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スカーレットの教育、まずは書類作業を覚えてもらう。
次は上下関係を覚えてもらう。
それから次は? うーん、セバスチャンさんに協力してもらってお茶を淹れるところとかかしら。
頭の中であれやこれやと計画を立てながら、スカーレットの書類教育を見つつ私も園遊会の書類に目を通します。
まあ彼女の仕事は雛形に沿って書くというものです。今日やるべき書類の中で重要度が低いものを中心に書かせてみると案外真剣に取り組んでせっせとやってくれています。
結構書くのも早いし何枚か書いて疲れたと文句を言いつつも手は止まらないし、書類業務はあまり心配しなくてもいいのかしら? 最初の説明から幾つか質問はしてきたけれど、軽く見た限りミスはないようですし……。
内宮では主に掃除と内宮筆頭の補佐という名の雑用をしていたんだそうです。聞いていた通りだけど。
多分内宮筆頭が自分の目の見える範囲に置いた結果でしょうね。でもこういう才能があるって気が付いてあげて欲しかった!
「ああーもう! なんでこんなに詳しく書かないといけないのよ!」
「貴女が今手にしている書類は王女宮で掃除などに使われる用具類の申請書ですが、なぜ必要なのか何がどの程度必要なのか、不用品の処理についてどうするのかを決裁しその経過を保管するために行っています。いつ申請があり、いつそれが受諾されたのか書類が残っていればなにがしか問題が起こった時に『いつのものである』等の証明が可能です」
「……なにがしかってなによ」
「言葉遣い」
「……なんですか!」
「はい、よろしい。例えば洗剤に薬物が混入されていたらどうしますか。或いは、納品されるべき内容以外が含まれていた場合などが挙げられます。もしくは納品物が不足している場合は窃盗の可能性も考慮すべきですね」
「えっ」
これはあくまで想定の話というやつだけれども。
まあ、今代では考えられませんが過去には王座を巡っての争いに飲食物に毒は当たり前、洗剤にまで仕込んで大問題になった例があったんだとか。勿論、洗剤なんて王城内で作っているわけではありませんのでどこで混入したのかとか捜査の手が色々……まるで刑事ドラマのように行われたなんていう記録が残っています。同様に、毒物や密輸品をこういう納品物に紛れ込ませて運び込む……なんて杜撰な時代もあったんですって! 窃盗も同様で、王城で使われる高品質のものを横流ししていたという時代があったというわけです。
だからこそ、今では書類保管によって『いつ誰が申請してどこで買った商品が納品されたのか、受け取りは誰だったのか』等詳しく書いてあるのは当然の話なのです。
とはいえ、それも数代前のお話。ここ百年以上、そういった危ない出来事など起こったという記録はありませんが……油断はいけません。こういう管理と整理整頓で未然に防げるものは防いだ方がいいに決まっています。
王族の皆さま、重鎮の方々だけでなく、我々自身の安全にも繋がる大事な事ですからね!
「……そんなこと考えたことなかった」
「貴族間の嫌味の応酬だけなら可愛いものです。そういう危険性も考慮すべき、と片隅で良いから覚えておくと良いでしょう」
まああの舌戦も頭の良い人たちになると世間話みたいに和やかだから一見わかんないっていう恐怖もあるけどね!
私みたいに一介の侍女はそれを横目にしているだけでいいんだからありがたい話です。あそこに加われとか言われたら泣きますね。
女たちのお茶会も同様です。あれはあれで違う化かし合いですよ……恐ろしい。
「書類は粗方片付きましたね。スカーレットも疲れたこととは思いますが、どうだったかしら」
「これだけやらされれば覚えるわよ……!」
「そうですか。助かりました、ありがとう」
「えっ」
「えっ?」
もっと少し文句ばっかりでちっとも進まないとか思っていたけど意外と真面目に働いてくれて、雛型を見ずに書けるほど理解してくれたので私はそこまで苦労していないのです。
あらやだ、スカーレットは案外有能ですね! とか思ったので素直にお礼も言いましたが逆に驚かれてしまいました。いやだ、私お礼も言えないような人間だと思われてたのかしらね……そういや彼女とは喧嘩腰の会話ばっかりだったからそう思われたのかも?
やぁだー、嫌な女上司とか思われてたらショックですね! 彼女の教育を通して挽回していくこととしましょう。私は厳しいことも言うけどやってくれたことを評価する上司でありたいです。
とりあえずお礼を言われて戸惑うスカーレットをそのままに、私は彼女が書いた書類を念のためチェックしながらサインしていきます。うん……うん、やっぱり綺麗な字ねえ。重要な書類とかはまだ当分任せることはできませんが、きちんと働いてくれるならありがたいことですよこれは!
文官への提出をスカーレットにお願いして、私は次に彼女にやってもらうことを考えました。
流石に書類を終えた後で文句も言っていたけど書類束を持ってプリプリ去って行ったけど……。うーん、まあ初日だからしょうがないけど、言葉遣いとあの態度はいただけないなあ!
