73 侯爵令嬢のプライドと現実
ワタクシは、スカーレット。スカーレット・フォン・ピジョット。由緒正しきピジョット侯爵家の娘。
青い血を貴ぶべき、貴族の中の貴族。ワタクシはその一人。
貴族は庶民の上に立つ者として選ばれた存在であり、その一族に座するワタクシは上に立つべき人間。
お父さまとお母さま、お兄さまやお姉さまは領民あっての領主だなんて仰るけれど、ワタクシからすれば領主がいてくれるから領民も食べていけるのだと思うわ!
……そう思っていた。
ピジョット侯爵家は代々、数代おき、或いは連続しての時もあったけれど傑物を輩出する家柄として有名だと家系図にあった。ここのところ特別優秀と呼ばれる人材は出ていないと聞いて、ああ、ワタクシこそその存在なのだわと思ったもの。
ワタクシのひいおばあさまに妹がいたんだけれど、彼女も燃えるような赤毛だったそうよ。そして彼女は優れた学者であり、その能力の高さから外交官の一人になって最終的にはなんと他国の高貴な方に見初められたんですって。
彼女とワタクシが似ているというならば、ワタクシだってきっと……ふふふ。
七女という立場のワタクシには当然兄と姉がたくさんいて、皆凡人だったわ。両親も勿論優しくて人間として素晴らしいとは思うけれど、やっぱり能力は凡人だと言えるでしょう。でもワタクシは特別。兄妹でたった一人の赤毛の女の子、顔立ちだって整っていると思うわ、他に同い年なのはワタクシと双子の兄しかいないけど。
でもワタクシは貴族の娘ですもの。庶民なんか比べ物にならないと思うわ。月とスッポンってやつね! スッポンが何か知らないけれど。
礼儀作法だって大切な事よね、いずれ頭角を現したワタクシを、王太子殿下がお迎えに来ちゃうかもしれないし。別の国の方かもしれない。わからないけど、その時に恥ずかしい思いはできないもの。
真面目に授業を受けるワタクシを家庭教師は褒めてくださったものよ!
でも魔法の方はいくら勉強しても芳しくなかったし、他のお勉強も楽しくはなかったわ。裁縫とか詩の朗読とかなんでワタクシがしなきゃいけないのよって思ったけれど、貴族令嬢としては嗜みのひとつ……。諦めるしかありませんでしたわ。
魔法に能がないのは仕方がありませんわ、こればかりは生まれついての魔力量の問題ですものね。
けれどじゃあ護身術を、とやってもダメ。じゃあ乗馬を、とやってもダメ。どうやら運動系は苦手なんだわ。それはそうよね、ワタクシはか弱く本来は室内で過ごすべき令嬢だもの!
いずれは芽が出る。そう信じているワタクシを両親や兄姉は困り顔をしたの。
「人間には自分に合ったレベルと言うものが存在する」
「そうですわね。ワタクシにはワタクシに相応しいレベルがあるってことですわね!」
自分の実家だから愛着はあるけれど、ワタクシという器は侯爵家でおさまるような小さなものではないとワタクシ、信じてますの!
そう豪語してみたものの、なかなか芽が出ない。
そうしている間にも社交界デビューを兄姉分全員できない我が家ではワタクシや直ぐ上の兄たちは長男長女の社交場の連なりで良い縁談を見つけて欲しいと両親が願っていることを理解しました。それを知ってか知らずか、三女の姉はあろうことか庶民と結婚して貴族令嬢であることを捨てたのです。理解できませんでした!
誇りよりも生きていく上でのお金と愛情で十分だなんて、本当に誇りも何もない方だったなんて!
彼女がワタクシと同じ血を引いているなんて憎らしいぐらいでした。
ワタクシの美貌と地位があれば、縁談など降るようにやってくるだろうと思っていたのも束の間。全くそんな話が出なくてイラついていたけれど、慣例の行儀見習いで王城に上がる時にこれはチャンスだと思ったわ。
(きっと今まで縁談がなかったのはこの時のためだったのよ……王太子殿下こそがワタクシの運命なんだわ!)
