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その夜。
私はデザイン画を眺めながら、アルダールを待っている間に考えました。
(……考えれば考えるほど、おかしい)
そう、おかしいんですよ。
私も動揺していましたし、あの場では気付きませんでしたが帰ってきて冷静になるとおかしいなと思ったのです。
アーロンさんのお話は一見、筋が通っているようにも思えました。
弟子の淡い恋心が破れてせっかくのデザインが無駄になるのを哀れに思った師匠のお節介……そう言われればそれっぽいですが、本当にそうでしょうか?
だって、アーロンさんは元々貴族です。
そして貴族たちを相手取ってお仕事をしている方です。
そんな方が、たとえ我が子のように可愛がっている弟子のためだからってその恋情などプライベートな事情をお客さまに明かすでしょうか?
明かすにしてもあれは明け透けすぎですよね?
もっとぼかすとか、彼の気持ちを伝えずにドレス案だけ薦めるとか……方法はいろいろあったと思うのです。
貴族的にも、商人的にもありえないことを、王宮に出入りするような商人がする理由はいったいなんでしょう。
弟子の思いがこもったドレスと引き換えに地位と名誉とを全て擲つなどあり得ません。
だってそうなったらティモさんも巻き添えですからね!!
それらをアルダールが帰ってきてからデザイン帳と共に説明すると、彼はぺらりぺらりとティモさんのデザイン帳を眺めながら頷きました。
「そうだね。何かしら理由があってのことだろう」
「どんな理由だと思う? ……ティモさんが何かしらの気持ちを持ってデザインをしてくれていたのは、分かる気がするの。そのデザインはとても素敵だったものね」
「ああ、そうだね」
示されたデザインには、あちこち書き込みがありました。
たとえば女性用ドレスの横に、あまり派手なものがお好きではないようだから宝石類よりも控えめで上品な刺繍にする? とか。
男性用デザインの横にも、騎士ということならデザイン性よりも機能性を重視する? とか……。
もしもこれが、本当に私のことを想って描いたデザインだとして。
私のことだけでなく、アルダールのことも気にしてより二人が望むようなものにするにはどうしたらいいのか、それを考え込んでくれているティモさんの姿勢には頭が下がる思いです。
それだけ祝福の気持ちが込められているような気がしました。
「……あえてティモさんの気持ちを教えて、かつ、知らない振りをする貴族としての対応を求められたのかしら」
「それもあると思うけど、それだけかはわからないね」
知っていても知らない振りをする……それは貴族だけじゃなくてよくある話ではあるかと思います。
知っていてあえて知らない振りをしつつフォローをする、までが貴族社会では品位ある行動と呼ばれていますが……同時にそれはありとあらゆることに情報網を張っておけよという意味合いも含まれており、私たち貴族の子息令嬢は幼い頃にそれを学びます。
とはいえ座学で学んだところでその大事さを理解するのはいつなのか、それはまあ、本人の経験や周囲の環境によるところが大きいとは思いますが……私は王城で過ごすうちになんとなく理解できたかなあという感じですかね!
「……今度その店に二人で行こうか」
「えっ?」
「このドレスのデザインは見事なものだ。……ユリアと私への気遣いに溢れている。そりゃあ好いた女性が他の男に恋心を抱かれていたと知るのはいい気分じゃなかったけどね」
くすくす笑いながらアルダールはデザイン帳を閉じて、その表面を優しく撫でました。
ティモさんが私に対してどんな気持ちを抱いていたのか、それはあくまでアーロンさんから聞いただけなので真実はわかりません。
勿論、聞いたからってどうこうできるわけでなし……私にはアルダールがいますしね。
だから問いただそうとかそういう気持ちはありませんでした。
(でもいいのかな)
アルダールが肯定的な言葉を口にして、会いに行くと決めたのであればそれはドレスを発注してもいいという前向きなものです。
思い出と共にドレスを世に送り出すことで、ティモさんのけじめと、そしてキャリアに繋げることは間違いないと思うんですよ。
王女殿下の婚約発表があるという記念すべき誕生日パーティーに将来の義兄夫婦(予定)が着ていたドレスとなれば、そりゃね。
しかしながら私としては、もし本当にティモさんが好意を持っていてその気持ちを詰め込んだドレスを着るのか? という悩みがあります。
アルダールがいいって言ってくれているのだから素敵なドレスだと素直に受け止めるべきなのでしょうが、ティモさんに対して……どういう感情を抱けばいいのやら。
(それこそ『知っていても知らない振りをする』マナーを発動させろって話なんだろうけど……)
まさかアーロンさんはそれを実感しろって言いたいわけじゃないですよね……?
