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「……そうねえ、確かにこの女性は未来を見通していたのかもしれない。本人から聞いたわけではないし、古い日記という証拠にはしづらいものに書かれた僅かな文章だけでは判断はできないわね」
「はい」
ビアンカさまがそっと日記帳の表紙を指でなぞりました。
それだけの仕草なのに何故か色香が漂うのはいったい全体どうしてなのかしら?
(コレが……オトナの女性の魅力……!!)
どうしましょう、私には備わっていない機能な気がして仕方ありません。
えっ、いずれは私にも搭載されますかね……?
ビアンカさまほどのとは高望みしませんから、せめてこの十分の一……いや、百分の一でもいいんですけども。
淡い桃色の爪先が日記帳から離れて、今度は悩ましげなため息を零すビアンカさま。
なんでこう、いちいち仕草が色っぽいんでしょう……!!
「でも結局、この日記ではその〝恋人〟である女性は、自身の知る未来を確認せず姿を消したのよね」
「……そうなりますね」
「そして戻ってこなかった」
「あくまでミッチェランには……ということでしょうが」
そう、あくまで日記帳なので書き手の主観によるものですからね。
もしもこっそりと……それこそ変装をしたり、ものすごく遠くから見ていたなんてことにミッチェランの創始者さんが気づかなかったなんてオチもあり得るじゃないですか。
もしかしたら捜索の網からすり抜けたまま、王都に暮らしていたかもしれない。
どこの国とは書いていませんでしたが、ご実家に戻ったのかもしれない。
そんな可能性だって、ないとは言い切れませんからね。
ただまあ、少なくとも日記を拝見した限り、二人は想い合って……多少の熱量の差はあっても恋人として順風満帆のように見えましたよね。
やはり前世の記憶が彼女の負担になったんでしょうか?
彼女にとってこの世界が現実だと思えるほどの思い出が築けなかったのかなと思うと、少しばかり寂しい気もします。
(……ミュリエッタさんはどう思ったのかしらね)
聞いてみたいような、いえ、やっぱりこの件について触れるのは良くないですね。
せっかくほどよい距離感を(強制的にとはいえ)保てるようになったんですから!
あちらにとっても大事なことですよ。
彼女にとって、アルダールが特別な人なのだとしたら。
現実のアルダールと、ゲームのアルダールは当たり前ですが別人……いや、なんていうんでしょうね? 虚像? 陽炎? 蜃気楼?
なんにせよ、彼の姿を目で追ってしまう……なんてこともあるかもしれませんし、現実に打ちのめされたミュリエッタさんにとっても今がきっと大事な時期なのです。
失踪してしまった彼女のように全てから……ゲームが現実、なんてミュリエッタさんたちのように前世の意識が強いままの人からしたら、不思議なこの状況を受け入れられるかどうか、の。
「とりあえず、ウィナー家のお嬢さんの反応もなんとなくわかった気がするわ。見えていたはずの幸せな未来、なんてものは……この日記にあるように、人の手でいくらでも作り出せて。そして、簡単に覆るんだって痛感したんじゃない?」
「……どう、なんでしょう。私にはわかりかねます」
「ふふ、大丈夫。わたくしもわからないもの」
艶やかに笑ったビアンカさまは、それでもミュリエッタさんのことを『問題なし』と見て今後注意を払うようにだけに留めてくれたようです。
とりあえず、当面の自由は……多少見守られることはあっても保証されたんじゃないかなと思うと、良かったんじゃないでしょうか?
「未来が見える、か。なかなか残酷な話ねえ……」
ビアンカさまがそうしみじみ仰るのを、私は曖昧に微笑んで誤魔化すしかできませんでした。