少女Bは恋をして【2018年3月18日完】
学校の王子様を好きになってしまった少女Bの恋の行方は。
【第一話 学園の王子様】
「きゃーっ王野君おはよう!」
「おはよ」
「陽、はよ!今日も朝からモテてんなーお前」
「ずるいぞ陽」
「はは、違うって」
朝、何となく今日も長い一日が始まるのかと憂鬱な空気が流れる教室。でも、そんな空気は学校一人気の王子様が教室に入ってくればすぐに打ち消された。
「ひっ……ひかる君おはよう!今日私達日直だからよろしくね」
「うん。頑張ろ」
王野君の名前を呼ぶだけでも顔を赤らめていた彼女は、爽やかスマイルでとどめをさされたようだ。倒れそうになったところを友達に支えられている。
これも、見慣れた光景。高校に入学してから飽きるほど見てきた。
窓から入ってくる春風が彼のふわりと柔らかそうな茶髪を撫でる。
席に座ってからも周りを他クラスの子まで取り囲み、チャイムが鳴るとようやく解散。
私は、そんな彼を斜め後ろの席から見ているだけ。……なのは、そろそろやめようと思う。
―――彼を、学校の王子様を意識した日を思い出す。
高校に無事合格できて、入学式から少し経った頃。男女問わず友達もたくさんできて放課後は遊んで青春してる……なんてことはなく。
小学校中学校と同じようにひっそり静かに数人の友達と過ごしていた。
キラキラした世界に憧れないわけじゃなかったけど、これからも変わらないんだろう、なんて漠然と思っていた。
「王野君も今日遊んで帰ろうよー」
「残念今日は俺らと遊ぶ約束してたから!」
「嘘でしょ?!じゃあじゃあ、明日は?」
昼休み、担任の先生に頼まれたプリントを抱えながら廊下を歩いていたら。
向こうから賑やかな声が聞えてきて顔をあげると、王野君と友達が談笑していた。
王野陽君。入学早々整った外見から注目を集め、女子の間では王子様と呼ばれるようになった。
しかも外見だけじゃなく、『陽』とかいて『ひかる』と読む名前の通り性格も明るく気さくで、完璧としか言いようがない。
勿論王野君を取り巻く子達も可愛くて美人で、男子も他の子から一目置かれている人たちばかり。
役名があるどころか少女Aですらない私とは大違いだ。世界が違う、ってまさにこのことだ。
……でも。私も、あの瞳に一瞬でも映してもらえないかな。なんて考えていると。
バサバサッ!
「っあ……」
見惚れていたせいで抱えていたプリントやらファイルを落としてしまった。ハッとしてすぐに散らばったものを集める。
ああ、何やってるんだろう恥ずかしい。あちこちから感じる視線にいたたまれなくて下を向いたままでいた、ら。
「大丈夫?」
「え……あ、はい!」
心臓が止まるかと思った。
急に誰か自分の傍にしゃがんだから不思議に思って顔を上げると、王子様が。王野君がいたのだ。
「姫川さん、だよね?こんなたくさん1人で運んでたの?」
「日直で、その、頼まれて」
プリントを集める手が震える。今、私は誰と会話してる?ていうか姫川さんって、名前知っててくれたんだ。
「あーなるほど。姫川さんが持ってるプリントもらうよ」
「え?」
「俺教室までもってくからさ」
「そんなの悪いですよ、私が持ってくので。拾ってくれただけで助かりました」
慌てて立ち上がって通り過ぎようとしたのをやんわり止められる。
「じゃあ半分ずつ。また落としたら大変だし。ね?」
綺麗に口角を上げて微笑む王野君。ドクドクドク、さっきから心臓がうるさい。どうしようと迷っているとサッとプリントの束を半分以上持ってくれた。
「行こ、姫川さん」
「はい!」
ゆっくり歩きだした王野君の後ろをついて行く。周りからの目線がすごい。
私なんかが王野君の隣にいるから気になるんだろう。私もいまだにこの状況はよく分かっていない。
教室に2人で入り教卓の上にドサッとプリントの山を置いた。
「よし、完了」
「お、王野君本当にありがとう!ごめんなさい、せっかくの昼休みに」
「いいって。お疲れ」
王野君の手にぽん、と軽く頭を撫でられる。そして遠くからしか見たことがなかった優しい笑顔。