どうやったら直っていくのかしら。地道に言うしかないのかなあ。とはいえ、文句を言いながらでもちゃんと従ってくれるだけ今は良しとすべきなのかもしれない。もっと大変かと身構えていましたからね。いやいや、油断は禁物ですが。
そんなことに頭を悩ませていると、ノックがしました。
ちょうどお茶を淹れ直すために立ち上がっていた私が振り向くと、そこには気まずそうにしている人の姿。
「……アルダール・サウルさま……」
「ユリア殿、……その、申し訳ありませんが今、よろしいですか」
え、いや、ちょっと待って。
園遊会の後と言ったからそういえばまだ時間があるとか思ってたけど、顔を合わせないわけじゃないんだよね。どうしてそれを想定してなかった私!
っていうか違う、そうじゃない。
動揺しすぎじゃないの私。そりゃ、今までとちょっと違うけど。アルダール・サウルさまは待ってくれると言ってくれたんだから何を動揺して……いや、なんか動悸がするしさ。
「あ、アルダール・サウルさま、どうしてこちらに」
「いえ、あの。実は……園遊会の警護で、近衛隊からは自分が王女宮の担当となりましたので……。王弟殿下に挨拶に行けと言われました」
「そ、そうですか」
王弟殿下がなんだかきっと要らない気の回し方をしたような気配を察知しました。
でも、なんというんでしょうか。なんとなくですけれども。
私もアルダール・サウルさまも、気まずい。いや、なんていうか。照れくさいと言いますか……なんでしょうこの甘酸っぱい感じ!
私は恥ずかしいから顔を上げられなくてアルダール・サウルさまの顔を見れないけど、きっとこっちを見て挙動不審だなあと思ってらっしゃることでしょう。自分でも随分目を泳がせていると自覚はありますし、きっと顔も赤いだろうなあと思うくらい心臓がドキドキしてますから。
うーん、やはり恋愛経験が少ないというのは良くないですね。
恋なのか、友人への独占欲なのか……それすらわからないけれど『告白された』という事実が私の胸をこうして苛むんですから。
「……ユリア殿」
「えっ」
「すみません。職務中だとはわかっていますが……そんな反応をされては期待してしまいます」
「期待、ですか?」
苦笑しているらしい彼の足が、一歩一歩近づいてくる。
私はどうしていいかわからず、ゆっくりと顔を上げた。
「そうです、顔を赤くして……嫌がるというよりも、恥じらっているかのような態度です。私はそういうものを都合よく捉えてしまう男ですよ」
「アルダール・サウルさま……」
目の前まで来た、そう思ってゆるゆると顔を上げた私を見下ろして微笑む姿があって、また顔が赤くなる。だってこれは卑怯だ。そんな優しい顔して、ちょっとだけ顔を赤らめて、嬉しそうな顔するなんて卑怯だ!
その上私の手を取って――いつの間に手を取った?!
あれ、待って、このパターンって。
「嫌がっていないならば、逃がせない。覚えておいてください」
取られた手の、私の指先に落とされたのは温かい感触。
あ、これキスされたんですね。なんて冷静にそれを見ていた私にその情報が遅れて頭に到達する。
「なんっ、今ッ、仕事……っ」
「仕事中でなければよろしかったですか? 勿論、今だってこれ以上のことはいたしません」
「ちが、っていうか、これ以上って……!」
「では、……嫌でしたか」
「えっ」
なんでそんなに余裕綽々なのよ、悔しいなあ!
仕事中ですよ、と言いたいのにどもっちゃったし、いや仕事中じゃなきゃいいってことでもないよ?!
そして続けられた問いに私は少し考える。
うん……うん、嫌ではなかったかな。キスされるなってわかってたけど、嫌ではなかった。
むしろ恥ずかしくてドキドキして心臓が破裂するかもって思ったくらい?
「……嫌では、ありません、でした」
「……ユリア殿、やった私が言うのもなんですが。あまり無防備ですと心配になります!」
「ええ?!」
ちょっと待って、これについては異議申し立てる!!
私絶対悪くないでしょう。なんでアルダール・サウルさまが眉を寄せて私の事を叱ってくるのよ。
納得できないって、そんなの。
そう思って反論しようとしたところで、アルダール・サウルさま越しにスカーレットが戻ってきたのが見えた。
ノックもせずに入ってくるのはマナー違反、それを注意しようと口を開きかけたところで呆然としていたスカーレットが目を一気に吊り上げて、あの大きな声で言ったのだ。
「な、なによなによ! こんなところでイチャついて……行き遅れはワタクシだけだって見せつけるワケ?!」
「ちょっ、待っ、」
「良いわよ良いわよ、ハンスも戻ってきたって言うから今から既成事実でも作ってやるんだから! そうしたらもう誰もワタクシのことを馬鹿になんてできないでしょう!」
「ま、待ちなさいスカーレット! ……スカーレット!!」
踵を返して走り去るスカーレットに、私は手を伸ばしただけで動けなくなった。
いやああああ誤解もいいところよおおおおお!!
「……行ってしまいましたね」
「行ってしまいましたねじゃありませんよアルダール・サウルさま!」
冷静に言うんじゃない!
あなたが原因でしょうが!!
スカーレットの一人称を【ワタクシ】統一しました。
それにしてもアルダール・サウル、意外と攻める。