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先週のアレは夢か幻だったのかなあ、と思いつつ、金曜日の深夜私は寮の自室を抜け出した。金曜日、と言うかもう午前一時なので実質土曜日だ。
真弓もとうに寝てしまっている。静かに部屋を抜け出して一階一番奥にある倉庫に向かう。その脇の窓を開けて外に出た。外は外で三メートルはある柵で女子寮は囲まれているのだが、去年草むしりをしていた時に柵が一本歪んでいるのをみつけたのだ。植木の陰でわかりにくいし、出たところで山にしか繋がっていないから一般生徒には使い道もないだろう。男子寮に繋がっていればまた別の問題になるけど、そうするにはかなり林の中を大きく回らなければならない。多分佐藤君は鍵があるから別のルートで来ていたんだな。
林の中を歩いてこの間の場所に向かう。
佐藤君がいなければ神社に向かえばいいや。と思っていたのだけど。
いた。
林の少し開けた場所に佐藤君は立っていた。今日は満月じゃないから月の光もそれほど強くない。LEDランタンの青白い光が強めに光っていた。
「佐藤君」
声をかけると彼は振り返った。そして朝の教室みたいに爽やかに「やあ」と笑いかけたのだった。
今日の佐藤君は白いリネンのスカートだ。裾にはレースが施されていた。ざっくりと編まれたカーディガンを羽織っている。チロリアンテープ、だっけ?刺繍されたリボンがあちこちにあしらわれていてアクセントになっている。ヨーロッパの小さな村の女の子みたいで可愛い。
衣装はね。
「ここ座りなよ」
折れて横たわった潅木に座っていた佐藤君は、その横を叩いた。ぼけーっと突っ立っているのもアホなので私は頷いてそこに座った。
わー学校のモテモテ寮長の横なんてあたしどうしようキュン(棒読み)。
「はい。今日は飲むもの持ってきたんだ」
佐藤君はその衣装にはまったくそぐわないスポーティなバッグから、二リットルのコーラ(ダイエットじゃないヤツ)をだした。あと、紙コップ。男らしーい!
「……可愛い服着て飲むものはばっちり男子……」
「嫌いかな」
「いえ……」
「よかった」
夜風はすこし冷える。それでもコーラの爽快感はなかなか良かった。
「いただきます」
「なんか、今週はずっと三嶋の視線が痛かった」
コーラを吹きそうになった。見ていたことに気がつかれていた……!
「えーと、すみません」
「いや、別にいいんだ。見られるのは慣れているし」
さすがヒーローオーラ持っている人はいうことが違うな。
「でも俺も三嶋を見ていたんだけど」
「えっ、そうなの?」
無関心かと思っていたが。
「大久保真弓さんと仲が良いんだね。それに三嶋は成績も良かったんだ。英語の音読に聞き惚れた」
「トップグループの佐藤君に言われるのもそれ微妙」
そう言い返すと佐藤君は困ったように笑った。そして小さい声になって続ける。
「香坂エミリさんを見ていたね。俺の視線を辿っちゃった?」
「うっ」
すごいな。さすが見られ慣れているだけある。
「……俺は香坂エミリが好きなのかな」
そして佐藤君は呟いた。
「好きなの?」
「わからない。まだ話したことがないから。でも凄く気になる。ただそれは憧れなのかもしれない」
「憧れ?」
佐藤君はほんのりと笑った。でもそれは惨めさ漂う自嘲と言っていいものだ。
「ああいう子だったら、こういった服も似合うんだろうなって」
「あー……」
語り始めた佐藤君の言葉は最初こそぼそぼそとしたはっきりしないものだったけど、だんだんいつもの朗々としたそれこそ聞き惚れてしまいそうなものに変わる。確かこの人、東日本の英論文朗読コンクールで入賞したんだっけ。
「あのさ、俺はわかっているんだ。俺にはこの服は似合っていないってことが。たとえば俺が男でもこういう服が似合うのであれば、別に性別なんてどうでもよかったんだ。男でも綺麗な人っているじゃんか?でも俺には似合っていない。三嶋は笑わなかったけど、普通は見れば笑うだろうな」
「好きなら着ていればいいじゃない。周りなんて気にしないでさ。うちとかこういうところでこっそり着ている分には誰も笑わない」
「でも表には出られないよ。自分のプライドとして嫌だ。みっともない。香坂エミリだったらこういう服を着ても似合って褒めてもらえるんだろうなあって」
