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デボラさんのその言葉に私はちょっとだけ驚きましたが、思った以上に早く語ってくれるようになったことを喜ぶべきなのかどうかと少しだけ考えてから彼女に座るよう促しました。
「ありがとうございます。そう長い話ではございませんが……」
そう前置いて、デボラさんはにこりと微笑みました。
その姿はどこからどう見ても立派な高位貴族家のご令嬢、品がある佇まいです。
ですが、彼女の次の台詞に思わず私は目を丸くしてしまいました。
「わたくし、生まれつき力が人よりも強くて……そんじょそこらの殿方よりも力の強さだけなら厄介なほどですの」
「えっ」
「しかも持って生まれた魔術の才は強化系。文官や貴族家の中の貴族として優雅さを尊ぶ我が家で、それは扱いに困るものでしたわ」
なんと……まあ。
予想の斜め上のとんでもない言葉が出てきてしまったではありませんか!
貴族として魔力を持つ人は割と多いですが、安寧の世では『魔力がある』程度の扱いにしか過ぎません。
まあ突出した才があるならそれに越したことはありませんが、使い道も難しいですしね。
(確かにファーガス公爵家は過去に王妃を輩出したこともある名門貴族、これまでも学者、政治家といった方面に優れた人材が多かったと記憶してますけど……)
「わたくしの才能だけで言えば武官の道が望ましかったでしょうが、それはファーガス家としては受け入れられない話でしたの。ですので、わたくしは幼少期から厳しい鍛錬の末に貴婦人としてそれらしく振る舞う知恵を身につけました。……が、ふとした時に力加減を間違えてしまいますので、それが克服できないうちには婚約も難しかったのですわ」
「はあ、なるほど……?」
確かにちょっと動揺した時にコントロールをミスって婚約者との茶会中にカップを素手で割った……なんて話が出たら、ファーガス公爵家としては困る……のかな?
正直想像ができないと言いましょうか、困惑しっぱなしです。
「そして教育のために家にこもることも多かった弊害があって」
「弊害、ですか」
「……わたくし、こう見えて殿方を前にすると緊張してしまいますの」
「ええっ」
「ですから、ダンスなど体を密着するでしょう? それを誤魔化すために男装して家門のご令嬢たちと踊るという作戦を母が思いついて……そうしたら何故か誤解が増してしまったんですわ」
「そ、そうだったんですか……」
いやわからんて!
私だって彼女のことは立派な公爵令嬢にしか見えませんでしたもの!!
まあそういう理由もあって、なかなか国内の婚約者を見つける……というのも何かあったら怪力がバレるってことで進まず、それなら海外に……という話が出たのですが、その際に王妃さまから『せっかく才女であるのに結婚だけが道ではないのでは?』とお声がけいただいたのだとか。
「わたくしもそれまでは令嬢として家のために嫁ぐ事ばかり考えておりましたけれど、王妃さまのそのお言葉に安堵したのです。……正直、結婚してもこの強すぎる力を隠し続けるのは容易ではありませんもの」
平常時であればなんとでもできるものの、緊張したり突発的なことがあったりすれば表情を保つ代わりに何かを握りしめてしまう癖があるそうです。
王妃さまのお風呂での被害っていうのも、繊細な作業に対して緊張のあまり持っていた固形石けんを握りしめて木っ端微塵にしたんですって……。
「しかも連続で三つもやってしまって。掃除が大変だし慣れるまで時間がかかるからもういいと言われてしまいましたわ」
「ああ……」
被害ってそういうことだったんですね……。
緊張の余り固形の石けんを握りつぶすどころか木っ端微塵ってどんだけ……。
私も後宮に所属していたことが一時期ありましたから備品については知っておりますが、あの石けんそんな脆いもんじゃないはずですよ……?
