616 まあ、判断は上に任せますけどね
今回はニコラスさん視点
「ふぅん……?」
我らが未来の王妃は、甘い考えをしているが鋭い。
前評判通りか。
そんなことを考えつつ、ボクの手元には一冊の日記帳。
子供の頃から書いているのではなく、ある時期を境に贖罪の気持ちを綴っただけの独り善がりなものだ。
まあ、日記なんてそんなものだろうけれども。
(殿下とフィライラ=ディルネさまのお考えは正しかったか)
例のウィナー嬢を動揺させた、先々代リジル商会長の弟が残した日記。
あれに書かれていた謎の女はどこに消えたのか。
別に気にするほどのことはないと言われればその通りだ。
ミュリエッタ・ウィナーはもうこちらの手の内にあり、彼女が何か行動を起こそうとしたところで今更大きな変化は起こせない。
『ただ、わたくしは思うのです。わたくしが幼い頃、わたくしであってわたくしでなかった頃。拒まずに受け入れていたら、その日記の女性のように何かにこの世界を重ねて見たのかしらと……』
それはまるで物語に溶け込むように。
そんな詩的な表現をされても、ボクの胸に響くものはなかったけれど。
だがそれはそれとして、もしミュリエッタ・ウィナーにまだ引き出しがあってこの国にとって有益な情報があるとしたらそれは重要な話に繋がるかもしれない。
彼女の、この国の貴族たちの裏話を限定的に知っていたり(そう、バウム家の複雑な事情とかね!)、習ってもいないのに魔法に長じているところ。
そうしたものが他にもあるかもしれない。
それならそれで、国の役に立ててもらわないとね。
(……けど、それをリジル商会のお坊ちゃんが匿ったからなあ)
諸々、彼女を懐柔し手懐けるために良い相手をあてがう予定だった。
けれどなかなか頑固なあの少女はアルダール・サウル・フォン・バウムに固執して、どんどんと己の立場を悪くする。
これはもう、どこかに閉じ込めることも考慮に入れるべきか――なんて声が上がっていたことは殆どの人が知らない話だ。
でもそうなるよりも前に、あの少年……リード・マルク・リジルが手を挙げた。
本人の談によれば『面白そう』だからとのことだけれど、そうじゃないことはあの日記でわかってくる話だ。
彼はあの少女を守っている。
けれど決して、優しくない態度で。
では、それは何故か?
その答えは、この日記帳にある。
(……これを知って、うちの王太子殿下は親友に対して何を思うんだろうなあ)
笑いたい気持ちだ。
まったくもって、人間って言うのは物事を複雑にするのが得意な生き物だとつくづく思う。
せいぜい、ボクはそれを横で眺めるだけだ。
ああ、でも。
「……ボクと一緒に来たら、この日記をいの一番に見られたのになあユリアさま」
あの日記を読んだという彼女なら、どういう反応をしてくれたのか……それは少しだけ興味が湧いたのだった。