610 根幹
今回はフィライラ・ディルネさま視点です
「……噂には聞いておりましたが風変わりなお嬢さんでしたね、フィライラ・ディルネ様」
「そうねえ」
ルネの言葉にわたくしも同意を示す。
ミュリエッタ・ウィナー。
噂には聞いていたし、王太子殿下からも要注意人物として事前に教えられていた人となり。
予知だか予言の能力があり、希有な治癒能力を有し、夢見がちな……年齢に比べればやや幼稚な面が目立つという女性。
今日のわたくしの茶会に彼女を招いたのは、以前外交官として世話になった貴族家の関係者から頼まれたことであり、ちょうど厚顔な面が鼻についてきたところでもあったのでこれを機に片をつけさせてもらったのだけれど……。
(英雄の娘というものに興味があって本当に招いてみたけれど)
彼女のあれは、幼さとはまた違うもののように感じた。
政略結婚、親が決めた婚約、そういったものへの理解のなさは、彼女がこれまでの人生経験からして未知のものだからということがわかった。
『貴族の方だけじゃなくて、人によっては……親が、相手を決めることもあるんだって、今はちゃんとわかってるんです。でも……頭で理解できても、みんな、それに対してどう感情を納得させているんだろうって……』
そんなことを言っていた彼女は、冒険者の娘としてそれこそ一所で長く暮らすことはなかったという。
おそらく、それが原因なのだ。
「今後、わたくしが王太子妃として立つ時にやらねばならないことの参考になったわ」
「……まあ、さようですか?」
ルネは不思議そうに小首を傾げたけれど、わたくしはそれについて応えるつもりはない。
ただ、そう、彼女は根無し草というやつだからこそ、長きをかけて関係を築いていくことよりも刹那の感情を優先しがちなのではないかしらと思うのだ。
己が暮らす土地に愛着を持ちすぎるのも困るけれど、家の繋がりや土地関係、そういったものに対する思い入れがなさすぎるのも困るものだわ。
実際、彼女はわたくしが『国同士のために』と言った時にもやはり実感が湧いていない様子だった。
他のご令嬢が隣の領地の子息と、事業提携で契約を結び長く親戚として互いを支え合うための婚姻関係を結ぶことについても、どこかぼんやりと聞いていたように思う。
彼女にとって、結婚というものはただ好いた人と結ばれること。
そこに描く未来に、具体性が何も見えていないに違いない。
(わたくしたち貴族のように、領民のためになすべきことが……農民であれば土地を守っていくことが……そういったものが、彼女にはないのだわ)
どれほど優秀であろうと、どれほど実力があろうと、それによって守るものが彼女には何一つないし、そこに育つ矜持もない。
それが彼女を不安にさせている。
だとすれば、そうした土壌を作りだしたのは冒険者の父親ということになるのでしょう。
いいえ、父親として彼女を養育し、冒険者として土地を渡り働いていたのだから過ちだったとは思わない。
けれど、彼女のそうした面が育たなかったのはどこにも彼女の〝故郷〟がないから。
そして、貴族になったからといってこの国に対する愛着がいきなり芽生えるわけでもないし……。
(全ての冒険者がそうではないにしろ、自由を謳歌するのは本人たちだけであって妻や子の扱いについて今後は気にしていくべきね……)
ただ一般の平民として、もしもミュリエッタ・ウィナーという少女が土地の誰かと婚姻したなら幸せになったことだろう。
けれど矜持を持たないままに貴族になり、国の為に、民のために婚姻を結ぶことも、家を守っていくということの意味も、重みも、彼女にはきっとわからない。
人はわからないことを恐れる生き物だ。
かつてのわたくしが、わたくしの中にあった誰かの記憶に怯えたように。
「フィライラ姫」
「まあ、王太子殿下」
「……茶会でひと騒動あったとか」
「大したことではございませんわ。……王太子殿下とは政略結婚となるが、怖くないかと問われましたの」
「……」
僅かに眉をひそめた殿下に、わたくしはそっと笑う。
冷たいようでいて、本質はとても温かい御方だとわたくしはもう知っているから怖くない。
「確かに出会いは政略ですが、尊敬できる相手と巡り会え、そして互いに想いを重ねる努力をしてくださる方だとわたくしはそう、お伝えさせていただきました」
「……そうか」
「お慕いしておりますわ。アラルバートさま、我が君」
彼女にはきっと理解しがたいことだろう。
利害を大前提に、恋をしたところで……それは恋とは言えるのかと、あの純粋無垢な少女ならばそう問うのだろう。
わたくしたちの間に芽生える愛情は、国の有事であればいつだって離れることもあり得る関係。
けれど、それは普通に恋を実らせたところで、どうなるかなんて誰も知らないのだもの。
「……殿下のご友人のお気持ちが、彼女に伝わるとよろしいのですけれど」
わたくしの独り言は、どうやら殿下の耳には幸い入らなかったようだった。
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