それは本当につまらない見栄だと思う。きっと佐藤君だって自分でわかっている。でもその気持ちは良くわかる。
単なる趣味の草野球だって上手になりたいのと同じことだ。どれほど自己満足の領域だって誰かの賞賛は受けたいものだし、大好きなことを嘲笑われるのは嫌だろう。哂われるとわかっているのに、好きなら胸を張ってみんなに見せれば良いなんていうのは部外者の暴論だ。
こっそり楽しむしかない、でも誰かに褒めてもらいたい。矛盾しているけど仕方ない。
ただ、そんな風に共感を示したところで佐藤君はきっと心が軽くなったりはしないだろう。一般論に置き換えるにはちょっと特殊すぎる。
「香坂エミリと話してみたらどうかなあ」
同意の代わりに私はそんな提案をしてみた。
「私は別に佐藤君がそれを着ていても気にならないけど、まあ普通の人は気にするだろうし賞賛はしないだろうなあって。それでも誰かに認められたいなら、代理立ててみるのも手じゃない?」
「香坂エミリがこういう服を着て褒められることで、俺も満足するってこと?」
「そう。香坂エミリの着る服を佐藤君が選んであげるの」
「彼女がこういう服が趣味かはわからないし、そもそも無関係の俺がどうやってそんな状況に」
「彼氏になれば?」
あっさり言うなあ、と佐藤君は呆れていた。
「だって香坂エミリを嫌いでもないんでしょう?あっ、もしかして佐藤君は同性を好きな人?」
「いや……多分衣装倒錯の趣味だけで性的志向は異性だと思う。付き合うなら可愛い女の子がいい」
衣装倒錯、とかなんか自虐な言い方だなあ。気の毒に。
「じゃあ問題ないじゃん。付き合ってみれば香坂エミリと合うかもよ。少なくとも見た目的には超お似合い」
一年生の美少女と三年生のイケメン優秀な先輩。パーフェクト!スタンディングオベーション!!鳴り止まぬ拍手!てなもんだ。
「いまどき少女マンガにだって珍しいくらい王道なカップルだよ」
「なんか香坂エミリを騙しているみたいで気が引ける」
「佐藤君が凄く香坂エミリを好きになるかもしれないのに?まあそもそも彼女が佐藤君を好きになってくれるかもわからないけどね。ふられるかもよ」
「三嶋は時々意地悪なことを言うな」
「あたりまえじゃん。王道主人公を妬まない脇役なんていませーん」
私はそれでも佐藤君の背中を軽く手の平で叩いた。
「悩んでみているだけならやってみれば?」
「……考えてみるよ」
佐藤君は短く言った。真剣な表情の佐藤君は、ちらりとみえる横顔でさえ男前だ。
「……なんでかなあ。三嶋に最初にこれを見られたときに腹は括ったんだけどさ。言いふらされても仕方ないかって。でもそういう諦めじゃなくって、納得みたいなもので、なぜか三嶋には結構正直に話をしてしまうな」
「まあお互い様だからね……私も見られてはならないところを見られてしまったし」
良かったなあ、少なくとも頭にろうそく巻いてなくて。あれうっかりこけたら火事になるなと思ってやめたんだ。ろうそくまでやっているところだったら、そのアツさにきっとドン引きされただろうなあ。
「今日は行くのか?」
「あ、うん。でもなあ佐藤君にまた見られちゃったしなあ。こういうのって適当にやったらよくないよね」
一応持ってきたバックのなかから私は例のアイテムを出して見せた。五寸釘は危ないのでちゃんとジップロックに入れてある。
「うーん。略式とか簡易とか、そう考えればいいのかな。よくわかんねえなあ」
二人で話し合っていた時だった。突然林の中でがさがさという音がした。ぎょっとして身を引いた私の前に、佐藤君がさっと出てきた。すごいな、ほぼ無意識に女子を守ろうとしている。こんなに性格は騎士様なのに、今日は森ガールだからなあ……。
「誰だ?」
佐藤君が声をかけると、前の茂みがさらに激しく音を立てた。佐藤君がLEDランタンを掲げる。
「おい」
そしてそれが、深い茂みから顔を出した。
「み」
それは私達を見るやいなや、そこでへばってしまって倒れ伏した。かすれた声が聞こえる。
「み、水……」
唖然として私は振り返った佐藤君と顔を見合わせた。
いきなり出てきたのは行き倒れだった。
ただ、綺麗な茶色の髪に、淡い瞳をしたどこからどうみても異国の男性だ。四十代後半くらいだろうか。彫りの深い顔は、美術室のギリシャ神の石膏像を思わせる。整った顔をしているけど、げっそりとやつれていた。
「すみません、お水ください」
そして日本語マジ流暢。