3
佐藤君は翌日の学校で普通だった。
不自然に私に接してくることもなく、かといってあからさまに無視することもなく、ただ普通。ウルトラ普通。
「すごいなあ……」
昼休み、校庭でクラスメートとサッカーボールで戯れている彼を教室の窓から見下ろした。普通だ。普通すぎる。とても昨日シフォンをひらひらさせていた人とは思えない。あれってやっぱり私の夢だったんじゃないだろうか。そういうことにしたくなってきた。
「今更佐藤君に片思い?そりゃあもう後輩に譲ったほうがいいよ」
私に声を掛けてきたのは友達の大久保真弓だった。多少発言が辛辣だが、もう二年以上にわたって寮の部屋も同じ長い付き合いの友人だ。
「同級生で佐藤君を好きな子はとっくにあきらめているよ?」
だろうなあ。入学当初から誰とも付き合わない彼を見れば、とっくに諦める。今なお闘志を燃やすのは、その過去を知らない下級生くらいなものだろう。
「だよねえ。……ていうか別に私は佐藤君を好きなわけじゃないよ?」
私の窓際の席の横に、彼女は隣の席の椅子を勝手に寄せてきた。
「あ、そうなの?」
真弓はきれいな髪をしている。それを手で後ろに払った。うっすらメイクすらしていて彼女は大人びて見える。ていうか私が子どもっぽいだけだろうか。
「そう。ただ単に、もてている佐藤君というのを客観視してみたかっただけ」
「……うーん、偏差値高い人のいうことはよくわかりません」
真弓は道化ていった。
「でも、藍が本当に佐藤君を好きなら応援するのに」
真弓の指が伸びてくる。ぼさぼさの私の髪に差し入れられた。くすぐったくて笑ってしまう。
「髪型変えるだけでも大分違うんだから。それに多分気持ちだって」
「まあ、そのあたりはご勘弁を」
私は苦笑いして彼女の指から逃げる。綺麗にすることが恥ずかしいとかつっぱっているとか、そういうわけじゃない。ただ、そういう自分は手に余るだけ。
「告白しないと後悔するよ?」
なんて念押しされる。
そんなことは凄くよく知っている。
あの二人がこんなに早く結婚するなんて思っていなかったから。なんて言い訳かな。言わなかったのはただ私の怠慢。
私も自分のことはよく知っている。あの人にとって私はただ子どもだろうと言うことはわかっていた。だから早く大人になって独立して、ちゃんと一人の人間として括弧たる存在になってから告白しようと思っていた。
あの人はずっと好きな人がいたから……そしてそれはきっと成就しないだろうということを私は知っていた。だから結婚なんて遠い話だと思っていたのになあ。そんな私の油断をつくようにしてあの人は私じゃない誰かと結ばれようとしている。あーあ、この十月かあ。結婚式に呼ばれているんだよね……。
今思えば、時期なんて考えず告白してしまえばよかった。ていうか、そもそも押し倒してしまえばよかったのか?
