95 公爵夫人は静かに笑う
貴族女性の茶会、それは世間話と浪費だと思われがち。
だけど世間話から地元の特産品の今年の出来高を大まかに語ることで何が作れるのか、その作れるもので流行を語り、流行を生み出し、広め――そしてそれを消費に繋がると思えば悪くない話じゃない?
それが経済となって、彼女たちの夫あるいは父親、恋人たちの仕事になるのだと思えば立派な戦略のひとつでしょうから。
恋愛話なんかは「素敵ね!」と笑って言いながら、それが貴族同士であるならば家同士の繋がりなんだからそれこそ政治に繋がるわけだし。茶会で醜聞のひとつも流れればその対象はあっという間に広まった噂にてんてこ舞いになるでしょうしね。
「……来年はナシャンダ侯爵領の薔薇菓子とセレッセ伯爵領の布地、これは間違いありませんわね。今の段階でセレッセ伯爵領の布地は値が上がり始めたそうですわ」
「伯爵さまは十分な生地をご用意くださったのに、どこかのご令嬢がみっともなく買い漁っているという噂ですわ、ご存知?」
「ああ、それでしたらホラ、先日社交界デビューなさった公爵家のご令嬢ですわ。末の娘ということで随分と甘やかされてお育ちあそばしたようで……」
「あらあら……あのどこのサロンにも呼ばれていないのに足を踏み入れる無作法な方ですわね」
例えそれが格上の令嬢の話題でも、派閥の中ですればその耳に届く頃には……というやつなんだからオソロシイ。
女たちの噂話は絶えることはない。実の無い話題に交じる毒と、益を見極めるのは彼女たちだけではないという事実を知ることもまた大事。
彼女たちが持ち帰り、家族に聞かせたその話題から何が拾い上げられるのか。そうしてのし上がっていく人間はのし上がっていくし、逆に転がり落ちていく人間もあるのだろう。
「そういえばご存知? お洒落眼鏡の発端となったあの子爵令嬢!」
「あら、ナシャンダ侯爵領の薔薇菓子にも彼女が影響していたとか」
「そうよ、セレッセ伯爵領の布地も彼女でしょう?」
「次の流行が何か兆しが見えまして?」
「違うのよ、違うのよ」
扇子で口元を隠しながらくすくす笑う女のひとりが、ちらりと視線をこれまで一言も発せず優雅に茶を飲む女に向けられた。あらあら、私を引きずり込んでなにがしたいのかしら?
「ビアンカさまはもうご存知かしら? あの子爵令嬢、近衛隊の星とまで呼ばれたアルダール・サウル・フォン・バウムさまのお心を得たらしいですわ!」
「ええ?!」
「まあ!」
「そ、そんなぁ?!」
ああ、それね。その話題だったら知っているわ。
その『彼女』が私に直接そのことを教えてくれなかったことは少しばかり悔しいけれど……まあ身分差を慮った行動なんでしょう、侍女の鑑な彼女らしいわ!
「ええ、知っているわ。近衛騎士の方から熱心に言い寄っていたようだということもご存知かしら?」
「ま、まあ……!! アルダール・サウルさまから……?!」
あの近衛騎士、なんだかんだ人気があるのよねえ。でも私の目から判断するに、あれは結構嫉妬心の強い男だと思うけど……まあ彼女も彼女で一途な性格だと思うから大丈夫でしょう。
名家の一門で跡が継げなくとも分家の当主となれるとなればまあ優良物件と思っていいですものねエ。
しかも若く健康で見目も良く、異例の近衛騎士抜擢、剣聖候補とくれば……今までよく放っておかれた、というか上手く逃げ回っていたものだと思うわ。
ここにいるご令嬢たちの中でも袖にされた方が何人かいたようだし、ね……。
釘のひとつでも刺しておかないと、彼女に何をするのかわからないかもしれない。そんな浅はかな女が私のサロンに居るとは思いたくないけれど。
恋は厄介な病気も同然、とかなんとかどこかの吟遊詩人も言っていたから気をつけておくのに越したことはないわ!
「でも皆さま、あのユリア・フォン・ファンディッドはなんと言っても王女殿下のお気に入りの侍女ですもの」
「そ、そうね……きっとバウム家へ輿入れの前準備のひとつですわね」
いやな方向に話を持って行くわね!