とどめの一撃をくらい固まっている間に王野君は友達の元へ戻っていった。
「え……えっ?!」
撫でられたところも、顔も、全部熱い。王子様にプリントを拾ってもらっただけで心臓が壊れそうなのに、最後のあれは何なんだ。
きっと、王野君にとっては些細なことで気に留めるまでもないんだろうけど。傍にいた時鼻腔を掠めた柑橘系の香りも、優しさも、あの時だけは自分に向けられていた表情も。
全部、鮮やかで。鮮烈な。
「王野君」
自分が少女Bで、地味な存在なのは重々分かってる。分かっていても、王子様に憧れてしまった。
一瞬で、自分の世界を破られた気がした。
小さい頃から、本当はお姫様に憧れていた。でも実際そう上手くはいかないんだって気づかされて。儚い夢にきっちり蓋をしていたけど。
……あの綺麗な双眸に自分を映してもらいたいと思ってしまった。お姫様に、なりたい。少女Bから昇格したい、変わりたい。
一歩踏み出すなら今しかないんだ。
そう、決意した。
―――その日から王野君に話しかけるためのシミュレーションを何度も繰り返してきた。見た目も重要だろうからほんのりグロスも塗って、髪型もいつも以上に整えてきた。
大丈夫。そう自分を勇気づけて朝のSHRが終わった後彼の席まで近づく。早くしないと王野君が他の人に囲まれる。
「おっ王野君!」
「姫川さん。おはよ、どうした?」
怯むな自分。ちゃんと目を合わせないと。
「王野君、いきなり話しかけてごめんなさい。……わ、私と」
言わないと何も始まらない、『その他大勢』で終わってしまう。スカートをぎゅっと掴む。
「とっ友達に、なってください!」
バッと深く頭を下げて精一杯大きな声で言った。沈黙が痛い。
「俺が、姫川さんと?」
「はい。お友達に、なりませんか!?」
今までろくに話したこともないんだから、いきなり告白なんてしても無理に決まってる。だからまずは『その他』から友達になりたい。
王野君からの返事が聞えなくて、もっとコミュ力や女子力あげて修行してから声をかけるべきだったかと反省していると。
「ふ、ははっ姫川さんて案外面白いな?いいよ、友達」
ゆっくり頭を上げれば、くしゃっと顔を崩しておかしそうに笑っている王野君が。あ、王野君のこの笑い方はレアだ。
「ありがとうございます!」
「友達なんだから、敬語はナシでしょ。あと、名前呼び捨てでいいって」
「ひ、かる……は、無理!せめて陽君で」
「分かった。俺は結衣って呼ぶ」
王野く、じゃなくて陽君に結衣と呼ばれる日が来るとは。陽君から呼ばれるだけでとても甘美な響きになる。
「改めて、よろしくお願いします。陽君!」
「よろしくな、結衣」
こんな至近距離で目があったのは、プリントを拾ってもらった時以来だ。色素の薄い綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。
緊張したけど、これで一歩踏み出せた。
少女Bがお姫様になる方法。まずは、友達になりましょう。
【第二章 お互いのことを知りましょう】
陽君と友達になるというミッションは成功した。でも、それで終わりじゃダメだ。
これを機会に自分のことを少しずつでも知ってもらいたいし、私も陽君のことを知っていきたい。
そう思えば思うほど王野君を目で追うようになって、今まで見過ごしていた彼の魅力に気づく。
例えば私と同じように誰かが困っていたらさり気なく声をかけるし、板書の文字が綺麗。
お弁当を食べる時の箸の持ち方や所作も綺麗だし、意外と読書家。毎日いくつも良いところを知っていく。
私は王野君のことを見てるからこれだけ新しい発見があるけど、彼は違う。私のことを見てるわけじゃない。
「ひ、陽君!おはよう」
「おはよう、結衣」
だからこうして定型文の挨拶をしただけで会話終了じゃなくて、何か話さないと。
「今日は……えっと、いい天気だね?!」
「そうだな。昨日雨だったから晴れて嬉しい」
「晴れたから、今日は外で体育出来るよね」
「結衣も体育好きなんだ?」
よし、何とか会話続けられてる。でもこの後どうやって話を展開していけばいいんだ?雑誌の特集に会話術みたいなの載ってた気がするけど。
