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「ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ありません」
佐藤君のコーラを飲み干してその外国人は微笑んだ。
「昼頃からずっと林の中をさ迷っていたんです」
「日本語お上手ですね……」
「はい、もう住み始めて二十年になります」
そして彼は頭を下げた。
「エリックといいます」
仕方ないので私達も三嶋です佐藤ですなんて挨拶した。そこに会話の糸口をむしりとって佐藤君が続ける。
「どうして学校の裏山をうろうろしていたんですか?ハイキング……?いや、このあたりは整備されていないですし……それにあなたも軽装だ」
「いやまず時間をつっこもうよ、佐藤君」
女装している男に身なりを言われるのも微妙だと思うけど、エリックさんの素直は反応で、恥ずかしそうにうつむいた。佐藤君の表情が険しいのは寮長としての責任感なんだろうな。我々もそうとうおかしい二人だと思うけど少なくとも彼よりは不審ではない。
「実は……」
視線を泳がせてから、言いにくそうにエリックさんは吐き出した。
「どうしても娘に会いたくて」
「娘さんは俺たちと同じように王理高校の生徒さん?」
「そうです。今は寮生活をしています。とても可愛い自慢の娘です」
「なら普通に日中面会にいらしたらどうでしょう」
ごもっともだ。
「……遠目でよかったんです。だから目撃もされたくなくて」
私と佐藤君はこっそり目を合わせる。
おかしい。どう考えてもふつーの親子関係ぽくない。
自慢じゃないが王理高校はそれなりに両家の子女が集まっている私立高校だ。それゆえ、誰がが大金を相続したとか遺産でもめているとか、そんな話もちらほら聞く。まさか何か勢力争いに関係した揉め事で、誘拐か暗殺かなにかか!?
私はポケットの中の携帯電話に触れた。何かあったら110。
「それは普通じゃありません。何か事情があるんですね」
佐藤君は警戒しながらも親切だった。この人凄いな。
「事情は……」
そしてエリックさんはそこで口を閉ざす。まあそうだろう。彼から見れば我々も相当得体が知れないに違いない。
案の定彼は私の大事な藁人形と、佐藤君の衣装にちらちらを目を向けている。そりゃそうだ。日本について長いなら、これらが日本の通常文化だとはさすがに騙されてくれないだろうな……。
「あの……君達はどうしてこんな時間に?それにその格好は」
当然のクエスチョンですよね。
私が答えあぐねている間に、佐藤君が答えた。一拍だけ呼吸を置いて、はっきり静かに、そして誠実さを感じるほどに優しく。
「趣味です」
……なるほど、どこをつついても間違いない真実だ。
あまりにも開き直った態度にエリックさんも一瞬ぽかんとしたあと、かえって肝が据わったみたいだった。
「俺も王理の生徒です。だからこそ、不用意に同じ学び舎にいる人間を傷つけたりはしません」
佐藤君は凄いな。その堂々とした態度には信頼感さえある。さすが寮長。
私が感心したようなことをエリックさんも感じたらしい。しばらくそこに座り込んでうつむいていたけど、やがて決意したのか顔を上げた。
「本当はこっそり娘の顔を見たら死のうと思っていたんです」
……丑の刻参り女に女装男、そして自殺志願異国人。
なんか呪われてんのか、この時間って。
「それは……物騒な話ですが……一体どうしたんですか……」
「僕は……」
いきなりエリックさんはぼろぼろと涙をこぼし始めた。勘弁してくれ……。
私は親子とかそういう問題はとっても苦手なんだ、自分の問題だって手におえないのに、他人様のものまで関わりたくない。
私は今は寮生活だけど、一応父親がいる。それなりに関係は良好だけど、結局いろんなことと向き合う事無く今の生活がある。エリックさんが泣くとなんだか自分が責められているみたいだ。やだなあ、関わらなければよかった。
「僕は大変な失敗をして、娘の大切なものを無くしてしまった」
しゃくりあげながらエリックさんは言った。
「娘には顔向けできない。もう死ぬしかない」
「えーと」
私は彼の肩に手を置いた。
「落ち着いてください。いきなり死ぬなんてダメです。きっとエミリさんは悲しみます」
「え、なんで知ってるんだ?」
私の言葉に佐藤君もエリックさんもぎょっとした。
「そんなのわかるよ。うちの学校だってそうそう国際結婚なんていないもの。真弓から香坂エミリの話を聞いたとき、なんとなく家庭事情のことも聞いたし。あの子本当に可愛いから目立つよね。目立つってことはいろんな情報も出回るってことだよ」
だから、と私はエリックさんの顔を見つめた。
「だから自殺なんてしちゃいけません。うちの学校の生徒はかなり能天気で品が良いと思いますがそれでも噂話くらいします。お父さんが自殺したなんて噂で娘さんを傷つけたいんですか」
エリックさんはその言葉で泣き止んだ。まだちょっとしゃくりあげているけどまっすぐ顔をあげている。
「よければ事情くらい聞きますよ。俺達も学生で力にはなれないかもしれませんが、けして誰にも話さないことだけはお約束します」
佐藤君がエリックさんの肩を支えて立ち上がらせると、倒れた木に座らせた。彼を挟む形で我々も座る。そうだなあ。正面から見ていないほうが話しやすいかもしれない。
「……僕は……魔性の女に魅入られてしまって」
何?