でもまあそう取れるわよね……普通、降嫁した家では来てくださった姫君に対し家長に連なる身分の者が世話人としてつくことになっているのが通例。
もしユリアが先んじてアルダール・サウルの元へ嫁げば、プリメラさまは何ら今と変わることのない給仕をバウム家に嫁いでからも受けられる。だって義兄嫁の立場になるんだもの、資格は十分よ。
それの為の布石である『お付き合い』じゃないかという見方は貴族としてはまあ、アリよねえ。
でも私はそういうのを耳にしたことなんてないわ! そもそもそういう形式の為だけに彼女を犠牲にするようなことをプリメラさまが許すものですか。
そんな魂胆でいようものなら、まずバウム伯が王太后さまから叱責を受けることでしょう。あの方は私以上に情報網をお持ちだし、ユリアのことも気に入っておられるようだから。
とはいっても、可能性としては確かに……もしそうだったら私はどんな処断をあの男にしてやろうかしら。貴族女性なりのやり方で報復させてもらうんだから。
ユリアは恋愛ごとにはやたら初心で可愛いったらないのに……涙の味のドルチェなんて御免だわ!!
「皆さま、ユリアは私の個人的な友人でもありますの」
「ビ、ビアンカさま?」
「とても大人しく優しい娘ですわ。王女殿下の侍女として勤めあげることを優先している姿は賞賛に値しますし、家族の為に社交界デビューも遅らせた貴族令嬢としても立派な娘ですからどうぞ厳しいお言葉をかける方がいたらお助けしてあげてはくださいません?」
「ああ、そうでしたわね……ご実家の窮状を鑑みて自らデビューを辞退なさっていたとか」
「そうでしたわね、後妻との間に生まれた弟君を立派な当主として立たせるためにそちらを優先なさったんでしょう? ご自分は王城で立派にお勤めして……」
「そのお勤めがあったからこそ、ファンディッド次期子爵もきっと勤勉な人間だろうと目されたのですものね!」
(本当、あの噂は今も生きていて面白いわあ)
あのでっちあげの感動物語を思いだして涙まで浮かべるご令嬢たちに私は扇子で口元を隠すしかできない。
決して単純などと言うなかれ、あの中で本当の涙を浮かべたのは一体何人いるかしら?
いいえ、哀れと思って真実涙を流しておられる方もいるわよ。哀れと思い込む、役者顔負けのご令嬢……はてさて、殿方たちは見抜けるのかしらね。
「本来ならば王女殿下を通じて誼みある私のサロンに令嬢として招きたいところなのだけれど、やっかみからか意地の悪い言葉を発する方もいるようで……」
「まあ!」
「ビアンカさま、そのような悲しいお顔をしないでくださいませ」
「わたくし達も一度彼女とお話ししてみたいと思っておりましたのよ」
「そうですわ、是非一度お招きしてみては?」
「やっかみ、ということは……アルダール・サウルさまに袖にされた女性だけではなく、他からもということでしょうか? なんという矮小な者たちかしら!」
まあ表面上とはいえ、このくらいでいいかしら。私のサロンに集う令嬢を味方につけたとあれば、ユリアにとってもそれなりに良い効果はあるはずだしね。
あの子ったらきっと他のご令嬢に嫌がらせとかされても何も言わなそうだしねエ……。
かと言って私が言い出すのもスマートじゃないし。こういうのは相談されて初めて口出しすべきよね。
「ありがとうございます、皆さま。彼女に代わってお礼申し上げますわ」
「まあ、そのような……」
「ビアンカさま、本当にファンディッド子爵令嬢と親しいのですわね」
「……」
にっこり笑う、それだけ。
それをどう解釈するかは相手次第。
これが社交場の基本だけれど、ユリアは好きじゃない戦いよねえ。
「どうぞ、あの子が困っている様子がありましたら皆さまお助け下さいませ」
重ねて言えば、皆頷いてみせてくれた。
きっと彼女たちも腹の内ではそうすることによってユリアに恩を売って、セレッセ伯爵領の布地やらナシャンダ侯爵領の薔薇菓子などの販売経路を優遇してもらおうという面があるんでしょうね。
ああでも勿論善意が大半を占めているわよ。
だってそうでしょう。
こうやって貴族同士、助け合っていかないと……ね?
(でも、アルダール・サウル・フォン・バウム。覚えていなさい。私の友人を泣かせたら……目にもの見せてやるんだから)
あらいけない。
手に持った扇子がひび割れる音がした。
古かったから、仕方ないわね!
「奥さま、申し訳ございませんが……」
「あらどうしたの?」
「旦那さまが領地に急ぎお戻りになるとのことで、奥さまにも共にお戻りになるよう秘書の方がお見えでございます」
「まあ」
「いけませんわビアンカさま、宰相閣下がそのように仰せでしたら私どもの事はお気になさらず」
「そうですわ、火急のことでしょう」
「ありがとう、皆さま」
宰相であり公爵である夫が火急の用……ねえ。
領地で何かあったかしら? いいえ何もなかったはず。
だとすれば、例の勇者騒ぎ辺り……かしらね。
ふふ、しばらく退屈はしなそうね!!