「うん、わりと好き、かな。陽君も体育頑張って」
「さんきゅ。結衣も頑張れ」
ああ、自ら終わらせてどうする!陽君は爽やかな笑顔を携えて他のクラスの子に誘われてどこかへ行ってしまった。ダメだ、あんまり長続きしなかった……。
ガクッと項垂れていると『ひとりで突っ立って何してんのー?』と明るい声が聞えた。
「梨花。おはよう」
「おはよー」
数少ない友人の1人である梨花にいきさつを話すと、呆れたと言わんばかりのため息を吐く。
「結衣があの王子様に話しかけられただけでも十分すごいけどさ。せっかく向こうから『体育好きなんだ?』って言ってもらえたのに『うん』で終わらせちゃ勿体ないでしょ」
「ご、ごもっともです」
「そもそも王子様に近づこうっていう夢が結衣にしちゃ大胆だなって思うけど」
「返す言葉もございません」
中学からの友達だから梨花の言葉には遠慮がない。でももう慣れた。
「こんなことで時間使ってたら、いつまでも夢に近づけないよ?先に誰かにお姫様の座を奪われるよ」
「うん、分かってる。もっと話しかけなきゃだよね」
「話しかけるだけじゃなくて、自分を知ってもらうことも忘れずにね。王野は毎日色んなやつとつるんでるんだから印象に残らないと」
さすが梨花様。年上の先輩と付き合ってるだけあってアドバイスも的確だ。大人びた雰囲気の梨花は同い年からも密かに注目を集めてるのに本人は気にしてないからすごい。
「結衣がせっかく自分で変わろうって決意したんだから、頑張ろ」
「よし。今日は最低でもあと一回話してみる」
「ちゃんと相手の顔見て話すんだよ」
「はい先生!」
梨花のアドバイスを胸に授業間休憩や昼休みなど話せるタイミングをうかがう。そして今だ、と思い陽君に近づいてみるものの。
「陽君、あの、お話が―――」
「ねぇねぇ陽!聞いてよさっきさぁ~」
別の女の子達に行く手を阻まれ陽君の席に近づけなかった。この時間は無理でも、次こそはと気を取り直して話しかけても。
「陽君ちょっと話したいことがあるんっ、!?」
「王野、次の古典分からないとこがあるんだけど教えてくんね?」
「私も教えてほしい~ついでに課題出されたとこ合ってるか見て」
まったく入る隙がない!今まで遠目から見てるだけだったから分からなかったけど。
陽君に話しかけるだけでこんなに大変なのか。一瞬目が合ったりはしたけど、ちゃんとした会話は出来なくて。
ついに放課後になってしまった。
「信じられない……」
友達になってください宣言の時は本当にタイミングが合ったから言えたのか。庶民が王子様に話しかけるには努力が必要らしい。
もう満開だった桜は散り、初夏に向けて青葉が顔を出し始めていた。
あっという間に春が終わるんだななんて思いながら、とぼとぼと玄関で靴を履き替えて校門を出ようとしたところで。
「あ、陽君だ」
目の前で陽君が友達と別れてひとりで帰ろうとしているところだった。このチャンス、逃すわけにはいかない。足早に追いかけて名前を呼ぶ。
「陽君!お疲れ様」
「……おー、結衣だ」
陽君から自分の名前が紡がれる度、くすぐったくなる。
「私南山駅使ってるんだけど、陽君はどこの駅に行くの?よかったら途中まででも一緒に、か、帰りませんか?」
「はは、敬語になってるよ。俺も南山だから帰ろ」
夕焼けの淡い橙色が陽君の髪を染めあげる。
「良かった。ありがとう」
「友達だからね」
友達。今は、友達になれただけで十分ありがたい。昔から少女B体質の自分からすれば褒めたいくらい。でも、本当は、友達じゃなくて。それ以上の。
「でもさ。何で俺と……友達になりたいなんて言ったの?」
屈託のない笑顔、けれど探るような瞳。そう思われて当然だよね。
「純粋に、陽君ともっと話してみたかったから、かな。それで仲良くなれたらって思って」
「……へぇ?」
軽やかな声色なのに、空気がひんやりした気がする。おおよそ、普段目にしてる王子様とは雰囲気が違う。
「純粋に、ねぇ」
私、何か変なこといった?言い方間違えた?
