サイコロで全てが決まる世界
よし、転生したな!
寝て覚めると、俺の体は見知らぬ森の中にあった。よって、ここは異世界に違いない。
七夕の短冊にお願いしたのが効いたようだ。
という事は、この森は初期転生地点のはずだ。自分の名前も分からないけどまあいいだろう。
ところでポケットに入っているサイコロはいったいなんなのだろう。
試しに振ってみたら6の目が出た。よく分からないけど幸先いい!
『初期地点から最初に6の目を出した方の今日の運勢は大吉。あなたが男性ならヒロインと、女性ならヒーローと出会えるでしょう』
ファンファーレと共に、どこからか女性かつ機械的な声がした。
よく分からないものの、とりあえず森を歩き始めたら女の子がいた。
15歳くらいだろうか。金髪碧眼の見るからにヒロインの資質を秘めた可愛い子だ。
彼女の前方にはスライムが二匹いる。どうやらモンスターを前にしてたじろいでいるようだ。
「そこの方、どうかお助けくださいまし」
女の子は俺に助けを求めた。
「もちろんさ」
こうして俺の初バトルが始まるのだった。
『サイコロを振ってください』
さっきの不思議な声がまたもや響いた。
「え?」
『サイコロを振る事によってこの世は回ります……ああ! いけない、スライムに先攻を取られてしまいました。あなたは後攻となります』
どうやらこの声はチュートリアルで出てくるナビゲーター的な人のようだ。機械的な話し方の一方で、声がいやに可愛い。ハスキーで凄く可愛い。
「可愛い声ですね」
僕は言った。正直に。
『……ありがとうございます』
「名前はなんて言うんですか?」
『コロと申します』
可愛い。
それはさておき、俺は相手がスライムだとなめていたのかもしれない。
スライムの出した目は6。ただしどうやってサイコロを振ったのかは分からない。
同時に俺は吹き飛んだ。背後の木に衝突し、あっという間に虫の息である。
『気をつけてください。転生者の初期HPは10。つまりあなたの残りHPは4となります。対してスライムのHPは2、ただし二体いますのでこのままでは命にかかわります』
「おいおいシビアだなっ!」
『初期スライムの持つサイコロは常に1の目が上になっています。加えてスライムには手がないので振ることが叶いません』
「それじゃあどうして6の目が?」
『……すみません……本当に申し訳ありません。ひょっとしたら私のミスの可能性があります。初期地点にて遭遇するスライムの持つサイコロの目を1に保つこと。それも私の役目です。おそらく、間違って6を上にしてしまったのかもしれません』
1の逆側が6だもんね。きっと疲れてたんだね。
「おっちょこちょいなんですね。素敵です」
『……ごめんなさい』
「皮肉ではないよ。……ただ困ったな。スライムのHPが2ってことは、後攻の俺が1の目を出してしまうと相手のHPを削り切れずに終了ってことか。次のターンには再びスライムの6の目攻撃だもんな」
『……頑張ってください……お願い、頑張って!』
コロは涙声だ。
こんな初歩的なミスをしたらチュートリアル役を左遷されてしまうのではないだろうか。
そんなこと……俺がさせない!
しかしスライムの攻撃によって既に俺のHPは4だ。
朦朧とする意識の中、俺はひとつの策を講じた。
「うおおおお!」
持っていたサイコロを、スライムの体に全力で投げつける。
これでも中学生の頃は野球部だったのだ。
当時、友人と遊び半分にナックルボールの研究に明け暮れていた日々を思い出す。ボールの回転を限りなく抑えて投げることによって複雑珍妙な変化を生み出す魔球である。
俺が6の目を上にして放ったナックルは、近距離のために大した変化もなくスライムの体にめり込んだ。
「……6だ」
俺の呟きは、清閑とした森の中に吸い込まれる。
直後
『ピャーッ!』
この上ないほどのコロの歓声がこだました。
『すごい! すごいです!』
「あと一体いるので油断は禁物だよ。どうにか先攻を取らないとなあ」
俺が一旦スライムと距離を取ると、そこに金髪碧眼のヒロインが割って入った。
「私に任せてください。私はまだ戦っていなかったのでHPはマックスの10あります!」
そう叫ぶと、ヒロインはスライムに向かって走り出した。
スライムはヒロインの方に向き直ると、慌てたようにサイコロに体当たりする。が、柔らかい体に触れるばかりでサイコロは微動だにしない。どうやらこれで振ったつもりのようだ。
出た目は、当然6である。
悲鳴をあげて吹き飛ぶヒロイン。それでいてその目には強い光が宿されている。
「今です! スライムのターンは終わりました。早くあなたのサイコロを!」
身を盾にしてくれたヒロインの行動に、俺は泣きそうになった。
