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あれから数日後、私たちはアーロンさんの店へと足を向けました。
勿論、事前にお約束をして時間を取ってもらってのことです。
なんせアーロンさんのお店は貴族御用達の人気店ですからね!
お針子さんや売り子さん、そういった方々も大勢雇っているって話です。
とはいえ、まあ……なんというか、私からしてみるととても、とても気まずい……!
(ティモさんとどう接したらいいのかしら)
貴族的には『知っていても知らないふり』をするのが淑女として正解と思います。
でも、あのデザインを見たら何かしらの感情を抱いてくれていたのだろうなということは、普通の感性を持っているなら誰でも気付くレベルで……うん……。
それを見ておいて知らない振りをしていいのか? ってなっているわけですよ。
「い、いらっしゃいませ、バウムさま! ファンディッドさま!」
「……こんにちはティモさん」
到着早々に緊張しきったティモさんに出迎えられた私はとりあえず笑みを浮かべて無難に挨拶をし、アルダールに視線を向けました。
彼は彼で穏やかないつも通りの笑みを浮かべていたんですが、対外的によく浮かべているのとはまた少し違う笑みだったので『これはどういう感情だ……!?』ってちょっとドキドキいたしました。
「彼がデザイン帳の持ち主かい? ユリア」
「え、ええ。こちらはこのお店のオーナー兼デザイナーのアーロンさんのお弟子さんで、ティモさんよ。ティモさん、こちらは知っているかもしれないけれど、私の婚約者のアルダール・サウル・フォン・バウムさま」
「今日はよろしく頼むよ」
「は、はは、はい! よろしくお願いいたします!!」
ティモさんの様子には悲壮感のようなものはなく、アルダールに向ける視線は憧れの騎士を前にした子どものようにキラキラしていましたね……。
うーん? じゃあ私に対してはただの恋情っていうよりは、なんとなく地味仲間ってことでシンパシーを感じていたとかそんな感じなのかな?
「いやはや、お待たせいたしました。すみませんね、業者がなかなか帰ってくれず……」
応接室に通されてからティモさんが震えながらお茶を出してくれたので、それを飲みつつ待っているとアーロンさんがゲッソリした様子でやってきました。
なんでも以前からしつこいお客さんがいらっしゃるらしく、あの手この手で今回は業者を通じて……ということらしく、ティモさんや他の従業員では対応できないからとアーロンさん本人が追い返していたんだとか。
警邏隊に突き出すと、少々厄介なことに繋がるそうです。
ああ、どこぞの貴族のご令嬢が無理でも言ってるんですかね……?
服飾関係にそういう話はつきものだって以前、オルタンス嬢や針子のおばあちゃんが教えてくれたことがありましたからね!
なんでもオルタンス嬢の場合は親しくなったと思ったら『セレッセ領の布地ってお安く手に入らない?』みたいなことを言ってきたり、人気のデザイナーに口利きできないか……なんてお願いしてくる人が出るんだとか。
針子のおばあちゃんの場合はにっこり笑って『めんどう……よ……?』って言っていたので、とんでもなく面倒なお客さんにあたったことがあるんだと思います。はい。
(働いているといろいろありますもんね……!!)
オルタンス嬢の場合はちょっと違うかもしれませんが、貴族同士の社交もお仕事の一環ってことでいいんじゃないでしょうか!
実際、領地持ち貴族ってのは自分の土地である程度のことは賄えますけどそれを商売に回して利益を得て、土地の管理やそのほかにあてているわけです。
取引そのものは当主が裁可するわけですが、夫人や令嬢が茶会などでおしゃべりに興じてそれを家族に伝えて……という流れがありますからね。
社交シーズンになるとその流れてきた情報を元に調べ上げ、男性陣は取引を行うわけです。
ちなみにその際、女性陣はどこの家が力を持ったか、羽振りが良いか……などを情報共有しているってわけ。
令嬢子息は実権こそありませんが、彼らもまた家名を背負っているわけですから……多少は、ね?
未婚の子息令嬢は人々の憧れ対象にもなりやすいので、どこそこの美しいご令嬢が着ていたドレスはどこそこ産の~、とか、今人気のどこそこの令息があそこの領地産の茶を気に入っている……と聞けばまあ売れるってなもんですよ!
まあだからこそ、特産品のない領地はあの手この手で頑張っているわけです。
(メレクには是非頑張ってもらいたいわ……)
スパ事業を目指して今も職人さんたちとあれこれ詰めているって聞いてますからね!
とまあ、実家に思いを馳せつつ私たちはアーロンさんと向き直りました。
アルダールとアーロンさんの雑談は本当に他愛ない言葉のやりとりで、場はとても和やかだと思います。
アーロンさんの後ろにお盆を持ったまま待機するティモさんはドキドキした様子でこちらを見ているのが傍目にもわかりました。
「まずはこのデザイン帳を返却させてもらうよ」
「いかがだったでしょうか」
「ああ、とても良いと思ったから是非お願いしたい。……このデザインを手がけた彼が作ってくれるんだろう?」
「勿論でございます」
アーロンさんはにっこりと笑ってデザイン帳を受け取り、ティモさんに渡しました。
ティモさんはパアアアッと明るい表情を見せて「ありがとうございます!」と大きな声でお礼を言っていて、元気だなあと思いました。
「ティモ、布地の見本を持ってきてくれるか? ああ、昨日新しく届いたものも一緒に」
「はい! ただいま!!」
ティモさんが満面の笑みを浮かべたまま出て行く姿を見送って、アーロンさんが深々と息をつきます。
少し、くたびれているようにも見えますが、すぐに笑みを浮かべた彼は私たちに言いました。
「いやあ、申し訳ありません。どうにも年齢ですかね、最近は疲れやすく……」
「まあ、まだこれからも頑張られるのでしょう?」
「いやいや、王女宮筆頭さま。実はここだけの話、王女殿下の次のドレスを最後にデザイナーを引退しようと思っておるのです」
「えっ……」
「ティモはまだあのように粗忽なところがありますが、デザイナーとしては十分に学び、才能を育ててきたと思います。他にも幾人かデザイナーは育っておりますが、あの子が一番でしょうな。足りないのは経験と、自信です」
「……」
それはティモさんを見ていると分かる気がします。
彼はアーロンさんがずっといてくれる、そんな目でいつもアーロンさんの後ろにいるのです。
それはずっと前からそうでした。
師と弟子の関係上、尊敬する師にはいつだって前にいてもらいたい気持ちはなんとなく私も理解はできますが……ティモさんは、独り立ちするぞ、やってやるぞという気概はあまり見受けられません。
あれだけ素敵なデザイン画を描かれるにも拘わらず、です。
「諸々雑務を引き受け、もうしばらくはこの店のオーナーとして経営に携わった後に適切な相手に引き継いでいくつもりなのですよ。……あの子を今後ご贔屓していただけるかは、今回の礼服で見てやってはいただけませんか、ミスルトゥ様」
「……なるほど、そういうことか」
アルダールはそれまで黙って私とアーロンさんの会話に耳を傾けていましたが、彼に『ミスルトゥ』と呼ばれて何か納得したようでした。
私も、ああ……と小さくため息を零しました。
「さすがにもうお気づきでしょう、私がわざと無作法な振る舞いをしたということを。勝手ながらにしたことを……心より、お詫び申し上げます」
アーロンさんはそう言って、私たちに深々と頭を下げたのでした。