「結衣さ、俺に友達になってくださいって言ってきた時の自分がどんな顔してたか教えてあげようか」
周りには誰もいない中で、感情を削ぎ落としたような声が響く。じりじりと距離が縮められていく。
「私、もしかしてすごい変な顔してた?ごめんなさい、緊張してて。おかしかったよね」
「いや?分かりやすかったよ。付き合ってください好きですって言いたい顔してた」
「え?!」
上ずった素っ頓狂な声が出てしまった。今、陽君はなんて?目の前の王子様の言葉を噛み砕く。
「なのに『純粋に話したかったから』って。ごまかすなよ分かりやすいくせに。たまに俺のこと見てるときも、同じ目してた。あんだけ見られて気づかないわけないだろ」
おかしい。いつも教室でみる王子様はこんな冷たい言い方はしないし、無表情でもない。
どうしてこうなった?ただ一緒に帰りたいと思って誘っただけ、だったはずなのに。
「ひ、かる君。何で」
陽君のそんな歪んだ双眸は、知らない。
「適当にあしらおうと思ったけど。結衣は分かりやすすぎるよ?」
揶揄うような言い方。頭の中では学校の王子様といわれる彼と目の前の彼が交互に映し出される。どっちが本当の陽君なのか。
「あの、怒らせちゃったならごめんなさい。でも本当に、仲良くできたらって思って」
「『学校の王子サマと付き合ってる自分』っていうステータスが欲しいの間違いじゃなくて?」
「っ……」
陽君の口から紡がれる言葉だとは、到底信じられないけど。これが現実だ。
「昔っから近寄ってくる女はそうだった。いちいち突っぱねるのも面倒だから大人しくしてたけど」
昔から女の子にモテていたのは容易に想像できる。きっと中学校でも高校と同じように『王子様』扱いされてきたんだろう。
「じゃあ、私も……適当にあしらって、ごまかしておけば良かったんじゃない?どうしてこんなこと」
「いっそあんたも周りのやつみたいに、したたかでずる賢こかったら良かったのに」
車のエンジン音にかき消されそうな小さな声。僅かに悲哀の色が瞳の奥で滲む。
私は、陽君にこういう顔をさせるために声をかけたんじゃない。でも、結果がこれだ。
「『王子サマと付き合ってる自分』に憧れただけならやめろよ。一回助けてもらって嬉しいって気持ちを好きって勘違いしてんだよきっと」
「私はっ、確かに陽君のことが好きになったけど。そんなつもりはなくて」
告白はもっとお互いの距離が近づいて、良い雰囲気の中言いたいと思っていた。こんなタイミングで、悲しい状況で気持ちを伝えたくはなかった。
「わざわざ忠告してやってるんだ。俺のこと、好きになっても無駄だよ」
無駄だなんて言わないで。けど、何が陽君にそう言わせるのか。
「俺は誰も、信じない。だから結衣は、他の人を好きになった方がいい」
陽君への想いは諦めろってことだ。それに誰も信じないって、じゃあいつも学校でみる陽君は、偽りの姿なの?
「……じゃあね、結衣」
綺麗な笑顔をはりつけて、心地いい声のトーンで。片手を振って駅の方へ歩いていった。
「陽君、私は」
足が縫いつけられたように動かない。柔らかい風が肌を撫でていく。
確かに、陽君のことをもっと知りたいし自分のことも知ってほしいって思ってきたけど。
陽君の本当の顔を知ることになるとは、思わなかった。
【第三章 ガラスの靴はなくても、王子様のもとへ】
例え好きになった人にその気持ちは無駄だと言われても、冷たくあしらわれても。朝はくるし毎日学校に行かなきゃいけない。
だから今日もいつもと変わりなく登校してきた。
「おっはよー王野!」
「はよ。お前朝から元気な」
「昨日俺が応援してるサッカーチームが優勝したんだよ!めっちゃ嬉しい」
陽君も、まるで昨日のことがなかったみたいに普段と変わらず爽やかな笑顔、物腰の柔らかい雰囲気。
私はどう考えてもフラれてしまった。
一歩ずつでも仲良くなって告白できればと思っていた計画は呆気なく崩れたのだ。じゃあ、もうこれで終わりにするのかと聞かれればノーだ。
もしここでしょうがないと諦めたら、私は変われないまま。そして陽君はきっと、誰も信じられないままだ。
陽君に、自分の気持ちは本当だって信じてもらいたい。勘違いしたわけじゃない。