あの方も貴族ですし、私たちにそんなことをいちいちこんなやり方で教えてくるわけもないとは思いますが……。
(ああー考えれば考えるほどわからない……)
確かに好意を寄せられていたなんてこれっぽっちも思っていませんでしたし、そんな日が自分に来るとは思っていなかったわけですが。
アルダールというイケメンが私を見初めたように、私のことを〝いいなあ〟と思ってくれていた人が実は他にもいたんでしょうか。
デザイン帳の返却も込みで、会いに行かなくちゃならないのは確かなことです。
そしてそのデザインにあるドレスも、揃いの礼服も素敵だと思っているのです。
「……デザインが素敵なだけに、何がどうなっているのかわからないのが残念ね」
「大丈夫だよ。……話をするのは主に私がやるから、ユリアはただドレスを楽しみにしたらいい」
「え、でも……」
「今回はその方がいいだろうね。ただ、隣にはいてくれると嬉しいかな」
「それは勿論」
アルダールはいったい何を話すつもりなんでしょうか?
彼はなんとなくですが、今回のことで思うところがあるようでしたけれども……機嫌は悪くなさそうなので、問題ないとは思いますが。
私に話せないというよりは、憶測の域を出ないから今ここで話すことでもないって感じですかね。
隣にいてもいいと言ってくれているわけですし。
「それにしてもやっぱり出てきたか……」
「えっ、何が?」
「ユリアのことをいいと思っている人は絶対にいると思ったんだよ。ただ王宮勤めで王女宮と接点のある男性はそういないだろう? だから声をかけられなかっただけで」
「ええ……まっさかぁ……」
「〝鉄壁侍女〟なんて誰が言い始めたのやら、もしかしたら高嶺の花に声をかけることもできないままだったやつの八つ当たりみたいなものだったのかもね?」
「ふふ、ふ、何言ってるのアルダールったら! そんなことないってわかってるでしょうに」
「まあユリアがそう思うならそれでいいよ。今は私の婚約者なんだしね」
「そうよ。そう遠くないうちに妻になるんですからね」
「……ああ、そうだね」
嬉しそうに目を細めて笑うアルダールは、私の額に口づけを落としてぎゅうっと抱きしめてきました。
(それにしても高嶺の花、ねえ)
まあ確かに一理あるんですけどね。
王族と親しく、事務作業が強くて商人たちにも顔が利く……そういう意味では〝妻として〟価値のある人材には違いないでしょう。
ちょっと前までの私ならそれを『そんなことない』って思いますが、今ならそうだろうなと納得です。
が、鉄壁侍女と呼ばれ始めた頃はまだ年若く、当時の年齢層で考えれば恋に現を抜かすお年頃……だったものですから、そういう意味では高嶺の花になることはまるでなかったんですよ、ええ。
黒髪、深緑の目っていうありふれた色の中でも地味オブ地味でしたもの。
だからそういう意味ではアルダールは目が肥えていたっていうか美人に慣れすぎて、人の内面をちゃんと見られるからこそ私の良さに気がついてくれたんだと今は前向きに思っております! はい!
「それじゃあ次のお休みに伺う旨をアーロンさんに連絡しておくわね」
「うん、頼むよ」
まあ何はともあれ、今お付き合いしているのは私たちですもんね!




