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装飾眼鏡の件で驚きはしたものの、私の仕事に何か影響が出るわけじゃない。
ただ周辺に眼鏡女子が増えるってだけの話なんだろう。とりあえずそう納得して夜になった廊下を歩いて、巡回している警護の騎士にお辞儀をして。
いつも通りの行動をして部屋に戻れば明かりが消えていて、そういえば蝋燭が切れかけてたんだったと反省して中に入って思わずびくっとして扉を閉めそうになってしまった。
だってそこにランタン持った内宮の筆頭侍女がぼうっと立ってたんだからそりゃビビるでしょ?!
悲鳴を上げなかっただけ褒めてもらわないと。いや不審者が侵入している場合もありうるから悲鳴は上げた方がいいのか?
いやあ、内宮の筆頭侍女って老齢に差し掛かったとてもスレンダーな人だからさぁ……うん、正直に言うとお化け屋敷の蝋人形並みに怖いわ!!
「な、内宮の……こんなお時間にわざわざお越しくださったのですか。明かりをつけていてくださって良かったのに」
「いえ、私も今来たところで……お勤めお疲れ様です。王女殿下にもお変わりなく?」
「ええ、お健やかに。……昼間の件で?」
「本当に申し訳なく」
「いいえ。今お茶を淹れましょう」
内宮の筆頭侍女は私よりも先輩の格上侍女だ。けれど筆頭侍女同士で立場は同じなので、あくまで先輩であり年上の女性として程度に敬語を使う間柄だ。
今回のスカーレット嬢のことで私に詫びに来たのはわかるけど、対応早すぎない? 慣れすぎてない?
まあ彼女のお目付け役であろうあの年嵩の侍女の対応が流れるような慣れっぷりだったから想像つくけど。
普段は顔を合わせれば外宮の筆頭侍女のことを言ってくる彼女も今日ばかりはしおらしい。
「当方の侍女が大変失礼をいたしました」
しっかりと詫びを入れてくる辺り、やはり彼女も仕事ができる人なのだ。
ここでうちは人数が多いからとか王女宮の筆頭侍女の方は年若いからなんて適当に難癖をつけて頭を下げれない人ではやっていけない。内心でどう思っているかはともかく、謝罪すべき場所を知っていることは大事だ。
だけど、早ければ早いほどいいと考えたにしたって夜中に来るのは尋常ではないことくらい私だって感じているし、きっと彼女も私が感じ取っていることくらいお見通しなんだろう。
そして彼女が語ったのはこういうことだ。
スカーレット嬢は戻って年嵩の侍女から報告を受けた筆頭侍女からお説教を受けた。
その際にも持論を展開してバウム伯の分家となった時に侯爵令嬢である自分を助けたとあれば父親であるピジョット侯爵が目をかけるに違いないんだからそこはありがたがるべきだと。内宮筆頭侍女は卒倒しかけたそうだ。まあそうだろうね!
今までも困ったところがたくさんあったけれど、実は内宮筆頭侍女はピジョット侯爵家の縁戚にあたるらしく主家のご令嬢たちを見守ることをご当主の奥様からお願いされていたらしい。なのでなるべく困った性格だとわかった段階で自分の目の届く範囲に置いたのだが矯正は利かないどころか縁戚の老女ということで侮られる始末。
そこに加えて今回の件でもうほとほと疲れ切ってしまったらしい。
「もう私も秋の園遊会を機に全ての責を負って辞する時やもしれません」
「そのようなことは。アルダール・サウルさまも、個人的にお咎めになる気持ちはないそうですしそのお言葉に甘えては……?」
「ありがたいことです。けれどこのままではきっとあの子は秋の園遊会でやらかすでしょう。ええ、絶対。違いありません」
「そんなに力強く仰らなくても!」
あまりの断言しっぷりに私がドン引きですよ!!
いやまあ大して接点がない私にもわかる。あの子はやらかすでしょう。
その後いくらか愚痴を溢しつつ、何度も合間に謝罪を入れてお茶を飲み干した内宮筆頭侍女はなんだかいっぺんに年を取ってしまったかのようだった。
どうもスカーレット嬢はやはり末っ子な上にあの美しい容姿ということで両親だけでなく兄や姉にも可愛がられて育ったようだった。あの容姿があれば結婚には困るまい、行儀見習いもちゃんとすればどこかの貴族が受け入れてくれるだろうと楽観視していたそうだ。
末っ子だしということで一般的な貴族としての所作は教えられているけれど、娘を使ってどうこうなんて夫妻も下剋上を目指すわけでもないし、よしんば娘が貴族と結婚できたとしても大した家柄まではいかないだろうと侯爵ご夫妻も考えていたそうだ。幸せなら平民だっていいじゃない精神での子育てなんだそうだ。
ところがスカーレット嬢は違った。
元々ピジョット侯爵家というのは多産の家系なんだそうだが、数代に何人か突出した才のある人間が生まれるらしい。まあぶっちゃけると一代で5~7人の子供がいれば数代で一人くらい何か目立った人がいてもおかしかないだろう。それでも多い方だとは思うんだけど……まあスカーレット嬢は自らが才ある、何かしら功績の残せる人間に違いないと思っていたんだそうだ。
でも幼少期から特別勉強ができたわけでなし、魔力が強いわけでなし、料理・裁縫も才はなし、運動は苦手、ダンスはまあまあ、要するに見た目以外は普通だった。
いつか才能が花開く! と息巻く彼女を周囲は「ハイハイソウデスネー」なんてそのうち現実が見えるだろうと放置した結果が今の問題児へと成長させた、ということらしい。
つまり、なるべくしてなった問題児。
多くを知っても使わないだろうと最低限しか教えられなかった貴族作法から社交的に周囲への気配りなど知らない、侯爵家の人間という矜持だけが育っちゃった女の子。
強気な振る舞いが高い身分の人間には相応しいって勘違いしちゃってるしそれが違うかなと気が付きつつも今更変えられない不器用&勘違い系女子だということだ。
え、うん。
それって色々まずくない?