「陽君、おはようっ!」
「……おはよ、結衣」
ちょうど自分の席の近くを通った陽君に挨拶する。一瞬怪訝な顔をしたけど、すぐに王子様スマイルに戻して挨拶を返す。
その後もお昼休みになれば『お腹空いたね、陽君はお弁当?』とすれ違いざまに話をふり、授業間休憩のときも『次の英語で小テストやるらしいよ。簡単だといいね』など何かしら話に行く。
陽君は周りに人がいるからか、全く隙を見せずに完璧な会話のキャッチボールをしてみせた。
たまに目が笑ってなかったけど。
次の日もその次の日も、拙いコミュニケーション能力を自覚させられつつ陽君に向き合う。
前までは挨拶だけでも緊張してたのに、今では一方的にだけど話しかけられるようになった。一方的にっていうのが切ないけど。
「陽君、今日暑いよね!まだ梅雨の時期なのに真夏みたい。もう放課後なのに涼しくない」
「……あんた、懲りないよな」
「懲りませんよ。陽君が好きだから」
放課後、屋上のフェンスに背中を預ける陽君に歩み寄る。陽君はたまにひとりで屋上にいることがあると最近知った。
「なんで、ここまでするんだよ」
「自分の気持ちは嘘じゃないって、信じてもらいたいから」
入学した時より伸びた黒髪が、暖かい風に攫われていく。
「信じない」
「もう一度、誰かを信じて欲しい……って、簡単に言うなよって話だよね。だからこそ陽君を信じさせてみせる」
「どうせすぐに人の気持ちは変わる。だから適当に王子サマ演じてるんだよ」
揺れる瞳と視線が絡み合う。
「私は皆の王子様でいる陽君も、今目の前にいる陽君も。どっちも大切だって思う。それはこれからも変わらない」
「っあんたが……結衣が、他の奴らと違うっていうのは分かってる。けど、だからこそ、俺なんかに構ってる時間別のことに使えよ」
初めて、陽君の指が私の髪に触れた。指先で、するりと黒を撫でる。
「やっぱり、陽君は優しい。俺なんかに構わなくていいって。こんな時でも相手を優先するところ」
「違う。優しいよ。ずっと見てきたから」
髪を触る陽君の手に触れると、泣きそうな顔をした。
「私は王子様な陽君だけじゃなくて。素気なくて不器用な陽君も好きになったの」
始めは一目惚れ。でも、それからはどんどん君の魅力に気づいてもっと好きになった。
「……結衣の気持ちが、本当だとしても。俺は、まだ」
誰かを信じるのが怖い、と。心の底から絞り出したような声でそう言った。
昔から周囲の期待を一身に受けて、面倒なことはもう嫌だからと自分を隠して王子様でいた。
本当の自分ではない偽りの王子様を皆が好きになっていく度、本当の自分をみてもらえない。
「私の気持ちは変わらない。だから、ゆっくりでいいから信じてください」
助けてって陽君が言ったら迷わず君のもとへ行くし、泣きたい時は我慢せず泣いてくれればいい。そういう感情をぶつけられる相手になりたいな。
「結衣」
戸惑いながらもゆっくり腕を伸ばし、抱きしめられた。
私も陽君の背中に腕を回して抱きしめ返す。今はこれでいい。
いつかこの戸惑いがなくなってくれたなら。想いを込めて腕の力を強めた。
放課後、ふたりぼっちで抱きしめ合った時の体温はずっと忘れないだろう。
――――――――
――……
先生に日直だからとクラス全員分のノートを運ぶようにと頼まれてせっせと教室へ向かう。
「っ、と、わ!」
教室の扉を開けた時バランスを崩してノートをばらまいてしまった。
「あーもう」
何やってるんだ私は。急いでノートを拾い集めていると。
「気をつけろよ」
「誰かに扉開けてもらうべきだったね」
いつかのように散らばったノートを集める。あの時はプリントだったなと昔の記憶を引っ張り出す。
「はい。お手をどうぞ?お姫様」
片手を目の前に差し出される。その手に自分の手を重ねて立ち上がった。
「ありがとうございます。王子様」
2人で目を合わせて、どちらからともなく笑い合った。
―――勇気をもって一歩前へ踏み出した少女Bは、お姫様へ昇格したのだった。
Fin.
最後まで読んでくださってありがとうございました。青葉はなと申します。
王子様に恋した少女Bがお姫様になるまでのお話でした。
少しでも皆様の心を動かすことが出来ていたら幸いです。