72
それからは毎日、通常業務に加えてスカーレットを教育する日々です。
なにせ園遊会がもう目と鼻の先。猶予はないのです!
「そう、そのまま。ええ、上手よ」
「うう……なんでワタクシがこのようなことを……」
セバスチャンさんが紅茶の講義をしてくださった後も、まあ茶葉の種類は貴族令嬢でしたから粗方知っていたようです。高級茶葉となるとちょっと怪しかったですが。
ただ淹れ方、味の違い、見た目、どのような飲み方が適しているのか、お茶請けはどのようなものが望ましいか。ティーカップの銘柄、扱い方、茶葉にあった砂糖の種類……とまあ、覚えるべきことが増えるにつれて彼女の顔が引き攣っていきましたね。
うん、いや、まあ気持ちはわかる。
セバスチャンさんの講義は特に厳しいくらいですし。メイナなんて最初の頃は泣きそうでしたからね……とはいえ覚えてもらわねばいけません。園遊会では豪商と呼ばれる方々もご出席です、曖昧な知識を中途半端に持った侍女など失笑を買う事間違いなしです。
覚えられなかったら覚えられない、無知で申し訳ありませんと微笑むことができるならそれでいいのですがスカーレットですからね……。
知らなくて何が悪いとキレたり拗ねたりしてお客さまのご機嫌を損ねるか、逆に珍獣を見るような意味合いで面白がっていただけるか……どちらにせよどこの侍女だって話になりますよ!
ええ、ええ。
そんなことにはさせません。プリメラさまの初のご公務と言っても過言ではないこの園遊会でそのような失態は許されません!!
というわけで、本日は『淹れ方』に特化して教えています。
「紅茶なんて飲めればいいでしょ?!」
「そんなものを出されたら貴女、怒らない?」
「そりゃ怒るわよ……でも、だって……ワタクシは侯爵令嬢なのに……」
「侯爵令嬢ならば、使用人の質について考えてみてはどう?」
「えっ?」
この子は『侯爵令嬢である自分』に固執する傾向にありますので、視点を挿げ替えてやると虚をつかれるのか素直に話を聞くパターンが多いのよね。そこから何かを見つけたら褒めてやるなりしてあげると、割とドヤ顔してくると私は思います。
勿論、そうなるまでにこっちがムッとしてしまう場面も多いので上手に彼女を扱えているとは自信を持って言えませんが……でもまあ、侍女としてようやく形にはなってきたかなというところです。
「貴女が客人として迎えられた家で薄汚れたティーカップとソーサー、そこに味も香りもないぬるい紅茶を、しかも粗暴な所作で置かれたら迎えられていると思いますか?」
「……いいえ」
「では歓迎を感じるとしましょう、けれどその使用人を雇いあまつさえ客人の前に出す神経。貴女はその家をどう見ます?」
「……少なくとも、上に立てるようなものじゃないと思う……います。自分の家の使用人を教育できないばかりじゃなくて、そんな恥ずかしいのを人前に出すなんて……」
「ええ、その通り。では貴女、侯爵令嬢である時にそんなことを考えたことはありますか?」
「えっ?」
ピジョット侯爵家は侯爵とは名ばかりで残念ながら裕福な家庭とはちょっと言い難いですが……彼女の所作を考えるなら、教育に対して適当だったとは思えませんね。性格の事を考えると躾はどうだったんだと思わざるを得ませんが。
侯爵家として代々続いているくらいですから、それなりに使用人だって教育が行き届いているはずです。
「……王城ほどレベルが高かったわけじゃないけど……、でもそんな酷い使用人はいなかったわ。それが、当たり前だと思って……」
「そうですね、侯爵家の品位を落とさぬように教育を施してきた。例え貴族でなくとも、それを支える人員にはある程度のものは求められます。ではここで聞きましょう」
「……」
「私たちがお仕えするのは、並みの貴族などではありません。この国を象徴すべき、王族の方です。そこに仕える貴女がその程度のレベルで満足ですか?」
もっと上に行けますよ、と感じさせるのがコツです!
