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「ねえねえユリア、私今日ビアンカ先生とお茶をした時に、今社交界で眼鏡が流行っているって聞いたのよ!」
「まあ、眼鏡でございますか?」
セバスチャンさんに若干恋愛について呆れられながらも給仕の時間にプリメラさまの所に行くと、嬉しそうに今日あった出来事をいくつもお話ししてくださった。うんうん、可愛らしい。
今日は私も色々あったんですよー疲れることもありましたよーでもその笑顔を見たら癒されました!
勿論そんな本音は全部顔にも出さずちゃんと仕事をしております。
「装飾眼鏡っていうんですって。それってユリアがかけている、度の入っていない眼鏡の事でしょう? ガラス部分がただの透明なものなら安価だからかける人が宮中でも増えてるんですって」
「まあ……なぜでしょう」
装飾眼鏡って……まあこっちの世界で伊達眼鏡なんて言葉はないだろうから妥当なのかな?
ちなみに眼鏡って高級品なんだよね! フレームだけならそうでもないんだけど……。
レンズの部分がとても緻密な計算をされた代物で、熟練の職人しか作れないとかそういうものなんだそうです。ですので富裕層くらいしか手に入れるのは難しく、安価な眼鏡だと度が合わないとかまあ色々あるみたいですね。ぱっと見わかんないけどね。
私のはコミュ障を拗らせた伊達眼鏡なんだけど。美形を直視とか無理です。ガラス越しでお仕事ですからって気持ちでないと真っ直ぐ前を向けません。ええ、美形ばっかりの世界怖い。
「それでね、先生が仰るにはね、ユリアが流行りの大元なんですって!」
「……。なにか、誤解があったのでは?」
「そうよね、プリメラもユリアは社交界に出て行かないし侍女として慎ましやかにしてくれているから目立つようなことをしてはいないはずだって思って聞いてみたの。そうしたらね、貴女の社交界デビューの時あまりにも印象が違ったからっていうのが発端らしいわ」
「どういうことでしょう?」
ほんとどういうことだってば。
まったくもってわからない……あの時の私が化粧パワーのおかげで別人並みだったことは異論を唱えるつもりはないけれど、それと眼鏡?
困惑を隠しきれず首を傾げてしまった。
王女宮の中でとはいえ、ちょっと私も気を抜きすぎかと内心慌てて傾げた首を元に戻し、プリメラさまが楽しそうに笑う姿を見た。
「ユリアは知らないのだろうけど、社交界ではファンディッド子爵令嬢のパーティの時に見せたあの憂いを帯びた伏し目がちな姿とはまったく別の、侍女としての姿が理知的でカッコいいって今話題なの。これはおばあさまが画策したことじゃないわ、セレッセ伯の布とあのデザインがあってこその結果だと思うわ!」
「……なんてことでしょう」
他に言い様がないわ! 思わず声に出して驚いてしまいましたよ。
プリメラさまが嬉しそうなのはいいけど、私としては内心動揺の嵐だ。
愁いを帯びた伏し目がちな姿ってなんだ。あの時は何処を向いても美男美女しかいない(招待客どころか給仕や楽団までそうだった)から正面切って顔をあげてられなかっただけなのに!
そんな私の内心を察したのか、プリメラさまがフォローするかのように困ったように笑った。
「あの時はファンディッド子爵が失策をしたという噂でもちきりだったから、ユリアが傷心だったのだろうってことになったみたい。噂が噂を呼んでまるで本物のようになってしまうことは社交界でままあることだって先生は言ってたわ」
「そういうものですか……」
まさかそんな風に見られていたとは。
眼鏡の所為で愛想のなさに拍車がかかっているとは以前同僚に言われたことがあったけれど。まさかの筆頭侍女だからなのか社交界デビューしたからなのか、或いは両方の条件を満たしての『理知的でカッコいい』とかいう超ポジティブな表現を貰う日が来るとは……。
まあ仕事に徹している時は確かに眼鏡をかけていると真面目な感じとか知的な雰囲気がプラスされているような気がする。あくまで気がするレベルだけど。そこに愛想のなさが加わってクールっぽさが出ているのかもしれない。中身はこんなだけど。それを知る人はほとんどいないわけだし……基本的には冷静沈着を装っているわけだし、今まで成功しているはずだ。
いやしかし流行のはしりになれる日が来るとは思わなかった……しかも伊達眼鏡で。
「私がその……装飾眼鏡だということを皆さまご存知なのでしょうか?」
「そうね、休日はかけていない時もあるし……知っている人は知っているんじゃないかしら。ほら、叔父上さまとかレディたちをお相手にお話ししてそうだし。先生は自分じゃないって仰ってたから違うと思うわ」
「ああ……あの方ならあり得ますね……」
そういえば最近アルベルト・アガレスさまをお見掛けしていない。
軍務省の方が活発化したモンスター退治の件で慌ただしいということもあるのだろうけれども。
王弟殿下としての職務に追われているのならば、一介の侍女如きがご心配申し上げるのも僭越というもの。まあ何が言いたいかってたまには秘書官に睨まれながら仕事でもしてればいいと思うの。
私が辛辣なわけじゃない、あの人がいつも書類は嫌いだとか言って逃げ出すからいけないんだと思う。
しかし話は戻りますが、装飾眼鏡ですか……うん、まあ前世の世界でも眼鏡はお洒落アイテムとして活躍もしていたし別におかしな話じゃないのかな。私みたいな用途の方が少ないわけですし。
だとするとあれかしら、その内メガネフレームが凝ったデザインになるのかしら。
今現在だととてもシンプルな黒い木枠のものが一般的だけれども。宝石がついちゃったり、彫金細工のものとか出てくるんだろうなあ。そうしたら私もそういうのをつけるべきなのかな。……いやいや違うな。私らしいというのはこの黒ぶち眼鏡で無愛想で、ただただひたすら真面目に仕事をこなす侍女の中の侍女だ。そういうのを目指してきてるんだから。
うーん、でももしビアンカさまとかが装飾眼鏡をつけるんだったら?