しかも女性が片手で握りつぶすには結構な大きさだったと記憶していますが……。
基本的にはボディタオルで包んで泡立てるタイプのものでしたし。
「わたくしに来ていた縁談の話は、従妹のイメルダにと移ったのです。イメルダには大変申し訳ないことをしたと、今も思っています」
当時、イメルダ嬢はアルダールに片思いをしているものの上手くいかず、それならいっそのこと……とロレンシオ侯爵家の方々もデボラ嬢から譲られた婚約話に乗り気になったんだとか。
いずれにせよ貴族令嬢の政略結婚でしたので、貴族派のロレンシオ侯爵家にしろファーガス公爵家にしろ、自分たちの身内が縁を繋いでくれるなら誰でも良かったってのが正直なところでしょう。
実際、縁だけで見れば良縁なわけですしね!
蓋を開けてみたら浮気するような輩だったわけですけど!!
……まあこればっかりは出会ってみないとなんとも言えないってのが恐ろしい話ではありますが。
「わたくしはイメルダのおかげで王妃さまのところで文官として働くことができました。王妃さまのお傍で働けることは大変栄誉あることですし、それなら結婚せずともいいだろうと両親も納得してくれました」
(……ご両親としては令嬢としての彼女に結婚してほしかったのねえ……)
かつてのお義母さまを思い出して、私はなんとなくしんみりしてしまいました。
とはいえ、デボラさんが結婚に対してあまり良い感情を持てない理由も理解できますし、こればかりは彼女の全てを受け入れてくれるような屈強な相手に出会えたらいいんじゃないかなあと思うばかりです。
でも公爵家としてはあまり軍人系に嫁がせることも、婿にすることもよしとしていない雰囲気ですしね。
難しい問題です。
何かあったらつい、で相手に思い切り抱きついて骨を折ってしまった……なんてことになったらしゃれになりません。
そのことをデボラさんも危惧しているのでしょう。
「イメルダが王妃さまの茶会で失態を犯した件についても、わたくしの縁談が彼女に行ったせいで傷つけることになったのだと思うと……そしてそのせいで、王妃さま、王女殿下やユリアさまにもご迷惑をおかけしたと知って申し訳なく思っておりました」
「……デボラさんのせいではないでしょう」
「ありがとうございます。……そういう経緯もあって、わたくし、王妃さまにお願いしてこれから王女殿下が降嫁なさるまでの間だけでも良いからお役に立ちたいと願い出て侍女になったのです」
「そうでしたか」
確かにイメルダさんが婚約破棄した件は同情すべき点がたくさんあると思います。
異国まで出向いてさあ結婚に向けて……とあれこれ準備も重ねていたというのに、政略結婚の意味も忘れて別に恋人を作るような相手に出会ったことはとても遺憾だったと思います。
ええ、その点についてはものすごく運が悪かったんでしょう。
とはいえ、その縁談が出たのもデボラさんが怪力だから……ってだけじゃなくて、政略的なものがあってのこと。
それにデボラさんが海外との縁をなんて話が出たのも、彼女が怪力なことを隠したいファーガス家の意向ですもの。
そんな相手を見つけてきた公爵夫妻が原因であって、デボラさんのせいではないと思います。
(これがデボラさんがその人に惚れ込んで縁談をもぎ取った、ってんなら別ですけど……)
怪力については知れて良かったです。
少なくともプリメラさまの誕生パーティーの際には、お客さまの給仕に回さないようにしたいと思います。
社交界に関しては彼女の方が得意でしょうし、給仕で男性を前に緊張しちゃうくらいならいっそプリメラさまの傍に控えさせて補助してもらえばいいんじゃないですかね。
うん、良い采配では?
「事情はわかりました。デボラさんの腕力や握力については、正確に一度測ってみましょう。すでに訓練を受けて制御できているとはいえ、突発的なことに対しての抑止の方法などを一緒に考えてみたらいい案も浮かぶんじゃないかしら。ねえ、セバスチャンさん」
「そうですなあ。とりあえずは測定から始めましょう」
「あ、ありがとうございます……!」
ぱあっと表情を明るくしたデボラさん。可愛らしいじゃありませんか。
もしかしなくても、きっと彼女なりに怪力ってことで気後れしているところがあったんでしょうね。
でも、できたら……そう、この王女宮にいる間くらいは、彼女が彼女らしく振る舞えるように私も気を配ってあげたい。
そう思うのでした。