いえ、嘘は言っていませんよ。ちゃんと学べばこちらは教えますから。王城でもまあピンからキリまでいる侍女ですが、私だって筆頭侍女の一人です。望むならばとことん教えますよ。
「……だって、でも……ワタクシは侯爵令嬢であって、人に仕えるよりも人を使う人間に……」
おっと今回はこの方法ではノってきませんでしたね。
でも弱気な雰囲気、これはぐっと押していくとしましょう。
「人を使うということは、使われる相手のことをある程度理解することが必要です。貴女が料理や下働きのようなことをする必要はありませんが、人を使う者として、使われる者にも品位が必要だということを知ったでしょう? より高みを知るならば……と思ったのですが、貴女がそう思うならば仕方ありませんね」
「えっ」
「園遊会では給仕も運ぶのみに限定し、所作はそうね、歩くことは及第点ですし……お客さま方の顔は大分覚えたと思いますから……話題性、は掘り下げては厳しいわね。だとするならば笑顔を、」
「えっ、ちょ、ちょっと……」
「なんです?」
「それじゃあワタクシ、なにをするのよ?!」
「ですから、料理や飲み物を運びお配りする、それに徹してもらうだけです。目の前でお茶を淹れることをしないのであればご挨拶とそれに徹してもらえれば良いかと思います」
「そんな……」
話題性についてはあまり得意ではありませんからね。残念ながら口調がまだまだです。
おしゃれとかも好みがあまりにも赤とかの原色よりなものばかりで今の流行からは外れています。ましてや自分の方が上だと言いだしちゃったりなんかしたらもう貴婦人がたからどんなバッシングが発生するのか……想像するだけで胃が痛くなりますよね!
かといって政治・経済についてはこの子ったらさっぱりですし、貴族というだけで運営できるわけがないっていうことは理解しているのに才ある人はなんとでもできるみたいな……なんですかね、なんか必要な時に閃いたり決断したりできる、みたいな……なんですかどこのスーパーマン?
いえ、天才的な人がいたりするのは否定しませんが、それだけで回らないってことも理解して欲しいですよね。リーダーシップだって経験から磨かれることがあるでしょう。決断も駆け引きも天才の閃きに劣らず経験に則って行動できるでしょう。
っていうか殆どの人が天才ではないので、そうやって努力と経験をもとにやってくれているのに……やっぱりこの子、子供なんだとしか思えません。
世の中に一部の天才が存在しますが――ちょうどうちの王太子殿下とプリメラさまのように。
だけれどそれは本当に、ごく一部にしか過ぎないのですから。
「話題性が限られてしまう上に嗜好が合う人ばかりとは限りません。でしたら侍女として笑みを浮かべて給仕に徹する、それも大事なことです。貴女の容姿を気に入ってお声をかけてくださったり、後程お手紙をいただくこともあるかもしれませんよ?」
「ハンスがワタクシのことを惜しむまでそんなことされてもお断りですわ!!」
一途なのはいいけどね。なんか屈折してるよねこの子……。
振り向かせて「今更遅い!」ってフってやりたいんだってさ……。いや、多分実際問題振り向かれたり求愛されたらこの子コロッといっちゃうタイプだけど。口先だけとはまさにこのこと。
あっ、振り向いてもらえるかどうかっていう点でまずそこから怪しいけどね!
しかもアルダール・サウルさま曰く、例のヒロインっぽい冒険者の娘にその片思いの相手は惚れちゃったらしくて、スカーレットが暴走するといけないから耳に入らないようにしてくれって託が来たんだよね。
うーん……難しいなあ!
私? 私の方は落ち着いたものですよ!
自分の気持ちも理解できたからね、ただ園遊会が終わったら……と思うと心臓が爆発しそうだから今は考えないことにしています。うん、いや、なんの解決にもなってないけど。