今度相談してみようかしら。
王太后さまが使われるんだったら? そう思うと……うん、一人の女としては是非贈らせていただこうかな! 王太后さまにはいつもお世話になっているんだし。ナシャンダ侯爵領で見つけた工房にも相談してみよう。
私知ってるんだ、こういうことを商人に相談しちゃうとすごく面倒なことになるって!
だから直接工房に掛け合うんだ! もう会頭とかに会って変な勘繰りされたり噂されるのはごめんなんだ……。
「そういえばユリア、アルダール・サウルにはお礼できたの?」
「はい。お休みをいただきありがとうございます」
「いいの、ユリアも秋の園遊会準備で苦労をかけるものね。でもプリメラもしっかり王家の一員として頑張るから!」
「はい、プリメラさまでしたらきっとお役目を果たせることと我々皆信じております」
「うふふ、ありがと。そういえばディーン・デインさまとね、お手紙のやり取りをお父さまが許してくださったの」
「まあ! おめでとうございます」
「きっと今頃ディーン・デインさまにも連絡がいっているのでしょうね。私から先にお手紙を書いたらディーン・デインさま、驚かれるかしら? それともご迷惑かしら……」
「お喜びになると思います。早速夕餉の後にでもお書きになりますか?」
「そうね、そうする! 便箋を用意しておいてくれる?」
「かしこまりました」
頭を下げて、プリメラさまに見えないように後方にいるメイナに手を振ることで合図すれば慣れたもので彼女は小さく頷いて退出した。これで便箋の準備はばっちりだ。
本当にメイナは気の利く良い侍女に成長してくれて嬉しい限りです。素直な良い子なので、このまま色々学んでいけば今後立派になって貴族位の侍女に劣らずその実力を認めてもらえるはずです。今はまだまだ未熟ではありますが私は期待しています。
まあ、プリメラさまが降嫁なさる際の身の置き方は自由に決めてもらうつもりです。プリメラさまはメイナのことも気に入っているのでついてきて欲しいと思っていらっしゃるかもしれませんが、元々彼女は王城での人手不足を理由に実家から王城で働いていたという実績を作るために来ているのですから。いずれは家業を継ぐのかもしれませんね。
確かメイナの実家は宿屋業を営んでいましたから、きっと彼女は素敵な女将さんになれること間違いなしです。
メイナの他にもたくさん民間あがりの侍女はおりますが、彼女ほど育つ子は今のところいないなと思っています。勿論贔屓目はあるだろうけれど差別なんかしたことはないです。ただまだまだどこの宮に所属するにしても表に出せないと私が思う程度に新人たちはひよっこです。ある意味メイナが優秀すぎるのかもしれません。
でもどの子も気立ての良い可愛い子たちですよ!
でも正直もう一人くらい王女宮は侍女がいてくれたらなあと思うことがあります。希望したよりも人数を割いてもらえなかったのが現実です。
プリメラさまがご成長なさればなされるほど、お客さまもお越しですし対応に追われることも少なくありません。また成長に伴い日々ドレスなど諸々新調したり、大人になるにつれ学ばれること、趣味の変化、公務についてなど我々の業務は増えていく一方ですからね。
また増員をお願いしても良いのかもしれませんね。統括侍女さまが良い顔をしてくれるとは微塵も思っておりませんが、こればかりは食い下がるほかありません。
そのためにも秋の園遊会、王女宮の面子は私とメイナにかかっているわけで……重圧を感じずにはいられないでしょうね、メイナは……。もう一人の侍女の子は話は一応したのですが「無理です」と泣き出してしまいましたので裏方に徹させることにしました。
無理強いはよくありません。我が王女宮はブラックでは断じてないのです。
「いつも皆に助けられているわ。ありがとう」
「勿体ないお言葉にございます」
にこにこと嬉しそうに笑うプリメラさまを見て、私たちも嬉しくなる。
うんうん、素直で可愛い子に育ってくれて本当に、本当にユリアは幸せ者です!