なんて強い子だ……
すかさず俺は、二度目のナックルをスライムに放った。
無事に6の目が出ると、スライムはぶじゅりと音を立てて溶けてしまう。
こうして俺達の、スライムとの激闘は幕を閉じたのだ。
「本当にありがとうございました」
ヒロインは、深々と頭を下げた。
「いや、こちらこそありがとう。もう駄目かと思ったよ。怪我はないかい?」
「はい!」
「それじゃあ森を出ようか」
森の浅い部分だったようで、既に出口は先の方に見えている。
『戦闘勝利おめでとうございます。出口までのマス目は12です。サイコロを振ってください』
コロの声が辺りに響いた。
再び機械的に戻った反面、声がかすかに震えていることから心境がうかがえる。
そしてなにより、まさかそこまでサイコロで管理されるとは思いもよらなかった。
俺の出した目は3だ。
「私は6です」
その次の俺の目は5。
「わ、また6だ!」
ヒロインが歓喜した。
「おめでとう。それじゃあ君は一足早くに出られるね」
「あの、本当にありがとうございました」
「気をつけてね」
「はい! 縁がありましたらまたお願いしますね」
「ああ、こちらこそ」
俺は、軽快な足取りで森を出ていくヒロインの背中を見送った。
『よろしかったのですか? せっかくヒロインと出会えたのにすぐに別れてしまって』
「もちろんさ。俺には君がいるからね」
『……その、本当にありがとうございました』
「困った時はお互い様ってやつさ」
そうして俺は、引き続きサイコロを振った。
現在の目の合計は8なので、森を出るには4以上が必要になる。
出た目は――
「よし、6だ!」
『惜しいですね。4歩進んで2歩下がることになります』
冷静なコロの声がした。
「え? あれ? ひょっとしてぴったりじゃないと駄目とかいうスゴロク的なあれなのかい?」
『本当は無言で頷くにとどめたいのですが、声だけなのでそれも叶わず残念です』
改めて、なんてシビアなのだろう。
この後の俺の出した目は3だった。2歩進んで1歩下がる。
次も、その次も、更にその次も、延々とサイコロを振っているのに森から出られない。
『落ち着いて。落ち着いてサイコロを振ってください』
どれだけ時間が経ったのか、辺りは薄っすらとした暗闇に包まれつつある。
「暗くなってきたからさ。コロはもう帰りなよ」
俺は、自分の運のなさにつくづく嫌気がさしてしまう。
『大丈夫ですよ。無事に森を出るまでここにいますから』
「それも役目なのかい?」
『そうです! だからもう一度サイコロを振ってみましょう?』
それは下手な慰めよりも断然よかった。
俺はそれからもサイコロを振り続けた。
進んでも進んでも歩いてきた道を戻され、また進んでは戻されての繰り返しだ。
それでも俺が滅入ることなく頑張ってこれたのは、森の出口に灯された光のおかげだろう。
「頑張ってください!」
金髪碧眼のヒロインがそこにいた。
てっきり帰ってしまったと思っていた彼女が、今もなおその先で見守っていてくれたのだ。
『いい子ですね』
「コロもね。夜も深まってきたってのにありがとう」
『ふふ、困った時はお互い様というやつなのでしょう?』
出口までのマス目は残り1。
ただの1でいいのだ。5や6なんか出す必要がない。
人よりも遅くていい。ただの一歩を進めることが大事なのだ。
俺は、全ての思いをこめてサイコロを投げた。
「あ……」
1だ
振り過ぎて泥まみれになってしまったサイコロが、ただの一歩を俺に歩ませてくれた瞬間だ。
『おめでとうございます。本当に、おめでとうございます!』
コロの声はとても優しかった。
俺はその時、あまりの嬉しさに咆哮していたのかもしれないし、泣いていたのかもしれない。
森の出口はすぐそこだ。
明るい光が待つ場所へ、俺は一歩、足を進めた。
……
「はっ!」
俺は意識を取り戻した。
ここは……自室のベッドの上だ。
「夢、だったのか?」
そうだよな。本当に異世界転生なんてあるわけがない。
それにしては異様に鮮明な夢だった。未だにヒロインの金髪碧眼の姿を覚えている。なによりも、コロの機械的な、それでいてハスキーで慈しみに溢れていた声を忘れられない。
俺は、軽く伸びをしてから表に出た。
雲ひとつない爽快な青空だ。
この分だと彦星と織姫も無事に出会えたのではないだろうか。
なにげなく、俺は七夕の笹に近寄った。
“異世界転生できますように”
へたくそな文字で書いた俺の短冊がそこにある。
「ん?」
一陣の風が吹いた時、かすかにめくれた短冊の裏側が見えた。
俺の書いた短冊の裏側に文字が書かれている。
そこにはこう書いてあった。
『また会いましょうね コロより』