ボソッと言ったエリックさんの言葉にぎょっとする。いきなり何言ってんだ?
けれどそれはさておいたように彼は順を追って話し始めた。
「僕とエミリはもう二人だけです。妻でありエミリの母親だった翔子は、十年前に病気でなくなりました。それは本当に悲しいことでした。僕は翔子がいたからこの国で生きてきた。本当は彼女が亡くなったときにエミリをつれて母国に帰ろうかと思ったのですが、翔子の両親もとても良い人で、だからこの国に残っていました」
「失礼ですが、エリックさんのご職業は」
「あ、美術系の大学で研究職にいます」
なるほど教授か。ちょっとぼけーっとした人っぽいからよほど研究が優秀なんだろうな。政治的手腕でのしあがったような感じはしない。
「妻は現代アートを手がけていました。ようやく評価された頃に病気になってしまい、その後はあっという間のことでした。でもエミリとは義両親の力も借りて仲良くやってきたんです。妻の作品も亡くなってからどんどん評価が高くなっていって」
香坂翔子か。
現代アートなんてわからないけど、有名なひとなんだろうな。また調べておこう。
「でも僕は彼女の作品を手放すことは今までありませんでした。彼女自身のように思えたし、エミリに全てを残してあげたかったから」
それなのに、とエリックさんは続けた。
「それなのに、僕はあの女にそそのかされて、全てを手放してしまった。今思えばなんだったのかまったくわからない。一体あの時の僕はなにに取り付かれていたのだろう」
急に話がとんで私と佐藤君は困惑する。
「エミリに遺すものを全て失ってしまった。もう僕は娘に顔向けできない」
「えーと……好きな女の人ができて、その人の香坂翔子さんの作品を全部上げてしまったということですか?」
「好きとは違うんです」
エリックさんは叫ぶように言った。
「好きじゃない。あんな風に人の気持ちをもてあそぶような人間は僕はけして信頼もできないし好意ももてない。でもあの女には引き寄せられてしまった。まるで魔性に魅入られたみたいだった」
佐藤君はわけわからんという顔だ。結局それは好きだってことだろ、とばかりの顔をしている。佐藤君は服装だけはちょっと変だけど、きっと素直に育ってきたんだろうな。
あの子は、あの女の子どもだから。
きっとああいう風になる。
……やなこと思い出しそうだ。首筋がぞわぞわする。
ただ一つ言えるのは、魔性の女というのは確かにいるということだ。
たとえどれほど軽蔑されていても、一瞬の隙を突いて心に入り込んで、その相手を支配してしまうような女が。好きも嫌いも愛情も関係なく、ただ巨大な惑星のような激しく絶対的な吸引力。
……ああ、いやだいやだ。
「エリックさん」
私は困惑している佐藤君に代わって話の流れを握った。
「それはとても悲しくて残念なことです、でもそんなことで、いなくなっちゃいけないと思います。お母さんの遺品もなくなったところに、お父さんまでいなくなったらエミリさんは本当に不幸です。それはもう謝罪するしかありません。死んじゃダメです、それは謝罪じゃないです」
青二才の小娘の言葉なんてどれほど効き目があるのかわからないけど、私も一生懸命語った。私も父親がいたから生きてこれたからだ。それを正直に話すと長くなるから言えないけど、でも気持ちは届けたい。
エミリさんがどう思うかはわからないけど、でもこれほどに悔いてくれるなら彼女も許してくれるんじゃないだろうかと思った。
そして、その魔性の女、その正体がわたしはすこし気になった。