「しかし侍女として勤めてもうあの子も数年経つというのにバウム伯家の立ち位置も知らぬほど愚かだとは思いませんでした。流石に私ももう庇いきれません……今回のことは内宮にとって恥となりましょうが、統括侍女様にはお話しした上で彼女を秋の園遊会では謹慎とする所存です」
「バウム伯家のことは教えて差し上げたのですか?」
「ええ、宮中伯であると。あれほどの古く、忠誠が認められている名家が何故伯爵家止まりであるのか考えもせずあのような振る舞い。侯爵家の方にもご報告させていただきました。アルダール・サウル殿がお咎めの考えが無かろうと、天下の公道で淑女としても勤め人としてもあの子がしたことは許されるべきものではございません」
そもそもあの子、宮中伯ってなんだかわかってんのかな。
そんな根本的なところをちょっと思わなくもなかったが厳しすぎるともなんとも私が口を出すことでもないんだろうなあとお茶を飲むことで誤魔化した。
うーん、これって妥当なのかなあ。今まで何人かの侍女見習いを受け入れたし送り出して行った経験(寿退職とか、侍女として経験を積んで他で働くことにしたとかそういう退職)もあるけどそういう困った感じの子は預かったことなかったからなあ。でもやらかし具合を考えるとしょうがないのかしら。
「統括侍女さまはどの程度ご存知なのでしょうか?」
「おそらくあの方は殆どのことをご存知でしょう。私が庇っていたことも、筆頭侍女の立場を使って尻拭いをしていたことも。許されざるは私もですね」
「……なぜそこまで実情を私に話すんです?」
うん、まあ気になっちゃいたからスカーレット嬢のこと色々わかったけど。
自分のところの侍女が失礼しましたごめんなさい、で済む話だったんだよね。
これが一体全体どういう躾をしていたんだ! って私が怒ってるんならともかく、謝罪をされてはい受け入れましたとなったならそれで終わりなんだもん。
まあ、愚痴を言いたかったのかなーなんて暢気に一緒にお茶してた私の落ち度だなこれ。
巻き込む気満々でしょうコレ。
「統括侍女さまの所に、証言者として共に来ていただけませんか?」
「秋の園遊会でお忙しい統括侍女さまを煩わせるおつもりですか」
はいはいキタコレ!
遠回しに『あのばあさま怖いから行くのイヤですよ』と言ってみるものの、どうやら内宮筆頭侍女は引く気もないらしい。そこをなんとか、と粘られればこの人に今までお世話になったことがそういやあるんだよなあ……なんて思いだしたりなんかもしてしまうわけで。
ええ、まあ。私だって見習いだった時期があって、その頃からこの人は侍女をしていて、まだ筆頭侍女ではなかったけど後輩の育成に関わっていたから私も礼儀作法を習ったものです。まあそんなに内宮で長く勤めていたわけではないんですけど。
プリメラさまの件があって私は内宮でちょっと働いてから後宮、そして王女宮と移って行ったわけだから……あ、こうして考えると私経歴だけならちょっと豪華ですね!
「……仕方がありません。見習いだった時分にはお世話になった恩もありますし」
「そう言っていただけると助かります。……早いものですね、貴女が見習いで王城に来てからもう十年以上経っているだなんて」
「ええ、本当に早いものです」
私が王城に勤めて、プリメラさまが生まれて。
それからずーっと一緒に頑張ってきたわけで。まあ一緒に頑張ったっていうのは語弊があるけど。
でも侍女として、姉のような母のような、そんな感じで寄り添ってきたという自負はある!
プリメラさまだってそう思ってくれるから「ユリア母さま」なんて可愛い事言ってくれるんだから!!
今はまだ素直な子供だけど、プリメラさまだってこれから思春期だし反抗期とか来ちゃうのかしら。
ああ、そうなったら私どうしましょう。
いいえこんなところで迷っている暇はありません。思春期だって来て当然!
乗り越えて見せますよ、私はプリメラさまの侍女ですからね!!
でもまあ、その前に。
怖い、こわぁい統括侍女さまのところに行かなくちゃいけませんね……。
まったく、秋の園遊会だけでも気が重いというのに!
私が悪いわけじゃないけど、なんだか先生に怒られに行く子の付き添いの気分です……いや、まんまじゃん?!
「……内宮の、やっぱり行かなくちゃいけませんか……?」
「私も独りで行くのは怖いからいやなのです! 一緒に行ってちょうだい!」
「……デスヨネー……」
今からもう、なんだか泣きたくなってきた!