ところが王太子殿下にお会いするために王子宮に配属を希望したというのに、年齢ばかり重ねた統括侍女を名乗る老婆はワタクシのことを見もせずに内宮に配属したのよ! なんという屈辱でしょう!!
ワタクシは侯爵令嬢なのよ?! なんで内宮にいる文官や貴族たちにお茶など運ばねばならないの。
どうせ同じ貴族にお茶を運ぶならばそれこそ国王陛下がおわす王宮、王妃殿下の後宮、王太子殿下の王子宮がワタクシには相応しいというのに! 王女殿下? いずれはどこかにお嫁ぎになるのでしょうしワタクシは興味ないわ。
それに妖精のような愛らしさとかこの国の美を集めたようなとか……憧れますけれど、現実はきっと違うでしょうから。ワタクシ、王族の方に幻滅なんてしたくありませんの。
実際侍女の仕事なんて地味なもの。
書類をやって書類を運んで、時にメッセンジャーのようなこと、時にお茶を淹れたり運んだり。時には買い物にも行かされたし、簡単なものとはいえ掃除までさせられた。その上ワタクシだけでなく、貴族の令嬢はすでに礼儀作法を一通り学んでいるというのに再びここで所作を学び直せと教師をつけられる始末。
(なんという不当な扱いなのかしら! ワタクシは侯爵令嬢なのよ、敬われるべき存在で、求められるべき存在なのよ?)
それなのに周囲は「可愛げがない」だの「プライドばかりで能力が無い」だの言いたい放題。可愛げがないですって? 下々に何を思われても痛くも痒くもないわ。ただただ静かに微笑んで風が吹けば倒れるようなか弱さで上に立つ者がいられると思っているのかしら。能力に関しては……そうよ、これからなんだから。
「こっわい顔してやんのー。お前スカーレットだろ? ピジョット侯爵家の」
「まあ、どなたかしら。ワタクシの名前をそのように呼び捨てにするような生意気な男など覚えはないのですけれど」
「俺だよ、ハンス! ハンス・エドワルド・フォン・レムレッド。覚えてないか?」
「……ハンス、ハンスですって? まあ最近話を聞かないと思ったら……騎士になっていたの?」
「そうさ。聞いて驚け、俺は近衛隊所属なんだぞ!」
「まあ。この国の行く末が案じられる話で驚きですわ」
「酷ェ! ……最近内宮に入ったとんでもないじゃじゃ馬侍女ってお前だろ! いい加減夢ばっか見てないで現実問題見たらどうだ? 俺たちみたいに跡も継げない、そういう末っ子は大人しく自分の分ってもんを弁えるもんだぜ」
「うるさいですわ! ワタクシ、忙しいんですの。貴方もとっとと仕事にお戻りになったら?」
「おっとそうだな、休憩終わるとこだった。それじゃあまたな!」
味方のいない王城で、……幼馴染に会えて。本当は心が折れそうだったから、少し泣きそうになりましたわ。
それからもちょくちょく顔を見せてくれるハンスは、ワタクシのことを少しは良く思ってくれているのかと心ときめかせたこともありました。結局他の女の褒め言葉なんかを聞かされて嫌な気持ちになったけれど!
ええ、でもただの嫌な気持ちではなかったのでワタクシが彼に心を寄せたのだという自覚は出来ましたわ。気付いた時にはなんと悔しかったことか!
だけど、自分から言う気はないわ。言わせてみせて、請われてみせて、初めて勝ったと思わない?