「だから佐藤君を好きなわけじゃないんだって」
「ふうん?」
おもしろくもない、という顔をして真弓はため息をつく。
「でも、佐藤君も最近珍しく浮いた話があるよね」
「え、なに?」
真弓の話に私は食いついた。まずい、これじゃまるでもっと佐藤君に気があるみたいだな。まあいいか、乗りかかった船だ。
「浮いた話って?」
「佐藤君、香坂エミリが好きだとかそうじゃないとか、そんな話」
「香坂エミリって?」
「えっ、知らないの?」
真弓は呆れたようにため息をついてから話を続けた。
「今年の一年生だよ。お父さんがアメリカ人だかで、ハーフの子。すごく可愛い子だよ」
「へえー」
「リアクションうっすいなあ!」
否定したというのに、真弓の中ではすっかり私は佐藤君を好きだということになっているらしい。でもここで向きになって否定しても火に油を注ぐだけかと思った私はそれ以上執拗に否定することはやめた。
「あの子は間違いなく今年の『光源氏』だよ」
真弓の断定にはさすがにへえーと感嘆の言葉が出てきた。
この王理高校っていうのは、もともと男子校時代がすごく長かった高校だ。共学になったのはここ十年くらいの話らしい。
で、まあ野郎ばっかりだった時代の高校の文化祭で花を添えていたのが、女装による演劇だ。学年別ではなくクラス縦割りで、対抗戦をしたらしい。つまり各学年のA組とB組……という形でのチーム分けになる。そして別に美しさを競うわけじゃないので、なんというか、いろいろおぞましい女装なども溢れたようだ。ちなみに今も毎年溢れている。カオス。で、詳しい経緯はしらないけど、共学になったあたりから、主たるものは野郎どもの雅やかな女装だけど『光源氏』だけは女子生徒がやるという変化を見せたのだ。そして誰もはっきりと口に出しては言わないが、チーム内で可愛い女子がそれにあてがわれることが多い。実質ミスコンかよ、なんたる男尊女卑!でもまあいいか、男装の出来を競うわけだからな……。
そんなわけで『今年の光源氏じゃないかな』と言われることはこの高校では「かなり可愛い」といわれているに値する。
「その子何組なの?」
「あ、うちと同じAだ」
「ふうん」
まああまり関係ないな。
わたしが余りにも淡々としているので、さすがの真弓もどうやら誤解を解き始めたらしい。
「あれ、本当に違うんだ」
「違うってば」
「なんだ」
つまらなそうに答えたあと真弓はおや、という顔をして窓枠に手を掛けた。
「見て」
校庭に面した渡り廊下を、一年生と思われる女子生徒がここからでもわかるくらいのきらきらした笑い声を上げながら通っていくところだった。
「噂をすれば」
確かに彼女は一度見ればすぐにわかった。
遠目なので、その詳しい容姿はわからない。でも可愛い女の子だということはなんとなくわかった。栗色という表現がこれほど似合う色も無いだろうと思われる艶のある髪は腰まであった。それほど背は高くないけど顔が小さい。なのでものすごいスタイルがいい。あの子の横では写真に写りたくないな……。多分遠近感がおかしい写真だと思われる。
そしてなにより香坂エミリは一際輝いていた。ああいったものはオーラとでもいえばいいんだろうか。幼い頃から他とは違う華やかさをもっていた人間だけが持つ何かだ。美しい女性によくある周囲を圧倒する強い光とはまた違う、ふわふわした優しい光に見えたけど、それでも他とは輝きの度合いが際立って違っている。
その淡い色彩もあって、ほんと甘いスポンジケーキみたいな印象を持った。
「なるほど、可愛い。目立つ」
「でしょ。で、ここで佐藤君を見てみよう」
真弓の指摘に私はまた校庭の中央部に目を向けた。
「うわ」
真弓の観察眼に驚く。
さっきまで他の男子生徒とボールに向かっていた佐藤君は動きを止めていた。その視線の先はあからさまに香坂エミリに向かっている。
「わかりやすすぎない?」
「でしょ」
まあ佐藤君の気持ちもわからなくも無いなあ。
「佐藤君もそれなら気持ちを伝えれば良いのにね」
「佐藤君ならいけそうだよ」
「……ていうか、両方とも天上人すぎて、私にはまったく関係なさそうだ」
私はため息混じりに吐き出した。
「そうだね」
「真弓なら参加できるよ」
「どの辺りで」
「性格のきついクラスメート役」
「殴るよ?」
「まあそれはともかく真弓だって美人じゃん」
「どうせなら、後輩香坂エミリをいびる佐藤君の元カノ女役くらいは貰いたい。ちょい役はイヤ」
「それ謙遜なんだか自慢なんだかわかりにくいよ」
なんて会話をしているうちに一週間なんてあっという間にたってしまった。真弓の言うとおり、よく観察していれば佐藤君の視線の先には香坂エミリがいることは多々あった。学年が違うからあまり交流も無いはずだが、彼は多くの生徒の中から彼女を見つけ出していた。
しかし、人の恋路に踏み込むのは野暮のすること、と思ってつっこむことは考えてもいなかった私だが。
「俺は香坂エミリが好きなのかなあ……」
次に夜あったとき、佐藤君は自らカミングアウトに出てきたのだった。
別に知りたくもなかったのだがな……人の恋愛にまで首突っ込む余裕ないのに……。