。お前のクラスメートは他が皆、ハリウッド俳優かなにかなのか?佐藤君が無名だったら私なんて道端の石だぞ!?
佐藤君はしょんぼりした顔で眉をひそめた。
「それに告白なんてできないよ。だって告白されたのを付き合うのだって、俺にはできないんだ。相手をがっかりさせたりするのが怖くって」
「ちょ……っとまて」
私は佐藤君の端正な男らしい顔を眺めた。
「佐藤……」
うっかり『君』をつけるのを忘れた。
「その勇気の無さはなんだ……?」
……この間からうっすら思っていたんだけど、佐藤君はもしかして、若干内気な乙女が入っているんじゃ……?
いつも口を引き結んで無表情な佐藤君が心の中でとんだヘタレだったということに気がついて、私はあっけにとられる。でも逆に納得する部分もあった。
そういう佐藤君だから、あの晩あった時も普通に話せたんだなとか。
うん。
あまり男らしい人は私は正直苦手なのだ。