でも誰もわかってくれない。ワタクシは侯爵令嬢なのよ、青い血の末なのよ。わかってるわよ、大勢いる見習いの侍女のほとんどがそうよね。だけれどワタクシは侯爵令嬢なのよ。子爵とか男爵とかそんな低い身分じゃないの。
七女がなんだっていうの。侯爵家に生まれた、それだけで大きな責任があるのよ。
この血筋を守っていく。だから身分高き夫を見つけ、ワタクシが理想とする貴族としての暮らしを手に入れる。ハンスはそれを見て悔しがればいいのよ、ワタクシがそばにいる今がどれだけ幸福だってことか!
勿論ピジョット家の血筋を守るべきは次期当主のお兄さまであって、分家当主となるお兄さまでもあるわ。だけどピジョット侯爵家の娘なの。ワタクシは侯爵令嬢、それを誇りに思っているのよ!
そうやって誇りを胸にやってきたつもりが、バウム伯爵家が宮中伯だったということを知らなくてお咎めを受ける羽目になったわ。どうして誰も教えてくれなかったの?!
そして王女宮にやってきた。左遷だと思ったわ。『鉄壁侍女』なんて呼ばれている仕事の鬼だと噂の筆頭侍女がいる宮だなんて! きっとワタクシを奴隷のように扱うんだわ。あのオバサンめ、大して美しくもないのに何故ワタクシよりも地位が高く、王族の方に懇意にしてもらっているの?
どうして、どうして?
疑問と怒りばかりのワタクシに。
堅物で有名なアルダール・サウルに口説かれているあの女の姿を見たら自分がどれほど惨めに思えたことか! あんなオバさんで、ワタクシよりも美しくもない、身分もないのにどうしてワタクシはああやって誰かに請われたりしないのかしら。
今までワタクシに声を掛けてきたのは、愛人にと願う老齢の方ばかりだったわ。違うの、ワタクシが望むのは身分ある男性の正妻の座であり、ただ愛される存在であり、ワタクシを褒めて称えてくれる、そうよ、物語の姫君のように扱われたいだけなのに!
怒って涙が出ちゃうワタクシに、『鉄壁侍女』は呆れたように笑って頭を撫でてきた。ワタクシは子供じゃないわ。侯爵令嬢なのよ、立派な淑女なのよ?!
けれど噛みつくこともできなかったのは、しみじみと彼女が言うからだ。
優しい声音で、「馬鹿になんてしていないわ、きっと貴女は不器用なのね」って。
懇切丁寧に。今まで誰も仕事についてここまで詳しく教えてくれなかったわ。ただ教えられたことをやりなさい、やらないと罰がありますよとしか言われなかったわ。この仕事にどんな意味があるのか、下にいる者がこうして働くから上の者が動けるのだと。
ワタクシは侯爵令嬢。ワタクシは上に立つ人間。ワタクシは能力ある者。
でも本当に、そうだろうか……なんて最近自信がないけれど。でも今更、ワタクシはただの女で、ワタクシは生まれたのが侯爵家なだけで、ワタクシは家族と同じ凡人だった、なんて認め難い。
それでツンケンしても、彼女は時々呆れて黙ってしまうけど……それでも、教えてくれるから。
「……いいわ、しょうがないからやってあげる」
「言葉遣い」
「……やってあげます」
「違うでしょう?」
「やらせていただきます」
「はい、それで結構です」
ワタクシが折れるという形で、学ばせてもらえるだろうか。
どこまで許されるのか、まだ図り切れないし……まだ、ワタクシの中で気持ちに決着はついていないけれど。べ、別に向こうが教えたいって言うんだからワタクシはただ学ぶだけだけれどね!
貴族令嬢として美しいと信じていた自分が、王女殿下の足元にも及ばないと知って矜持が砕かれたからもう自慢はできないわ。侍女としては……認め難いけれど、同じ宮で平民出のメイナとか言う女にもまだまだ足元にすら及ばない。
いいえ、ワタクシはスカーレット・フォン・ピジョット。
やればできるはずなの。ワタクシはこの王女宮で、きっと能力を開花させて見せるんだから!
スカーレット・フォン・ピジョット。
主人公とは違った方向に、子供じみて拗れた侍女である。